君の記憶で染まる世界で生きていく


二人きりで、何処かに行きたいな。
突然のレオンの言葉に、そうだな、と言う返事をすると、嬉しそうな笑顔が返ってきた。


「何処に行きたい?」


訊ねて来たレオンの手には、本屋で買って来たのか、旅行雑誌があった。
テーブルの上にも、発行元を問わずに様々な旅行雑誌が詰まれており、国内は勿論、海外の案内雑誌もある。
言葉の壁なんてものは、レオンにとっては大した壁にはならない。
大学を卒業後、海外を飛び回る仕事をしていたから、英語は勿論、挨拶や基礎会話程度であれば、10ヶ国語位は余裕で話せるのではないだろうか。

ほら、これ、とレオンが雑誌をスコールに見せる。
其処には如何にも南国と言った風の写真が載せられており、お薦めプランが綴られている。


「ホテルがバンガローで、それぞれにプールもついてる。海も近い」
「……うん」
「大通りも近いから、食事も色々楽しめそうだ。ああ、バンガローにキッチンがあるから自分で作る事も出来る」
「…ふぅん」
「バーベキューセットも貸出してるそうだ」


殊更に楽しそうに、嬉しそうに語るレオン。
スコールは相槌を打ちながら、そんなレオンの話を聞いていた。

レオンの顔はとても穏やかで、安らかで、幸せに満ちている。
それを見ているだけで、スコールもなんとなく、自分が幸せの中にいるような気がした。
そして、それは強ち間違っていなくて、けれど少し、違う。

窓の向こうで、鳥が鳴いている。
なんと言う名前の鳥だったのか、レオンに教えて貰った筈だが、スコールはもう覚えていない。
レオンから聞く話に興味がない訳ではないのだけれど、やはり、動物そのものに興味がないので、記憶には長く残っていてくれないようだった。
恐らくレオンの方も、スコールに鳥の名前を教えた事は、覚えていないだろう。


「水着、あったかな。ないなら、行く前に買わないとな」
「向こうで買えば良いんじゃないのか。あるだろ、近くに。そういう場所なんだし」
「売ってはいるが、サイズの規定がこっちと違うからな。丁度良いサイズがないかも知れない。こっちで買ってから持って行った方が、失敗しなくて済むぞ」
「……そうか」


仕事柄、色々な所に足を運び、自分の目で見て来たレオンが言うのだから、間違いではないだろう。
素直にスコールが頷くと、じゃあ来週にでも、とレオンは言った。
性急過ぎるとスコールが思う事はなく、もう一度こくんと頷けば、レオンはやはり嬉しそうに笑った。

こっちも良さそうだぞ、とレオンが別の雑誌を開こうとする。
其処で、スコールのポケットの中で、携帯電話が鳴った。


「…ちょっと」
「ああ。友達か?」
「……ん」


そうか、と言ってレオンは雑誌を開いた。
スコールは二人で座っていたソファを離れ、リビングを出る。

廊下とリビングを隔てる扉には、大きな覗きガラスがあって、向こう側の相手の姿を見る事が出来る。
スコールはガラスの向こうのレオンを見ながら、携帯電話の通話ボタンを押した。


「……もしもし」
『もしもし、スコール?』
「…ああ」


今大丈夫か、と訊ねて来る電話の主は、ラグナだった。
レオンとスコールの実の父親であり、大会社の社長を務めている。
レオンは、大学を卒業後、直ぐに父の会社に入社し、その手腕を発揮して、めきめきと業績を上げていた────一年前までは。

電話の向こうの父の声は、とても消沈していた。
無理もない事だと、スコールは知っている。


『レオン、どうだ?落ち着いてる?』
「ああ。昼間は、一応。夜になると、まだ判らない」
『どんな感じなんだ?』
「……眠れない事がある。眠っていても、朝になったら酷い顔をしてる時がある」


スコールの言葉に、そっか、と父は小さな声で言った。

覗き窓から見えるレオンの姿は、スコールが幼い頃から見て来た兄のものと、特に変わらない。
パソコンに向かって書類を書いたり、考え事をしている時と同じ表情で、彼は雑誌を読んでいる。
視線に気付いたのか、顔を上げたレオンが、扉の向こうのスコールを見る。
ひら、と手を振るレオンに、スコールも小さく手を振った。

電話の向こうで、父が潜めた声で言う。


『あのさ、スコール。レオンの事、お前にしか頼めないから頼んじゃったけど。お前は大丈夫か?』
「問題ない」
『本当か?無理するなよ』
「大丈夫だ。それより、レオンが海外旅行に行こうって言ってる。行っても良いか」
『え?───ああ、うん、えーと……』


電話の向こうで、がたがたと騒がしい音がする。
スコールは、のんびりと父の返事を待つ────つもりだった。

徐にソファから立ち上がったレオンが、扉へと近付いて来る。
カチャ、と扉を開けると、レオンは何も言わずにスコールの腕を掴んで、抱き寄せた。
突然の出来事であったが、スコールの表情は平静としたまま、レオンの背中を抱き締める。
もしもし、と父の声が聞こえたが、後でかけ直した時に謝ろう、と決めて、通話終了のボタンを押した。

ぷつ、と通話が切れて、父の声が聞こえなくなると、レオンは言った。


「何処に行ったのかと思った」


先程まで同じ部屋にいて、電話だから、と言って席を離れたスコールの事を、彼はもう覚えていない。
スコールは微かに震えるレオンの背中を、あやすように撫でる。


「何処にも行かない。ずっと一緒だ。約束しただろ」
「……約束……」
「俺が、子供の頃に」
「…ああ、うん。そうだな。約束した。ずっと一緒だって」


ずっと、ずっと。
大人になっても、ずっと一緒。

それは、スコールもレオンも、今よりもずっとずっと幼かった頃の、小さな約束。
その約束だけを、レオンはずっと忘れない。
大人になって、スコールと一緒にいる時間がないほど、海外を飛び回っていた事を忘れても、スコールと一緒に過ごした時間の記憶だけは、忘れなかった。

だから今のレオンの記憶には、スコールと共に過ごした時の記憶しかなく、スコールが傍にいない時の事は、ふとした瞬間にぷつりと消えてしまう。
だから、スコールがほんの少し部屋を離れている間に、自分が一人で何をして過ごしていたのかさえ忘れて、長い長い時間をスコールと離れて過ごしていたかのような錯覚を起こす。
そして、覚えていない筈なのに、大人になってからスコールの傍にいられなくなった事をまるで罪であったかのように感覚的に覚えていて、大慌てでスコールの姿を探すのだ。
だから夜も、目を覚ました時にスコールがいなくなってしまったりしないか心配で、彼は眠る事が出来ない。
一晩でも二晩でも起き続けて、若しもスコールが怖い夢を見て目を覚ました時、直ぐに慰められるように眠らずにいるのだと言う。
スコールが一人ぼっちで淋しくないように、傍にいて、直ぐに抱き締めてやれるように。

何処にも行かない、ずっと一緒。
その言葉がレオンを苦しめて、その約束がレオンをこの世界に繋ぎ止めている。


「ほら、レオン。旅行の話。さっきの」
「ん……ああ」
「何処に行くんだ。俺、あんたが行きたい所なら、何処でも良い」
「そうか?俺も何処でも良いんだけどな。お前と一緒に行けるなら」


仕事をしていた時、一人で飛び回っていた世界の事を、レオンは殆ど覚えていない。
知識として覚えた事は記憶しているけれど、その地を自らの足で踏んだ事を、彼は思い出せない。
今のレオンにとって、スコールと共に過ごす世界だけが、彼の全てなのだ。


「じゃあ、さっき言ってた所。行こう」
「バンガローの奴か。ああ、良いな。電話で予約しておこう。他にも観光スポットの事が書いてあったから、行きたい所がないか見ると良い」
「……レオンは、一緒に行くのか」


行きたい所に、一緒に行ってくれるのか。
訊ねると、レオンは「ああ」と頷いて、嬉しそうに笑った。

スコールに、行きたい所がある訳ではない。
けれど、若しも何処かに行くのなら、その時はレオンと一緒が良いと思う。
レオンの記憶がとか言う話ではなくて、ただ純粋に、レオンと一緒にいられる事が、スコールは嬉しい。



レオンが心の一部を失くして帰って来た時、それが自分の所為だと知って、戸惑った。
けれど、自分だけが欠けてしまったレオンの心を支えられるのだと知って、嬉しかった。

きっと誰もが、レオンの欠けた心が癒える日を待っている。
自分も待っている、待っているけれど。


自分の顔を見て、酷く嬉しそうに笑う彼の顔が好きだから、もう少しこのままでいたいと思う。




2013/08/08

88の日で、『レオンが病んでいて、スコールが健常者なほのぼの』とのレオスコリクを頂きました。
シリアスのほのぼのの隙間になったが、良かったのだろうか。
無意識に弱ってるレオンさんは書いてて楽しかったです。