もふもふ包囲網


黒一色に塗り潰されていた世界が、ぱっと明るくなって、色付いた。
遠く近くに映る木々や山々、よく晴れて澄み渡った青空を映していた景色が、くるりと回転する。
濃茶色と蒼灰色が映り込んで、確認するように指先が近付いて、指先が何度か景色を押し隠した。

指が離れて青灰色が映ったかと思うと、またくるりと景色が回転し、微かに皺の浮いた手が映る。


「これで良いよ、父さん」


少年期と青年期の中間の声が聞こえ、三度目、くるりと景色が回る。
そうして、濃茶色の髪と、蒼灰色の瞳、まだ幼さを残す柔らかな輪郭を持った少年の姿が映る。


「おっ、ホントだ。サンキュな、レオン」
「どう致しまして」
「よーし、これでしっかり録って行くからな!後で皆で見ような」


少年────レオンの胸像を映していた視界が、少しずつ下がる。
レオンの全身像が映る距離を探しているのだ。

レオンの全身像が入る距離になると、彼の傍らに小さな子供の姿が映った。
今年で4歳になった、弟のスコールだ。
身長は兄の半分もない小柄な子供なのだが、濃茶色の髪や青色の瞳など、年齢が近ければきっと兄とそっくりだっただろう。

物怖じしない様子で此方を見詰める兄と違い、スコールは恥ずかしそうに兄の足の影に隠れている。


「どした〜、スコール。恥ずかしがってないで出ておいで〜」
「……」


促す声に、スコールはふるふると首を横に振って、兄の足にしがみ付く。
照れ屋さんだなあ、と笑う声に、スコールは益々恥ずかしがって、兄のズボンを引っ張って顔を隠してしまった。

レオンはそんなスコールの頭を撫でて、左手を差し出す。


「さ、行こう、スコール。お馬さんに乗るんだろう?」
「うん」


兄の言葉にこくんと頷いて、スコールはレオンの手を握った。
歳の離れた兄弟で、手を握り合って歩き出す。
その後ろ姿を、のんびりと追って歩いていると、ふと思い出したように、レオンが振り返って言った。


「父さん、転ばないように気を付けろよ」
「ああ、判ってる判ってる。大丈夫だから、レオンもちゃんと前向いてなさい」
「おうまさんっ、おうまさんっ」
「スコールも転ばないように気を付けなきゃダメだぞぉ〜────っとぉっ!?」


兄弟を映していた画面が大きくブレて、空を映した後、地面を垂直に映した。
あいてて、と言う声が零れた後、レオンがスコールの手を引きながら駆け寄ってくる。
足元だけが画面に映されて、「だいじょうぶ?」と言う幼い息子の声があった。


「言わない事じゃない」
「はは、悪い悪い」
「お父さん、おけが、ない?」
「うん、だいじょーぶだいじょーぶ。尻餅ついただけだから。さ、お馬さんに乗りに行こうぜ」


垂直だった地面が平衡になり、景色が持ち上がって、もう一度レオンとスコールを映す。
危なっかしいな、と呟くレオンに、もう大丈夫だよ、と言う遣り取りがあった。

後ろを気にしつつ、再びレオンは歩き出す。
スコールは兄と手を繋いだまま、ぴょん、ぴょん、とスキップしていた。
可愛いなあ、と言う声が漏れる。

お馬さんどこかなぁ、ときょろきょろと辺りを見回しながら歩くスコール。
足元の小さな段差や石に気付かないスコールを、レオンが危ないぞ、と注意しながら進む。
その足が、途中でぴたりと止まり、スコールがきらきらと目を輝かせて遠くを指差し、兄を見上げる。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん!しつじ!しつじさん!」


あそこ、と言って指差すスコールに、レオンがうん、と頷く。

兄弟を映していた画面が真横に動いて、広い丘を映す。
青々と茂る牧草が一杯に広がる其処には、あちらこちらに丸い毛玉が歩き回っていた。
ぐっと画面をズームアップしてみると、それは放し飼いにされているヒツジの群れで、皆のんびりと草を食んでいる。
冬が間近となったこの季節、ヒツジ達はすっかり綿毛を着込み、もこもこと膨らんでいる。

画面が元の位置に戻り、もう一度スコールとレオンを映す。
テレビでしか見た事がなかったヒツジの群れに、スコールの頬が興奮したように赤らんでいた。
そんなスコールとレオン前から、一頭のヒツジがゆっくりと近付いて来る。


「スコール、ヒツジさんが来たぞ」
「ふわっ、わっ」


レオンが言った時には、ヒツジは二人のすぐ近くに到着していた。
ヒツジの頭は、は今年で4歳になったスコールの頭と同じ高さにあった。
幼いスコールには、思いの外ヒツジは大きく見えて、驚いて思わずレオンの後ろに隠れてしまう。
けれども、怖いと思ってはいないようで、スコールはレオンの影から興味津々と言う様子で、目の前を横切るヒツジを観察していた。

すると、ヒツジはぴたり、とスコールとレオンの隣で足を止めた。
まるで「どうぞ」とでも言うかのように。

スコールはぱち、ぱち、とヒツジの横顔を見詰めた後、そぉっと手を伸ばした。
小さな手が、目の前のヒツジの体に触れて、もふっ、と柔らかく沈む。


「……!」


ぱっとスコールが手を引っ込める。
が、直ぐにもう一度、そおっと伸ばされた手が、ヒツジの体に触れた。

ふかっ、もふっ、と柔らかく返って来る感触に、スコールはきらきらと目を輝かせてレオンを見上げる。


「お兄ちゃん、すごい!しつじさん、ぽわぽわするの!」
「そんなに?」
「うん!ほら、ぽわぽわしてるの。あったかそう!」


興奮しきりのスコールに、レオンが良いなあ、暖かいんだろうな、と微笑む。
スコールは何度もヒツジに手を伸ばして、ふかふかの毛の感触を楽しんでいた。

しばらくヒツジと戯れる兄弟を映していたが、その画面端には、あるものが設置されていた。
それを見付けて、スコールに声をかける。


「スコール、ヒツジさんにご飯を食べさせてあげられるみたいだぞ」
「しつじさんのごはん?」
「────ああ、これか」


設置されていたのは、“ヒツジのおやつ 一袋100ギル”と書かれた手作り看板。
看板の傍には、四方30センチ程のボックス缶が置かれている。


「どうする?スコール。ヒツジさんにご飯あげるか?」
「あげる!」


やる気満々のスコールの元気の良い返事を聞いて、レオンが腰に巻いているウェストポーチから自分の財布を取り出した。
100ギルコインをコイン入れに投入して、ボックス缶の蓋を開ける。
中には、キューブ型の乾燥干し草を入れた袋が並んでおり、レオンは一つ取り出して、スコールに手渡した。

スコールが袋を開けると、その横からヒツジがひょこりと顔を出して来た。
くんくんとスコールの手の匂いを嗅ぐヒツジは、これから自分が餌を貰える事を理解しているようだ。
スコールは手の上に餌を取り出すと、はい、とヒツジの口元に持って行く。
わくわくと期待に満ちたスコールを裏切る事なく、ヒツジは餌の匂いを嗅いだ後、ぱくっと餌に食い付いた。


「ふわぁ……」
「食べてくれたか?」


まるで信じられないものを見るかのように、目を丸くして、自分の手を舐めるヒツジを見詰めるスコール。
レオンがそんな弟の頭を撫でながら訊ねると、スコールはヒツジを見詰めたまま、こくこくと首を縦に振った。

もっとあげる、と言って、スコールは袋から餌を取り出した。
ヒツジは嬉しそうにスコールの手に顔を寄せ、ぱくぱくと餌を食べる。


「俺もやってみようかな。父さんは?」
「そうだな〜。俺もちょっとやって見ようかな」
「じゃあ、俺のと半分にしよう」


そう言って、レオンは財布からコインを取り出して、餌箱の下へ。
兄が離れたので、画面にはスコールとヒツジだけが映っていた。

ヒツジは餌をくれるスコールの事をすっかり気に入ったらしく、もっとちょうだい、とスコールの手に顔を寄せる。
スコールはねだられるまま、餌袋から少しずつキューブを取り出して、ヒツジに食べさせていた。
そんなスコールの下へ、もう一頭、ヒツジが現れる。


「スコール、そっちのヒツジさんもご飯が欲しいってさ」
「うん。はい、あげる。よくかまなくちゃダメだよ」


新しいヒツジに餌を与えると、ヒツジはあっと言う間にそれを食べ尽くした。
ヒツジの舌がぺろぺろとスコールの手を舐める。


「お腹空いてるの?はい、おかわり」
「また新しい子が来たぞ〜。スコール、モテモテだな」
「もてもてってなーに?」


画面を見上げて問い返すスコールに、好き好き〜って言われる事だよ、と返すが、スコールはことんと首を傾げている。

ととっ、と駆け寄ってくる気配に、画面が動く。
餌袋を手にしたレオンと、ぞの後ろに順番待ちのように並ぶヒツジ達が映った。


「父さん、餌、買ってきた」
「おお、ありがとな────レオン、後ろにヒツジが並んでるぞ」
「そうなんだ。きっと餌を貰えるって理解してるんだろうな」


餌袋を持っている人間に近付けば、食べ物が貰える。
ヒツジ達はそれを学習し、覚えていて、早く食べ物を貰おうと思ってついて来るのだろう。

画面を移動させると、二頭のヒツジに交互にエサをやっているスコールが映る。
楽しそうに餌やりを続けるスコールの背中を、とんっ、と誰かが軽く押した。
誰かにぶつかったのかな、と思ってスコールが振り返ると、其処にはヒツジがいた。
─────其処でスコールは、はっと周りを見渡し、


「……ふえっ?えっ?えっ?」


其処は、もふもふの綿毛で溢れ返っていた。
右を見てももふもふ、左を見てももふもふ、前も後ろももふもふ。

あれ?あれ?ときょろきょろと辺りを見回してみると、スコールはもふもふによって完全包囲されていた。


「ありゃ。スコール、すっかり懐かれたみたいだな〜」
「懐くと言うより、囲まれているように見えるけど…」


ヒツジに囲まれたスコールを見詰めながら、レオンが大丈夫かな、と少し心配そうに呟く。

こつん、とスコールの頭が押されて、振り返ると、ヒツジの鼻先が。
驚いて後ずさりしたスコールに、同じ高さにあるヒツジの頭が迫ってくる。
それも一つではなく、もふもふの数だけ、次から次へと近付いて来るのだ。
ご飯を頂戴、もっと頂戴────真っ直ぐにスコールを見詰め、催促しながら、ぞろぞろと。
最早、スコールの見える世界は、ヒツジの群れのみになっていた。


「えっ、えっ……ふぇっ……」


じりじりと後ずさりするスコールの蒼い瞳に、大粒の雫が浮かんで、直ぐ。


「ふえっえっ、ふえぇえええぇえん…!おにいちゃぁぁぁああああああん!」


スコールは大きな声を上げて泣き出した。
しかし、ヒツジ達は全くお構いなしで、ご飯を頂戴、とスコールの頭をこつんと小突く。


「やああああ!おにいちゃあああああん…!」
「スコール!」


スコールを囲む綿毛の群れを掻き分けて、レオンがスコールに駆け寄った。
助けを求めて小さな手を伸ばしてきたスコールを、レオンは抱え上げてやる。

ヒツジの顔しか見えない世界から、ようやく兄に助け出されて、スコールは泣きながらレオンの首にしがみついた。
わんわんと大きな声で泣きじゃくるスコールの手から、餌袋が逆さまになって地面に落ちる。
ヒツジ達は、頭上で聞こえる子供の泣き声を気にする事なく、ばらばらと散らばったキューブ型の餌をマイペースに食べていた。


「えっ、ふぇっ、わぁああああん…!」
「よしよし、ちょっと怖かったな。大丈夫、大丈夫」


ぐすぐすと泣きじゃくるスコールの背中をぽんぽんと叩いてあやす。

レオンは自分の手に持っていた餌袋の中身を取り出すと、ぱらぱらと足下に蒔いて、直ぐにその場を離れる。
ヒツジ達がこぞって餌にありついている間に、レオンは急ぎ足で群れの中心から脱出した。


「父さん、そろそろ行こう。スコールがすっかり怯えてる」
「だな。スコールにはあれ位のヒツジでも大きく見えるだろうから、余計怖かったかもな〜」
「ひっく、ひっく…えっ、ふえっ…えうぅ……」
「もう大丈夫だからな、スコール。ほら、お馬さんに逢いに行こう」
「えっ、ん……おうまさん……」
「その前に顔拭こうか。ほーら、スコール、こっち向いてご覧」


スコールが顔を上げて、ティッシュを持った手が画面に映る。
目許と頬、口元を綺麗に拭き終わった頃には、スコールも少しずつ落ち着きを取り戻していた。

すん、すん、と鼻を啜るスコールを腕に抱いたまま、レオンが歩き出す。


「そう言えば父さん、ヒツジの餌は?」
「あー……落っことしちまって。ぜーんぶ一気に食われちまった」


あはは、と笑う声に、レオンは眉尻を下げて「父さんらしいよ」と言って苦笑する。

ヒツジの放牧地帯を過ぎて間もなく、馬舎が見えてきた。
乗馬体験用に表に出ている馬を見て、お馬さんだぞ、とレオンが教えると、スコールが顔を上げる。



─────間近で見た馬の大きさに驚いて、怖がったスコールが泣き出してしまうのは、また別の話。




2013/12/01

家族旅行で牧場に行ってきまして、其処で見た光景をそのまま書いてみた。
4匹のヒツジにずいずいと来られた子供が泣き出した光景を、子スコに変換。
大人には腰くらいの高さのヒツジでも、小さい子には大きく見えるだろうなぁ。

この出来事は全てラグナのデジカメに記録され、映像アルバムとして残ります。
たまに父兄が見返してて、高校生になったスコールに見つかって「消せ!」って言うに違いない。