見えない世界を見る世界


戦闘中、バッツが召喚されたタコの吐き出した墨を顔面で食らった。
独特の粘つきのあるタコ墨は、被っても時間が経つと浄化されるように消えていくのだが、バッツの暗闇状態はその後も回復しなかった。
原因は、タコが吐き出した墨を、頭や背中から覆い被さるように貰ったのではなく、直接顔───目元で受け止めてしまった事。
異物が眼球を襲ったのだから、全くの無事でいられる筈もなく、タコ墨そのものが消えても、バッツの目に光は戻らなかったのだ。

その場の戦闘はスコールとジタンで切り抜け、三人は急ぎ歪を脱出した。
バッツは自分にエスナを使って治療を試みたが、毒や麻痺の中和とは勝手が違うのか、効果はなし。
視力のない状態で歩き回る訳にもいかず、少し待てば治るかも知れない、と待ってもみたものの、バッツの様子は芳しくなかった。
更には目の奥に痛みを訴え始めたので、悠長にしていては症状が悪化するかも知れないと、スコールがバッツを背負って秩序の聖域まで帰還した。

ルーネス、セシル、ティナが代わる代わる治療魔法をかけてみたが、バッツの視力は戻らない。
ケアルで痛みはなくなったようだが、彼の視界は黒く塗りつぶされたままらしい。
クラウドが書庫から医学本を見付けて来たので、参考にしながら観察してみた所、“科学目外傷”に準ずるのではないか、と判断された。
洗剤や有機溶剤と言った、本来目に入れてはいれる事を想定されていない、化学物質が目に入った時に起きてしまう症状だ。
重症になると失明する事もある───と言ったクラウドに、一同はざわついたが、しかし本に因ればバッツの症状は失明状態にはあるものの、眼球の様子を見る限りでは「重症」ではないらしい。
バッツの眼球自体は、炎症もなければ瞼と癒着している事もなく、角膜が濁りを持っている事もなかったので、そう言う意味では「重症」ではなかったのだ。
ではどうして視力が戻らないのか、と言う点については、発端が召喚獣による攻撃が原因だった事も含め、正確な所は判らず仕舞いだった。

本で調べる事が出来たのは此処までで、後は経過観察しかないだろうと判断された。
そう判断するしかなかった、と言うのが正直な所である。
回復魔法を使えるメンバーが定期的に治癒魔法を施しつつ、時間が薬となる事を祈る他は、時間のある者がモーグリショップに通って、回復に使えそうな薬を探す事になった。

目が見えないのだから、当然、バッツは拠点での待機を余儀なくされている。
彼一人では色々と大変なので、必ず誰か一人が傍についていた。
バッツは「一人でもなんとかなるって!」と言ったが、実際に一人で歩いてみると、過ごし慣れている屋敷の中でもかなり危なかった。
食卓用のダイニングテーブルや椅子の位置、部屋の間取り、廊下の距離等、覚えているようで覚えていない事が多々ある。
階段の上り下りは手摺を使えば出来たが、踏み外しそうになる事もあった。
平時のバッツなら、目隠しをしていてもするすると歩けてしまいそうな空間が、視力と一緒に平衡感覚もエラーを起こしているのか、度々ぶつかったり転んだりするのだ。
当然、食事の用意や片付けも思うようには出来ず、介助の手に頼らない訳にはいかなかった。

そうしてバッツの目が見えなくなってから、一週間が経つ。
スコールは、件の日以来、初めてバッツと二人で待機組となった。


(……まだ回復しないのか…)


リビングのソファで、退屈そうに横になって伸びているバッツを見下ろして、スコールは眉根を寄せる。

バッツは、先程までスコールの手を借りて食事をしていた。
昼食はバッツも簡単に食べられるようにサンドイッチにしたのだが、皿の位置が判らないので、手に持たせるのはスコールが行った。
中身の具が零れる事にも気付かず、飲み物はグラスにストローを入れてスコールが運んだ。
どうにも不自由なバッツの様子に、スコールは酷くもどかしい気持ちになっていた。

うーん、とバッツが唸るように声を上げて起き上がる。
伸びの姿勢で体を左右に捻る姿に、エネルギーを持て余しているのが判った。
しかし、いつものように駆け回る事は勿論、今のバッツはほんの数メートルを移動するだけでも、人の手が必要になる。
何かと大人しくしていられないバッツなら、今の状態は退屈で仕方がないのだろう。


(…いや。それより、見えない不安とか。まだ治らない事とか、気になる、よな)


何せ、視覚が使えなくなってから一週間も経っているのだ。
大抵の症状なら、治癒魔法で継続治療を行いながら、三日もすれば回復傾向になる事が多いのだが、今回は随分と長い。
こうなると、ひょっとして、もう見える事はないのではないか、と言う不安が過ぎっても可笑しくはない。
傍で見ているしか出来ないスコールがそう思ってしまうのだから、当人が考えない筈もない────そうスコールは思うのだが、


「スコール、其処いる?」
「……あ。…ああ」


ふっと此方を見て名を呼ぶバッツの声は、いつも通りの明るいものだった。
どうして今の状態でそんな声が出せるのか、スコールには不思議でならない。

この一週間、散策から戻ってバッツの顔を見た時、実はもう視力が戻っているんじゃないか、と思った事もある。
何故ならバッツは、話をしている人間の方を正確に向き、いつもと変わらない様子で会話を交わしているのだ。
眼球に充血症状はなく、痛みも治癒魔法を施してから感じられなくなったことで、目元に包帯をする必要性も見られなかった為、顔は本当にいつもと変わらない。
余りにも普段のバッツと変わらない様子に、スコールはいつも期待を抱いてしまう。
しかし、ふとした折に手を彷徨わせて辺りを探る姿を見て、期待を打ち砕かれていた。

今もまた、バッツは空の手をスコールに向かって伸ばしている。
声が聞こえるから、気配があるからこっちの方にいる、と言う事は判るようだが、距離までは掴めていないのだ。
ひらひらと揺れる手が、掴むものを探しているように見えて、スコールはそっと自分の手を伸ばす。
此方から掴むと驚かせてしまいそうで、触れて良いものか迷っていると、バッツの手の方がスコールの指を掠めた。
いた、と嬉しそうな声が聞こえて、バッツの手が確りとスコールの手を掴む。


「スコール、食器の片付け終わったのか?」
「終わった」
「そっか。じゃこっちに来てくれよ」


くい、と握った手を引かれる。
逆らわないまま、スコールはバッツの隣に座った。
すると、握っていた手が離れて、代わりにバッツが抱き着いて来る。


「!」
「はは、スコールの匂いだ」
「おい……っ」


胸に顔を埋めるように抱き着くバッツに、スコールはいつものように押し退けようとして、留まった。
バッツのスキンシップが激しいのは常の事だが、今のバッツはいつもの彼とは違う。
視界が利かない事に因る身体的な問題は勿論、精神的にもやはり影響がないとは言い切れない。

べったりと体重を乗せて抱き着いているバッツ。
重い、と思いながら、スコールは彼をどうして良いのか判らず、好きにさせる形にならざるを得なかった。


「温かいなあ、スコールは」
「……あんたの方が体温は高いだろ」
「いやいや。スコールの方が温かい」


胸に抱き着く熱の塊は喧しい。
しかしその塊は、スコールの方が温かいのだと言う。
そんな訳がないのに、とスコールは思うのだが、否定するのも面倒だった。

ぐりぐりと頭を胸に押し付けて来るバッツに、やっぱりいつもよりスキンシップが激しい気がする。
声も表情もいつもと変わらないように見えるけれど、やはり何処か不安なのかも知れない───とスコールは思った。


「……バッツ」
「ん?」


名を呼んでみると、バッツは顔を上げる。
茶色の瞳はスコールの方を正確に見上げていたが、視線はスコールのそれとは重ならない。


「……あんた、まだ全然見えないままか」
「うーん。全然って事はないけど、それも最初に比べたらって位だな」
「最初は……真っ黒だって言ってたな。今は?」
「黒よりの灰色、って感じかな。よーく見たら形みたいなのが見える…ような……?」


バッツはこれでもかと眉間に皺を寄せて、相貌を細めてスコールの顔を見ている。
これじゃ見辛い、と抱き着く腕を解いて体を起こし、まじまじとスコールの貌を見る。
その顔が段々と近付いて来て、スコールは厳めしい顔つきのバッツの珍しさに目を引かれつつ、いつもの癖で体を逃がさないように気を付けた。


「んんん〜……」
「……見えてるのか」
「…………ちょっと…多分……なんかやっぱり、塗り潰してるみたいな感じなんだよなぁ……」


始めに見えてたものが真っ黒な状態から、今は濃墨で塗り潰したような状態。
バッツの今の視界を例えるのなら、そう言った表現になるらしい。
とても濃い黒と、其処まで濃くはない黒が混ざり合って、微妙な濃淡のシルエットが微かに浮き上がっている、と言う。
最初はシルエットも何もなかった、と言っていた事を考えると、症状自体は緩和しつつあるのだろうか。

それでも、まだ彼の視力は戻ってきていない。
あと少しで触れそうな距離だと言うのに、バッツ自身がそうと気付かない程に。


「早くスコールの顔、見たいんだけどなぁ」


バッツのその呟きは、独り言と同じ音をしていた。
少し皮の厚いバッツの手がスコールの頬に触れて、形をなぞるように頬を撫でる。
その手はそろそろとスコールの目元へ上り、傷のある額に触れ、鼻のラインを辿り下り、唇へ。
ふに、と指先が柔らかく唇を摘まんで、バッツは見えない目を其処に近付けた。

まじまじと、見えない目で唇を見詰めて来るバッツに、スコールはきゅっと唇を噤む。
何度も感触を確かめるように触れる手を捕まえて、スコールは自分の指を絡めて柔らかく握り、


「バッツ」
「ん?」


名前を呼べば、バッツは返事をする。
見えない瞳はずっとスコールの顔を捉え、心なしか嬉しそうに笑みを作っている。

その唇に、ほんの一瞬、スコールは自分のそれを押し当てて離した。


「─────え」


スコールの目の前で、バッツの褐色の瞳が大きく見開かれる。
そんな顔をスコールが見る事が出来たのは、その瞳がスコールの顔を認識できていないからに他ならない。

ぽかんとした表情で固まっているバッツをそのままに、スコールは握っていた手を解いて、腰を上げた。
目の前にいた人物が動く気配が伝わったのだろう、待って、とバッツが手を伸ばす。
スコールがその手に軽く触れると、逃がしてしまう前にと、確りとした力で捕まえられた。
引っ張られたスコールの体は、抵抗なくソファに戻って、またバッツが全身で抱き着いて来る。


「スコール、今の」
「知らない」
「もっとしてくれよ」
「もう十分だろ」
「嫌だ。もっと」



膝の上に乗って、続きをねだって来る大きな子供に、やっぱり甘やかすものじゃない、とスコールは思った。




2019/05/08

5月8日でバツスコ!

べったり甘えるバッツと、甘やかすスコールが浮かんだので。
見えるようになるまではスコールがバッツを甘やかして、治ったらバッツがお返しで甘々すれば良いと思います。