ちいさなまほうつかい


保育園に預けている、年の離れた弟を迎えに行くと、其処はいつもよりも少し風景が違っていた。

沢山の人が集まる空間を苦手としているスコールの為、保育園はこじんまりとした所を選んだ。
小さいとは言っても、常時20人以上は子供の姿があるのだが、人口密度の高い都内に構えられた施設としては、細やかなものだ。
昨今、何処の保育園も人数枠は埋まっているもので、この保育園も例に漏れず常に満席状態だったのだが、当時2歳だったスコールは運良く空きに滑り込む事が出来た。
気難しく、環境の変化に中々馴染めないタイプなので心配は尽きなかったが、幸いにも友達も出来、保育士からも「楽しそうにしてますよ」と言う言葉が貰えた。
実際に迎えに来た事を秘密にして、こっそり様子を伺っていた事もあったのだが、同じ年の子供とお絵描きをしていたり、本を読んでいたりと、のんびりと過ごしている。
それを見てレオンもようやく、これなら大丈夫、と安心した。

入園してから3年が経ち、5歳になった今でも、スコールは同じ保育園に通っている。
レオンの仕事が忙しくなるに連れ、迎えに行ける時間が遅くなり、寂しい思いもさせているのだろうとは思うが、こればかりは調整が難しい。
出来る限り早く上がれるように、定時の早い部署に移して貰おうか、とも考えているのだが、上司がレオンの仕事ぶりを痛く気に入ってくれているようで、手放したがらないのが現実だった。
それならいっそ人手を増やしてくれれば良いのに、と思うのだが、今時は何処も人手不足で、そう簡単に人の派遣が出来ないらしい。
何よりも弟を大事にしたいレオンにとっては、歯痒い事だ。

今日もレオンは定時を過ぎて、ようやく会社を出る事が出来た。
時刻は午後7時を過ぎており、秋も深まる今の季節では、空は完全に夜と呼ばれる色になっている。
職場の直近の駅から電車に飛び乗って、保育園の最寄の駅で降りてからは、全速力の毎日だ。
幼い弟と自分と言う二人暮らしの生活であるから、延長保育に頼らざるを得ないのは仕方のない事であるが、しかし甘えん坊の弟に寂しい思いをさせているのは事実だから、せめて出来るだけ早く彼を迎えに行きたかった。

そうしてようやく到着した保育園は、見慣れた景色とは少し様相が変わっている。
園の門柱には、星マークの大きなシールが貼られている他、カボチャやコウモリのカットイラストがラミネートされて飾られている。
前に来た時には見なかったそれらに、おや、と思いながら中に入ると、園舎もまた少し趣が変わっていた。
小さなグラウンドと園舎を直接結んでいる周り廊下の窓越しに、沢山の小さなカボチャが並んでいる。
カボチャには様々な顔がマジックペンで描かれており、子供達の作品である事が一目で判った。
スコールが作ったカボチャはどれかな、と横目に眺めつつ、レオンは園舎へと入る。


「こんばんわ。遅くなりました、レオンハートです」
「ああ、お兄さん。お疲れ様です」


タイミングよく園舎の玄関を通りがかったのは、恰幅の良い体型をした男性───保育園の延長であるシド・クレイマーだった。
シドはにこりと穏やかな笑みを浮かべ、「直ぐに呼んできますね」と言って遊戯室へと向かう。

弟のスコールは、1分と待たない内にやって来た。
ぱたぱたと軽い足音を立てながら、廊下の向こうから駆けて来る弟を見て、レオンはくすりと笑う。


「お兄ちゃん!」
「遅くなってごめんな、スコール」


両手を一杯に広げて駆け寄ってきた弟を、レオンも両腕を拡げて抱きとめる。
ぎゅうっと目一杯抱き着いて来るスコールの頭を撫でれば、その濃茶色の髪に乗っている三角帽子がずるっと傾いた。

一頻り抱き締めて体を離すと、レオンはスコールの格好をしげしげと眺めた。
黒い三角帽子と、黒いマントに、右手には星のついた棒を持っている。
この棒は魔法のスティックかな、と思いつつ、


「随分可愛いな、スコール。魔法使いになったみたいだ」
「そうだよ。ぼく、まほう使いになったの!」


兄の言葉に、スコールが嬉しそうに言う。
格好から入ってなりきっているのだろう、スコールは見て見て、と言ってマントを広げて見せる。
ファッションショーのようにくるくると回った後、握ったステッキを振り翳して、後ろに立って眺めていたシドに向かって魔法を放つ。


「えいっ!ブリザドー!」
「わぁ〜っ、寒いですよ、スコール」
「えへへ」


ステッキからあたかも魔法が放たれたかのように、シドは寒がるリアクションをして見せる。
それを見たスコールが満足そうに笑うのを見て、シドもまた笑顔を浮かべた。

楽しそうな弟の様子に、レオンもくすくすと笑みが漏らしながら、小さな魔法使いを抱き上げる。
ふわぁ、と浮遊感にスコールが声を上げるが、兄の腕の温もりを感じると、嬉しそうに頬を寄せる。
柔らかなマシュマロのような頬の感触をレオンが楽しんでいると、遊戯室からスコールの鞄を持った女性───イデア・クレイマーがやって来た。


「スコール、忘れ物よ」
「あっ。僕のカバン!忘れてた」
「おやおや。お兄さんのお迎えをずっと待っていましたからねぇ、急いで出てきちゃったんですね」
「すみません、ママ先生」
「いいえ。はい、スコール、落とさないようにね」


イデアに手ずから鞄を肩にかけられて、スコールは落とさないようにと両手でしっかり鞄を抱える。

忘れ物がないかを改めて確認した後、レオンはスコールを抱いたまま、園舎を後にした。
またね、と手を振るイデア達に、スコールがステッキを持った手をぶんぶんと振って見せる。
どちらかと言うと何に対しても反応が控えめなスコールにしては、大きなリアクションであると言えるだろう。
どうやら、今日は随分と機嫌が良いらしい。

レオンとスコールが二人で暮らしているマンションは、此処から電車で二駅移動しなければならない。
この格好のままでも良いかな、と手作り感たっぷりの衣装に身を包んでいるスコールを見て考えるが、特に大きな荷物がある訳でもないので大丈夫だろうと思う事にした。
思い返してみれば、仕事場から駅へ向かうまでの道中にも、似たような格好をした子供や、変わった服装をした大人を見た気がする。
そして今日が10月最後の日────最近定着して来たハロウィーンと言う祭りの日だと気付くと、スコールの魔法使いの衣装もそう可笑しく見られる事もないだろう。

人通りの多い駅前まで来ると、スコールは注目の的だった。
三角帽子に黒いマントに星のステッキ、そしてお気に入りのライオンのバッグを持った幼子は、道行く人々の心を射止めて已まない。
年の離れた兄に抱かれ、ちょこんと良い子で納まっている様子も、愛らしく見えるのだろう。
普段のスコールなら、其処まで注目されていると、恥ずかしがって兄に抱き着いて隠れたがるものなのだが、今日は機嫌が良いので全く気にならないらしく、楽しそうにレオンに話しかけて来る。


「あのね、今日ね。皆で色んなカッコして、商店街に行ったんだよ。そしたらね、お店のおじさんもおばさんも、色んなカッコしてたの」
「へえ、どんな格好だったんだ?」
「えーっとね、オオカミさんでしょ、ネコさんでしょ。僕と同じまほう使いもいたよ。あと、顔に一杯ケガしてる人」


スコールの言葉に、フランケンシュタインかな、とレオンが考えていると、


「なんかね、ケガじゃなくて透明人間なんだって言ってた。透明って見えないんでしょ?でも、僕も皆も見えてるんだよ。透明じゃないの」


ああそっちだったか、とレオンは理解した。
透明人間が全身に包帯を巻いている、と言うのはよくあるコスチュームだ。
しかし、幼い子供達には“透明人間”をモデルにする包帯男のイメージが繋がらず、単純に“顔に沢山の包帯を巻いた人”にしか見えなかったらしい。

レオンは、変だなあ、と首を傾けて考え込んでいるスコールを落とさないように抱え直しながら言った。


「透明になったら、皆とお喋り出来ないからじゃないかな。見えていれば、沢山話が出来るだろう?」
「そっか。見えてなかったら、呼んでも気付いてくれないもんね。そしたら、お菓子も貰えなかったかも」
「お菓子を貰ったのか?」
「うん!あのね、一杯貰ったんだよ」


そう言いながら、スコールは肩にかけていた鞄の蓋を開ける。
レオンはホームに入って来た電車に乗り込み、反対側のドアに寄り掛かって、「みてみて!」と言うスコールの鞄を覗き込む。

朝には必要な荷物のみを入れていた筈の鞄の中は、色とりどりのお菓子袋で一杯になっていた。
市販品の個包装をバラして、数種類のものを一つの袋に纏めてあったり、小袋のスナック菓子であったり、中には手作りの菓子と思しきものもある。
小さなカプセルフィギュアが入った食玩や、一昔前の駄菓子屋でよく見るラインナップもあった。
恐らく、商店街の大人達が、子供達の為に思い思いに用意してくれていたのだろう。
今日のスコールが終始機嫌が良いのも、このお陰に違いない。


「沢山貰ったな。一気に食べると虫歯になってしまうから、少しずつにするんだぞ」
「うん。あのね、これね、トリックオアトリート!って言ったら貰えたんだよ。今日だけ使える特別なまほうなんだって」


それは凄い魔法だな、とレオンが言うと、スコールは嬉しそうに頷いた。


「こうやってねー……えいっ。トリックオアトリート!」


くるくると星のステッキを回して、スコールはレオンに向かって魔法をかけた。
突然の事───と言っても大方の予想は出来ていたが───に、レオンはぱちりと目を丸くするが、きらきらと期待に満ちた蒼の瞳に見詰められ、くすりと笑う。

レオンは腕に抱いていたスコールを床に降ろして、ごそごそと服のポケットを探る。
何かめぼしいものはないかと探すレオンの指先に触れたものがあって、そう言えば、と思い出した。
ポケットから出て来たのは、仕事中に同僚から貰った飴玉だ。
仕事の労いにと貰ったものだったが、あの時食べなくて良かったな、と思いつつ、スコールの手に転がしてやる。


「ほら、スコール。お前の好きなイチゴ味だ」
「わーい!」


大好きなイチゴ味の飴を貰って、スコールは喜び一杯で兄に抱き着く。
丁度良く電車が駅に到着したので、レオンはもう一度スコールを抱き上げて降車した。

駅の外へと向かう道すがらに、スコールは飴の包装を開けていた。
小さな口の中に飴を入れて、ころころと舌の上で転がしている。
ゆっくり溶けて行くイチゴ味の感触が楽しいようで、スコールは幸せそうに丸い頬を赤らめた。


「えへへ。まほーつかいってすごいね、お菓子いっぱい貰えるんだね。僕、ずっとまほう使いでいたいなあ」


そう言ってスコールは、星のステッキを揺らす。
何処かで聞いた事があるような呪文を唱えては、空に向かって魔法を放つ仕草を見せた。

ぽすん、とスコールの頭がレオンの肩に乗せられる。
甘えモードになった弟に、レオンが伝わる体温に口元を緩めていると、


「ねえ、お兄ちゃん。僕が色んなまほうが使えたら、お兄ちゃんのお手伝いも一杯出来るようになるかな?」


そう言って、スコールの小さな手が、レオンの服の端を握る。
兄弟二人の生活で、幼い自分が余り兄の力になる事が出来ないのを、スコールは理解していた。
自分で出来る事は頑張るように心がけてはいるけれど、甘えたい気持ちは誤魔化せないし、怖い事があれば守ってくれる兄の存在を呼ばずにはいられない。
レオンはそんな弟の事を無碍にする事はないけれど、幼いなりに兄の力になりたいと願うスコールにとっては、歯痒いものであった。

それまでの楽しそうな様子とは違い、真剣な声で言ったスコールに、レオンの表情が柔らかくなる。
抱き着く弟の背中をぽんぽんと撫でて、レオンは歩きながら囁いた。


「お前には、いつも助けて貰ってるよ」
「……ほんと?」
「ああ。ご飯の準備も、片付けも。買い物も、荷物を持ってくれるし」
「僕、お兄ちゃんのお手伝い、出来てる?」


顔を上げて確かめようとするスコールに、レオンははっきりと頷いて見せる。
途端、ぱああ、とスコールの表情が明るくなった。


「えへへ」


魔法のステッキを握り締めて、嬉しそうに笑うスコール。
その笑顔が、兄に幸せを齎す一番の魔法である事を、小さな魔法使いは知らない。




2018/10/31

ハロウィンと言う事で、小さな魔法使いな子スコ。
お兄ちゃんにとっては、其処にいてくれるだけで幸せにしてくれる、唯一無二の魔法使いです。