メモリー・リープ


騒がしい所は好きではない。
休日は、必要がなければ外に出掛けなくて良いと思う。
そんな自分に、詰まんなくないっスか、と友人は言うけれど、退屈を解消する手段はあるので、特に詰まらないと思った事はない。
折角の夏休みなのに、と言う者もいるが、夏休みであるからこそ、スコールは家でゆっくりしたいのだ。

けれども、ふとした時に出掛ける機会と言うものはやって来る。
今回は、ラグナが仕事先から貰った動物園の入園チケットだった。
所謂お付き合いと言うもので渡されたそれは、無理に行く必要もないのだが、大人の付き合いを思うと一応行った方が良いような気がする。
しかしラグナ一人で動物園に行っても仕方がないので、折角だからと、兄レオンも含めて家族三人で行く事になった。

夏休みの動物園なんて、とても行くものじゃない、とスコールは思っている。
特に国内でも指折りと言われている広い動物園は、平時から観光客が多い事で知られており、バカンスシーズンともなれば尚更だった。
園が売りにしている動物の檻前には、親子連れが大きな塊を作っており、スコールは近付く事さえ嫌だった。
それでなくとも、大半は屋根のないルートを延々と歩く事になるので、肌を日に焼かれながら歩くのも辛い。
完全屋内の展示棟の中で、よく判らない骨の標本を見ている方がまだマシだ、と思う(そういう物にも興味がないので、10分と経たずに飽きそうだが)。

ラグナもレオンもそんなスコールの性格をよく判っている。
日に焼ける事が辛いのはレオンも同じなので、この時期の外歩きを好まない弟の言う事も理解できた。
だから折角貰ったチケットではあるけれど、広い園内を全部見て回ろうなんて言う無理はしないで、見たいものだけを見たら帰ろう、と言う話になった。
行くのも暑くて人が多い日中を割け、陽光の強さが和らぐタイミングで、帰りに何処かの店で夕飯も済ませてしまえば良い。

そう言う訳で、のんびりと動物園入りした三人だったが、それでも暑いものは暑いのだ。
園内で移動販売していたアイスを買って熱を逃がしながら、三人は真っ直ぐにある動物の檻へと向かう。


「この暑さだからな。外に出ているかどうか」
「日影にいるかも知れないな。やっぱりこれだけ暑いと、動物も辛いもんな〜」


前を歩く兄と父の会話に、出来れば外にいるのが見たい、とスコールはこっそりと思う。
しかし、人間がアイスを食べて日向を嫌っているのに、動物がわざわざこの炎天の下を好む事はあるまい。
なんでも良い、見れれば満足だ、とスコールは思い直して、看板の目印に従って順路を曲がる。

『サバンナエリア』と看板に書かれた道の先には、大型肉食動物を主に展示しているエリアがあった。
肉食獣の代表格と言った者の他にも、鮮やかな色をした大型の鳥類や、動きが機敏な小型の動物も展示されている。
スコールはそれらを横目に見ながら、エリアの中心に陣取る檻へと向かった。


(いた)


其処にいたのは、百獣の王ライオン。
一頭の雄と二頭の雌、そして今年の春に生まれた子ライオンもいるそうだが、檻に出ているのは大人のライオンだけだ。
子ライオンも徐々に展示檻に出られるように訓練されていると言うが、この暑さは幼い動物にはやはり良くないのだろう。
分厚いアクリルで囲われた檻の前に、子ライオンの訓練展示を中止する看板が出されていた。
その所為か、ライオンの檻の前には人の影が少なく、今はスコール達がいるだけだ。

夏休み前に子ライオンの訓練展示についてバラエティでニュースを流していたのを思い出す。
今の時期に動物園に来る客の殆どは、それが目当てなのかも知れないが、スコールにとってはどちらでも良かった。
スコールが見たいのは、まだあどけない顔をした子ライオンではなく、王者たる雄のライオンである。
スコールの視線は、檻内の木下でスフィンクスのように横になっているライオンに釘付けだった。

そんなスコールを挟んで、ラグナとレオンもライオンを眺める。


「あの雄は随分大きいな」
「ああ。昔はあーんなに小さかったのになー」
「……知ってるライオンなのか」


ラグナの言葉に、スコールが父を見て問う。
ラグナはうん、と頷いて、


「そりゃあ知ってるさ。昔スコールと仲良くなったライオンだもん、忘れないよ」
「……なんだ、それ」


知らない話だ、と眉根を寄せるスコール。
動物園のライオンと自分が知り合いだなんて、飼育員のアルバイトでもしていた事もないのにし、そんな不可思議な事がある訳がない。
と、スコールは思うのだが、ラグナは間違いなくスコールとあの雄ライオンは知り合いだと言う。


「ほら、子供の頃にもこの動物園には来た事があっただろ」
「………いつの話だ」
「えーと、確か……」
「スコールが小学生の時だな。俺が高校生だったから、大体十年前だ」
「そんなの覚えてない」


記憶力の良い兄の言葉に、スコールはきっぱりと言い返した。

十年前ならスコールが七歳の時の話になる。
確かに、その時に動物園か博物館か、そう言うものに行ったことがあっても可笑しくはないが、生憎幼い記憶は時間の経過と共に霞んで行った。
しかし、スコールにとっては十年前の古い記憶でも、ラグナにとってはそうではない。


「スコール、幼稚園の遠足の動物園も、熱出して行けなかったから、初めての動物園だってはしゃいでたんだぞ」
「……知らない」
「その年に丁度ライオンの赤ちゃんが生まれてさ。展示も始まる頃だったんだよ。見に行った時にも丁度出てて、スコールと遊んでたんだぞ」
「…遊んでたって……」


一瞬、自分が檻の中に入ってライオンの子供と遊んだのかと思ったが、流石にそれはないだろう。
この動物園の檻は、檻と言っても格子ではなく、厚みのあるガラスで覆われている為、ガラス越しに動物の姿をクリアに見る事が出来る。
十年前からその展示方法は採用されており、スコールが思い出せない記憶の中でも、きっと距離感は今と同じだったのだろう。
要するに、ガラス越しに幼いスコールと子ライオンが交流していた、とラグナは言っている訳だが、やはりスコールには思い出せるものがない。

眉根を寄せたままのスコールに構わず、スコールは目を細めて、木陰にいる雄ライオンを見る。
雄ライオンがゆっくりと立ち上がって水場に移動し、大きな舌で水を掬い取って飲んでいた。
一頻り飲んで満足すると、ライオンはパトロールするように、広い檻の中をゆっくりと円を描いて歩く。
その体がスコール達の前を通る度、黄金色の瞳が三人を捉え、悠然とした足取りで通り過ぎて行った。


「流石に迫力がある、と言うか。風格があるな」
「だよなぁ。な、スコール、さっき俺達の方をチラッと見ただろ。きっとお前の事覚えてるんだぜ」
「…そんな訳ないだろ」


毎日のように顔を合わせているならともかく、十年前に一度来たきりの子供を、どうして覚えていられるだろう。
スコールだってライオンの事が判らないのだから、ライオンが自分を判るとはとても思えない。
そもそも、あのライオンが、ラグナの言う十年前に見た子ライオンかも、スコールには判らないのだ。
動物園同士の様々な提携で、動物が他の園に移るのは珍しくない事なのだ。
動物園で代表的な存在とされるライオンだって、成長した後、生まれた園を離れていく固体もいるに違いない。

しかし、ラグナは此処にいる固体が、十年前に見たライオンと同一であると信じて疑わない。
スコールは懐疑的に見ているが、否定する材料がないのも確かで、好きに思っていれば良い、と思う事にした。
その隣で、レオンはうーんと唸りながらライオンを眺め、


「俺が昔見たライオンよりも、こいつは大きい気がするな」
「うん。親だった奴より大きくなってると思うぞ。お前みたいだなあ」


そう言ってラグナは、自分の目線よりも高い位置になったレオンの頭をくしゃくしゃと撫でる。
皺のある手で撫でられる感触に、レオンは困ったように眉尻を下げつつ、大人しく父の手に甘えていた。


「さてと。俺、ちょっと飲み物買って来ようと思うけど、二人はどうする?何かいるか?」
「水かお茶があれば欲しいかな」
「……炭酸」
「はいよ。ゴミも捨てに行くから、アイスの棒こっちに入れて」


ラグナはポケットからビニール袋を取り出して、息子達が持っていたアイスの棒を入れる。
自分が持っていた棒も入れて口を縛り、道の端に設置されているゴミ箱へと捨てた。

檻の前に残ったスコールとレオンは、じっと動き回るライオンを目で追っている。
ライオンは何週目かに入る所でくるりと踵を返し、スコールとレオンの前で行ったり来たりを繰り返した。
金の瞳が逸らされずにじっと向けられているのを見て、レオンがくすりと笑う。


「お前を思い出そうとしているのかもな」
「あんたまでそんな事を……」


バカバカしい、と呆れた顔をする弟に、レオンは肩を竦めた。

子供の頃のスコールは、ライオンさんと目が合った、と言って無邪気にはしゃいでいたものだった。
父の言葉で思い出してきたが、子ライオンとも確かに交流をしているようにも見えたのだ。
暑いガラス越しに、あっちへこっちへと動き回るスコールを追いかけて、子ライオンも駆け回っていたのを覚えている。
しかし、17歳になったスコールに当時の無邪気さを思い出せと言うのも、中々酷な話だろう。
この記憶は後で父と共有する事で楽しんで、今は口では呆れつつも、ライオンから目を離せない弟を眺めて楽しむとしよう。

おーい、と言う声を聞いてレオンが振り返ると、ラグナが帰ってきた所だった。
手には三本のペットボトルだけではなく、売店で買ったのだろうホットドッグが三本。
あれじゃ落としそうだ、とレオンはスコールをその場に残して、父の下へと向かう。


「父さん、それは」
「ちょっと腹が減っちゃってさ。一本位なら夕飯にも問題ないかなって」
「俺が持とう。落としちゃ大変だし」
「うん、ありがとう。スコールは────」
「あそこから動かない」


父の手を空けながら、レオンは視線で弟を指した。
レオンのその言葉通り、スコールは檻の前に立ち尽くしたまま、全く其処を動こうとしない。
レオンが帰ってきたラグナの所に行く時も、ちらと此方に目線を寄越しただけで、それも直ぐに目の前を通り過ぎるライオンに奪われていた。

陽光が随分と西へと傾いて、園内の木々から落ちる影が長く伸びているが、スコールの立っている場所には影はない。
暑いのは勿論、日に焼けるのも嫌いなスコールが、じっと日の下にいるのは珍しい事だった。
それ位に、スコールがライオンに夢中になっていると言う事だ。


「子供の頃と同じだなぁ」


ぽつりと零れた父の言葉に、レオンは目を細める。
檻の前で、まるで虜になったようにじっと動かない少年の後姿は、幼い頃の弟とそっくり重なる。
もう蒼の瞳が子供の頃のように判り易く喜ぶ様子は見られないけれど、瞳の奥がきらきらと輝いているのは変わるまい。
どんなに背が伸びても、泣き虫を卒業しても、根の純粋さは変わらないのだ。

そんな事を考えていると、ぴた、と冷たいものがレオンの頬に触れる。
ラグナが買ってきたペットボトルに浮いた結露が、レオンの日射で赤らんだ頬をひんやりと冷やしていた。
気持ち良いな、と冷気に目を細めていると、ラグナが目尻に皺を刻んで柔らかく笑う。


「お前も。大きくなったけど、やっぱり子供の頃と変わらないよ」
「……そうか?俺は、そうでもないと思うけど」
「俺にとっては変わんないよ。いつもスコールを見てくれてありがとうな、レオン」


微笑む父の言葉に、レオンの記憶がゆっくりと震える。

遠いあの日、この場所で、同じように父に褒められた。
ライオンの檻から離れたがらない弟から、片時も目を離さないように、レオンはずっとスコールの傍にいた。
ついさっき、二人で檻の前に立っていたように、あの日も一緒に並んでライオンを眺めていたのだ。
そんなレオンに、スコールを見てくれてありがとな、とラグナは頭を撫でていた。

行こう、と父に促され、レオンは弟のいる檻へと向かう。
名前を呼ぶとスコールが振り返り、その一瞬だけ、まだ瞳の奥に夢心地の色が残っていた。
それは直ぐに引っ込んでしまうが、父もきっと気付いたに違いない。



スコールは夢中になっていた自分を隠すように、差し出されたペットボトルを仏頂面で受け取った。
一口飲んだそれに蓋をして、視線はまた透明な壁の向こうへと向けられる。

蒼と金が確かに混じり合った瞬間、少年の目が嬉しそうに和らぐのを、父と兄は見逃さなかった。




2018/08/08

『何処かに出掛けるラグレオスコ』のリクエストを頂きました。

動物園ネタが好きです。趣味です。高校生が好きな動物に夢中になってるのが可愛い。
そんなスコールをずっと眺めてるのが楽しいレオンと、そんな兄弟を見ているのが好きなラグナでした。