貴方と迎える初めての


体に重さを感じるような気怠さの中で、ラグナはゆっくりと目が覚めた。
飲み過ぎたかなあ、と思ったが、よくよく考えると、昨日は殆ど酒を飲んでいない。
じゃあ仕事のし過ぎかなあ、と思ったが、昨日と今日と会社は休みだ。
それでは、このぼんやりとした、けれど何処かふわふわとした怠さは一体────と思ってから、隣で肌を晒して眠っている青年の事を思い出した。

いつも一人で眠っている筈のベッドに、今日は自分を含めて二人。
シーツの波に濃茶色の髪を散らばらせた傍らの青年は、目元に少し泣き腫らした跡があったけれど、寝顔はとても穏やかだった。
彼がそんな風に眠るのは珍しい事で、昨夜も随分と無理をさせていたような気がするから、その寝顔が健やかである事に安堵する。
出来るだけ彼の負担が軽くなるようにと努めたつもりはあるけれど、それでも立場を交換でもしない限りは、どうしても彼の体に無体を強いる事になる。
彼の記憶が苦痛のみで埋め尽くされていなければ良い、と思っていた分、彼───レオンの柔らかな寝息は、ラグナの不安を拭うには十分であった。

昨夜、ラグナは初めてレオンを抱いた。
始めは恐る恐る触れていた手が、躊躇いを忘れて縋るようになって来た時には、ラグナも彼の体に溺れていた。

恋人同士と呼ばれる関係になってからも、何かと気を遣い過ぎる青年は、中々思い切る一歩が出なかったようで、自分から体を繋げたいと言い出す事も出来ず、しかしラグナを求める気持ちもあって、随分と葛藤していたらしい。
その葛藤には、やはり元々ラグナが既婚者であり、一人息子を儲けている事や、今でも亡き妻を愛している事も含まれている。
レオンはラグナに対し、不可侵の聖域のようなものを感じている節があったし、家族に関する事へは尚更踏み込んではいけないと感じている所もあった。
だが、ラグナはレオンとも家族になりたいと思っているし、年が離れている所為もあって時折息子を相手にしているような気分になる事もあるが、やはり彼とラグナの関係は“恋人”と呼ぶものが一番適切に当て嵌まる。
その“恋人”が“家族”になりたいと言っているのだから、ラグナはそれに応える事に否やはなかった。
だが、今まで独りで生きてきたレオンを、自分の下に縛る事になるとなれば、ラグナの方も迷う所はあった。
何せレオンはまだ二十代の半ばで、人生もこれから、自分なんかに恋をしたなんて何かの間違いじゃないのか、と未だに思ってしまう事がある位だ。
レオンがもう一度自分の生き方を振り返り、新たな道を択ぶ自由を喪わない為にも、彼をこの場に縛り付けるような事はしない方が良いのではないか、とラグナは思っていたのだ。
────結局の所、そう言ったお互いへの遠回りな気遣いは、全て杞憂だったのだけれど。

ラグナは、傍らで眠る青年の、微かに赤みを残している目元にそっと触れた。
昨夜、何度も涙を拭っては、唇を落とした其処を、ゆっくりと指先でなぞる。
と、ふるり、と長い睫毛が震えて、少し眉根が寄せられた後、ゆっくりと瞼が持ち上げられる。


「……ん……」


夢幻の中で目覚めるかのように、レオンの蒼の瞳はゆらゆらと頼りなく揺れていた。
いつも凛としている姿が常にある分、こうした表情が酷く幼く見えて、ラグナの庇護欲をそそる。
寝起きの息子───スコールも同じような顔をする事があるかな、と思いながら、ラグナはレオンの頬を撫でた。

レオンはしばらくの間、撫でるラグナの手に甘えるように、それを受け入れながら目を細めていた。
緩く開いた唇から、時折甘い吐息が漏れて、昨夜の情事の呼吸を思い起こさせる。
流石に朝から求める程にラグナは盛んにはなれなかったが、色っぽいなあ、と思いながら、撫でる指を唇まで持って行く。


「……ふ…?」


ふに、と唇に触れられて、レオンから不思議そうな音が漏れた。
くすぐったかったのか、んん、とむずがる声と共に、レオンがゆるゆると頭を揺らす。
それが脳に刺激を齎したか、茫洋としていた瞳に徐々に意識が浮かび上がり、


「……あ……」
「おはよ」
「……おはよう、ございます……?」


ようやく蒼がラグナを捉えて、朝の挨拶を交わす。

レオンがのろのろと起き上がり、猫手で眠い目を擦る。
そうしてきょろきょろと辺りを見回し、此処が何処なのかを認識した後で、


「あ、……あ、」


此処がラグナの家、ラグナの自室である事に気付いた後、レオンは自分が裸である事に気付く。
その理由を続け様に思い出したのだろう、あまり日に焼けない色をした頬が、ふつふつと沸騰していくように赤くなる。
それから、自分の顔をじっと見つめる男もまた、裸身である事に気付いて、耳まで一気に真っ赤になった。


「あ……!」
「ん?」


ようやく全ての記憶が繋がって、レオンはぱくぱくと唇を震わせる。
ラグナは、そんないつになく動揺した青年の顔を見て、可愛いなあ、と笑みを零した。
それがレオンにとっては駄目押しだったらしい。


「すっ、すみませ……っ!」
「え?あら、おーい」


口早に詫びたかと思ったら、レオンはベッドに突っ伏してしまった。
耳まで赤くなった顔をシーツに埋めて隠し、ふるふると肩を戦慄かせている。


「レオン。おーい、レオンー」
「……っ…!」


繰り返し名前を呼んでみるラグナだが、レオンは俯せのまま首を横に振るばかり。
見ないでくれ、と言わんばかりのレオンであったが、ラグナは構わずにレオンの肩に触れてみた。
振り払われる事はなかったので、恥ずかしがっているだけだな、と理解して、ラグナはレオンの肩を引いて抱え起こす。


「ラ、ラグナさん…ちょっと、待って下さい……」
「大丈夫、大丈夫」
「いえ、あの、大丈夫じゃない……」


落ち着くまで待って欲しい、とレオンが言っているのは理解できたが、ラグナは待たなかった。
恥ずかしがっているレオンと言うのは、どうにも可愛らしくて仕方がないのだ。
だからラグナは、本気で嫌がられないのを良い事に、恥ずかしがっているレオンの顔を見ようとする。

直視は勘弁してくれと、レオンは片手で顔の半分を覆って、ラグナと向かい合う形になった。
指の隙間から見えるレオンの顔は、頭から湯気が出そうな程に赤くなっていた。


「はは、まっかっか」
「すみません……」
「謝る事ないって」


この場合、謝るべきは、強引に顔を見たがった自分なのだろうなと思いつつ、それは口にはしなかった。
代わりに寝癖のついた濃茶色の髪をくしゃくしゃと撫でると、レオンのへの字だった口元が微かに緩むのが判る。


「元気そうだけど、何処か辛いトコとかないか?痛いとかさ」
「あ…は、はい、大丈夫です」
「ほんとに?お前、すぐ我慢したりするからなあ。昨日は無理したようなもんなんだから、辛い所があるなら、ちゃんと言って良いんだぞ」
「……はい。ありがとうございます」


謝辞は口にするものの、やはり何が辛いとは言わないレオンに、ラグナは仕方がないと目尻を下げる。
ぽんぽんと子供をあやすように頭を叩いて手を離すと、レオンは撫でた名残を惜しむように、自分の手を其処に当てた。


「取り敢えず、朝飯にすっか。えーと、確か残り物が」
「あ。俺がやります」
「え。おい、ちょっと、」


習慣なのか気を遣ってなのか、レオンは急いでベッドから降りようとする。
だが、昨夜の事を思えば、若いとは言えその体がいつも通りに動く筈もなく、ベッドを出て立とうとした瞬間に、力の入らない足ががくっと膝を折った。
自分の体で思いも寄らない事が起きたのだろう、目を瞠って倒れそうになるレオンの体を、寸での所で後ろから伸びた腕が掬う。


「危ない危ない。大丈夫か?」
「は、はい……」


目を白黒とさせているレオンを、ラグナはなんとか持ち上げて、ベッドへと座らせた。


「やっぱり昨日のが響いてるんだよ。今日は無理しないで、ゆっくりしてな」
「でも……それは、その……」
「良いから、飯は俺が持ってくるから。良いな?」
「……はい」


念入りに押して押して、ようやくレオンはラグナの言葉に頷いた。
よしよし、ともう一度頭を撫でてやれば、レオンは眩しそうに目を細める。

ラグナはレオンの体にシーツを被せて、ベッドを降りた。
少し腰回りに疲労感が残っているが、立って動き回れない程ではない。
今日はスコールが友人宅に泊まりに行っているから、家事諸々はラグナが担わなければならないのだ。
動ける位で良かった、明日になってから筋肉痛とか来ないよな、とひっそり恐々としつつ、ラグナはパンツとチノパンを履いた。
寒くはないが一応シャツも、とワイシャツに袖を通しつつ、少し落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回しているレオンに気付き、


「レオン。今日のレオンは、休むのが仕事だぞ?」
「は、はい。でも、その、何もしないと言うのはやっぱり落ち着かなくて…」
「動けるようになったら、色々頼むからさ。それまでは休んでてくれよ。さっきみたいにフラフラしてたら、心配になっちまうからさ」
「…はい。判りました」
「よし。良い返事!」


ようやく言い聞かされてくれたレオンの返事に、ラグナは両手でレオンの頭をくしゃくしゃに撫でまわす。
小さな子供を褒めるような触れ方だが、レオンはこうしてラグナに触れられるのが好きだった。
困ったように眉尻を下げて笑いながら、その触れ方を受け入れる事で甘えている青年の額に、ラグナは触れるだけのキスをする。

良い子にしてろよ、ともう一つ念を押して、ラグナはキッチンへ向かった。
彼が触れた場所に手を当てて、赤い顔を柔らかく緩ませる青年の貌を、見ないままで。




2019/08/08

恥ずかしがるレオンが書きたくて。
そう言うレオンを可愛い可愛いと思ってるラグナが書きたくて。

こう言う幸せ一杯なレオンを書いてると、今まで多分安心できる幸せを感じた事なかったんだろうなと思ってしまう、基本不幸体質を不幸体質を思わず生きてるレオンが脳内に根付いている。