この世界がいつまでも


スコール・レオンハートと言う生徒は、扱いが難しい事で、教職員の間では有名だった。

成績は申し分なく優秀で、学年順位は常に上位を維持し、運動神経も良い。
文部両道を地で行く彼を絶賛する教師は多いのだが、反面、他者とのコミュニケーションの点について、大いに難が見られていた。
親しい友人と言う者は殆ど無いに等しく、クラスの輪に溶け込もうとしない。
体育の授業で、ペアを作って、なんて言うと、必ず彼が余り、仕方なく三人ペアにしようと言っても、スコール自身は「先生とで良いです」と言う。
他の生徒もスコールと共に行動する事には難色を示し、自分からスコールとペアになろうとする者はおらず、余り者同士ですらスコールは敬遠されていた。

入学して間もない頃は、教師があれこれと手を尽くし、スコールがクラスに馴染むようにと尽力した。
しかしスコール自身がそれに応える気がなく、クラスメイトの方から歩み寄ろうとしても、意図的に距離を取り、時には嫌われるような発言まですると言う。
そんな有様だから、生徒の方がスコールの事を避けるようになり、彼は完全に孤立化する事になった。
こうなっては教師もお手上げで、しかし成績は優秀で、素行に特別に問題がある訳ではないから、このまま触らないのが一番良いのかも知れない───と言う結論に行き付いた。

ウォーリアがスコールの事を知ったのは、着任してから一月後の事だ。
前任であった教師が寿退社する事になったので、その後釜としてウォーリアが入る事になった。
スコールはクラス委員長になっており、授業前にプリントを配る等と言った教員の雑用係を任される事が多く、一日に一度は教職員室を訪れていたので、其処でウォーリアは彼を知った。
気難しい奴なんですよ、と言う話も他の教職員から聞かされたが、その時の教員達は、彼の扱いの難しさに辟易して、少々愚痴めいたマイナス印象の話ばかりが多かったように思う。
その内容も全てが間違いではないのだろうが、だが真に受けるだけではスコールと言う人物を知るには足りないと思い、ウォーリアは彼を観察するようになった。

教職員の話は概ね事実で、スコールは非常に難しかった。
口数が極端に少ない為、コミュニケーションは途切れ勝ちで、偶に自分から話し始めたと思ったら、此方の痛い所をずけずけと突いて来る。
歯に衣着せない物言いに、生徒も教師も敬遠するのは無理もなかった。
周囲の高校生よりも一つ先を見て来たような大人びた雰囲気や、一分の隙も見せない頑なさ、親しくなろうと近付いてきた者にも針の筵を向けるような彼に、大人も太刀打ち出来なかったのだ。

だからあの日、ウォーリアがスコールの異変に気付いたのは、皆が言う“スコール”を噂でしか聞いた事がなかったからなのかも知れない。

いつものように顰め面で授業を受けていたスコールを、ウォーリアが見た時だった。
普段から深い眉間の皺が、割り増ししたように深くなり、授業中はいつもきちんとノートを取っている彼の手が止まっていた。
傷のある額を手で覆い、何かを堪えるように唇を引き結んでいる彼に、可笑しい、と思ったウォーリアは、授業の後にスコールを保健室へと連れて行った。
スコールは何でもないから大丈夫です、と言ったが、ウォーリアが掴んだ彼の手は異常な程に熱かった。
保健室の体温計で計ってみれば、39度の高熱を出しており、ウォーリアは直ぐに彼を病院へと連れて行った。
そして、昨日の夜から体調不良の気配があり、朝には熱が出ていた事、それでもテストが近いからと休まずに登校したと言う事を、随分と長い時間をかけて聞き出した。

スコールにとって、成績優秀である事だけが、自分を守るものだった。
努力して努力して、それが確実に実を結び、学年順位と言う形で明確な形を実を結ぶ度、スコールは自分のしている事が間違っていないのだと思う事が出来る。
それは勉強の仕方であったり、日々の時間の使い方であったり、親との向き合い方であったりする。
勉強方法や時間の有効活用についてはウォーリアも直ぐに理解できたが、親との関係とは、と尋ねると、スコールは重い口を開いて言った。


「俺はずっと孤児だったんだ。父親はいなくて、母親は死んで、養護施設で育てられた。だけど中学三年の時に、俺の事を知った父親が現れて、引き取られた。家族として暮らしたいんだと言われたけど、家族ってどうしたら家族になれるのか、俺には判らない。でも、テストで良い点が取れたら、あの人は褒めてくれたから……父親として誇らしいって言ったから、じゃあ、テストは頑張らなきゃいけないと思ったんだ」


父親に対する感情を、スコールはまだよく掴めていない。
だが、父親に褒められると悪い気はしなかったし、誇らしいと言われたら、それなら誇らしい息子で在るのが良いのだろうと思った。
そうすれば、父が望むような家族として、息子になれる事が出来る筈だと。

始めは単なる小テストからだったその思考は、あっという間にスコールの全神経に信号を送って、彼を呪うように成長した。
テストは満点、成績はオールクリア、学年順位は常に首位、いや可能であればトップ、可能性があるなら常にそうある為に努力を。
苦手は常に意識して克服するように反復学習を繰り返し、テストの時には必ず、ミスがないかを繰り返し繰り返し確認する。
子供の頃は苦手で嫌いだった体育も、その思考の中で克服し、今では運動部から、出来る事なら人材として欲しい、と言われる程の活躍振り。
一度の失敗も、たった一問の間違いも許されない、許してはいけない。
他の何が出来なくても、勉強だけは、成績に反映する事は、完璧に。
そうでなければ、自分と言う存在価値はなくなるのだと、スコールは思っていた。

熱があるのに無理をして登校したのも同じ思考だ。
一日でも授業を休めば、その分の穴が開いてしまう。
単位は十分だし、補習しなければならないような事はないけれど、スコールの呪いはそれを許さなかった。
体調不良“程度”の事で、何もかもを台無しにする訳には行かない────そんな思いが、スコールに酷い無茶を強いたのだ。

周囲への頑なな態度は、“成績”に拘るスコールの、行き過ぎた自己防衛だった。
遊んでいて課題をするのを忘れたら、部活なんて初めて成績が落ちたら、そんな思考がどんどんスコールを深みに沈めて行く。
勉強以外にする事がない、と言う位に自分を追い込んでしまった方が、スコールにとっては楽だった。
自分の失敗を誰かの所為にする事もなく、全ては自分の責任だけで、だから自分で取り戻す事も出来る筈、と。

その事に気付いた時、ああ、この子は可哀想な程に酷く優しい子なのだと、ウォーリアは思った。

ウォーリアが毎日眺めている生徒達は、皆何処か自分勝手で自由だ。
良い事があれば喜びを共有するが、嫌な事があればその原因を押し付け合う事もある。
スコールは、その押し付けを誰かにしたくなくて、一人の世界に閉じ篭ろうとした。
けれどその根幹にあるのは、誰かに、父親に愛されたいと、けれどその方法が判らなくて、唯一見付けた標を頼りに歩き続けようとする、寂しがり屋の普通の子供だった。

だから、放って置けなかったのだ。
窓辺に座る少年は、人を寄せ付けない空気を振り撒きながら、本当は寂しい寂しいと叫んでいた。
愛して欲しい、抱き締めて欲しい、でも怖い、寂しい寂しい寂しい怖い。
ウォーリアはきっと、その聲を聞いたのだ。



ウォーリアが“スコール”と言う人物を知るようになってから、半月が経とうとしている。
季節は冬の終わりで春との境目を迎え、スコールは学年末テストと言う最終行事を終えれば、晴れて春休みを迎える。
その前に不安な所を確かめたい、とスコールはウォーリアの家を訪ねていた。

今でも成績優秀で通っているスコールであるから、確認なんて必要ないだろう、と思わないでもないのだが、スコールの不安は今も変わらず、彼の根に深く突き刺さっている。
これを解消するには、とにかく反復学習するしかないのだが、スコールの失敗への恐怖は強い。
ウォーリアから大丈夫、と太鼓判を押されないと、どうしても自信が持てないのだ。
だが、これでも以前に比べれば、状態は軽減された方だろう。
ウォーリアと親しくなる以前は、とにかく自分一人で確かめるしかなかったから、そうなると幾ら繰り返しても不安は一向になくならず、テストの瞬間まで鬱々とした気持ちが続いていたと言う。
そんな事を知っていたら、前日に大人の下を訪ね、これで良いか、と確認しに来るだけでも、大した進歩だろう。

最後の問題の読み解きを終えて、スコールはノートをウォーリアに差し出した。
ウォーリアが数式から答えまで、しっかりと目を通して確認し、赤いペンで丸をつけると、ほうっと安堵する息が聞こえた。


「終わった……」
「ああ、これならもう大丈夫だろう。後は、明日に備えてしっかりと休みなさい」
「……ん……」


全身の力を抜いてテーブルに突っ伏して、重いが安心した様子で返事をするスコールに、ウォーリアの頬が緩む。
学校では常に背筋を伸ばし、完璧主義者を体現するような井出達をしたスコールが、こんな風に年相応の姿を見せてくれるのは、此処だけの話であった。
其処に自分がいても構わない事に、スコールが自分に気を許してくれている証を見たような気がして、ウォーリアの胸の内がぽかぽかと暖かくなる。

気が抜けた反動か、スコールは中々体を起こそうとしなかった。
急かすのも可哀想だと、ウォーリアは席を立ち、


「コーヒーを淹れよう。砂糖とミルクは───」
「二つ。ミルクも」
「判った」


普段はブラックを好んで飲んでいるスコールだが、疲れた後はやはり甘いものが欲しいらしい。
何か摘まめるものはあっただろうか、と少ない冷蔵庫の中身を確認する。

要望通りに砂糖とミルクを入れたコーヒーと、三日前にスコールが来た時に置いて行ったプリンが残っていたので一緒に出す。
プリンはスコールも見覚えがあったようで、「食べて良かったのに」と呟く。
が、甘いものへの誘惑の方が今日は強かったようで、素直に蓋を取って食べ始めた。

黙々と甘味を摂取するスコールと向き合って、ウォーリアもコーヒーを傾ける。
じんわりと広がる香ばしい味わいを堪能して、ふとテーブル端のカレンダーに目が行く。


「……今回のテストが終われば、春休みか」
「……ん」
「暫く君と逢えなくなるな」


ウォーリアの言葉に、ぴくり、とスコールの肩が震えた。
カップを持っていた手が止まり、口をつけようとしていたそれが、テーブルへと戻される。


「……なあ」
「なんだ?」
「…来年、あんた、何処かのクラスの担任とか、するのか」


現在、ウォーリアは担任のクラスを持っていない。
前任であった教師も担当受け持ちはなく、それが後釜であるウォーリアにそのまま引き継がれた。

来年については、どうだったか、とウォーリアは考える。
新年度に当たり、異動になった同僚も少なくはなく、教員会議でも担当が空くクラスがある事は議題に上がっていた。
新年度のクラスの割り振りも含めて、これらの話はまだ固まっていない。
だが、ウォーリアを何処かのクラス────主には進路指導の対象となる三年生の担当にするのはどうか、と言う話は持ち掛けられていた。


「…まだ決まっている訳ではないが、持ってみてはどうか、と言う話は聞いている」
「……そう、か」


ウォーリアの言葉に、スコールは俯いた。
カップを持つ手が、何かを探すように、なだらかなカーブを描く陶器の形をなぞるように滑り、


「……俺の、担任に…なったら良いのに、……」


消え入りそうな呟きは、静かな部屋に溶けて消える。
それでも、しっかりとウォーリアの耳に届いていた。

ウォーリアが目を向けると、スコールは俯いたままだった。
だが、意識がひしひしと此方に向けられているのが判る。


「……そしたら…もっと、あんたと…いられる、のに……」
「……スコール」
「………」


独り言のような小さな声だけれど、スコールのそれは独り言ではない。
目を見て話す事も出来ない位に耳まで赤くなりながら、その言葉はウォーリアへと向いている。

かたん、と言う小さな音に、スコールがビクッと体を震わせた。
叱られる事を恐れる小さな子供のように、萎縮して縮こまっているのが見て取れる。
そんなに怯えないで欲しい、とウォーリアは思った。
その気持ちを込めて、椅子に座って俯いているスコールの、ほんのりと赤らんだ白い首筋に手を伸ばす。
柔らかな濃茶色の髪の隙間から覗く項を、そっと優しく撫でると、恐る恐る蒼い瞳が此方を見上げ、


「……ウォー、リア」


期待と不安の入り混じった声で、スコールは目の前の男の名を呼んだ。
その唇に引き寄せられるように、ウォーリアは己の顔を近付ける。

ウォーリアにとって、スコールと言う少年は、初めて自分が守りたいと思った人物だった。
周りを突き放しているように見えて、本当は誰かの手に支えられる事を求めている、危うい世界の境界線に立っている少年。
放って置けない、と言う気持ちのままに、少しずつ彼と言う存在を知って行く内に、大人びた仮面の隙間から覗く、年齢よりもずっと幼い表情や感情の揺れに気付いて、慈しみたいと言う気持ちが膨らんだ。
だが優しすぎる彼に、望まぬ選択を強いてしまうのも望んではいなかったから、彼の重荷にはならないようにと努めていた───つもりだ。

だが、スコールから求める声を聴いてしまったら、もう抑えられない。



重ねた唇が、少しずつ深くなって行く。
束の間に離すと、もっと、と求める瞳が此方を見ていた。




2019/08/08

『教師ウォルと生徒スコールが両思いになるまでをウォルの視点で』のリクを頂きました。

教師ウォルって鋼の理性と道徳心で、自分からは手を出さないだろうな、と思ってます。
なので先に求めるのはスコールの方で、それが切っ掛けでやっと両想いが叶うと言うイメージ。
この後、スコールが卒業するまでの一年間で色々我慢できるのか、我慢できなくなったスコールが色々仕掛けたりしてすったもんだしてたら良いと思います。