貴方の夢を守りたい


初めは、聞き間違いだと思った。
そんな言葉が彼の口から紡がれると、思ってもいなかったから。

それを聞いたのは、聖域に近付いていたイミテーションの大群と戦った翌日であった。
戦闘中、重傷を負ったも関わらず、前線で戦い続けていたスコールは、無理が祟って夜半に発熱し、運良くそれを発見したジタンによって、急いでセシルが呼ばれた。
ケアルとエスナで処置を施した後は、バッツが一晩つきっきりで看病する事となった。
朝になると、スコールの苦しげに喘いでいた呼吸は落ち付いたものの、発熱は如何ともならない状態が続き、彼の意識がようやく戻ったのは、その日の夜になってからだった。

────“あの言葉”をティナが聞いたのは、スコールが熱を出している、日中の事。
束の間驚いたティナであったが、その時、微かに開いた瞼の隙間から、酷く頼りない青灰色を見て以来、彼女はずっとあの言葉と色を忘れられずにいる。



じぃ、と見詰める藤色の瞳に、スコールは気付いていた。
それに対して眉根が寄るのは、スコールにとっては致し方のない事である。

目は口ほどに物を言う、と言うが、スコールはその目の物言いとやらを正確に測る事を苦手としている。
そもそも、人と目を合わせる事が好きではないから、物言いを読む為に、相手と目を合わせる、と言う事が、彼には相当なハードルの高さを誇っていた。
では此方から聞いてみてはどうか、となると、それも更にハードルが上がるだけ。
結局、スコールは、突き刺さるようにじぃと見詰める視線をどうする事も出来ず、眉間に深い皺を寄せて、静寂の中でまんじりともしない時間を過ごすしかない。


(……どうして、こうなってるんだ?)


現在、秩序の聖域には、スコールとティナ以外のメンバーがいない。
スコールはローテーションの待機番、ティナは昨日混沌の戦士と戦った事に因る疲労からの回復の為、聖域に構えられた屋敷に居残る事になった。

居残り自体に、スコールに不満はない。
聖域はコスモスの結界によって庇護されているが、秩序の戦士達にとって重要な拠点となるホームを無人にするのは、余りにも無防備すぎる。
昨日の疲労を引き摺るティナに、一人で留守を預けるのも不安だし、念の為にもう一人────魔法を得意とするティナとは逆となる、接近戦を主とする者が残るのも、無難な配置だと思う。
単独行動云々で問題視される事が多いスコールだが、戦術の重要性は理解しているから、今日の決定に文句を言う気はなかった。

だが、どうにも気まずい。
と言うか、突き刺さる視線が気になって仕方がない。


(言いたい事があるなら言えよ…)


屋敷の広いリビングダイニングルームの一角。
普段、食卓に使っているテーブルの端に座っているスコールと、其処から二席空けて座っているティナ。
ティナの前には、ジタンが出掛ける前に淹れて行った紅茶がある。
因みに、スコールの前には、ミネラルウォーターが入っていたグラス(今は空)。

モーグリの絵が描かれたティーポットは、ティナのお気に入りの食器だ。
さっきまでティナは、その絵を白い指先でなぞって遊んでいた。
その時は、スコールは特に何を気にする訳でもなく、書庫から持って来ていた本を読んでおり、沈黙は今と変わらないものの、気まずさや息苦しさと言うものは感じていなかったように思う。

スコールの視線は、手元の本を見詰めている────が、最早其処に記された文章を読んではいない。
そうするだけの集中力がないからだ。
スコールの意識は、完全に、傍らで自分を見詰める少女へと傾いている。

何か用か、とこっちから聞く所、なのだろうか。
しかし、以前同じような状況になった時、見詰める視線に「なんだ」と聞いたら、ティナは怯えたように首を横に振って「なんでもない」と言った。
明らかになんでもないようには見えなかったが、そう言われてしまえば、スコールがそれ以上言及出来る訳もなく、より一層気まずい雰囲気に襲われる事となった。

またあの時みたいな空気は御免だ、とスコールが溜息を零しかけた時、


「ねえ、スコール」


思いも因らない方向から声が聞こえて、スコールは一瞬、その声が誰のものか判じ兼ねた。
首を巡らせてみれば、当然、其処にはティナがいる。

まさか、彼女の方から自分に声をかけてくるとは、思っていなかった。
そんな驚きから、顔を上げたまま固まっていたスコールに、ティナは尋ねた。


「スコールって、お姉さんがいるの?」


────何処で訊いた。
そんなスコールの胸中を知ってか知らずか、ティナは続ける。


「この間ね、スコールに言われたの。何処に行ってたの、お姉ちゃんって」
「…………は?」


ティナの言葉に、スコールはぱちぱちと瞬きを繰り返す。
何の話だ、と言うスコールを見て、ティナは更に続けた。


「探してたのに、待ってたのにって。そう言ってたの」
「……知らない。そんな事は言った覚えがない」
「うん、そうだと思う。あの時、スコール、熱があったから」


熱────と言われて、数日前に確かに酷い高熱に魘されていた事を思い出す。
怪我に因る発熱で、まる一日意識が戻らない程の重症だった。
熱が下がるまでの間、セシルやバッツ、そしてティナが自分の看病をしてくれていたと、後でジタンから聞いた。

その時、何か言ったのだろうか。
しかしスコールは、高熱に魘されていた時の記憶が全くない。
一度として目を覚ましたような覚えもなく、ティナが自分の看病をしていた事さえ、ジタンから聞かされなければ知らなかっただろう。


(いや、今はそんな事より────)


何か言った、何を言ったと言う事への確かな情報については、後で考えるとして。


「スコールがちょっとだけ目を覚ました時、看病していたのが私で。スコール、私を見て、お姉ちゃんって言ったの」
「……知らない」
「それからね、小さな子供みたいに、ぽろぽろ泣き出して」
「……」
「怖い夢を見たみたいに、泣き止まなくって。バッツを呼んだ方が良いかなって思ってたら、私の手を握って、もう何処にも行かないでって言ってたの」
「……」
「それで、こうやってね、ぎゅってスコールの手をぎゅって握ってあげたら、」


ティナは席を立つと、スコールの隣の椅子に移動した。
途端に近くなった距離に、スコールが微かに椅子を引いたが、それ以上逃げる前に、ティナの白い手がスコールの手を捉まえる。

ぎゅ、と柔らかな力が、スコールの手を包んだ。


「スコール、凄く嬉しそうだった。でも、手を離そうとすると、また不安そうな顔をするの。だから私、スコールが眠るまで、ずっとスコールの手を握ってた」


ティナは、握り締めたスコールの手を見詰めながら言った。

彼女の手が、今自分の顔に向けられていなくて良かったと、スコールは思う。
自分がどういう顔をしているのかは判らなかったが、額やら頬やら首やらが酷く熱い。
掌も熱いような気がするので、もしもグローブを嵌めていなかったら、ティナの手にもその熱さが伝わっていたかも知れない。


(…なんだ、これ。なんの拷問だ?)


ティナに触れられているとか、こんなにも距離が近いとか、それもスコールには少々顔が引き攣りそうになるのだが、今は距離感云々よりも、彼女が滔々と語る話が何よりもスコールに甚大なダメージを被る。

ティナが嘘を吐けない性格である事は判っている。
そもそも、嘘でこんな事をスコールに言おうとするような人物ではないし、他人を揶揄って貶めようとするような性質の悪さも持ち合わせていない。
だが、それはつまり、彼女が今スコールに話して聞かせている事が、事実であったと裏付けるようなもので。

高熱を出したのも、それで仲間達に酷く迷惑をかけたのも事実だ。
しかし、熱を出したのはあれきりだし、無理をするなとジタンとバッツに散々言われたので、最近は単独行動も控えるようにしている。

─────だと言うのに、これは一体、何に対する罰なのか。


「ね、スコール」


きゅ、と柔らかく手を握られて、スコールの意識が現実へと浮上する。
はっと我に返ってみると、藤色の瞳が触れそうな程近くにあった。


「……っ!?」
「あのね、」


思わず息を飲んだスコールを、ティナはじっと見詰めている。
スコールの手を握る彼女の手は、振り払おうと思えば出来るような力しか入っていないのに、どうしてか、そうする事はタブーであるように思えてならない。

ティナは、藤色の瞳をそっと細め、微笑んだ。
それはまるで、不安に泣く小さな子供を安心させようとする、母親のような笑顔。


「また怖い事や不安な事があったら、いつでも言ってね。お姉ちゃんが守ってあげるから」


助けて貰うとか。
守られなければいけないとか。
そう言う事は、もっとそれが必要な誰かに言えば良いと、スコールは思う。

思うのに、その言葉は、何一つ音にはならない。



黙ったまま、何も言わないスコールに、ティナもそれ以上何も言わなかった。
ただ、握った手から伝わる温もりと、もう少しだけ離れたくないと思った。




2013/06/08

6月8日でティナスコ!……の筈。
どうしてもティナママが好きです。そんなティナママに無意識に甘えるスコールがいい。