迷子の矢印


任務を終えて、四日振りにスコールの部屋に行くと、其処には見知らぬ男子生徒がいた。
開けたままのドアを境界線にして、馴れ馴れしい口調でスコールと話をしている。
男子生徒が徐に延ばした手が、スコールの肩をぽんぽんと叩いた。
スコールはそれに表情を変える事なく、いつもと変わらない無表情で、就寝前の挨拶を口にした。

男子生徒はひらひらとスコールに手を振って、ドアを離れて行く。
此方へ向かって歩いて来た男がサイファーを見付け、よう、と片手を上げて挨拶したが、サイファーは返さなかった。
相手が何処の誰なのか、先輩なのか同期なのか後輩なのか、記憶が全く震えないので判らない。
先の魔女戦争で戦犯とされ、更生の為にバラムガーデンに戻ってきたサイファーに堂々と挨拶を投げようとする所を見ると、先輩か同期と言った所だろうか。

しかし、サイファーにはどうでも良い事だった。
隣を横切り、遠退いていく男の足音を聞いているのも癪に触って、それから離れるように歩を再開させる。
苛立ちを体現するような、男の足音を消さんばかりに露骨な足音を立てながら、サイファーはスコールの部屋の前に来た。

鍵のかかったドアのパネルを操作して、ロックを外す。
開けたドアの向こうには、部屋の主が淹れたばかりなのだろう、湯気の立つコーヒーカップを持って立っていた。


「……ああ、あんたか」


来訪者の貌を確認して、零れた言葉が、「お帰り」の代わりだ。
それに対して「おう」と返すのが常のサイファーだったが、今の彼にその余裕はない。

サイファーは無言で部屋へと入ると、スコールの手からコーヒーカップを取り上げた。
突然のサイファーの横暴に、おい、と抗議の声が上がるが、サイファーは無視する。
カップを床に放らずにテーブルに置いたのは、なけなしの理性だった。
手が空になると今度はスコールの腕を掴み、加減のない力で掴まれたスコールが顔を顰めるのも構わず、力任せに細身の体をベッドへと放る。


「痛っ……!何す、」
「うるせぇ!」


抗議しようとするスコールの声を、サイファーは怒りの声で遮った。
馬乗りになる男に、見開かれた蒼が見上げて来たが、それだけでサイファーの感情は収まらない。


「何他の男連れ込んでやがんだ、テメェ」
「……はあ?」


サイファーの言葉に、スコールの眉間に眉根が寄せられる。

サイファーの手がスコールの肩を掴み、ベッドシーツに縫い付ける。
薄手のシャツを着ているスコールの肩に、サイファーの指と爪が食い込んでいた。
スコールはそれをちらりと見遣って、怒り心頭で見下ろしてくる幼馴染を睨み、


「離せ。痛い」
「うるせえ」
「それしか言えないのか。何が気に入らないのか説明もしないで」
「何が、だと?」


サイファーの感情が伝染したように、スコールの声には苛立ちが混じっている。
そんなスコールの様子が、またサイファーには怒りの種になっていた。

────何が気に入らないのか、なんて、言うまでもないとサイファーは思っている。
しかし、言わなければ判らない、と言うスコールの台詞も最もだ。
彼にしてみれば、四日ぶりに任務から帰ってきた男が、部屋に入って来るなり怒り心頭になっていると言う状況なのだから、訳が判らないだろう。
もっと人の感情や動向に聡い人間なら察するものがあったかも知れないが、何せ相手はスコールだ。
他者と積極的に関わる事を避けて来た人間に、幼馴染が相手とは言え、何も言わない相手の心情を察しろと言うのは、甚だ無茶な話だった。

肩を掴む手に力が籠る。
ぎり、と痛む骨に、スコールが睨むのを見下ろしながら、サイファーは荒げたくなる声を努めて静かに吐き出した。


「面倒臭ぇ仕事が終わって、やっと帰って来れたと思ったら、他の男と慣れ慣れしくしてるのを見せつけられたんだぞ。腹も立つってもんだろうが」
「……意味が判らない。誰が誰と馴れ馴れしくしてたって?」
「お前が、何処の誰かも知らねえ奴と、だ。ついさっき其処にいただろうが」
「………ああ。あの人か」


たっぷりと考える時間を置いてから、スコールはようやくサイファーの指している人物に思い当たったらしい。
思い出すだけで時間がかかる程、スコールにとっては印象が薄いと言う事か。
それなら多少はサイファーの気も紛れるが、しかし、直ぐに件の男子生徒がスコールの肩に手を置いていた事を思い出す。
全く見知らぬ相手か、名前すらも知らない相手にそんな事をされて、スコールが平然としているとは思えない。
少なくとも、名前くらいは知っている間柄で、尚且つ指揮官となったスコールに気安く触れる事が許されている人物なんて、このバラムガーデン全体で探しても一握りだろう。

思い当たる人物に行きついてから、スコールは溜息を吐いた。
面倒臭いな、と言う色をした瞳がサイファーを見上げる。


「あの人はただの先輩だ。馴れ馴れしいのは……最初からだ。ああ言う人なんだろう」
「そんな奴がなんてお前の部屋に来てんだよ。お前、あいつと何してやがった?」
「何って、ただの報告書の提出だ。指揮官室はもう閉めていたから、こっちに持ってきたんだと」
「本当にそれだけか?」
「……しつこいな。なんなんだよ、あんた。俺が誰とどう言う話をしていようと、あんたには関係ないだろ」


スコールにとって、それはごく普通の、特に深い意味のない言葉だったのだろう。
長い間、親しい人間と言うものを作らず、自ら孤独の道を歩こうとしてきた。
魔女戦争を経て、幼い頃の記憶や友人たちを思い出して、少しは軟化したと言っても、長年培った価値観は変わらない。
他者からの過度の干渉を嫌うのも、同じことだった。

しかし、今のサイファーにその言葉は聞き捨てならない。

肩を掴んでいた手を離して、両手でスコールの胸倉を掴んだ。
ベッドに体を押さえ付けたまま、喉元に噛みついてやる。
急所を取られたと言う防衛本能か、恐怖に竦むようにスコールの体が引き攣ったのが判る。
構わずに歯を立て、ぎ、と痕を残してやれば、我に返ったスコールが怒りを滲ませた目でサイファーを睨んだ。


「あんた、何────」
「関係ねえ訳ねえだろうが!」
「!」


何かを言おうとしたスコールの言葉を遮って、サイファーは声を荒げた。
間近で聞いたサイファーの荒々しい声に、スコールが目を瞠る。

サイファーはスコールの胸倉を掴んだまま、ゼロにも等しい距離で言った。


「自分の恋人が!他の野郎とベタベタして!ムカつかねえ訳あるか!」


絶対に鈍いスコールにも判るように、大事な所を区切りながら、サイファーは叫ぶ。
隣室にも多少聞こえているかも知れないが、構わなかった。
そんな事よりも、理不尽で格好の悪い嫉妬であろうと、この感情はこいつにぶつけてやらなければならない、と思ったのだ。

ふーっ、ふーっ、と興奮した動物宜しく荒い鼻息の音が響く。
スコールはそんなサイファーを見詰め、……ぱち、ぱちぱち、と見開いた目で瞬きをした後、


「……は?……恋人?」
「あ?」
「……誰の話だ?」
「……あぁ!?」


鈍い反応に、つられたようにサイファーも反応が鈍った。
が、続いたスコールの問う言葉に、再びサイファーは沸点へと吹き上がった。


「ふざけんな!俺とお前の話だろうが!」
「……え?」
「セックスもしただろ!」
「…したけど……」
「したなら尚更、恋人で正しいだろ!」
「……え、あ…ちょ、苦し……っ」


胸倉を掴むサイファーの手に益々力が籠る。
スコールはサイファーの手を叩いて、離せ、と訴えたが、サイファーの手には力が籠るばかりだ。

────サイファーとスコールは恋人同士だ。
サイファーはそう思っている。
出奔したバラムガーデンに帰ってきてから、紆余曲折の末に、サイファーは古くから自覚していたその感情に従い、スコールに告白をした。
凡そ色気やロマンティックとは程遠い遣り取りをしたが、自分達にはそれ位が似合いだったのだろうと思っている。
それ位に直球にしなければ、スコールにこの気持ちを理解させるのは無理だと思ったからだ。
その後、スコールからの態度が特に変わった事がある訳ではなかったが、サイファーがキスをするのは嫌がらなかったし、体の関係も持った。
睦言を語り合うような甘い雰囲気は少ないが、スコールもサイファーに身を委ねるのは厭わなかったように見えた。

それなのに、スコールのこの反応はどう言う事だ。
告白をして、キスをして、セックスもしているのに、スコールはサイファーと恋愛関係にあるとは思っていなかったのか。


「おい……先週もセックスしたよな、俺達」
「…あ…ああ。した」
「その前にもしただろ。キスもした」
「……した」
「お前、その時どういうつもりだったんだ。お前は俺となんでセックスした?なんで拒否しなかった?……恋人だからじゃねえのか?」


先週も、その前も、いつだって、求めるのはサイファーだった。
スコールはそれに応じていたのが常で、自分からサイファーに特別な意識をもって触れる事はなかった。
が、スコールが他者を求める事そのものが苦手であると知っているから、サイファーもそれで構わなかったのだ。
求める事は勿論、求められるのが苦手なスコールだから、触れる手を拒否されない事が彼の答えだとサイファーは思っていたから。

でも本当はそうじゃないのか、と怒りの滲む瞳の中に、微かに傷付いた色が宿る。
それを見付けて、スコールは俯いた。
蒼灰色が彷徨うように揺れるのは、自分の頭の中を整理している時の癖だ。
サイファーは胸倉を掴んでいた手の力をようやく緩めて、スコールの言葉を待った。


「……セックス、は……あんたが、したがるから」
「お前は俺以外でも、誰かがヤらせろって言ったら、許すのか」
「それはない」
「そりゃ幸いだ。で、なんで俺がお前とヤりたがってるのかは判ってんのか?」
「……他に相手がいないからだろ?あんた、色々フダツキになったし。女に逃げられそうな顔してるし」
「好き放題言ってくれやがって……!」


さらりと酷い事を言われて、それも腹が立ったサイファーだが、今はそれ所じゃないと頭を振る。


「好きだからだろ。好きだからお前を抱いてんだよ」
「………は……?」
「なんだよ、その反応は」


思いもよらなかったと言う顔で見詰めるスコールに、サイファーは溜息を堪えた。


「……好きって、誰が」
「俺が」
「……誰を」
「お前を」
「………あんた、頭大丈夫か?」


真面目な顔で言うスコールに、サイファーは頭痛を覚える。
スコールは全くサイファーの言う事を信じていないし、そんな事がこの世に有り得るとも思っていないらしい。
思えない事はある意味仕方がないのかも知れないが、だが、それならばいつぞやに交わしたサイファーからの告白はどう思っているのか。


「スコール。俺は前に言ったよな。お前の全部を俺に寄越せって」
「あ───う、ん。言ってたな、そんな事」
「お前、その時なんて言ったか自分で覚えてるか」
「………」


考え込むスコールに、これは覚えていないな、とサイファーは察した。
サイファーの一世一代の告白そのものは覚えているが、その時の自分の反応は綺麗さっぱり忘れているらしい。
両方忘れていたらド突いてる所だ、と思いつつ、サイファーは絶対に忘れないあの言葉を繰り返してやった。


「“好きにしろ”って、お前はそう言ったんだよ」
「……言ったか?俺」
「言ったんだ」


ことん、と首を傾げるスコールに、サイファーは今度こそ溜息を吐く。

全部寄越せ、と言ったサイファーに、好きにしろ、と返したスコール。
あの時サイファーは、自分の言葉をスコールが受け止めたのだと解釈していた。
良いんだな、と念を押せば、また好きにしろ、とスコールは言ったから、“スコール”と言う存在を全て自分のものにしようと思った。
“スコール”と言う人間を自分の色に染めて、彼にとっても自分と言う存在がなくてはならない物にしてやろう、と。
何かと頻繁にスコールの下に通って彼を抱き締めるのも、そう言う気持ちがあったからだ。

しかし、当のスコールはと言うと、其処まで言っても反応が鈍かった。
自分の身に起きている事なのに、まるで理解の外にある話をしているかのように、ぽかんとした表情を浮かべている。


「……あんたが、俺を────」
「そうだ。……つーかお前、今までどういうつもりで俺に抱かれてたんだ。普通嫌だろ、男が男にヤられるってのは」
「それは、まあ……でも、あんたは相手がいなさそうだし。それであんたが何処かでヤバい事件を起こす位なら、俺が我慢すれば良いかって」
「誰がするか、そんな事。お前ほんっとに俺を信用してねえな」
「だってサイファーだし」
「認識を改めろ。そんな下らねえ理由で、男に手を出したりしねえよ」
「……」


サイファーの言葉に、それもそうか……とスコールが納得したように表情を変える。

言動は粗野でも、サイファーは根っからのロマンティストだ。
幼い頃から続く夢を一途に追っているが故に暴走した事もあるが、それ程、彼の根は純な所がある。
俗な感情を生々しいと嫌う訳ではないが、それはそれとして、好きな事にはロマンを見出して没頭する事が多い。
恋人とのあれやこれやともなれば、サイファーのロマンティスト心に火を付ける事だろう。

其処までようやく理解して、はた、とスコールは思い至る。


「…じゃあ、あんた、本気で俺の事が好きなのか?」


真っ直ぐ目を見て訊ねるスコールに、今更それかよ、とサイファーは呆れたが、同時に諦める。
いつの間にか自覚していたサイファーと違い、恋愛感情なんてものを今まで抱いた事もないであろうスコールだ。
生来の自己評価の低さも手伝って、誰かが自分に特別な感情を持つ事はない、とも思っていたに違いない。
そんなスコールが、「好き」だとか「お前が欲しい」なんて事を言われても、判る筈がないのだ。
これ以上直球な言葉もない筈だが、何せスコールにそれを受け止める器が出来ていないのだから仕方がない。

しかし、今となっては違うだろう。
スコールがどう受け取っていたにしろ、サイファーが何かと触れて来た事を今のスコールは知っている。
抱き締めて、キスをして、その体を抱いて熱に染めて────どうしてそうしていたのかを、今は理解している筈だ。

サイファーはスコールの肩を掴んで、ベッドへと押し戻した。
再び仰向けになったスコールは、見下ろす男の顔を見て、碧眼から滲む凶暴な気配を悟る。
どくん、と心臓の音が跳ねて、なんだこれは───と考える暇もなく、呼吸が塞がれた。
突然の事に蒼灰色が見開かれ、抗議するようにじたばたと暴れるが、サイファーはたっぷりとその唇の味を堪能してからようやく離す。


「っは……あんた、いきなり……っ」


予告もなく口付けたサイファーに、酸素の準備も儘ならなかった事を怒るスコールだったが、その言葉は見下ろす瞳に射貫かれて途切れる。

ぎしり、とベッドの軋む音が鳴って、サイファーはスコールの上に馬乗りになった。
体全部でスコールを閉じ込めるように囲い込んで、薄く笑みを浮かべて口を開く。


「もう一回言うぜ、スコール。お前の全部、俺に寄越せ」


仕切り直し、とばかりに告げた後、サイファーはスコールの返事を待たない。
好きにして良いんだよな、と囁くサイファーに、抗議の声は終ぞなかった。





2018/08/08

『片方は付き合っていると思っているが、もう片方は付き合ってないと思っているサイスコ』のリクエストを頂きました。

やる事やってるけど、恋愛感情で付き合ってるとは思っていないスコール……鈍過ぎる。
でもサイファーがキスしたりして来た時に強く拒否していないので、脈はあったんだと思う。自覚する切っ掛けがなかったんです。