この温もりと、ずっと


フリオニールの休みと、自分の予定の空きが上手く重なってくれたので、一緒に出掛けようと話をしていた。
フリオニールのアルバイトの今月のシフトが出てからの話だから、二週間は前の事だ。
それ自体がむず痒くも嬉しい事だったので、顔には出さないようにしていたが、嬉しかったのは確かだ。

だと言うのに、どうにも自分はタイミングが悪い。
昨日から妙に熱っぽい雰囲気があり、少し警戒して薬も飲んで眠ったのだが、結局風邪を引いてしまった。
雰囲気だけなら大事を取って早めに眠れば治るだろうと思ったのに、目覚めた時には悪化している。
熱は高いし、喉は痛いし、くしゃみも出る。
これでは昨晩、フリオニールとの電話やメールもそこそこに切り上げた意味がない。

居座るウィルスに恨み言は尽きないが、それよりも大事なのは、恋人への連絡だ。
目覚めて直ぐに、これは駄目だと悟る体調であったので、スコールは布団の中でメールを打った。
直ぐに返事が届き、「大丈夫か?」「欲しいもの、何かあるか?」と気遣う内容だった。
フリオニールの事だから、見舞いに来ようとしてくれているのは判ったが、今日は折角のフリオニールの休みである。
伝染してしまうかも知れないし、寝ていれば治るから気にしないでくれと返した後、スコールはもう一度眠った。

スコールが再び目を覚ました時には、時刻は正午前。
朝食を食べることなく二度寝を敢行した所為だろう、流石に腹が減っていた。
常備している風邪薬を飲む為にも、せめて飴玉くらいは腹に入れなければいけない。
でも何も食べる気がしない、何より熱が下がっていないので、ベッドを抜け出すのも厳しい気分だった。
だが、早く風邪を治す為にも、栄養の補給と薬の投与は行った方が良い。

くらくらと揺れるような感覚に見舞われる頭を支えながら、スコールはのろのろとベッドを抜け出した。
熱の所為か、背中が妙にぞくぞくする。
一人暮らしを始めてから、こんなにも露骨な体調に不良に見舞われたのは、初めてだった。
やっぱりフリオニールに逢わなくて良かった、と寂しさとは裏腹に、ほっと安堵する。

しかし、キッチンへのドアを開けると、其処には銀糸の尻尾がゆらゆらと揺れていた。


「……?」
「────あ。目が覚めたのか」


夢幻でも見ている気分で、スコールが猫手で目を擦っていると、銀糸がひらっと跳ねて、持ち主が振り向いた。
銀色の髪と赤い瞳、日に焼けた少し浅黒い肌、人好きな顔。
正真正銘、本物のフリオニールだ。


「……フリオ?」


確かめるようにスコールがその名を呼ぶと、フリオニールはコンロの火を消して、スコールの前へ来た。
ぼんやりと見上げる蒼灰色を見下ろして、ひた、とフリオニールの手がスコールの頬に触れる。
冷たい、水洗いでもしてたのかな、と思いながらスコールが彼の手の感触に身を委ねていると、こつん、とフリオニールの額がスコールのそれと宛がわれる。


「やっぱり熱い。スコール、体温計は使ったか?」
「……」


ふるふる、とスコールは首を横に振った。
それを聞いて、フリオニールは「何処にある?」と尋ねる。
スコールはリビングの本棚に置いている救急箱セットを指さした。

フリオニールはスコールをリビングの椅子に座らせ、薄手のパジャマだった肩に、自分のダウンジャケットを羽織らせた。
速足で救急箱セットを取り出し、見付けた体温計のスイッチを入れて、スコールの脇に挟ませる。


「スコール、朝は食べたのか?」
「…食べてない…」
「食欲は?」
「……判らない…」
「吐き気は?」
「……ない……多分…」


喉はイガイガと痛いが、何かが胃から競りあがってきそうな熱さは感じられない。
軽いものなら食べられるかな、とフリオニールは訊いて来たが、スコールはよく判らなかった。

体温計が音を鳴らしたので、フリオニールがそれを取る。
うわ、と言う声が聞こえたが、スコールが自分で体温計の表示を見る事はなかった。
フリオニールはぼんやりとしているスコールを抱き上げると、寝室へと運び、ベッドに戻して枕を背凭れに座らせる。


「お粥を持ってくる。じっとしてろよ」
「……ん……」


小さく頷くスコールに、フリオニールは子供をあやすように優しく頭を撫でて笑った。

寝室を出たフリオニールは、一分としない内に戻って来た。
一人用の小さな土鍋とコップ一杯の水をトレイに乗せて、ベッド横のサイドテーブルにそれを置く。
スコールが勉強用に使っているキャスター付きの椅子を借り、ベッドの傍に座ると、土鍋の蓋を開けた。
ほこほこと湯気を立ち昇らせる芋粥が入っており、フリオニールは匙でそれを掬って、ふーふーと息を吹きかける。
その様子を、スコールはぼんやりと見つめていたのだが、ふと、


「……あんた…なんで、此処に……?」


どうしてフリオニールが此処にいるのだろう。
風邪を引いたから出掛けられない、と言うメールを送った後、見舞いに来ようとしている気配は伝わったが、それも必要ないと返した筈だ。
それなのに、眠って目を覚ましたら、彼は普通にキッチンに立っていて、スコールの為に粥を作っていた。
熱で回転の悪くなった頭が、ようやくそれらの疑問に気付く。

フリオニールは程好く冷めた粥をスコールの口元に運ぶ。
あーん、と口を開けるようにと促すフリオニールに従って、スコールは小さな口をぱかっと開けた。
ぱく、と口の中に食んだ粥は、大分柔らかくなっていたが、まだ固形物の形を残している。
生憎ながら、味は判らなかった。
それでももぐもぐと噛んでいると、フリオニールはその様子を見て、よしよし、と満足気に笑みを浮かべつつ、スコールの先の質問に答える。


「スコールは来なくて良いって言ってたけど、やっぱり心配で、落ち着かなかったんだ。来て良かったよ、こんなに熱があるなんて思ってなかったから」


言いながら、フリオニールはまた匙をスコールの口元へ。
ぱく、と二口目を食べるスコールを見て、食用はありそうだと胸を撫で下ろす。

粥は半分以下まで減った。
意外とよく食べたな、とフリオニールが呟いた通り、確かに結構食べた、とスコールも思う。
朝は食べる以前に起き上がる事すら出来なかったので、胃袋は今の今まで空だった所為もあるだろうか。
薬もきちんと飲み、後はゆっくり休むだけだと、フリオニールはスコールをベッドに横たえてやる。


「今日は何か予定はあったのか?」
「……あんたと……」
「うん、それはまた今度にしよう。他は、ないんだな?」
「……ん」
「じゃあ良かった。今日はゆっくり休めるんだな」


フリオニールは穏やかに笑って言った。
スコールは直ぐに無理をするから、と言いつつ、トレイを持って席を立つ。
片付けに向かうのであろうフリオニールを、スコールは茫洋とした瞳で見送った。

────なんでフリオニールがいるんだろう。
スコールは、先程その答えを貰った筈なのだが、もう一度それを考えていた。
フリオニールは苦学生で、就学後の放課後も含め、週の殆どをアルバイトに費やしており、故に余り恋人であるスコールとゆっくり過ごす時間を取る事が出来ない。
だから当然の事として、彼自身がゆっくりと自分の時間を持つと言うのも難しく、常に人に揉まれている節がある。
それでもスコールと一緒にいられる時間を大切にしたい、と、そう言ってくれるのはスコールにとっても嬉しかった。
しかし、期せず得た自分一人で過ごせる時間を、病気になった人間の世話だけで潰すなんて、余りにも勿体無いじゃないか、それより自分の体を休めて欲しい、とスコールは思う。

寝室に戻って来たフリオニールが、スコールを見てふわりと笑う。
なんでそんな風に笑うんだ、と無言で問うスコールだったが、声に出していないので返事はない。
フリオニールはベッドの端に腰を下ろし、布団の中からじっと見つめるスコールの目元に、そっと手を当てる。


「熱、早く下がると良いな」
「……ん……」


本当に、早く下がって欲しい、とスコールは思う。
そうすれば、この心配性の恋人も安心して、家に帰る事が出来るだろうから。


(……でも……)


治ったらフリオニールが帰ってしまう。
そんな事実が頭に浮かんだ瞬間、じわり、と冷たいものがスコールの胸に浮かび上がる。

けほ、けほ、とスコールの喉から咳が出た。
目元を摩っていた手が、宥めるようにスコールの頬を優しく包む。


「大丈夫か?水、飲むか」
「う…ん……っ」


喉のイガイガとした感覚に顔を顰めるスコールに、フリオニールはサイドテーブルに置いていたグラスを取る。
スコールが体を起こし、フリオニールはその背を支えつつ、口元に近付けたグラスを少しずつ傾けた。
喉の痛みは完全には消えないが、緩く冷えた水分で潤うだけでも、感覚的には和らいでくれる。

水を飲み終えて、はっ、はっ、と短い呼吸をするスコールに、フリオニールが背中を摩ってあやす。
幾らかそれが落ち着いて来ると、スコールの体からは力が抜け、とす、とフリオニールの胸に寄り掛かった。


「スコール?」


大丈夫か、と声をかけるフリオニールに、スコールは答えなかった。
代わりに、心音の聞こえる胸に頬を寄せると、フリオニールはどぎまぎとした様子で固くなる。
が、スコールがすっかり身を委ねている事に気付くと、口元に小さく笑みを浮かべ、スコールの熱を持った体を抱き締める。


「スコール。今日は、ずっと一緒にいれるから」
「……ん」
「だから安心して、休んで良いぞ」
「……うん……」
「欲しいものがあったら、なんでも取って来るから、遠慮しないで言えよ」


囁くフリオニールの声に、甘やかされている、大事にされている、と思う。
それに甘え、彼の負担になっている事に、罪悪感もあるけれど、それ以上に安心感を覚えてしまう自分がいる。

熱があり、喉が痛くて、起き上がっている事も辛くても、所詮は風邪だ。
甘く見ると後が痛いものだとは言っても、余程重篤な合併症でも起きなければ、寝ていれば治る。
わざわざフリオニールが見舞いに来て看病しなくても大丈夫だから、彼の手を煩わせる位なら、一人で眠っていれば良い。
そう思っていたから、来なくて良いと言ったのに、結局フリオニールはやって来て、こうしてスコールを甘やかしている。


(……でも)


抱き締める腕と、頬を撫でる手。
胸の奥から聞こえる鼓動と、触れ合う場所から伝わる温もり。
これ以上の特効薬は、きっと世界中の何処を探しても見付からないだろう。

欲しいものがあればなんでも、とフリオニールは言うけれど、そんなものは必要ないとスコールは思う。
こうして自分を抱き締めてくれる腕さえあれば、それで良いのだから。




2019/02/08

2月8日でフリスコの日。
風邪っぴきスコールと、看病するフリオニール。
弱ってる時は誰かに傍にいて欲しいよね。それでなくともフリオニールは看病に来てくれると思うので、スコールはどんどん甘え甘やかされれば良いと思う。