人の気も知らないで


バッツは昔から生傷が絶えない。
余所見をしていて躓いて転んだ、川に落ちた、犬の尻尾を踏んで追い駆けられた───等々、その原因を上げて行けばキリがない。
多くは本人の不注意が理由なのだが、それに加え、彼の旺盛な好奇心も挙げられる。

物心がつく以前から、彼は非常に好奇心旺盛な子供だったらしい。
初めて見る物には非常に高い関心を示し、その手で捕まえて確かめるまで諦めない。
見付けた道の先に何があるのか、これも確かめなければ気が済まなかった。
そうして自身の興味の対象に、飽きるまで邁進した結果、うっかりミスをして怪我をする羽目になるのだ。

そんなバッツの傷の手当てをするのは、決まってスコールの役目だった。

今日もバッツは、愛車の黄色い自転車で何処かへ繰り出し、怪我をして帰って来た。
一体何があったのか、頭の天辺から爪先まで泥まみれになっていた彼を見て、スコールは呆れるしかなかった。
取り敢えず、いつものように服を引っぺがし、風呂場へ追いやった後、救急箱を取り出し、泥を落とした彼がリビングに出てきた所で、慣れた手付きで彼の怪我の手当を始めた。


「……あんた、今度は何処で何をしてたんだ」


大きな擦り傷のある肘に消毒液を塗りながら、スコールは訊ねた。
バッツはえーとな、と少々考えるように間を開けてから、


「北の山に、ラムネの湧く水があるって聞いてさ」
「…確かめに行ったって?」
「そう」
「………」


頷くバッツを見るスコールの目は、非常に冷たい。

そんな馬鹿馬鹿しい事をする為だけに、全身泥まみれになって、生傷だらけになって帰って来るのか。
後でバッツの怪我の手当をするコールにしてみれば、余計な手間を増やされているだけなので、溜息も出ようと言うものであった。

しかしバッツは、幼馴染のそんな視線も溜息も物ともしない。


「本当にあったんだよ、ラムネの湧き水。いつかスコールも一緒に行こう」
「断る」
「スコール、炭酸嫌いだっけ?」
「どうでも良い」
「多分大丈夫だよ、そんなにピリピリ強い感じじゃなかったから」
「行かないって言ってる」
「いてててて!沁みる沁みる!」


人の話を聞かない年上の幼馴染に、スコールは消毒液の付着した脱脂綿を、大きな切り傷に押し付ける。
生傷なんかいつもの事なのだから、この程度で痛いなんて嘘吐け。
そんな事を考えながら、スコールはぐりぐりとバッツの傷を押し続けた。

しばらくバッツを苛めた後、スコールは彼が涙目で「許してええええ!」と叫んだ所で、脱脂綿を離した。
脱脂綿を変えて、傷周りに大袈裟に付着した消毒液を拭き取ってやる。
ガーゼを取り出し、いつもの手付きに戻ったスコールに、バツはホッと安堵の息を吐き、


「悪かったよ、スコール。そんなに炭酸嫌いだったなんて知らなかったんだ」
(誰がいつそんな事を言った)


まるで的外れな事を詫びるバッツに、スコールはもう突っ込むのも面倒臭い、と思った。

きっと木の枝にでも引っ掻けたのだろう、大きな傷。
それにガーゼを当て、メンディングテープで固定した後、そのすぐ傍にある青痣に触れた。
バッツからの反応はないので、内出血の痕が残っているだけなのだろう。

腕が終わったら、次は足だ。
スコールはソファの下に座って、バッツの足を眺めた。


(……何処をどうすれば、こんな風になるんだ?)


バッツは両腕にも幾つも傷を作っていたが、足の傷は更に数が多かった。
擦り傷、切り傷、打ち身と思しき痣、虫に噛まれたような跡もある。


(どうせ、またいつもと同じ格好で、藪の中とか入ったんだろうな…)


スコールは、バッツが家に来た時の格好を思い出していた。
鳥のプリントが入ったバッツお気に入りのTシャツと、ネイビーブルーのハーフパンツ、そして足元はサンダルと言う軽装。
きちんと整備されたサイクリングロードを行くなら、これでも良いかも知れないが、バッツは舗装されてない道を行くのが好きだ。
それなら、藪蚊への警戒は勿論、茂る草木を体に引っ掛けてしまわないように、肌はきちんと覆うべき───なのだが、バッツはそれをしない。
だから彼は生傷が絶えないのだ。

バッツは風に誘われるように、あちらこちらへ出かけて行く。
「旅」だの「冒険」だのと本人は言うが、バッツから見れば、風来坊が気侭に遊んでいるようにしか見えない。
子供の頃は、そんな彼がとても行動力のある人物に見えて、引っ込み思案だったスコールは密かに憧れたものだったが、今となってそれも遠い記憶。
「冒険」に行っては生傷を作る幼馴染の手当をしている内に、もっと落ち付けないのか、と思うようになった。

が、それを口にした所で、バッツのこの性格は変わるまい。
スコールは新しい脱脂綿に消毒薬を沁み込ませ、一番大きな脛の裂傷の手当てにかかった。


「いてて!スコール、そこ痛い!もっと優しく!」
「煩い」
「あいたたたた!」
「………」


大袈裟な程に声を上げるバッツに、スコールは気に留めなかった。
黙々と脛の手当を施して、ガーゼを当て、包帯で固定する。

大きな傷は脛のものだけだったが、小さな傷は探せば幾らでも見つかる。
全部手当をしていると日が暮れそうなので、スコールは範囲の広いものだけを選んで手当を施した。
その間にバッツは、今日一日の事を報告している。


「ソーダの湧き水だけどさ。飲んでみたら、あんまり甘くなかったんだ」
「………」
「もうちょっと甘ければなぁ、お土産にしようと思ったんだけど」
「……」
「でも冷たくて気持ち良かった。場所も良くてさ、山の上の方だったから、街が全部見えるんだ」
「………」
「だからスコール、いつか一緒に行こうな!」
「行かない」
「いてててて!」


行かない、興味がないと言っているのに、相変わらずバッツは人の話を聞いていない。
罰としてぐりぐりと傷に消毒液を塗り込んでやれば、ごめんなさい!と悲鳴。

改めて元の手付きで手当てを再開させていると、クッションを抱えたバッツがうーん、と唸り、


「今日のスコール、機嫌悪いか?」
「……別に」
「おれ、何かしたか?」
「………」


問うバッツに、スコールは答えない。
バッツの足の手当を済ませると、口を噤んだまま、救急箱の片付けに取りかかる。

────どうしてバッツが「旅」「冒険」と称して、毎日のようにあちこちに出かけて行くのか。
その理由を、スコールは知っていた。

幼い頃、まだスコールが引っ込み思案で泣き虫で、知らない人とは会話も出来なかった頃の事。
3歳年上のバッツは、なんとかスコールの気を引こうと、綺麗な花や珍しい虫を捕まえては、スコールに見せに来ていた。
虫は蝶のようなものを除いて、スコールが怖がって泣き出すので程無く止めたが、花は必ず詰んで来た。
近所では到底見た事のない花は、バッツが自分の足であちこちを巡り歩いて見付けて来たもので、時には子供の足では遠いと言える場所まで赴いていた事もある。
花を持って来ては、その花を見付けるまでの「冒険」を話して聞かせるバッツに、スコールも次第に懐いて行った。
そして、「冒険」を聞いて、バッツの「面白い所だから一緒に行こう」と言う言葉に誘われて、幼いスコールの世界は広がって行く。
バッツが自分の足で行った所なのだから、きっと思う程に怖い場所ではない筈だと、信じて。

バッツの「冒険」の始まりは、スコールだったと言って良い。
元々が好奇心旺盛な子供だったようだが、スコールと出逢ってからその傾向が更に強くなったと、バッツの父・ドルガンは言う。

だからスコールは、「冒険」に行くバッツを止める事は出来ない。
原因が自分であるし、今でもバッツは、スコールに「冒険」の話を聞かせる為に、自転車に乗って出かけるのだ。
その時のバッツが酷く楽しそうな顔をして語るから、スコールはバッツを止める気になれなかった。

……それでも、何も思わない訳ではないのだ。
バッツがこうして沢山の傷を作って帰って来る度に、密かに過ぎる不安だって、誤魔化せない。


(あんたはいつも、調子に乗ってバカな事をするから)
(何処かで同じようなバカをして、とんでもない事にならないかって)


救急箱を元の棚に戻して、ソファへ戻る。
立ったままソファを見下ろせば、其処に座っているバッツと目があって、「なんだ?」と問う声。
その声が心なしか楽しそうで、スコールの眉間に深い皺が寄せられる。


「……人の気も知らないで」


零れた言葉は、無意識だった。

褐色の丸い瞳が、虚を突かれたように見開いて、自分を見上げているのを見て、スコールは自分が口走った言葉に気付く。
咄嗟に口を手で押さえるが、零れたものは元には戻らず、なかった事には出来ない。
その上、零れた事で箍が外れ、押し殺していた気持ちが胸の奥から溢れて来る。


(人の気も知らないで)
(人がこんなに心配してるのに)
(いつも暢気な土産話を、楽しそうに喋って)
(いつか一緒に行こうなんて言ったって)
(あんたはその日を待たないで、また何処かに行く癖に)


口をどんなに塞いだ所で、蒼い瞳が言葉以上にその心を語る。
幼馴染のバッツは、それをよく知っていた。

立ち尽くすスコールは、じっとバッツを睨んでいる。
バッツはそれをしばし見詰め返していたが、やがてバッツの口元が綻んで、


「大丈夫だよ、スコール。おれ、皆が思う程、無茶はしてないからさ」
「……これだけ怪我して帰って来ておいてか」
「あはは、そりゃそうだな。でも、大丈夫。おれ、ちゃんと無事に帰って来るよ。じゃないとスコールが泣いちゃうもんな」
「……泣かない」


バッツが帰って来ない、と泣いていたのは、もうずっと昔の話だ。
今は、まだ帰って来ないのか、と苛立ちに似た焦燥に駆られる。

バッツの手が持ち上がって、重力に従っていたスコールの手を握る。
思いの外しっかりとした手が、スコールの手を強く引っ張って、傾いた彼の身体を受け止めた。


「じゃあさ、スコール。明日は二人で一緒に行こう」
「……明日?」


“いつか”じゃなくて“明日”。
はっきりと言ったバッツに、スコールは目を丸くした。

幼い頃のバッツの言葉が、スコールの脳裏に蘇る。
何処かでした「冒険」を、きらきらとした目で、スコールに語って聞かせた後、俄かに興味を持ち始めたスコールに、バッツは言った────「明日はスコールも一緒に行こう」、と。


「一緒に行って、一緒に帰ろう。そうしたら、スコール、不安にならないだろ?」
「………」
「大丈夫だよ。恐いものなんかないからさ。おれ、ちゃんと全部見て来たから」


スコールの手を握る力は、幼い頃に何度も感じたものと同じ、しっかりとしたもの。
この手に引かれて、スコールは外の世界へ一歩、一歩、踏み出す事が出来たのだ。


不安も、勇気も、何もかも。
この手があったから、知っている。
そんな事を、彼はきっと知らない。

本当に、人の気も知らないで。
笑うバッツの顔を見ながら、スコールは彼の手を握り返す。




2014/05/08

スコールがバッツの世話を焼いているようで、寄り掛かっているのはスコールの方。
そんなバツスコが好きです。

バッツが見付けたのは、炭酸水の湧水。
ラムネみたいなソーダは流石に無理だと思う(後日、スコールと一緒に行った時にようやく指摘される)。