道連れアップサイド・ダウン


大学生になった年に、フリオニールはシェアハウスを始めた。
日々の生活の利便性であったり、通学手段の都合であったりと理由は色々あるが、最も大きいのは家賃と生活費だ。
少々古いアンティーク調のその家は、その古さ故と、シェアハウスと言う環境もあって、金銭的に余裕のないフリオニールにはお宝物件のようなものだった。
心配があると言えば住民との折り合いだったが、フリオニールは他者と交流を持つ事に否やはなかった。
寧ろ、田舎から突然都会の真ん中に引っ越す事になったフリオニールにとって、色々と訊ねる事が出来るかも知れない、と言う環境は渡りに船だったのだ。

優しい女性オーナーの案内を受け、訪れたその家は、とても良い雰囲気に包まれていた。
住んでいる者は社会人から学生まで幅広く、一番若い者でまだ中学生だと言う少年もいた。
女性は一人だけ住んでいて、男性陣がそれぞれに気を遣い、女性の方も自分で皆に迷惑をかけないようにと工夫しており、円満な人間関係が出来ていた。
時折、冷蔵庫の中のデザートを誰が食べただとか、隣の話し声が煩いなどと言った事件は起きるけれど、住人は皆仲が良い。
其処にフリオニールも加わらせて貰って、新しい生活をスタートした。

初日は先住の人々に代わる代わる家を案内して貰い、この家での規則を教えて貰った。
キッチンや洗面所と言った場所の使用に関わる細かな制限はないが、冷蔵庫の中身や、洗面所のタオル等は、きちんと名前を書いておくこと。
そうでなければ誰が使っても良いものとして扱うと言う事。
風呂は五人程度は余裕で入れる広さがあるが、節水の為に入浴時間は決められており、それ以外の時間に入るのであればシャワーのみにする事。
女性が入っている時にうっかり事故を起こさない為に、脱衣所には誰が風呂を使っているか判るように名札を下げ、きちんと確認してから入る事。
共同生活をするに辺り、基本となる事を規則として、後は各人の良識を信じる、というものだった。
幸い、常識外れの行いをする者はおらず、時折起こる価値観の違いや感覚の違いから来る摩擦がある位で、日々は平和に過ぎている。

支え支えられ、時に衝突をしながら、フリオニールは共に過ごす人々と交流を深めて行った。
その中で最も親しくなったのは、スコールと言う高校生の少年だ。
始めこそ出会い頭の事件により、スコールに相当の悪印象を与えてしまったフリオニールだったのだが、その後の交流で誤解と蟠りは少しずつ溶けて行った。
今では一緒に休日に出掛ける事もあるし、お互いの部屋に寝泊まりする事もある程だ。
フリオニールはそうして一緒に過ごす相手は彼だけではなかったが、スコールはパーソナルスペースが広く、他者に自分の領域に踏み込まれる事を良しとしていないので、フリオニール程距離の近い者は少ない。
況してや彼の部屋で眠ったり、彼が他人の部屋で眠るなど、付き合いの長いメンバーでも有り得ない事だと言う。
それ程に彼と親しくなれた事に、フリオニールはこっそりと喜びを感じていた。

今日もフリオニールは、同じ気持ちで過ごしている。
小さな鎌を片手に、庭の小さな菜園で土いじりをしているフリオニールの傍らには、ホースを持って水を撒いているスコールがいる。
スコールは先日までテスト期間に向けた勉強をしていて、碌に外に出ていなかったのだが、ようやくテストが終わって一息吐けるようになった。
しかし遠くに出掛ける性質ではないスコールが暇を持て余している所に、フリオニールから声をかけて、一緒に菜園の手入れをする事になったのだ。
この菜園にはスコールがフリオニールと一緒に植えた種もあったから、スコールも気になっていたのだろう。

此処しばらく炎天が続いていた菜園に、冷たい水の雨が降る。
乾きかけていた土に水が染み込んで行き、濡れた植物の葉がきらきらと陽光を反射させていた。


「うん、もうそろそろ水遣りは十分かな」
「……ん」


フリオニールの言葉に、スコールはホースの水を停めた。
スコールは伸ばしていたホースを巻き直し、フリオニールは抜いた雑草をゴミ袋代わりのビニールに詰める。


「久しぶりに外に出たんだろ。ちょっと暑かったと思うけど、どうだった?」
「……中にいた方が良かった」
「はは……」


スコールの返事に、フリオニールは眉尻を下げて笑う。
元々インドア派なスコールには、陽光を見る健全さより、快適な屋内で本を読んでいる方が良かったのだろう。
しかし、滲む汗を手の甲で拭うスコールの表情は、決して悪くはないものだった。

と、スコールが何度も顔を手で拭うのを見て、フリオニールは自分の肩にかけていたタオルを取る。


「スコール、タオルを使った方が良い。俺が使ったもので悪いけど…」
「…ん。ありがとう」
「あ、ああ。うん」


差し出したタオルを受け取って、スコールは小さな声で礼を言った。
余り面と向かってそういった言葉を使わないスコールに、不意打ちを食らったような気がして、フリオニールはくすぐったさにほんのりと顔を赤らめる。


「ええと……うん。そろそろ中に入ろうか、冷たい飲み物も欲しいし」
「ん……タオル、助かった。洗って返す」
「良いよ、そんなに気を遣わなくて。自分で洗うさ」
「……ん」


返して貰えるようにとフリオニールが手を出すと、スコールは少し困ったように間を置きつつも、タオルをフリオニールに差し出した。
それを受け取り、じゃあ中に入ろう、とフリオニールが歩き出した時だった。

スコールが巻き直し、きちんと片付けた筈のホースが不自然にふるふると震える。
既に片付けたものと認識しているフリオニールとスコールは、それに気付く事無くホースの横を通り過ぎようとした。
その瞬間、ぱんっ、と言う少々嫌な音が響いて、水飛沫が噴き出した。


「ぶ……っ!」
「スコール!」


突然の噴射水の直撃を食らったのは、スコールだった。
ホースの口が上に向かっていた所為で、顔面から食らう羽目になり、スコールの脚元がよろよろと蹈鞴を踏む。
フリオニールが慌ててその背を支えると、スコールは濡れた頭を猫のようにぶんぶんと振って、


「なんだ、いきなり…!」
「大丈夫か?目とか……」
「ちょっと入ったけど、大丈夫だ。……水、ちゃんと止めた筈なのに」


ごしごしと手の甲で顔を拭きながら、スコールは苦い表情で呟く。
今だ水を吐き出しているホースからスコールを離して、フリオニールは横から腕を伸ばして水栓を締める。

しかし、水を停める為の栓はそれ以上締まる方向へは回らず、スコールの言った通り、きちんと元栓は占められている筈である事が判った。
それなのに水がいつまでも噴き出すと言う事は、この水栓の留め栓自体が上手く嵌っていないと言う事になる。


「…壊れてるみたいだ。コスモスに連絡しないと」
「……はあ……」
「これは、仕方がないからこのままだな…」


じゃばじゃばと溢れ出る水に、勿体ない、と二人は思う。
思うが、止めようにも止められないのだから仕方ない、と諦める他なかった。

それよりもスコールをなんとかしないと、とフリオニールはびしょ濡れになっているスコールを見る。
見てから、其処にあるものを見付けてしまって、思わず息が止まった。
フリオニールのその様子に気付いて、スコールがことんと首を傾げる。


「フリオ?」
「あ……ちょ、あの……ちょっと」
「……なんだよ?」
「……ごめん、ちょっと……」


赤い顔をしたフリオニールの歯切れの悪さに、スコールが眉根を寄せた。
何かあるならはっきり言え、と言わんばかりの表情だが、それが出来ればフリオニールとて苦労しない。

フリオニールは手に持っていたタオルをスコールの頭に乗せた。
拭けと言う事か、とスコールが頭を拭き始めるが、


「あの、スコール。頭もなんだけど、服を……」
「服?」
「……濡れて、その……透けてる……」


まだいまいち切れの悪いフリオニールの言葉に、スコールは眉間の皺を深めつつ、自分の服を見下ろした。
今スコールが着ている服は、柄も何もない、真っ白なTシャツだった。
夏仕様のものなので厚みもない為重みがなく、風通しが良いので、スコールはリラックスしたい時には大抵この手のシャツを着ている。
同じタイプで紺や黒も持っているが、今日はたまたま白であった。

水に濡れた、薄手の白いTシャツ。
それはスコールの細身の肌にぴったりと張り付いて、薄い胸板のラインも浮き上がらせていた。
其処にある小さな蕾も一緒に。


「……っっ!」


男なら大して気にしなくても、と言われるかも知れないが、これはそう言う訳にも行かない。
水着であるとか風呂であるとか、そう言う時なら気にしなくても、今は昼間で外で服を着ている。
見えない筈のものが、そのつもりもないのに誇張されるように晒されてしまっている事に気付いて、スコールは真っ赤になってそれを腕で覆い隠した。


「……」
「………ス、スコール……」
「……」


俯いたスコールをフリオニールが恐る恐る呼ぶと、きっ、ときつい目がフリオニールを睨む。
ぎくっと固まったフリオニールを、蒼灰色はじっと睨み、睨んだ後で、緩んだ。
はあ、と言う大きな溜息と共に。


「……あんたに見られるのは、今更か……」
「う……いや、でも、それは…その……」
「あんた、一番最初に全部見てるし……」
「……あ…それは…事故で……」
「………普段も色々見られてる気がするし」
「……うう……それも…わざとじゃ、なくて……」
「………もう、今更と言えば、今更だし……」


スコールの呟きに、フリオニールはしどろもどろになっていく。
そして最後の言葉は消え入りそうなものだったが、その中に滲む意味が判らない程、フリオニールも鈍感ではなかった。

フリオニールは、家に住む事になった初日に、失敗をした。
規則の中にある、風呂を使う時に先客がいないか確認してから入る事、と言う点を忘れていたのだ。
引っ越し作業や周辺確認で疲れており、住民の殆どが休んだ時間になってからようやく風呂に入ろうとしたフリオニールは、名札を見ないで脱衣所のドアを開けた。
すると其処には、風呂上がりの程好く火照った濡れた肢体があって、フリオニールは思わず固まった。
固まって、白く細いその体に釘付けになったまま、真っ赤になって卒倒してしまったのである。
その上フリオニールは、細身のスコールを女だと思ってしまった為、翌朝事故について詫びに来た時にも、「女性の入浴を覗こうとした訳ではなかった」と言う旨の発言をしてしまい、これが原因でスコールからのフリオニールの印象は最悪のものになってしまったのだ。

その事件については、一緒に暮らすメンバーのお陰で、誤解が誤解を呼んだのだとスコールも宥められ、フリオニールも改めて謝罪した事で解決した。
しかし同様の事件は一度だけではなく、その後も何度か起きている。
スコールの入浴中にフリオニールが入って来たり、食事を用意したフリオニールが朝に弱いスコールを起こしに行ったら着替えている最中だったり、服を脱ぎかけているスコールをフリオニールが押し倒した形になった事もあった。
時折、逆にスコールがフリオニールの着換えシーンに遭遇したりして、何とも言えない奇妙な空気に捕まった事もある。
男同士なのだから気にする程の事ではないだろう、と言う者もいるだろうが、スコールにとってはそうではないのだ。
フリオニールも、最初の出会いのインパクトの尾を引き摺っており、どうもスコールの裸と言うものに過敏に反応してしまう所があった。

こう言った事件を何度も繰り返している内に、主には謝り倒すフリオニールと、それを事故だから仕方ないと赦すスコールの図が増えて行った。
そして、嫌な思いをさせた詫びにと、フリオニールがあれこれとスコールの世話を焼くようになり、スコールもそんなフリオニールに甘えるようになった。
基本的にシェアハウス内でも一人での生活を好んでいたスコールにとって、これは初めての事だったと言う。
理由が何であれ、時間を共有する機会が増えて、段々と距離が縮んで行き、────部屋の電球を変えようと、踏み台の上で足を滑らせたスコールをフリオニールが助けた拍子に、キスをしてしまって。
その日を切っ掛けに、自覚のない間に膨らんでいた相手への想いが堰を切って、走り出した。
そして、何もかもをお互いに曝け出して、恋人と言う関係となった今へとつながる。

────これまでの事を、その度に見てしまっていたスコールの肌を思い出して、フリオニールの顔が赤くなる。
どくんどくんと心臓が速くなって、言葉を失っていると、スコールがくるりと背を向けて、


「……っくしゅ!」
「あ、」


小さく響いたくしゃみの声に、ぼんやりしている場合ではなかったのだとフリオニールが我に返る。
早く中に入って着替えさせなきゃ、でもその前に、とフリオニールは羽織っていたワイシャツを脱ぐ。

取り敢えずはこれで、とワイシャツを羽織らせると、スコールは素直にそれを借りた。
スコールは一回り大きなシャツの前を手繰り合わせて、急ぎ足で玄関に向かう。
その背を追いながら、フリオニールは気温の所為ではなく、体の温度が上昇するのを感じていた。




2019/08/08

『現パロでラッキースケベ頻発して、意識してすったもんだの末にお付き合いを始めるフリスコ』のリクを頂きました。

ダイジェストですが色んなことが起きてます、きっと。
階段の上で足を滑らせてスコールの胸にダイブしたり、ごちゃっとなって起き上がろうとして尻を掴んでしまったり。
そもそもお互いに近付かなければ、きっと起きなかっただろう事件もあったのです。でも世話を焼いたり焼かれたりで、今日はどんどん縮まって、どんどん事件も起きて行ったのです。全て起こるべくして起こった事件だったのです。