秘密のアルバム


子供の頃、ほんの数か月の間だけ、同じ時間を過ごした子供がいる。
近所の幼馴染達を含めて、子供にとっては短くない時間を共有したその子供は、夏の終わりと共に何処か遠くへ行ってしまった。
子供の親は転勤が多く、あっちへこっちへとしょっちゅう引っ越しを繰り返し、その時も同じ理由で次の街へと行ったのだ。

今思えば仕方のない事ではあったが、当時のサイファーにはそれが酷く許せなかった。

幼稚園の年長クラスに上がり、転園してきたその子供を、サイファーは何かにつけて構っていた。
人見知りが激しいらしいその子供を、強引に遊びに誘った事や、苦手だと言うボール遊びをサイファーが押し切ってしまった為に、何度か泣かせた事もある。
けれど記憶はそればかりではなく、他の子供に苛められたその子供を庇ったり、一緒に折り紙を折ったりと、そんな思い出もあった。
夏休みに入ると、近所の家族同士で集まり、キャンプにも出掛けており、件の子供の家族も加わっていた。
お喋りな父親は子供達に大人気で、よく笑う母親が作るお菓子も大人気であったが、それよりもサイファーは、彼らの子供が気に入っていた。
何かと潤んでばかりの蒼の宝石が、真っ直ぐ自分を見て笑うと、きらきら綺麗に光るのが好きだった。

小さな子供の一日は、一生と同じ価値がある。
後で思えば、ほんの数か月しかない思い出でも、小さな子供にとってはそれらは一生分の思い出だ。
そしてこれからも、目の前にいる人とは、一緒にいられるのが当たり前だと信じて疑わない。
だからサイファーは、何度もその子供に言っていた。
俺達はずっと一緒だからな、と。
子供もそんなサイファーの言葉に頷いて、うん、と笑ってくれていた。

だから許せなかったのだ。
夏休みが終わって、また幼稚園に行くようになって、毎日あの子と遊べると思ったら、もうその子供は何処にもいなかった。
おうちの都合でお引越ししました、と幼稚園の先生から言われて、なんで、と声を上げた。
なんでと理由を聞かれても、先生がそれ以上の事を言える筈もなく、仕方がないのよ、としか言えなかった。
それで益々サイファーが癇癪を起こしたものだから、朝の会は滅茶苦茶になって、サイファーはその日一日、幼稚園の授業をボイコットした。
帰りに迎えに来た母イデアが、先生から事情を聞いて、仲良くなれたのにね、寂しかったのね、とサイファーを宥めたが、寂しかったんじゃない、怒ってるんだとサイファーは言った。
ずっと一緒だと約束したのに、向こうも「うん」と言ったのに、約束を破られたのが腹が立った。
腹が立って、悲しかった。
けれど悲しいと認めるのは悔しかったから、怒ってるんだ、とサイファーは繰り返した。

それが、十年以上も昔の話。




「……考えてみりゃ、あの頃から始まってたんだよな」


ぽつりと呟いたサイファーの声を聞いて、スコールが呼んでいた雑誌から顔を上げた。

きょとんとした蒼と、じっと見つめる翠がぶつかって、その眼力に気圧されたように、スコールが僅かに体を退く。
見られる事を基本的に嫌うスコールにとって、穴が開きそうな程に見詰められるのは、落ち着かないものである。
こっそりとガードするように、雑誌で視線のビームを遮断しようとするスコールだったが、それよりも先にサイファーが動いた。

スコールが家に来ている時、サイファーはベッドの上を定位置にしている。
対してスコールは、ベッドの端に寄り掛かって背中を預け、持ち込んだ本や、本棚を勝手に物色して見付けたものを読んでいるのがお決まりだった。
その殆どないも同然の距離を更に詰めて、サイファーはスコールの腕を掴む。
逃げを封じたスコールに、ずいっと顔を近付けて、サイファーは昔と変わらない蒼の宝石をまじまじと覗き込んだ。


「ちょ……おい、サイファー」
「何だよ」
「近い。離れろ」
「嫌だね」


あまりの近さに顔を顰めるスコールだったが、サイファーは気にしなかった。
掴んだ手首が逃げを打って捻られるが、すっかりサイファーの手に包み掴まれた手首はビクともしない。
決して華奢なばかりではないスコールだが、やはり全体的に恵まれた体格をしたサイファーに比べると、純粋な腕力では敵わないのだ。
くそ、と毒を吐いて、スコールはもう片方の手を使って、サイファーの手を引き剥がしにかかった。

目一杯の力を込めてサイファーの指を一本一本剥がしていくスコールに、可愛げはなくなったな、と思う。
記憶の中に残る小さな子供は、腕を掴むとビクッと震えたが、後は大人しくサイファーの後をついて来た。
あの子供は何事にも消極的で弱気だったから、サイファーの手を引っぺがすなんて、とても出来たものではなかったのだろう。

なんとしても手を解こうとしているスコール。
サイファーはじゃあその通りにしてやろう、とぱっと掴んでいた手首を開放してやった。
途端になくなった付加に、「あ、」と虚を突かれたような声を漏らして、スコールはぱちりと瞬きを一つして、


「……何だったんだよ」
「いや。ちょっと昔を思い出しただけだ」
「昔?」
「お前が少しだけこの町にいた時の」
「……何年前の話だ」
「12年か?」
「いつまで覚えてるんだ、そんな事」
「お前だって忘れてねえ癖に」
「………」


サイファーの言葉に、スコールは拗ねたように唇を尖らせる。

幼い頃、スコールは父の転勤の都合でこの町に来て、半年もしない内にいなくなった。
あの時のスコールは、今と違って気が弱く泣き虫で、度々幼稚園の子供に苛められては泣いていた。
やり返す、言い返すなど出来る筈もなく、いつもサイファーが割って入るまで泣いているばかりで、サイファーはそんなスコールを見て苛々する事も少なくなかった。

しかし、今のスコールにはそんな面影は微塵もなく、寧ろ負けず嫌いでサイファーにも堂々とやり返してくる。
もう一度この町に引っ越してきたスコールと再会した時には、あの泣き虫なスコールと同一人物とは到底思えなかった程だ。
無駄に強くなったもんだな、とサイファーは思う事もあるが、別にそんな彼が嫌いな訳ではない。
そうでなければ、今現在、彼と恋人と言う関係には落ち着いていまい。

───それはそれとして、サイファーはスコールの変化は、驚きを含めつつもひっくるめて良い思い出と思っているのだが、泣いていた当の本人には、触れられたくない過去らしい。
幼少の頃の思い出話になる度に、スコールは苦い顔で口を噤むので、サイファーは此処ぞとばかりに突いてやる。


「可愛かったぜ、あの頃のお前。何かあっちゃ直ぐに泣くから、腹も立ったけどよ」
「……泣いてない」
「お姉ちゃんお姉ちゃんって、直ぐにエルを呼んでただろ。その後はお父さんお母さん、だ」
「止めろ」
「で、それからが俺だ。泣いてる所に声かけたら、さいふぁ〜ってよ」
「このっ!」


スコールは顔を真っ赤にして、掴んだ枕でサイファーの顔面を叩く。
ばふっ、ばふっ、と柔らかい感触が何度もサイファーを襲ったが、当然、痛くも何ともない。


「ピーピー泣いてて可愛かったんだぜ、お前」
「知らない!俺じゃない!」
「お前だ、お前。俺がお前との思い出を忘れる訳ねえだろ」
「忘れろ!」
「嫌だね」


声を荒げて何度も枕で叩いて来るスコールに、サイファーはきっぱりと言ってやった。
誰が忘れてなんてやるものか、と。
そもそも、忘れろと言って忘れられる記憶なら、再開した時にこの少年があの子供である等と、気付く筈もないのだから。

ぎりぎりと枕を破らんばかりの力で掴んでいるスコールを、サイファーは捕まえてベッドへと引き倒した。
頭に血が上っていた所為で、サイファーからの反撃に無防備だったスコールは、「うわっ」と声を上げながらベッドに倒れ込む。
俯せでシーツに埋もれているスコールの隣に寝転んで、サイファーは笑みを浮かべて睨む蒼を見返す。


「忘れろなんて寂しい事言うなよ。俺の初恋の思い出だぜ?」
「……人を散々泣かしていた癖に、よくそんな台詞が言えるな」


沸点を通り越して一気に頭が冷えたのか、何度も自分の話じゃない、と言った事を、スコールは自ら口にした。

確かに幼いスコールはよく泣いた。
が、その原因にはサイファーも少なからず絡んでいる───と言うより、サイファーが原因であった場面も多かった。
初恋の相手を泣かせたのも思い出なのか、と棘を含んだスコールの言葉に、サイファーは目を逸らしつつ、


「そりゃ、あれだ。純情不器用な子供のやる事だから、仕方ねえだろ」
「仕方ないで俺は何度も泣かされたのか」
「悪かった。悪かったよ。その辺は俺も重々反省してる」


子供の頃に何度もスコールを泣かせた件は、成長してからしっかりとサイファーにしっぺ返しを食らわせた。

10年も経って初恋の相手と再会したと言うのは、運命のようなものをサイファーに想起させた。
しかし、二人の間柄が近付いたのは、そう簡単な話ではなかった。
幼い頃から自覚なくスコールに特別な感情を抱いていたサイファーだが、当の相手はと言うと、泣かされていた記憶が相当色濃く残っていたようで、再会してからも長い間、サイファーとはまともな会話もしなかったのだ。
スコールの義姉であるエルオーネが間に入り、彼女から見た幼いサイファーの様子などを聞いて、ようやく自分に対して悪意がなかった事を理解してくれなければ、今でもサイファーの初恋は片思いのままだったに違いない。


「……だから、その件は反省してるからよ。昔の事、あんまり悪く言うなよ」


スコールにとっては嫌な思い出も多いだろうが、サイファーにとってはそれも大事な記憶なのだ。
そんな気持ちで呟けば、スコールの蒼の瞳がゆらりと揺れて、シーツへと埋められ、


「……別に…、」
「ん?」
「………」


シーツに埋もれて籠る声に、サイファーは耳を澄ませた。
スコールはもぞもぞと身動ぎして丸くなりながら、ぼそぼそと呟く。


「…別に、そんな───そんなに……悪くなんて、思っては、ない。多分」
「そうか?」
「……あんたの出す話題が悪いだけだ」
「あー……へいへい。そりゃこれから気ィ付けるよ」


スコールが話題にしたくないのは、自分が泣き虫だった、と言う話だろう。
幼馴染だった子供達の中では、それが一番強い印象として残っているのだが───だから余計に、スコールはその話題を嫌うのか。

それなら、どんな話ならスコールは喜ぶのだろう、とサイファーは考える。
一緒に折り紙を折った事か、二人で初めてのお使いに行った事か。
夏のキャンプで、スコールの父に連れられて行った、満点の星空を見た記憶か。
と、サイファーから振る話題は幾らでも尽きないのだが、ふと気になった事を尋ねてみる。


「おい、スコール。お前、俺達と過ごしてた頃の事、どの位覚えてるんだ?」
「どの位って────」


サイファーの問に、スコールは顔を上げて答えようとして、止まった。
ブルーグレイの瞳が右へ左へと動いて、記憶の回路を繋げている。
さてどんな話が出てくるか、とサイファーは楽しみにしていたのだが、


「………教えない」
「は?おい、スコール」
「………」
「こら、無視すんな。スコール!」


肩を揺さぶって答えを催促するスコールだが、スコールは貝のように黙ったまま動かない。
やや乱暴に体を揺らしても、スコールは頑なに口を噤んでいた。



(どの位、なんて言える訳ない。だって何も忘れてない。だって、俺だって────)


あの頃から始まっていたから、なんて、絶対に言わない。




2018/08/08

『サイスコで甘い感じで初恋っぽいもの』とリクエストを頂きました。

好きな子をいじめてしまうタイプだったサイファー。そのまま初恋を引き摺って10年ちょっとの図。
それを聞いてスコールはちょっと引いてるけど、自分も実は引き摺っていたりする。
そんなサイスコになりました。