まって、まって


まって、まって。
おにいちゃん、まって。


ミィ、ミィ、と聞こえる声に、足を止める。
振り返れば、短い四足を一所懸命に動かして、追い駆けて来る幼子がいる。

幼子は、前ばかりを見ていて、足下を見ていない。
その所為で、ちょっとした段差に足を取られて、ころんころんと転がってしまう。
丸く小さなその幼子は、そうして毎日、ころころ、ころころと転がった。

幼子が生まれて、もう直ぐ二ヶ月。
母が幼子を生んで間もなく死んでしまった所為か、幼子はとても体が弱い。
同じ頃に生まれた子供達と比べても、幼子はとても体が小さくて、いつも皆に置いてけぼりにされてしまう。
そんな幼子を母に代わって、守り、育て、慈しむのが、兄である自分の役目。


まって、まって。


とてとて、とてて、ころんころん。
ああ、ほら、また。
いつも気を付けなさいと言っているのに。


おにいちゃん、まって。


逆さまのまま、幼子が言った。
起き上がろうと、じたばた足を動かしている。

来た道をくるりと戻って、幼子の下へ。
仰向けになってじたばたしている幼子を、上から覗き込めば、雫の滲んだキトゥン・ブルーが兄を見付ける。
鼻で幼子の体を押して、ころん、と横に半回転。
幼子はきょとん、とした顔できょろきょろと辺りを見回して、あれ?どうして?と言う顔。
そんな幼子の頬を撫でて、さあ行くぞ、と歩き出した。

歩く速度は気を付けて。
そうしないと、直ぐに幼子を置いて行ってしまう。
────と、気をつけている筈なのに、


まって、まって。
おにいちゃん、まって。


ふっと聞こえた声に隣を見れば、其処にいる筈の幼子はいなくて、後ろで駆け足。
立ち止まって待っていれば、幼子は一所懸命に駆けて来て、隣に来ると兄を見上げる。

可愛くて堪らない。
鼻先を近付けて撫でてやれば、くすぐったそうに笑う。
頭の上に土がついているのを見付けて、拭い取ってやった。


なあに?


きょとんとした顔で見上げて来る、丸い大きな瞳。
なんでもないよと撫でてやれば、幼子はそれだけで嬉しそうな顔をする。


ねえ、おにいちゃん。
きょうはどこにいくの?


今日は何処に連れて行ってくれるの、と。
問いかける幼子に、そうだな、何処に行きたい?と聞いてみると、


うーんとね。
まませんせいのところがいい。


いつもおいしいご飯をくれる人を、幼子はきちんと覚えていた。
ちょっと遠いぞ、と言うと、だいじょうぶ、と幼子は言った。

時々隣を確認しながら、時々後ろを振り返りながら、一緒に歩く。
今日はなんだか随分と人が多いから、ちょっと回り道をしよう。
ちょっと大変な道だけれど、大丈夫か、と言うと、だいじょうぶ、と幼子は言った。

いつもは真っ直ぐ通る道を、途中で曲がって、細い道へ。
後ろを幼子がちゃんとついて来ている事を確かめながら、危ないものがない事を確信しながら進む。


あっ。


声を上げた幼子の前には、壁が一つ。

後ろを振り返って、幼子の顔を見た。
どうするの?と言う顔で見詰めて来る幼子に、よく見ていろよ、と言って、体を低くする。
しっかりと距離を測って、地面を蹴って、高くジャンプ。
壁の上に降りて、残した幼子を見れば、ぱちくりとした表情で此方を見上げている。

おいで、と言うと、幼子はおろおろ、ぐるぐる。
いつものように兄について行こうと、壁に近付いてみるけれど、垂直の壁は歩けない。


おにいちゃん、おにいちゃん。


ミィ、ミィ、ミィ。
壁に前足をくっつけて、兄を呼ぶ。
かりかり、かりかり、引っ掻く音。


おにいちゃん、まって。


置いて行かれてしまうんじゃないかと、不安そうに兄を呼ぶ。

大丈夫、待っているから。
大丈夫、飛べるから。
だからおいで。

壁の上からそう呼んでみるけれど、幼子はじっと兄を見上げて呼ぶばかり。
後ろの足が、ぴょん、ぴょん、と跳ねる動きをするけれど、壁の半分も登れない。


まって、まって。
おにいちゃん。
まって、おいていかないで。


終いには、ぺたんと座り込んで。
ミィ、ミィ、ミィ、と声ばかり一所懸命に大きくなる。
置いて行かれたくなくて、一人ぼっちになりたくなくて。

仕方ない、と飛び降りる。
幼子のいる方へ。


おにいちゃん、おにいちゃん。


直ぐに幼子は駆け寄ってきて、すりすり、体を寄せて来る。
どうやら、この壁は、この幼子にはまだまだ早い道らしい。
ぷるぷる震える小さな体に、随分、怖がらせてしまったなと思った。

でも人の沢山いる道に戻るのは危ないから、やっぱりこの道を通るしかない。
かぷ、と幼子の首の後ろを噛んで持ち上げる。
ぷらん、と幼子が宙ぶらりんになって、あれ?お兄ちゃん?と呼ぶ声がしたけれど、今返事をしてやる事は出来ない。
そのまま地面を蹴って飛び上がり、室外機を階段代わりにして、もう一度ジャンプ。
壁の上に着地した。


すごい、おにいちゃん。


そう言った幼子は、まだ兄に咥えられたまま。
壁の反対側を除けば、上った時と同じ高さがあって、幼子ががち、と固まったのが判った。

着地地点をよく探して、よく選ぶ。
一人で降りる訳ではないから、うっかり幼子に怪我をさせてしまわないように気を付けて、ジャンプ。
一段、二段、三段と着地して、四段目で地面に降りる。

幼子を地面にそっと下ろすと、幼子はぷるぷると体を震わせた後、きらきらとした目で兄を見上げた。


すごい、おにいちゃん。
すごい。


ぴょんぴょんと兄の周りを飛び回りながら、幼子は言った。
無邪気なその姿が微笑ましくて、兄はくすりと苦笑する。

はしゃぐ幼子の頭に、こつん、と額を押し上げた。
大丈夫だと言っていたのに、全く仕様のない子だ。
でも、そんな幼子が可愛く思えてしまうから、自分も仕様のない兄だ。

鼻の頭で幼子の頭を撫でて、さあ、行くぞ、と踵を返す。


まって、おにいちゃん。


直ぐに後を追う気配。
ちらりと後ろを振り返れば、短い足で一所懸命ついて来る幼子。

ほら、足下を見ないと転ぶぞ、と言った傍から、幼子はころんころんと転がった。




2013/02/05

完全に猫なレオンと子スコに萌えた。
「おにいちゃん、まって」が仔猫スコの口癖です。