繋いだ手に閉じ籠る



秩序の戦士だとか、混沌の戦士だとか、神々の闘争だとか。
元の世界に帰るとか。

正直、どうでも良かった。




ある日、秩序の聖域が、俄かに騒がしくなった。
仲間の一人が姿を消したのだ。

その人物は、リーダーの忠告を無視して、度々単独行動をしていた。
いなくなったと判明する数日前にも、彼は単独で秩序の聖域を離れていて、そうするだけの実力がある人物だったから、誰も気にしていなかった。
ああまたか、懲りないなあ、後でリーダーと揉めるだろうから、仲裁してやらないと。
そんな程度で暢気に考えていたら、一日、二日、三日四日と時間が過ぎて、いつまでも戻らない彼に、流石にこれは妙だと気付いた。

まさか彼が敵に負ける事などあるまいと、秩序の戦士達は方々を探し回ったが、一向に彼の姿は見えない。
若しも彼が死ぬ事があれば、秩序の女神がその気配の消失に気付く筈だ。
戦士達が彼女に問えば、気配は確かに、この世界に残っていると言う。
けれども、彼の姿は見付からず、どれだけ探し回っても、その影さえも見付ける事が出来なかった。


同じ頃、混沌の地で、奇妙な出来事が起きていた。
混沌の戦士が一人、忽然と姿を消したのだ。

その人物は、混沌の戦士の中では、云わば“穏健派”とでも言うのだろうか。
魔人や幻想のように、理由もなく秩序の戦士と戦う事をせず、剰え一部の秩序の戦士とは親しげに会話を交える事もあった。
本質は秩序として召喚されるべき戦士だったのではないかと、口にしたのは誰だったか。
彼はその言葉に、「さて、どうかな。此方に召喚される性質があったから、混沌に呼ばれたんじゃないか」と言っただけで、要するに、どちらでも構わなかったと言う事だ。
秩序の戦士と混沌の戦士が総力戦でぶつかる時でさえ、彼はその場に向かう事はしない。
戦いの結末はどうでも良い、とでも言うように。

そんな彼が固執する人間が、秩序の戦士の中にいた。
それは隠された関係ではなく、時には彼の前で、己の陣営である筈の混沌の戦士に剣を向ける事もあった。
大樹が何度か裏切り者として断罪しようとしたが、彼はそれを力付くで退けた。
“浄化”を知っている彼は、断罪される事で全てを忘却する事を拒んだのだろう。
そして、彼はあくまで“混沌の戦士”としてこの世界に属し、一人の秩序の戦士に固執しつつも、寝返ろうと言う気配は見せようとはしなかった。

だから彼が姿を消した時、ああ遂に寝返ったか、と誰もが思った。
彼が殊更に固執していた秩序の戦士の下に、遂に行ったのだと。


秩序の戦士達は考えた。
殊更に、彼に固執していた混沌の戦士がいた事を。
彼は、混沌に召喚された事が疑問に思える程、秩序の戦士達に対して柔らかい態度で接していた。
己の味方である筈の混沌の戦士に剣を向けこそすれ、秩序の戦士には絶対に剣を向けない。
きっと夢想の父や、騎士の兄と同じで、何かの間違いで混沌に召喚されてしまっただけなのだと、いつしか秩序の戦士達も思っていた。

若しかして、あの混沌の戦士が、彼を誑かしたのではないか。
そんな事は有り得ない、と若い戦士達は言ったが、他に可能性が考えられないのも事実だった。


秩序の戦士達は、混沌の戦士達と相対し、彼を返せと言った。
混沌の戦士達は、知らない話だと言った。

────これは奇妙な事だ、と混沌の戦士達は思った。
秩序の戦士の下に行ったとばかり思っていた男を、秩序の戦士達は知らないと言う。
果て、それでは彼は、そして姿を眩ましたと言う秩序の戦士は、一体何処へ。




秩序の戦士達と、混沌の戦士達が相対していた頃。
一人の青年と、一人の少年は、海にいた。
浜辺の近くの転送石は、粉々に砕けて散っている。
これって壊れるんだな、と言った少年に、青年が、試してみたら壊れた、と言った。

これからどうしようか、と青年が言った。
彼は少年に、この世界がいつまでもいつまでも繰り返されている世界だとは、伝えなかった。
言えば彼は傷付いて、絶望して、泣いてしまうだろう。
折角二人で過ごせる場所に辿り着けたと思ったのに、と。

世界は何度も何度も繰り返される。
秩序の女神が敗北し、秩序の戦士達は浄化され、この世界で過ごした日々を忘れる。
青年は、それを何度も何度も見続けて、少年が何度も何度も浄化されるのを見て来た。
何度思いを繋げても、次の世界で少年は全てを忘れて目覚め、また一からやり直し。
気が狂いそうになる繰り返しを、青年は何度も何度も見て来た。

どうしようか、と言った青年に、少年は、あんたとずっと一緒にいたい、と言った。
何度も何度も繰り返された世界で、彼がその言葉を音にして伝えたのは、初めてだった。
青年は嬉しくて、少年を抱き締めた。

青年と少年が、手を繋ぐ。
良いのか、と言う言葉は、何度も何度も確かめた事だったから、もうどちらも言わなかった。
お互いの事しか見えないから、見たくないから、振り返りたくないから、此処まで来た。

青年は、少年の手を引いて歩き出した。
浄化の影響が及ばない場所がある事は、この世界をくまなく歩き回って、判明した。
それがこの小さな島に存在する、幾つかの深い深い歪の奥底だ。
其処まで少年を連れて行けば、もう秩序の女神が敗北しても、少年が浄化される事はない。
その代わり、輪廻の輪からも外れて、いつしか元の世界に戻る事も出来なくなると言う話だが、それこそ青年にとっては嬉しい話だった。
…あの世界の因果律が、これで壊れてしまうと判っていても、それこそ、青年が望む事だった。

そんな青年に対し、少年がどうして彼について行く事を決めたのか。
浄化が繰り返され、その度に全ての記憶を失った少年だが、人の心は時として、記憶よりも強く残る事がある。
思いを抱き、消され、また抱き、また消されと繰り返された心は、少しずつ蝕まれて行くようになる。
手に入れた筈なのに、手に入れて貰った筈なのに、もう一度逢う時には何も判らなくなる。
判らなくなるのに、感じるものがあって、また消えて、また感じてと、繰り返される。
元々が淋しがり屋な気質であった彼にとって、失う事を、繋いだ手が離れてしまう事を嫌う彼にとって、それは記憶になくとも繰り返し心を切り刻まれるようなものだった。
やがて彼の心は疲弊し、ようやく繋ぐ事が出来た手を、失わない為にはどうすれば良いのか考えるようになった。
いつの間にかその思考は、傭兵として培われた意識を塗り潰し、繋いだ手を失う恐怖に怯えるようになった。
この手を失う事が、その恐怖から解放されるのなら、それで良い。
けれど、秩序と混沌が争い続けるこの世界では、いつかどちらかの命が摘まれて、消える日が来る。
この手があれば、それだけで良いのに、彼が混沌で、自分が秩序にいる限り、それは絶対に叶わない。
だから全てを投げ捨てて、彼と手を繋いでいたいと、思った。



どれ程か、地上が随分と遠退いた頃。
とん、と少年が青年の背に身を寄せた。

此処まで来たら、引き返せない。
もう地上へは戻れない。
仮に戻ったとしても、その時にはきっと、世界は浄化されている。
青年の事も、少年の事も、秩序の戦士達は覚えていなくて、戦いを棄てた青年も、居場所はない。


望んでもいない宿命から、戦いの輪廻を。
自分自身で撒いた、運命の種を。

全て棄てて、二人は静かに目を閉じた。
繋いだ手が、いつまでも此処に在る事だけを、信じて。




いつかの未来、全てが失われた世界が来ても、きっと彼らは目を開けない。
ある筈だった未来が消え、あった筈だった過去が消えても、きっと彼らは気付かない。

繋いだ手から伝わるものだけが、彼らが求める真実だから。





2013/08/08

88の日で『ヤンデレオン&ヤンデレスコールで、メリーバッドエンド』とのリクを頂きました。
……ヤンデレ要素が見えなくなってしまった……