レインドロップ・ファンタジア


朝から雨が降っていて、外に出る事が出来ない。
仕方のない事ではあるけれど、つまらない、と思う気持ちは否めない。
傍らの子供の方は特にその気持ちが強いらしく、降りしきる雨を映す窓の向こうをじっと見詰め、やまないかなぁ、と時々呟いていた。

窓の向こうには、広い広い庭がある。
地面は柔らかな土と草で覆われていて、走り回って転んでも痛くない。
綺麗な色を咲かせた花があちこちにあって、色々な匂いが風に乗って運ばれて、蝶やバッタがよく遊ぶ。
子供は今、それを追い駆けて捕まえる練習をするのが楽しみで、一刻も早く、兄のように上手に捕まえられるようになりたいと言っていた。
けれど、雨が降っていては庭に出る事は出来ないし、出たとしても蝶もバッタも何処にもいない。
だから雨の日はつまらない事だらけだった。

ぺち、ぺち、ぺち、と幼子の前足が窓を叩く。
あけて、あけて、そとにでたい、と幼子は言うけれど、窓はウンともスンとも言わなかった。
雨が止んで、空に太陽が顔を出さない限り、きっと窓は開かないだろう。

しばらく窓を叩き続けていた幼子だったが、窓がちっとも開かない事を知って、拗ねた表情で窓に背を向けた。
小さな足がつるつるとよく滑る地面を走って、兄の下へ。
ふかふかとしたクッションの上にいた兄の傍へ辿り着くと、幼子はよいしょ、とクッションの上に昇る。


お兄ちゃん、雨だよ。
お庭、お池でいっぱいだよ。


つまんないよぅ、と拗ねた顔をしている幼子。
雨が止むまでは仕方ないよ、と額をこつんと当てて宥めてやる。

ほんの少し前まで、外の世界が怖くて怖くて仕方がなかったのに、いつの間にか幼子は、広くて明るい外の世界に夢中になって、外遊びが好きになった。
かく言う自分もそれは同じで、仕切りのない広い世界はとても居心地が良い。
美味しいご飯も水もあるし、暖かい毛布もあるから、すっかり気に入った。
それに何より、この世界に自分達を連れ出してくれた大きな生き物達の事も、気に入った。

ぽふん、ぽふん、ぽふん。
子供が前足でクッションを叩く度、柔らかい音が跳ね返る。
子供が力を入れてクッションの小山を押すと、小山は沈んで、子供はころんと前回りして床に落ちた。
逆さまになった子供の姿が可愛くて、くすくすと笑っていると、子供はムッとした顔で起き上がる。


んぅー……


子供は頭を低く伏せて、ゆらゆら尻尾を左右に揺らし、


えいっ!


後ろ足で地面を蹴って、大きくジャンプ。
クッションに乗った兄の顔に向かって飛び掛かった。

しかし、惜しい距離で子供の狙いは届かず、小さな体はぽふん、とクッションに落ちる。
そのままずるずると床に落ちて行った子供は、クッションの下でぱちぱちと瞬き。
それから、もう一度伏せて、ジャンプして、クッションの小山にぽふんと落ちる。
ぴこん、と立った耳が、子供が楽しんでいる事を教えてくれた。

朝からの雨続きで、退屈そうな顔ばかりしていた子供は、新しい遊びに夢中になっている。
それを見て、これなら今日はもう大丈夫だな、と思って、クッションの上でのんびり目を閉じようとした────その時。

ゴロゴロゴロ、と大きな音がして、硬直した。
その傍らで、今正にジャンプしようとしていた子供が、硬直して転ぶ。


なに、なに、なに。
いまの、なぁに。


きょろきょろと子供が周りを見回して、音の発信源を探す。
けれど、此処で鳴っている、と言うものが見付からなくて、子供の目は恐怖で一杯になった。
うんしょ、うんしょと急いでクッションを登って、固まったままの兄の体に身を寄せる。

ゴロゴロゴロ、ともう一度音が聞こえた。


なあに、なあに。
おにいちゃん、いまの、なあに。


判らない、こんな音は、今まで聞いた事がなかったから。
何処から聞こえているのかも、一体何の音なのかも、判らない。

ゴロゴロゴロ、と言う音が、どんどん大きくなって行く。
音を鳴らせるものが近付いているのかも知れない。
身を寄せた子供が、ふるふると体を震わせている事に気付いて、いつまでも固まっている場合ではないと気付く。
子供を怖がらせるものが近付いているのなら、子供を守ってやらなければ。

若しも何かが襲って来るのなら、警戒するべき場所は二つ。
庭に通じる窓が一つと、他の場所へと通じる扉が一つ。
よくよく耳を欹てれば、ゴロゴロと言う音は庭の方から聞こえて来たような気がする。

雨靄で暗くなった窓の向こうを睨む。
いつ何が来ても、直ぐに飛び掛かって行けるように。

じっと睨んでいると、ゴロゴロゴロ、と言う音がまた鳴って、近付いている事が判った。
カタカタカタ、と窓枠が鳴って、子供がクッションに頭を伏せて尻尾を縮める。
じりじりと、何か良くないものの気配が感じられて、頭を低くして飛び掛かれる体勢で、侵入者を待つ。

暗い窓の向こうが、一瞬、眩しく閃いた。
その次の瞬間、─────ガガァアアアン!!とこの空気を劈く凄まじい音が響く。


ふえぇぇえっ!!


子供の泣く声を聞き留めるよりも早く、子供を掴まえて飛び退いた。
柔らかいクッションの上を離れて、潜り込める場所を探す。
つるつるとした地面に足を取られて、何度も同じ場所で足を動かしながら、滑り込んだのは狭くて暗い棚の裏。

あれは、駄目だ。
あんなに大きな音のするものは、近付いては行けない。
それは理屈ではなく、本能で感じ取った警告だった。

地面に下ろした子供が、がたがたと震えている。
同じように、自分の体も知らない内に震えていて、体が思うように動かなくなっていた。
そんな自分達を嘲笑うように、ゴロゴロゴロ、と言う音が鳴る。


やだ、やだ、やだぁ。
おにいちゃん、やだ、あれ、やだぁ。


こわい、こわい、と泣きじゃくる子供。
いつでも守ってくれる兄に、子供は助けを求めている。

けれど、動けない。
この子を怖がらせるものから、この子を守らなくちゃと思うのに、足が竦んで動かない。
空気を劈く凄まじい音が響く度、びくん、と体が固まって石になる。
そんな兄の姿に、子供は益々不安になって、泣きじゃくる。


おにいちゃん、おにいちゃん。
こわいよ、やだよ、おにいちゃん。


泣きじゃくる子供を落ち着かせてやらなくちゃ。
傍にいるから大丈夫だよと、泣き止ませてやらなくちゃ。
そう思っているのに、ゴロゴロゴロ、と音が鳴る度、動けなくなる。

誰か、だれか。
だれか、たすけて。

そんな声が届いたかのように、ガチャリ、と扉が開かれる。


「スコール、レオン、大丈夫?……あら?」


聞こえた声は、自分達を外の世界に連れて来てくれたものだった。
子供と同じ、綺麗な澄んだ色の瞳をした、あの生き物の声。


「スコール、レオン?何処にいるの?」


生き物が何度も呼ぶ言葉は、連れて来られた時に付けられた、名前だった。
スコールが子供で、レオンは兄である自分の名。

ここにいる、と答えた声は、ゴロゴロゴロ、と言う音に掻き消された。
代わりに、助けを求める子供の声が繰り返される。
その声を聞いて、生き物は棚の裏側に隠れた自分達の存在に気付いた。

微かに光が差しこんでいた隙間に陰が差して、澄んだ瞳が蹲っているものを見付けて、微かに和らぐ。


「あらあら、そんな所に入っちゃって。怖かったのね」
「おーい、レインー。スコールとレオン、どうだ?大丈夫か?」


優しい顔をした澄んだ瞳の向こうから、もう一つ声がした。


「ん?レイン、そんな所で何してるんだ?」
「スコールとレオンが此処にいるのよ。雷が怖くて、逃げ込んだのね」
「ああ、成る程。そっかそっか。スコール、レオン、俺達が来たからもう大丈夫だぞ。こっちにおいで」


おいで、と呼ぶ声に応えなくちゃと思うけれど、ゴロゴロと言う音は相変わらず鳴っていて、竦んだ足が動かない。
兄が動かないから、子供も動けないまま怯えていて、兄の後ろでぺたりと伏せて蹲る。

出て来ないなあ、と言う声がして、動かせる?と確認する声。
よし任せろ、と言う声の後、狭くて暗かった隙間の壁が、ゆっくりと動き始めた。
そんな事をしたら隠れているのが見付かるじゃないか────と益々硬直していると、


「レオンもスコールも、怖かったね。ごめんね、もっと早く来れば良かったわ」
「ありゃりゃ、どっちもカチコチじゃないか。今日の雷は特に物凄いし、無理もないか」


白くて細い前足と、大きくて確りした前足が伸びて来て、掬い上げられる。
よしよし、と柔らかく喉や背中を撫でられて、少しずつ、硬直していた足が解れて行くのが判る。

けれど、ゴロゴロゴロ、と音が鳴って、窓の向こうが白く光る。
ガガァアアン!!と大きな音が鳴って、また動けなくなった。


「よしよし、怖かったな。でも、もう大丈夫だぞ。俺とレインが一緒だからな」


ぐりぐり、と額と額が押し当てられる。
黒くて長い毛が鼻の頭をくすぐって、くしゅん、とくしゃみをしてしまった。
それを見た緑色の瞳をした生き物が、ありゃりゃ、と目を丸くする。


「寒いのかな。震えてるし」
「雷が怖いのもあるんでしょうね。あっちの部屋で暖かくしてあげましょう」
「そうだな。よし、急ごうぜ」


緑の瞳の生き物と、蒼い瞳の生き物と、それぞれに抱かれて、扉の向こうへ。
ゴロゴロと言う音は相変わらず聞こえていて、時々、空気を劈く音が響く。
その度に体がかちんこちんに凍り付いて、その度、大丈夫、大丈夫、と優しい声が降ってくる。

別の部屋に連れて行かれて、柔らかいクッションの上に降ろされて、クッションごとふかふかの毛布で包まれる。
生き物達はクッションを真ん中に挟んで座って、毛布の中にいる自分と子供の頭を撫でた。



─────ゴロゴロゴロ、と言う音は、まだ聞こえている。
窓の向こうでは、時々光が走り抜けて、それを追うように大きな音が鳴り響く。

でも、それでも。
撫でてくれる温もりが心地良くて。


おにいちゃん、おにいちゃん。


子供の呼ぶ声に、隣を見れば、ぴったり身を寄せる子供がいて。


あったかいね、おにいちゃん。


すり、と摺り寄せる体は、もう震えていなかった。





2013/07/14

ラグナとレインに引き取られた猫レオ子スコでした。

野良と違ってペットショップ(温室)で育ったので、雷とかもあまり免疫がない二匹。
ラグナとレインに守られて、幸せになれば良い。