ジャッジ・コート


スコールの部屋に招かれると言うのは、サイファーでも中々ない出来事だ。

物心ついた時には当たり前のように顔を知っていて、幼稚園も小学校も中学校も同じだった。
一つ年齢が違うので同じクラスになるような事はないが、家がごく近い事もあって、毎日のように顔を合わせている。
余りに当たり前に傍にいるので、どうしてスコールは俺の家の子じゃないんだろう、と思った事もある程、二人は同じ時間を過ごしていた。
そして高校生になってから、互いに目指す道を選んだ事で、二人は別々の学校に通う事になる。
とは言え、家を出て独り立ちした訳でもないので、物理的な距離は相変わらず、毎日容易に顔を合わせる事が出来る程度だ。
そして紆余曲折を経た上で、二人の仲は“幼馴染”から“恋人同士”へ昇格しつつある。
変化が現在進行形なのは、まだスコールがサイファーの告白に対してはっきりとした返事をしていないからだ。
あんたの事は嫌いじゃない、と赤い顔で言ったから、それが答えと言えば答えなのだが、では好きなのかと言われると、よく判らない、と彼は言う。
スコールの中にあるサイファーへの感情は、何やら複雑であるらしく、スコールはそれを何と呼べば良いのか判らずに、サイファーの言葉を受け止めても良いものなのか答えが出ないらしい。
サイファーはじれったかったが、自分の気持ちと向かい合う事を苦手とするスコールが、ちゃんと考えたいと言ったのだ。
それはサイファーを憎からず想っているからでもあり、二人が同じ気持ちを持って次のステップに進む為の、大切な通過点であるとも言えた。
だからサイファーは、スコールが言った通り、ちゃんと答えが出るまで“恋人”になるのは待つ事にしたのだ。

そんな間柄である二人だが、スコールがサイファーの家に来る事はあっても、サイファーがスコールの家に招かれる事は珍しい。
勝手に押しかけても問題ないような家族ぐるみの付き合いだが、大事なのは“スコールが自分でサイファーを呼んだ”と言う事だ。
「俺の部屋に来て欲しい」と言うメールが携帯電話に届いて、サイファーは俄かに浮足立つのを停められなかった。
ついに、ついに来たか、と思いつつ、いやまだ早い、あいつの中身は面倒臭いから、と想像し得るダメージから自分を守る本能も働く。
だが、早速スコールの家を訪ねてみれば、赤い顔をした幼馴染が、もじもじとした様子で出迎えてくれたから、サイファーはもう確信を持ってしまった。
そして、夏休みの勉強会でもなければ訪れる機会のない彼の部屋へと招かれて、


「サイファー。俺、多分…あんたの事が───好き、なんだと、思う」


喉に引っ掛かりそうになるのを、なんとか絞り出すように、スコールは言った。

顔も耳も首まで赤くなって、此方を見る事が出来ないと、目を伏せて告げたスコールを、サイファーはいてもたってもいられずに抱き締めた。
突然の抱擁に目を丸くしたスコールは、反射的に触れる体温から逃げようともがいたが、背に回された腕が微かに震えている事に気付いて目を丸くする。


「サイ────」


幼馴染の名前を呼ぼうとする声を、サイファーの唇が塞いだ。
続け様の突然の触れ合いに、蒼灰色の瞳が大きく見開かれる。

混乱しているのだろう、腕の檻の中でスコールが硬直しているのが判ったが、サイファーは離さなかった。
待ちに待って、ようやく受け入れてくれた喜びは、どうしたって隠せない。
その喜びを伝えるように、サイファーは深く長く、スコールとの初めての口付けを交わした。

長いような短いような、そんな時間だった。
いつの間にかスコールの体の緊張は解けて、恐る恐るその腕がサイファーの背中に回される。
蒼の瞳はそっと瞼の裏に隠れて、スコールはサイファーに身を委ねていた。
このままいつまでも重ね合わせていたい、とサイファーは思ったが、スコールが息苦しそうに眉根を寄せるのを見て、名残惜しく感じながら彼を開放する。


「っは……」
「おっと」


ふらふらと足元が覚束ないスコールを、サイファーは片腕で抱いて支えた。
ベッドへと座らせてやれば、スコールはすうはあと足りない酸素を補った後で、此方を見る。
蒼と翠がぶつかって、スコールの視線がすいと逃げた。
顔を赤くし、数秒前までサイファーと重なっていた唇を手で隠して、眼を泳がせるスコールに、可愛い奴、とサイファーは思った。


「……あんた…いきなり過ぎる……」
「悪かったな。ずっと待ってたもんだからよ」


サイファーの気持ちは、告白した時にはっきりと示された。
それから何年も待たされた、と言う訳ではないが、それでも毎日顔を合わせながら、急かさず囃さず、サイファーが辛抱強く待ったのは確かである。
ちゃんとスコールが考え、納得し、自分で受け入れて向き合うまで、ずっと。

ようやく報われたとサイファーが笑えば、スコールは困ったように眉尻を下げて俯いた。
悪かった、と言いたげな尖った唇がもう一度開かれる前に、サイファーの指がスコールの顎を捉える。
くん、と上向くように促されて、見上げた目の前にサイファーの顔があるのを見て、スコールは息を飲んだ。
反射的に逸らせようとした瞳は、翡翠石に囚われて、動けなくなる。

スコール、と名を呼んで、サイファーはゆっくりと顔を近付けた。
もう一度触れたいと、声にならない声で求めるサイファーに、スコールが覚悟を決めるように唇を引き結んで、重なろうとして、─────コンコン、と扉をノックする音が響く。


「………!!!!」


途端に夢から覚めたように、スコールはサイファーを押し退けた。
力加減を忘れた押しの一手に、無防備だったサイファーは背中から床に転がる羽目になる。
どたん、と言う音が響く中で、部屋のドアは開かれた。


「ただいま、スコール」
「レ、オン…お、お帰り……早かった、な」
「ああ。予定より一本早めの電車に乗れたんでな」


其処に立っていたのは、スコールとよく似た面持ちをした、一人の青年。
スコールの実兄であり、幼馴染であるサイファーの事もよく知る、保護者の一人であった。

レオンは床に背中を強かに打ち付けて悶えているサイファーを見付けると、


「ああ、誰か来ているなと思ったらサイファーか」
「……こンの……っ」
「丁度良い。土産があるんだ、お前も来い」


そう言って踵を返したレオンを、スコールは直ぐに追った。
転がるサイファーをちらりと見はしたものの、構えば兄に色々悟られると思ったのだろう、素知らぬ風を必死に装って部屋を出て行く。

くそ、と舌打ちしながら、サイファーは起き上がり、兄弟の後を追った。
ダイニングへ入ると、レオンが土産と思しき箱の包み紙を開いている所で、スコールがキッチンでコーヒーを淹れている。
サイファーは四人掛けのテーブルの定位置に座って、斜め向かいで箱を開けている青年を睨んだ。


「……判ってて入って来ただろ」
「なんの話だ?」


藪から棒のサイファーの言葉に、レオンは商品解説の紙を眺めながら、飄々とした態度で返す。
だが、何事にも聡く、特に弟スコールの事に限っては、モンスターペアレント並に過保護な兄が、最近の彼の様子やその原因に気付かない訳がないのだ。


「良い所だったのによ」
「そうか。良かったな」
「そう思うんなら、空気読めよ。なんでいつも邪魔しやがるんだ」


サイファーがスコールに告白してから、彼の部屋へと招かれたのは今日が初めての事だが、家に来るのは日常的な事だった。
それは勉強の為であったり、夕飯を作り過ぎたからとスコールに呼ばれたからであったり、レオンや彼らの父であるラグナが仕事土産を渡すからおいでと呼ばれた時であったり。
逆にスコールとレオンがサイファーの家に招かれ、母イデアが作った食事を囲んだり、と言うのも珍しくなかった。

告白してから、サイファーは折々にスコールにアプローチを繰り返している。
返事は待つとは言ったが、好きだと伝える事は何も悪い事ではないだろう。
スコールの心を自分に向けさせる為にも、彼が本当にサイファーに愛されていると知る為にも、それは必要な事だった。
だが、スコールは気難しくて恥ずかしがり屋だから、この事を誰にも知られたくないと考えている。
サイファーもそれは判っているし、ラグナに知られたらと思うとまだ少し恐ろしくもあって、周囲に堂々と話してはいない。
ひっそりと二人だけで愛を育むのも悪くない、とも思っているので、秘密にする事は苦とは思わなかった。

だが、秘密にしていても、漏れる所には漏れるのだ。
サイファーとスコールの二人の間にある空気が、以前よりも変化している事を、兄は当然知っていた。
知っていて、スコールにそれを指摘した事はないが、サイファーがスコールと話をしていると、図ったようなタイミングでその席に入って来る。
スコールは兄を無碍には出来ないから、お陰で二人きりの時間は早々に終了、と言う事が何度もあった。
丁度、ついさっき、レオンがスコールの部屋に入ってきた時と同じように。

憎々し気に睨むサイファーを、レオンは何処吹く風と気にする様子もない。
小分けに包装されたクッキーを一つ開け、味見、と齧る。


「……バニラか。少し甘いかな」
「おい、無視すんな」
「してないさ。ほら、お前も食べろ」


箱ごと土産を差し出すレオンに、要らねえ、とは言えなかった。
何度も二人の時間を邪魔されているとは言え、レオンはスコールにとって大好きな兄である。
幼い頃、スコールが彼から全く離れないのを見て、サイファーが嫉妬した位に、大好きな兄なのだ。

クッキーを一つ取って封を切り、齧り付く。
確かにレオンが言った通り、甘味の強いものだったが、スコールが淹れるコーヒーと併せれば丁度良いだろう。
早くスコールがキッチンから出て来る事を願いつつ、サイファーはやや乱暴にクッキーを噛み砕いて、


「あのな。俺は別に、あいつに無理強いはしてねえぞ。今回だってちゃんと待った」
「ああ、そうだな。お前が本気だと言う事は、判ってるつもりだ」
「スコールだって嫌だとは言ってない。そうならそうだって言うだろ」
「ああ。お前が相手なら尚更、そう言う所で遠慮はしないだろうしな」


判っている、と言うレオンは、弟の性格も、サイファーの性格も、確かによく判っているのだろう。
だが、それならば何故、ああも割り込んでくるのか。
その癖、スコールとサイファーの仲を引き裂こうと言う程、強引な介入はしなかった。
ただただ、サイファーが狙ったタイミングを、意図的に外しに来るのである。

ピリ、とレオンの手の中で、クッキーの封が切られる。
袋をゆっくりと割きながら、レオンは淡々と言った。


「別に、スコールの気持ちを疑っている訳じゃないし、あいつが選んだ事を否定する気もない。スコールがちゃんと自分で考えて選んだのなら、尚更な」
「だったらなんで邪魔するんだ」
「スコールの事は信じているが。子供の頃、散々うちの大事な弟を泣かした男を、そう簡単に信用できる筈がないだろう」


レオンの言葉に、サイファーはぐうの音も出なかった。

子供の頃、サイファーはよくスコールを泣かせていた。
引っ込み思案で大人しかったスコールと、活発でガキ大将気質のあったサイファーであるから、色々と歯車が噛み合わなかったのは当然だろう。
それもあったし、とかく兄から離れようとしないスコールにやきもきしたサイファーが、なんとか気を引こうとあれこれ手を尽くした結果、度々泣かせてしまったと言うのもある。
サイファーは決してスコールを苛めているつもりはなかったのだが、泣かされる側の気持ちはそうも行かないだろう。
その都度、スコールは兄の下に泣き帰り、レオンは一応サイファーに強い悪意がない事は判ってはいたが、それはそれとして弟を何度も泣かせる少年に、苦い感情を抱いていたのも事実であった。

成長の過程でスコールは泣き虫を卒業し、サイファーにやられた事をやり返せる位の度胸もついた。
同時に、サイファーがスコールを憎からず思っていたのと同じように、スコールもサイファーの事を嫌っていた訳ではなかった事も判った。
しかし、幼い頃の泣かせた泣かされたの関係は、少なからず二人の仲に尾を引いており、中学生の頃は寄ると触ると喧嘩手前になっていた時期もある。
そしてレオンは、二人のそんな関係を、全て見て来たのだ。


「だから、サイファー。認めない訳じゃないが、そう簡単に許すとも思うなよ?」


想い人とよく似た、けれど彼よりも王者の覇気を放つ事に慣れた顔が、笑みを含んでサイファーを見る。
その顔に、くそ、と吐き捨てそうになるのを、サイファーは喉まで出かかって堪えた。



────ああ、くそ。
恋人以上に、そして恐らくは最難関と思った父以上に、厄介な男が此処にいた。
だが、それに気付いたからと言って、今更抱いた温もりを手放す事など出来はしない。

三人分のコーヒーを持ってきたスコールが、二人の間にある微妙な空気を感じ取ってか、首を傾げる。
それを見ながら、絶対に認めさせてやるからな、とサイファーはテーブルの下で拳を握った。




2019/08/08

『ブラコンレオン兄さんの妨害に負けずにアタックしまくるサイファーのサイスコ+レオン』のリクを頂きました。

引き裂こうとまでは言わないけど、乗り越えて見せろと堂々と壁になるレオンは、とても手強いと思う。
でもレオンもサイファーが絶対諦めようとはしないだろうとは判ってる。
判っているけど、スコールを泣かせる事があったら絶対許さないので、査定は厳しい。