泡沫の奇跡に


クリスタルを手に入れた戦士達の前で、秩序の女神は業火に焼かれた。
自分達を召喚した主とも言える女神の消失により、秩序の戦士達も闇の底へと溶け行く運命だった。
だがクリスタルの加護により、戦士達は決して長くはない猶予を手に入れる。

残された僅かな時間を使って、戦士達は決戦へと向かう。
それぞれの宿命に決着を着け、全てを破壊せんとする混沌の神との闘いに挑む。
世界の命運をかけて、それぞれの大切なものの為に。

────そんな旅路でも、歩く足は賑やかだった。
そうであろうとする仲間達の声が、少ない時間と言う事実を霞ませるように、明るく響く。
他愛のない会話を交わし、思い出した記憶を語り、この世界での思い出を綴る。
何処か作り物めいた、明るいふりをした空気でも、それすらもう長く味わえないものと思えば、誰も悪い気はしなかった。
誰も負けるつもりなどないけれど、それでも結果はまだ判らない。
この世界の神ですら、結果を予知できるようなレールからは、既に外れているのだ。
だからどんな結末になろうとも、後悔する事のないように、この世界で出会った仲間の事を誇れるように、前を向いて戦士達は進む。

テレポストーンの力さえも失われつつあるのか、戦士達の進む道はその足に託されていた。
進み、休み、また進む日々は、短いようで長い。
歩くの疲れたよ、と言う愚痴も時折聞こえるが、誰もその足を止める事はしなかった。
少しだけ休んで、また明日進もう、と言えば、そうしようと皆が野営の準備を始める。
こうして自然的に役割分担をしながら野営をするのも、後何回あるだろう。
そう思うと、一つ一つの作業さえも何処か感慨深いものがあって、けれど湿っぽいのは嫌だとはっきり言う者もいたから、皆こみ上げるものは飲み込んだ。

全員での旅が始まって、何度目かの夜、その日は月が明るかった。
混沌の力が増して以来、空が快活とした色に覆われる事は少なく、重く暗い曇り空が続いた。
そんな中で久々に見た美しい月を、ひょっとしたらこれが最後かも知れないと、誰もが口にせずとも感じていた。
だから本当は早く休まなければいけないのだけれど、もう少しこの月を、皆で見る綺麗な月を見ていたいと、皆が珍しく宵っ張りの夜を過ごした。
それでもやはり休まねばと、一人二人と寝床に着き、いつものローテーションの見張り役だけが火の番をする。
スコールも同じで、自分の見張り当番が早々に終わった事を幸いに、明日に備えて眠ろうとしたが、


(………)


小さな寝息が複数重なるテントの中で、スコールは起きていた。
今日は鼾が煩いジタンやティーダとは別になったから、さっさと眠れると思っていたのに、まるで睡魔は訪れない。
それでも長い間、じっと目を閉じていたのだが、そろそろ退屈が過ぎて、耐え切れずに起き上がった。

眠る仲間達を起こさないように、足音を殺してテントを出る。
見張り当番だったバッツが顔を上げ、よう、と手を上げた。


「寝れない?」
「……少し歩いて来る」
「判った。気を付けてな」


問いかけには応えなかったスコールを、バッツは咎めなかった。
テントを出た足でそのまま何処へともなく歩き出したスコールを、ひらひらと手を振って見送る。

岩場に囲まれていた野営地を離れると、小高い丘があった。
ゆっくりとそれを上って行けば、少し目線の高さが上がって、周辺の低地をぐるりと見渡せる。
遠くに古い遺跡群があって、昨日はあの辺りで野営した、と新しい記憶を呼び起こす。
余り進んでいないように見える距離だが、実際には山道をずっと迂回しているので、結構な距離を歩いていた。

遠くを見ていた視線を、上へと傾ける。
其処には満点の星空と、細い三日月が淡い光を放ち、世界を優しく照らしていた。
もう直に訪れるであろう世界の終焉に向けて、この世界そのものを柔らかな眠りで包もうとしているかのようだ。
だが、スコール達はその眠りの誘いを振り払う為に、明日も進んで行く。


(戦いを、終わらせる為に)


この世界で連綿と続く、神々の闘い。
それに召喚され、駒として戦い続けた自分達。
その終焉を作る事で、世界が救われたのならば、自分達もようやく元の世界へと戻る事が出来る。

そう思った瞬間、胸の奥が冷たく痛むのを感じて、スコールは唇を噛んだ。
まるで嫌だと叫んでいるようで、そう感じている事が事実であると、スコール自身にも判ってしまう。
だが、それはきっと声に出してはいけない事だと思うから、歯を噛んで必死に飲み込んだ。

────草息を踏む音がしたのは、その時だ。
さくり、と柔らかなその音が聞こえたのは、月の夜が静かすぎた所為だろう。


「スコール」


呼ぶ声に振り返れば、淡い銀色の髪が、よく似た月の光を受けてひらひらと揺れている。
何処かの世界の“月の民”だと言うその男───セシルに、降り注ぐ銀の光はよく似合っていた。


「君も眠れなかったのかい?」
「……あんたも?」
「少しね。なんだか落ち着かなくて」


何事にも動じない冷静さを持っているような男でも、そんな日がある事に、スコールは少し安堵した。

かしゃ、とグリーブの鳴る音がして、セシルがスコールの隣に並ぶ。
次に交代で来る筈の見張りに備えてか、セシルはしっかりと鎧を着込んでいた。
スコールにしてみれば華美な装飾が多く見える鎧は、きちんと実用的に造られていて、着ているだけで相当な重さがある。
それを着て激しい戦闘を行うセシルは、虫も殺さないような優しい顔に反して、苛烈な内面と肉体を持っていた。
……その肉体に包まれる事に安心感を覚えるようになったのは、いつからだろう。
そんな事を考えて、スコールは胸の奥がつきんと痛んだ。

俯いたスコールの横顔を、セシルはじっと見詰めている。
視線に敏感な筈のスコールだが、思考の海に浸っている時、彼は酷く無防備だった。
そんなスコールの頬にそっと手を当てると、スコールはビクッと肩を震わせて、驚いた顔でセシルを見上げる。


「セ……」
「ん?」
「………」


名前を呼びかけて止めたスコールに、セシルはことんと首を傾げて「何?」と促す。
しかしスコールは、中途半端に口を開閉させた後、また俯いて沈黙した。

────この旅路は、終わりへの旅路だ。
終わってそれぞれの帰るべき場所へと帰る為の、最後の旅だ。
それなのに余計な事を言ってはいけない、皆そうしているのだからと、スコールはぎゅうっと口を噤む。

だが、柔らかく頬を撫でる手は、そんなスコールを酷く優しく慈しむ。


「スコール。思う事があるのなら言ってごらん」
「……別に…」
「今なら僕しか聞いていないから」


セシルのその言葉は、免罪符のようで、誘惑のようだった。
スコールがゆっくりと顔を上げると、藤色の瞳がじっと此方を見詰めている。
その瞳を見ていると、柔らかな真綿で包まれるようで、スコールは自分が必死に纏い身に着けているものが、するすると滑り落ちて行くような気がした。

何度も心を裸にされて、弱くちっぽけな自分を晒して、その度に酷い醜態を晒したと思う。
けれど、そんな自分を受け入れてくれるセシルの優しさに、スコールは縋らずにはいられない。


「……もう直ぐ、この世界は終わるだろう。俺達が勝っても負けても、きっと」
「ああ。そうだね」


この世界を作り出していた柱の一つは、既に失われた。
在るのはその残滓とも言えるクリスタルと、その恩恵を受けている10人の戦士だけ。
そしてクリスタルが力を失い、自分達が加護を喪えば、秩序の力は全て失われ、力の均衡を崩したこの世界は混沌の闇に飲み込まれて消える。

混沌の力を停める為、自分達が混沌の軍勢に勝利を収めても、恐らく結末自体は変わらない。
秩序の力も、混沌の力も失えば、いよいよこの世界は維持する力を失って、消滅していくのだろう。
違いがあるとすれば、その消滅がこの世界のみで留まるか、他の異世界まで拡がるか、それだけだ。


「…勝っても負けても、この世界は消える。勝ったとすれば、俺達は自分の世界に帰る事が出来る」
「ああ。そう言う事、なんだろうね」
「……そうなったらもう、逢えないんだろう、俺達は」


“俺達”と言ったスコールの言葉が、此処で出会った仲間達の事を全てを指しながら、違うニュアンスを含んでいる事を、セシルは感じ取っていた。

この世界で出逢った戦士達は、皆違う世界から召喚されている。
それは本来なら交わる筈のなかった邂逅で、互いの存在すらも知らないままに終わる命だった。
それが神々の悪戯、力によって運命の糸が手繰られ絡み合い、出逢う事になる。

神々の力で作られた出会いなら、その神々が消えたなら、繋がる糸も消えるだろう。
元より出会う事のなかった運命へ、それぞれの道へと帰り、二度と道が交わる事はない。


「……あんたともう、逢えなくなるって。そう思ったら、……嫌になった」


何が、とはスコールは言わなかった。
それを口にしたら、本当に何もかもが溢れ出しそうで、それはしたくないとスコール自身も思っている。
クリスタルを手に入れて、女神の失った時から、日に日に記憶が蘇る。
忘れていた思い出の中にあった沢山の顔を、声を、手を、スコールは捨てる事が出来ない。
だから帰らなければ、と言う想いも確かにあった。

けれど帰れば、この世界で繋いだ手を、二度と繋ぐ事は出来なくなる。
あと幾つかの夜を重ねたら、こんな風に月夜の下で、二人並ぶ事もない。
頬に触れるセシルの手も、其処から伝わる熱の香りも、感じる事はなくなるのだ。


「……セシル」
「うん」
「……あんたに逢わなければ良かった」


目の前の人に向けて冷たい言葉を選んだのは、本心も其処にあったからだ。
出逢わなければこんな思いもしなかったのに、こんな痛みを知る事もなかったのに。
恨むような台詞を吐きながら、そんな言葉を使ってしまう自分の幼稚さが突き付けられた気がして、スコールは悔しくて堪らなかった。

唇を噛むスコールを、セシルの手があやすようにゆっくりと撫でて、目尻に滲む雫を拭う。
柔らかな月明かりに照らされたスコールの貌は、我儘を言う幼い子供のそれと同じで、セシルは困ったように笑う事しか出来ない。
肩を抱き寄せれば抵抗はなく、細身の体がすっぽりとセシルの腕の中に収まった。


「ありがとう、スコール」
「……」
「そんなに僕の事を好きになってくれて、ありがとう」


セシルの言葉に、スコールが息を飲んだ。
ぎゅう、と噛んだ唇が震えて、スコールの手がセシルの背中に回される。

離れたくないと一所懸命に訴える少年を抱き締めて、セシルは唇を重ね合わせた。



スコールが近しくなった者との別れを極端に忌避している事を、セシルは知っている。
仲間であればその旅立ちを見送る事は出来るけれど、傍にいて欲しい人との別れは、スコールにとって何よりも恐ろしいものだった。
だと言うのに、いつかは必ず終わるこの世界で、その場所を許された自分の罪を、セシルはただ受け入れる。

それがスコールにとって、最も優しくて残酷な呪いになると知っていながら。




2019/08/08

『月夜の切ないセシスコ』のリクを頂きました。

別れが決まっていると言うだけでも、スコールにとっては切ないものだなあ、と。
セシスコはスコールがセシルに依存して、その危険性を判っていて依存させるセシルが好きです。