その瞳の色は変わらない


 新たに召喚された神々の闘争の世界には、これまでとは違う法則が幾つか存在していた。

 イミテーションの存在は以前と変わらず存在するが、その種類はぽつりぽつりと増えている。
それは新たな仲間が召喚される度に起こり、どうやらこの世界に存在する戦士の存在が、トレースされる形で増殖しているようだった。
現にウォーリア・オブ・ライト一人が召喚されている間は、相対するのは専ら己のイミテーションのみであった。
あるタイミングからは、以前の世界では対となる駒であったガーランドのイミテーションも現れるようになり、よもや奴も此処にいるのでは───と感じるようになった。
本人とは現在までに直接遭遇してはいないが、仲間が増える都度、その模倣と敵の模倣が増えて行くのを見るに、強ち外れてはいのだと思われる。

 これと同じく、この世界にも存在する歪の内部についても、同様の現象が確認されていた。
ウォーリアが新たな女神に呼ばれて間もない頃、歪の中に存在するのは、殆どがウォーリアの見覚えのある物だった。
一見すると知らない景色だと思う場所でも、よくよく見ると、幾つかの景色が重なり合い交じり合ったものであると言う事が判る。
それが、召喚された仲間の数が増えて行くにつれ、ウォーリアの知らない世界も出現するようになった。
以前のウォーリアは、秩序の女神に仕える以前の記憶が全くなかった為、何が自分の故郷に繋がる場所なのかも判らなかった。
今でもそれは変わらないのだが、女神に仕えた以降、闘争を終えた後に降り立った世界の事はよく覚えている。
ウォーリアの記憶は其処から拡がっており、新たな闘争の世界に置いて、歪の中に出現する光景は、どうやら此処から齎されているようだった。
その為、新たな戦士が召喚される毎に、歪の数も増え、また歪の内部も拡張されるように広がりを見せており、まるで闘争の世界そのものが形を広げて行くようにも思えた。

 歪の内部は、以前と同じく、入って見なければどうなっているのかは判らない。
中にイミテーションがいるのか、それがどれ程の強さなのかも、外見からでは判別が出来なかった。
以前は歪の入り口には紋が出現しており、その色味によって中の状態が多少予測する事が出来ていたのだが、どうやらこの世界では、秩序や混沌と言ったパワーバランスの影響は、歪には然程影響していないようだった。
代わりに歪の出入り口は比較的安定しており、出現したり消えたり、と言う事は少なく、入った場所と違う場所から出れば、違う出口に辿り着く事が出来、固定ルートの一つとして使える場所もあった。
歪の内部が依然と同じく不安定な場所もあり、突然出たり消えたりと言う場合もあるので、相変わらず全幅の信頼を持って使う事は出来ないのだが、以前よりは使い勝手は良くなった────と言えるかも知れない。

 歪の中に作り出された世界は、前にも増して多様なものになっている。
ウォーリアに記憶にある、前回の闘争の後に訪れる事のなった、ウォーリアの新たな旅の始まりとなった景色───コーネリア場近郊の森。
以前の闘争でも何度となく訪れた、暴君の牙城たるパンデモニウムを始めとして、闇の世界や月の丘と言った場所。
そしてウォーリアが知らない、恐らく仲間の世界の何処かであろうと思わしき空間と言ったように、以前の闘争よりも数が増えている。

それらが交じり合った形の世界も現れるので、幾つの種類があるのかを把握するのは困難であった。
それだけ多様な世界が現れるので、地形や其処にあるものも様々なものとなっており、フットワークの軽い者等は、新たな世界を見付けると「探検しよう!」と駆けだす事請け合いだ。

 しかし、一見して「何もない世界」も存在する。
特に入り組んだ遮蔽物が聳える訳でもなく、高文明的な物が点在する訳でもなく、長閑な光景だけが広がる世界。
其処にはイミテーションの姿もなく、どうして闘争の世界にこの世界が迷い込んだのかと不思議に思う程だ。
そう言った場所は戦士達の束の間の休息所として使われたりするのだが、大抵、こう言った場所は後々消えてしまい、全く同じ世界に再び巡り逢う事は皆無であった。

 そんな世界にあって、恒常的に出現が確認される世界がある。
世界の有様が時に変容しつつも、消える事なく残っていると言う事は、既にこの空間は、新たな闘争の世界の一部として根付いていると言う事なのだろう。

 その空間────何処までも続く花畑風景に、ウォーリアは足を踏み入れた。


(───……やはり、美しい光景だな)


 嘗ての闘争の世界では、終ぞ見る事のなかった、花の絨毯。
これを始めて見た時、フリオニールは目を丸くし、この空間で戦う事に躊躇すら覚えた程だ。
実際に、秩序の戦士達の多くは、余りにも美しいこの光景に息を飲んでは、握った武器の存在を忘れてしまう。
この光景を見る直前、此処が何処までも果てのない荒野であっただけに、驚きも一入であった。

 ウォーリアが辺りを見回すと、イミテーションの姿は何処にもなかった。
空間が既に花畑で埋め尽くされている所を見るに、既に誰かが戦闘し、模倣を駆逐した後なのかも知れない。
しかし、見回す周囲に人影はないので、既に歪を出た後か───と思ったが、それを果たしたと思しき人物は、まだこの世界に滞在していた。

 遠く広がる花畑は、決して背が高いものではなく、大きくても精々足首までしか伸びていない。
建造物は勿論、岩や木と言った高さのある自然物すら存在しないので、人目から隠れる物はない。
唯一、その姿を僅かに晦ませる事が出来るとすれば、地に伏せる位しかないのだが、敷き詰められた柔らかな花々は、己の仲間ではないものを丁寧に隠してはくれなかった。

 白や黄と緑で敷き詰められた絨毯に、ぽつりと落ちている黒。
以前は、その色であれば彼、と直ぐに判ったのだが、今回は同じ色を基調とした人物が他にもいる。
少し近付いてみて、髪色を確認すると、緑の中に馴染みそうなダークブラウン見えた。


「スコール」


 蹲るように横たわっている少年の名を呼ぶ。
目を閉じ、まるで猫が陽だまりの中にいるように、或いは胎児のように丸くなっているスコールに、眠っているのだろうか、と思った。
が、名を呼んで間もなく、ゆっくりと瞼が持ち上げられ、蒼灰色がウォーリアを捉える。


「……あんたか」
「イミテーションは、君が倒したのか?」
「……ああ」
「君は、負傷したのか?」


 その為に此処に留まり、横になっているのかと問うと、スコールは「……いや」と言って起き上がった。


「……歩き回って少し疲れた。だから休んでいた。それだけだ」


 此処に滞在していた事に、特に深い理由はない───とスコールは言外に告げる。
その言葉に、恐らく嘘はないのだろう。
起き上がったスコールは、花の下の土に少し服を汚している程度で、怪我をしている様子もない。

 しかし、それだけでスコールがこんな場所で寝転んだりするだろうか。
傭兵として身に付いた性なのか、真面目な性格も相俟ってか、スコールは闘争の世界に置いて、基本的に安全が───確約ではないが───確保されている場所以外では、滅多に気を抜かない。
イミテーションの退治は済ませているとしても、新たなものが生まれないとも限らないのだ。
神出鬼没の混沌の戦士の存在も含め、いつ如何なる奇襲を受けないとも判らない場所で、スコールが無防備な姿を晒す事はなかった。

 だが、花畑の中に座り込んでいる彼は、常の張り詰めた糸が緩んでいる事が判る。
嘗ての闘争の世界、秩序の聖域に誂えられた屋敷の中で、ウォーリアの腕に抱かれていた時に見せていた、無防備な心が透けて見えるような気がした。

 柔らかな風が吹いて、ウォーリアの頬を撫でる。
さわさわと花々が触れ合う音が聞こえ、また静寂が戻った。
やはり、此処は戦いとは酷く縁遠い場所に見える。
それはこの空間に限った話ではないのだが、余りにも戦場とは不釣り合いな世界に思えてならなかった。

 闘争の世界に新たに召喚されたヤ・シュトラや、以前の世界で召喚され自力で帰還を果たしたと言うシャントットの分析によれば、歪の中に形成される世界の多くは、召喚された戦士の記憶に基いたものが作り出されているそうだ。
無限に作り出される記憶の中に置いて、特に印象深く残っている景色や、強い感情と共に焼き付いている場所が、この世界の一部として根付く事も多いらしい。
直接的な記憶の関わりがない場所も幾つかあるので、一概には言えないようだが、多くはそうした傾向がある、との事。

 では、この花畑も、誰かの強い記憶の一部なのだろうか。


(誰の世界なのだろう)


 スコールの隣に並ぶ形で、ウォーリアは花の絨毯を見詰める。

 花と言えば、なんとなくフリオニールが思い浮かぶ。
世界を沢山の花で満たしたい、と言う夢を抱いていた彼の言葉は、今もウォーリアの記憶に刻まれている。
元の世界で、それを果たす事が出来た彼の記憶が反映されたのか、とも思ったのだが、どうやらそれも違ったようだった。
ティーダが「これってフリオの世界?」と訊ねた時、フリオニールは首を横に振った。
では、とその時その場にいた者達に聞いて回ったが、誰も心当たりはなく、この世界の持ち主が誰なのかは、まだ判っていない。

 ウォーリアの視線は、続く花畑から、傍らに留まり続けている正念へと向けられた。
濃茶色の髪に、小さな花弁を絡ませたまま、スコールはじっと花畑を見詰めている。
長い前髪の隙間から覗く蒼の瞳が、心なしか柔らかく幼いように感じられる。


「……スコール」
「……なんだ」


 半ば返事がない事を予想しながら名を呼ぶと、反応があった。
相変わらず彼の視線は遠くへと向けられているが、意識も其方へ流れている訳ではないらしい。


「この世界は、ひょっとして君の」
「……ああ」


 ウォーリアの問に、スコールは短く答えた。
さ、と風が吹いて、花の香りが花弁と共に二人の下へと運ばれる。

 俺の世界だ、とスコールは言った。
はっきりと声に出した訳ではなかったが、ウォーリアは彼がそう言ったように聞こえたのだ。

 意外だと、ウォーリアは思った。
常に戦場に身を置き、青臭さを隠し殺すように常に緊張の糸を張り詰めているスコールの事、記憶に基き形成される世界ならば、やはりそうした場面が復元されるのでは、と思っていた。
ジタンの世界だと言う城下町や、ティーダの記憶だと言う海岸の景色、ヴァンの故郷と言ったように、喚び起こされる記憶は決して戦場のみに限られたものではないようだったが、それでも花畑とスコールと言う光景は結び付き難い。
この世界を訪れた者達が、これが誰の記憶であるのか、予測すらも立たなかったのはその所為だろう。
スコールから明確な答えを聞いた今でも、ウォーリアはこの戦場とは縁遠い光景が、この幼い傭兵と繋がるとは思えなかった。

 この花畑と、スコールと、どんな繋がりがあるのだろうか。
自分の知らないスコールが、遠い何処かで積み重ねた記憶と言うものは、どんなものなのか。
踏み込まれる事を厭う傾向のあるスコールに、こうした問は無粋なのかも知れない。
だが、嘗て共に過ごした褥で何度となく時間を共有したように、ウォーリアは“スコール”と言う存在の全てが知りたいと思う。


「君は、此処で戦った事があるのか」


 花畑を見詰めながら問うと、スコールから返って来たのは沈黙出あった。
答えてくれない可能性は十分に有り得た。
だから、沈黙も無理はなく、余計な事を聞いたと思い詫びようとした時、


「……此処で戦った事はない」


 そう言って、スコールは両手を後ろ手に地面について、足を投げ出すように伸ばした。
広がる青空を見上げて、静かに、ゆっくりと深呼吸する。
其処に在る空気を取り込んで、身の内に溜まったもの全てと入れ替えているように見えた。


「…此処は戦場じゃない。そう言うものとは、全然関係のない場所だ」
「では、君の思い出の場所なのか」
「……思い出、か……」


 それも強ち間違いじゃないか、とスコールは独り言のように呟く。


「此処は、約束の場所なんだ」


 そう言ってスコールは、傍らに咲いている花に手を伸ばす。
少し傷んだグローブの指先が、薄く小さな花弁を労わるように撫でた。
ウォーリアは、自分の腰の高さにあるスコールの顔を見て、その口元が微かに緩んでいるのを見付けた。


「……約束、とは?」


 ウォーリアの問に、スコールは口を開いて、一度閉じる。
言おうか言うまいか迷っているように見えたが、スコールは結局、もう一度口を開いた。


「大した事じゃない。いや、その時の俺達にとっては、凄く大事な事で、沢山の事があった後で……色んな不安があって。そう言うのを拭いたくて、拭ってやりたくて、約束をした。離れ離れになったら、お互いの居場所が判らなくなったら、此処で会おうって。俺、此処で待ってるからって」
「それは、とても大事な約束だ」
「……ああ。大事で、きっと忘れちゃいけない事だった」


 そう言ってスコールは俯き、立てた片膝に額を押し付ける。
何かを堪えているような仕草に見えたが、ウォーリアには彼の胸中は判らない。
何かを後悔しているようにも見えたし、安堵しているようにも見える。
闘争の世界から解き放たれたウォーリアが、様々な出来事を経験したように、スコールもまた、己の世界で様々な出会いや別れがあったのだろう。
以前と違い、その記憶をはっきりと持っている状態で過ごしている事もあって、それによく感情の揺れが現れるのも、当然の事と言えた。

 ちり、と微かな痛み似たものが、ウォーリアの胸を穿つ。
その感覚の名前を、ウォーリアは薄ぼんやりと理解する事が出来た。
嘗ての闘争の最中、折々に感じたそれを“そう”だと覚えるまでには随分と時間がかかったが、それ故にか、久方ぶりに感じたそれを“そう”だと思い出すのは早かった。

 スコールが誰を此処で待っていたのか、ウォーリアには知る由もない。
問うても良い事なのかも判らなかったので、ウォーリアは口を噤んでいた。
それでも、じわじわと浮かぶ感情は、離れ離れになり二度と逢う事は叶わないと思っていた自分とは違い、スコールと明確に再会の約束を交わす事が出来る人物へと向けられている。
理不尽で、酷く不純な感情のように思えたが、それでも“羨ましい”と言う気持ちは、誤魔化しようもなく本物であった。


「……シャントット博士と、ヤ・シュトラが言っていたのだが、歪の中のこうした世界の多くは、我々の記憶や感情に基いて生まれているらしい」
「…そんな事言ってたな」
「であれば───この場所は、君にとってとても大事な場所なのだな」


 全ての世界がこの傾向に則る訳ではない、と彼女達は言っていた。
しかし、多くの世界が当て嵌まる事も事実であり、先のスコールの話と照らし合わせれば、この場所がスコールにとって特別なものである事も明らかだ。
それをウォーリアが告げると、スコールは少しの間口を噤んだ後、


「……そうだな。大事な、場所だ」


 そう言って顔を上げ、風に揺れる花畑を見詰めるスコールの顔は、穏やかなものだった。
緊張と険が抜け、眉間の皺も緩んでいるスコールを、ウォーリアは眠っている時と目覚めて間もない時しか見た事がない。
無意識にも気を張り詰めている事が多い彼が、体の力を抜けている事が明らかで、彼をそうする事が出来る彼の記憶に、またウォーリアの胸に小さな針が刺さる。

 平時のスコールが、こうした顔をしていた事があっただろうか。
良くも悪くも周囲の人間を遠ざけるように行動していたスコールは、他者に対して自分の感情を晒す事も少なかった。
ウォーリアと想いを遂げた後もそれは変わらず、彼が人知れず抱いていた不安や焦燥すら、ウォーリアは長らく知らなかった程だ。
ウォーリアが彼の心を知ってからは、少しずつ覗かせてくれるようになったけれど、それに至るまでに乗り越える壁は決して低くはない。
だからこそ普段のスコールは、眉間に皺を寄せた顰め面でいる事が多く、穏やかな表情と言うものを浮かべる事が難しかったのだろう。

 そんなスコールの頬を緩める事が出来る記憶とは、一体どんなものだろう。
この場所で誰かと“約束した”と言うのならば、約束の相手が記憶の中にいる筈だ。
人と繋がり、その人と別離する事に怯え、凍える体を守るように蹲っていたスコールを、溶かし解したのは、一体どんな人物だったのだろう。

 そう考えれば考える程、ちくちくとした胸の痛みが広がって行く。
それを自覚していく内に、その言葉はするりと滑り落ちた。


「すまない」
「は?」


 相手にしてみれば唐突でしかない詫びの言葉に、スコールは顔を上げて首を傾げた。
きょとんとした表情で見上げて来るスコールは、穏やかな表情とはまた別の幼さがある。
ウォーリアはその顔を見下ろして、淡々とした口調で言った。


「君と“約束”をしたと言う人物に、私は嫉妬をしていたようだ」
「……しっと?」


 ウォーリアの言葉に、スコールはまた首を傾げる。
その単語を知らないかのように反芻するスコールは、しっと、しっと、と頭の中の言葉辞典を捲り、程無く“嫉妬”である事に辿り着く。


「なんでそんな事……」
「…私の知らない所で、君を支えてくれた人がいたのだろう。それはとても素晴らしい事だ。だが、それを私ではない誰かが担っていた事が、妬ましく思えてしまった。君にとって、きっとその人は大切な仲間なのだろうに、……すまない、スコール」
「……」


 重ねて詫びるウォーリアに、スコールはぱち、ぱち、と瞬きを繰り返す。
蒼灰色の瞳には、ウォーリアの顔と、晴れ渡る空の白雲が映り込んでいる。
何かと伏目勝ちになるスコールには、余り映り込む事のない色だった。

 スコールはしばらくの間、じっとウォーリアの顔を見上げていた。
ウォーリアがそれを黙って見詰め返していると、ふ、と桜色の唇が笑むように緩む。
見間違いかと思ったが、くく、と喉で笑うスコールの声を聞いて、勘違いではないと判った。


「スコール?」


 スコールが笑う理由が判らず、今度はウォーリアが首を傾げる。
スコールはふいっと顔を背けながら、ふるふると肩を震わせて、声を上げて笑うのを堪えていた。
ちょっと待ってくれ、と言うように左手をひらひらと揺らすので、ウォーリアはその場に立ち尽くす。

 はあ、とスコールが息を吐いて、またウォーリアと向き合う。
その表情は、少し緩んで笑みも孕んでいるように見える。


「あんたが嫉妬なんて、随分人間臭くなったな」
「私はそんなにも人間らしくなかっただろうか」
「ああ。少なくとも最初の頃は、俺にとってはそうだった」


 そうでもないとも知ったけど、とスコールは付け足す。
その言葉は、ウォーリアと恋仲になってからの事を指しているのだろう。

 闘争の世界で目覚めた時、スコールは元の世界の記憶と言うものを殆ど失っていた。
ウォーリアは己の名すらも思い出せない程に、記憶と言うものが残っていなかったが、スコールの場合はそうではない。
自分の世界で培ってきた常識や、思い出す事は出来ないが、記憶に基くと思われる感情の揺れ、成長の過程で培われたであろう人格性格と言うものは確りと根付いていた。
スコールは、幼年の頃の出来事から───それがとある副作用から思い出せない程に霞んでいる状態でも───、他者に対して強い壁を作るようになり、同時に弱い自分と言うものを強く嫌悪した。
それは強い劣等感となってスコールの心に根を張り、余り良くない形で、スコールの行動に影響を齎していた。
大してウォーリアはと言うと、何も思い出す事が出来ず、何も持たないが、それでも彼の芯は真っ直ぐに伸びている。
リーダーとしての役割を明確に任される以前から、秩序の戦士達は彼を中心としてまとまる事が多く、彼自身もそうあらんとしていた節もある。
常に仲間を背に先陣を切るのが己の役目である事を、ウォーリアは理解していた。
そんなウォーリアの姿は、決して自分に自信を持つ事が容易ではないスコールにとって、何があっても揺らぐ事のない眩しさと映り、自身の劣等感を刺激するものとなっていた。
秩序の女神に忠誠を誓い、彼女の言葉を心棒の如く殉じようとするウォーリアの姿は、傍目には傭兵然と過ごしながらも青臭い心を持つスコールにとって、ロボットめいても見えたものであった。

 だが、ウォーリアは決して心を持たないロボットではない。
プログラム通りに動くだけの機械でもない。
スコールは、ウォーリアと心を通わせるようになってそれを知り、より深い所まで繋がり合うようにもなった。
だからウォーリアが見た目だけの“人間らしくない人間”と言う訳ではない事は判っていたつもりだが、元の世界に戻ってからしばらくが経ち、久しぶりの再会となった恋人は、あの頃とはまた違う人間性を滲ませている。


「自分が嫉妬してるなんて、あんた、前は気付いてもいなかった。もやもやする、とか、チクチクする、とか。そんな事は言っていたような気がするけど」


 秩序の女神の下で戦っていた頃のウォーリアは、大抵の者が経験から聡るであろう知識と言うものが著しく抜け落ちていた。
論理的な物事であれば、本や仲間の知識を借りれば良い事だったが、彼自身の感情に揺らぎについては、仲間達からも何とも説明し難いものがあった。
一概の説明は出来ても、その感情の根幹にあるものが何であるのか、その感情が俗に何と呼ばれるものに最も近しいのかは、本人にか判らないからだ。

 その中でも、ウォーリアが最も困惑したのは、恋愛に関わる感情だ。
仲間達を須らく大切に思っており、女神に対してはまたそれとは違う、忠誠と言うものがある。
それらは同列ではないが、比べられるものでもなく、どちらも決して喪えないものであった。
其処に在ってスコール個人に対しては、仲間であると思うと同時に、庇護欲が強く働く。
決してスコールをか弱い人間だとは思っていない上で、それでも“特別に守りたい”と思う理由を、ウォーリアは長らく理解する事が出来なかった。
嫉妬ともなれば尚更で、スコールとよく行動を共にするジタンやバッツ、文明レベルの感覚の近さで話が合うティーダやクラウド等、ウォーリアが加われない会話をしている所を見付けては、“もやもや”とした感覚に見舞われていた。
事情を聞いたセシルが、それは嫉妬だろうと端的に伝えても、ウォーリアは“嫉妬”と言うものが、どうしてそう言う感覚を得るのかすらも判らない。
仲間に対して、一種の対抗心を持つ事さえも、ウォーリアには考えられる事ではなかった為、ウォーリアは“嫉妬”と言う感情の所以を理解するまで、かなりの時間が必要であった。

 そんなウォーリアが、「嫉妬している」とはっきりと口にしたのだから、スコールにとっては驚きもあると言うもの。
自分の感情さえも掴めず、まるで生まれたばかりの子供のように、何に対しても真っ白だった男が、俗な感情を覚え、それを自分で理解している。


「あんた、変わったな」


 そう言ったスコールに、ウォーリアはぱちり、と丸い目を瞬かせる。
何でもない話の最中、虚を突かれた時に見せる顔だった。
根は変わっていないらしい、とスコールの口元がまた緩む。

 ウォーリアはそんなスコールをしばらく見詰めていたが、やがてその唇がゆるりと緩む。
口角が上がり、アイスブルーの瞳が真っ直ぐにスコールを捉えて、言った。


「色々な事があったので、な」
「……そうか」
「君にもあったのか」
「あった……と言うか、思い出した、と言うか。前の時には全部忘れていた事が、今はあるから」


 成程、とウォーリアは納得した。
記憶や経験と言うものは、強いアイデンティティとなって、性格や自身の行動にも影響があるものだと言う事を、今のウォーリアは知っている。
闘争の世界を共に生き抜いて来た記憶を持ち、新たな世界に降り立った自分が、其処でまた新たな出会いを経て来たように。
そして、その記憶がある時突然、忽然と消え失せた時、漠然とした不安が呼び起こされると言う事も知った。

 記憶と元の世界への切符の為に、ただ戦わなければならなかったあの頃とは、何もかも状況が違う。
考える者、反発する者、寄り添う者、探る者────今の仲間達の行動が複雑に入り組み、以前のように一本の道を辿らずにバラバラで過ごす事が多いのも、その所為だろう。

 だが、スコールの単独行動癖については、今も変わらないようだ。
と言うよりも、元々スコール自身が団体行動が好きではないのだろう。
必要に応じたグループでの行動には従うが、一人の時間は確保したいらしく、賑やかな輪の中で一人外れている事は、今も儘見られる光景となっていた。

 しかし、纏う雰囲気は以前よりも柔らかであると、ウォーリアは感じている。
だからこそ、遠い何処かを見詰める、穏やかな蒼を見る事が出来るのだと言う事も。


「私には君が変わったように見えるが、君には、私が変わったように見えるのか」
「見える」
「それだけ、君と長い間、離れていたと言う事か」
「……まあ、そう言う事になるな」


 ウォーリアの言葉に、スコールは小さな声で言った。

 ウォーリアは兜を脱ぎ、スコールの隣に腰を下ろした。
がしゃ、と金属の音が鳴り、スコールの視線が、同じ目線になったウォーリアの顔を見る。
ウォーリアは、その視線を感じながら、じっと広がる花の景色を見詰めていた。


「此処は、良い場所だな」
「……まあ、な」
「君の世界には、こんなにも綺麗な景色があるのか」
「……そんなに沢山あるものでもない。此処は、少し特別で……多分、幾らかは俺の記憶の補正もあるだろう。こんな風に、何処までも続くって程、広い場所じゃなかった筈だから」


 記憶と言うのは、曖昧なものだ。
思い出ともなれば尚更で、その時に感じていたものによって、後々都合よく改変されていくものである。
だから見覚えのある光景であっても、此処にこれはなかった、此処はこうではなかった、と思う出来事はよくあった。
しかし全く存在しないものかと言えばそうではなく、何某かの物事が印象的な抽象物として顕現していると思われる物もある。

 ウォーリアはもう一度、広がる景色を具に見詰めた。
晴れ渡る青空と、小さな可憐な花。
それが何処までも何処までも続く。
まるで、世界の全てがこんな景色で埋め尽くされているのではと思う程、それは遠くまで広がっている。
それはつまり、スコールの記憶の中で、この光景が彼の全てであった瞬間が存在していた────という事だろうか。

 同時に、ウォーリアの脳裏に、この世界が花畑に埋め尽くされる前の光景が浮かぶ。
荒れ果てた大地と、暗く淀んだ重い空。
あれもスコールの記憶の一部であるとすれば、なんと重く悲しい光景だろうと思う。
花は愚か、草の一本すら生える事のない不毛の大地には、重い空から恵みの一滴すら望む事も出来ない───そんな印象がある。
そんな場所が、スコールの心に強く強く焼き付いている。
そして、それを上書きするかのように、広い広い花畑は目覚めるのだ。


(あの荒野に、君はいたのか?)


 この場所で初めてスコールを見付けた時の事を思い出す。
花畑の中に丸くなっていた彼は、昼寝をする猫のようにも見えたが、小さな赤子のようにも見えた。
あの時見た景色が、若しもこの花畑ではなく、それ以前の荒野であったらどうだろう。
浮かぶ景色が酷く寂しく、悲しく、そのまま土の砂に消えて行きそうなスコールを瞼の裏に見て、ウォーリアはひっそりと手を握った。

 握り締めた手を解き、ウォーリアは手を伸ばす。
指先がスコールの頬に触れ、スコールはそれを嫌がる事なく、不思議そうにウォーリアの顔を見詰めている。
以前はよく見られた、触れる事を避けるように逃げる仕草はない。
ウォーリアはそんなスコールの頬をゆっくりと撫で、


「……やはり、君も少し変わったようだ」
「俺は別に。俺のままだ」


 ウォーリアの言葉に、スコールは納得の行かない顔で言った。
訂正を求める程の強い口調ではなかったので、彼自身が変わったとは思っていないと、気持ちを正直に告げただけなのだろう。
そう言う所も少しだけ変わった、とウォーリアは思う。


(以前の君は、自分の気持ちを中々教えてはくれなかった)


 スコールが自分の感情を表に出す事を厭っていたのは、それがスコール自身の心を守る手段であったからだ。
しかし、スコールは自分自身の感情を何処までも無に出来る程に無関心ではなく、抑え込む程に風船のように膨らんで、限界を超えた時に破裂してしまう。
それを一早く察していたのだろう、バッツやジタンと言う仲間が、無意識的に息抜きが出来るようにと周囲で賑やかにしていたのを、ウォーリアはよく覚えている。

 そんなスコールが、相変わらず言葉は少ないが、思っている事を口にしてくれている。
彼の心と言うものは、中々表にされる事がないように、ウォーリアがそれを読み取る事も難しかった。
だからスコールが自分の気持ちを正直に話してくれると言う事が、ウォーリアにはとても嬉しく、有難い。
同時に、彼のそうした透明な壁を溶かしてくれた“誰か”がいる事に、少し心がちりちりと灼ける。

 そんな自分を感じ取っていたウォーリアを、スコールの目がまじまじと覗き込む。


「……どうした?」
「む……?」


 どう、とは、とウォーリアが首を傾げると、スコールは眉間に皺を寄せ、


「変な顔だ」
「…そうだろうか」
「…そう言う所は変わっていないな、あんた」


 自分の顔に手を当て、顔面の形を確かめるように触るウォーリアを見て、スコールは呆れたように、少し安堵したように言った。
その表情が、以前も何度か見た事のある表情と重なって、ウォーリアの頬が緩む。


「君も、変わってはいないようだ」
「…何だ、急に。変わったって言った癖に。結局どっちなんだ?」
「どちらとも感じる。以前の君は、自分の事を余り話してはくれなかった。だが、今はこうして話してくれる。そう言う所は、私には君が変わったように見える。触れる事をあまり嫌がらなくなった事も、変わったと言える事かも知れないな」
「………」


 スコールの瞳が、ウォーリアの顔を見詰めていたものから、自身の頬に触れる手を追う。
ひたり、とウォーリアの掌が、スコールの頬を包むように覆っていた。


「……まあ……そう、かもな」


 ウォーリアの言葉に、思い当たる節があったのか、スコールはゆるりと目を閉じて呟いた。
スコールはそれ以上何も言わなかったが、彼の手がゆっくりと持ち上がって、頬に触れるウォーリアの手に重ねられる。


「…こう言うのが、そんなに悪い事じゃないって、教えて貰った」
「君にそれを教えたのは、君の大切な人か?」
「……ああ」


 はっきりと答えるスコールに、ちり、とウォーリアの胸が灼ける。


「そうか。やはり、その人が少し妬ましい」
「……」


 正直に告げるウォーリアに、スコールは閉じていた瞼を持ち上げて、眉根を寄せた。
唇を尖らせ、視線を逸らすスコールは、そんな事を言われても困る、と言葉なく呟いている。
ああ、困らせている、とウォーリアは悟り、触れる頬をゆっくりと撫でながら詫びた。


「すまない、そんな顔をさせるつもりはなかった」
「別に……」


 詫びるウォーリアに、スコールはまた眉根を寄せる。
どういう顔をして良いか判らない、と言う表情だったが、その頬を撫で続けていると、スコールの表情は徐々に和らいで行く。

 ウォーリアの記憶の中で、スコールは触れられる事に対して、随分と構えていた。
日常的な仲間とのスキンシップは勿論、恋人同士の甘やかな触れ合いさえも、彼は慣れるまでに随分と時間を要し、その後も───恐らく無意識だったのだろう───何処か身を固くしていたように思う。
ウォーリアはそれを悲しいと思った事はなかったが、今こうして、特に何かを意識する事もなく、穏やかに人の温もりに身を任せる事が出来るスコールを見ていると、彼に変化を齎した人の存在は、ウォーリアにとっても有難いものである事が判る。

 ウォーリアの手が頬から離れると、スコールの視線はそれを追うように滑った後、ウォーリアの顔を見た。
こうして目と目を合わせる事も、以前のスコールは少なかった筈だ。


「君の仲間には、感謝しなければならないな」
「感謝?」
「ああ。以前、私が知り得る事の出来なかった、君の新しい顔をみる事が出来た。こうして再会しただけでなく、スコール、君と言う人間をまた深く知る事が出来た事を、心から嬉しく思う」
「…大袈裟な……」


 ウォーリアの言葉に、スコールは眉根を寄せながら言った。
その白い頬は赤くなり、視線が彷徨い、恥ずかしがっているのが明らかだ。
バカじゃないのか、と呟くのも含めて、照れている時のスコールの常套句である。

 スコールは赤い顔を隠すように俯いて、縮こまるように膝を抱える。
蒼い瞳が膝に隠れて、ウォーリアが少し勿体ない、と思っていると、


「……あんた、やっぱり変わってない」
「そうだろうか」


 スコールの指摘に、ウォーリアはただただ首を傾げるしかない。
変わったとも、変わっていないとも、ウォーリア自身には上手く掴めない話なのだから無理はなかった。
スコールもそんなウォーリアを理解しつつ、これだけは言っておかねば気が済まない、と額を膝に押し付けたまま言った。


「あんたのそう言う所が、嫌いなんだ」


 独り言にも似た小さな呟きは、確りとウォーリアの耳に届いている。
嫌いと言われれば、真っ直ぐで素直な勇者は放って置ける筈もなく、何が良くないのか、何処を直すべきかと聞いて来た。
知った事か、とそれきり黙り込んでしまった少年の胸中を、男はまだ、知る術を持たない。




NTでは皆がED後で全て記憶も保持していると言う事で、それによる013と比較したそれぞれの変化と言うものを感じさせてみたかった。
ウォーリアは013→FFT→NTと言うイメージをしています。
なので、T世界で新たな仲間と出逢い、DFFの記憶を持ったまま旅をしたので、DFFの頃から更に色々な感情を知った……と言う感じで書いていきたいと思ってます。
でも根本的な所は変わっていないので、相変わらずの真っ直ぐぶりに真っ赤になるスコールでした。