あかいろ、夢幻


「あんたは違うって、思ってたのに」


 頬の痛みよりも、そう言って涙を浮かべた彼女の顔の方が、酷く心を抉った気がした。




 赤らんだ頬を隠しもしない男を見て、ジタンは呆れ返っていた。
露骨に隠せば反って目立つだろう、と言う男の言い分も判らなくはないが、だからと言ってあからさまに晒していると言うのもどうよ、とジタンは思う。
これだから無神経な男はいけない。

 秩序の戦士一行の中で、クラウドとスコールが恋仲である事は、公然の事実となっていた。
スコールは、戦場で不謹慎だとか、頭の固いウォーリアから文句を言われる事を嫌ってか(他の仲間からも揶揄われると思ったのだろう)、隠したがっていたようだが、クラウドがさらりと口を滑らせてしまった。
クラウドにしてみれば、こそこそと付き合って、恋人らしい会話も交わせない方が嫌だったそうだが、スコールに相談もなしに喋ってしまった為に、彼女から拳を喰らったのは言うまでもなく、数日首が元に戻らない程の威力で殴られたのも自業自得だとジタンは思っている。

 八名が男と言う、非常に偏りのあるメンバー構成となっている秩序の戦士の中で、スコールとティナはたった二人の女性メンバーだが、二人の気質は全くの正反対である。
戦う事、力に怯えるティナに対し、スコールは幼年期から徹底した傭兵訓練を受けて育っているらしく、戦う事に微塵も躊躇いも見せない。
その代償のように、彼女は女らしさと言うものは遠くに置き去りにしており、女扱いされる事を嫌う────いや、嫌うと言うより慣れていないのだ。
傭兵に男も女も関係ない、女だからこそ男よりも強くあらねばならない。
戦闘に置いて、男顔負けの火力で模造の群れに突進する姿を見れば、彼女が“女だから”と守られなければならない、か弱い人物ではない事は、誰の目にも明らかだ。
元の世界では“女の癖に”と言われる事も少なくなかったようで、それ故に“女”である事を必要以上に意識させる扱いに拒否感を覚える事も多いらしく、ジタンが紳士然とした接し方をする時も、顔を引きつらせる事があった。
最近は大分慣れてくれて、またか、と言う表情で聞き流すようになったが。

 そんな彼女と、どちらかと言えば(ジタンの勝手な印象であるが)女心に鈍感そうなクラウドが、一体どうやって恋仲になったのか。
スコールに聞いても顔を真っ赤にして教えてくれないし、クラウドに聞けばはぐらかされるので、仲間の誰もその辺りの事は知らない。
多分、男だ女だと言う性別に拘るよりも、もっと内面的な部分で惹かれあったのだろうとジタンは思っている。

 けれど、幾ら深い部分で惹かれあっているとは言え、やはり他人は他人で、自分とは違う生き物である。
増して、スコールが如何にこの扱いを拒むとしても、やはり“男”と“女”の壁は厚い。
価値観の違いは明らかだし、スコールとクラウドは、気質が似ているようでかなり違う。
良くも悪くも鈍感でマイペースなクラウドに対し、スコールは神経質なほどに周囲の視線や気配を気にしており、先の恋仲になった件を隠したがっていたのも、その辺りのズレが露見したものであったと言える。
そんなものだから、二人は度々喧嘩───と言うより、スコールがクラウドの無神経な言動に怒る、と言う場面が見られるようになった。

 だから、きっと今回も、クラウドの無神経が原因なのだと、ジタンは思っていた。
そして、それが外れていない事を知る。


「そんで、今回は何やらかしたんだよ」


 くっきりと頬に拳の痕を残している男に、ジタンは言った。
ブループラネットは胡乱な形に細められ、尻尾はだらんと下方に向いており、聞くのも面倒臭いと言った風。
それでも、クラウド自ら「相談したい事がある」と言われては、仲間想いのジタンが放って置ける訳もない。
加えて、男の“相談したい事”の発端であろう少女の事を思えば、尚更無視する訳には行かなかった。

 クラウドは、赤い頬を摩りながら、いや、な、と一拍置いた後、


「俺もよく判らないんだ」
「いやいや。ちゃんと考えろ。絶対お前に何か原因があるだろうから」


 スコールは自分の感情を発露するのも、その発露の仕方も下手だが、訳もなく相手を殴る事は絶対にない。
溜り溜まったものを、風船が破裂するように、突然爆発させる事はあるが、思い返してみれば、其処に至るまでのプロセスは確かにあるのだ。

 うーん、と腕を組んで考えるクラウドを見て、駄目だこいつ、とジタンは溜息を吐いた。
既にこうした遣り取りを何度か繰り返していると言うのに、クラウドのこうした傾向は、一向に改善される様子がない。


「取り敢えず、なんでってのは置いといて、いつ殴られたのか、教えてくれるか?」


 これなら判るだろう、とジタンが質問を変えると、クラウドはしばし思い出そうと思考に耽った後、


「昨日、スコールと探索に行った先で、イミテーションに襲われた」
「うんうん」
「結構数が多かったんだが、それは問題なかったな。一通り片付けて……その後、いきなり殴られた」
「…って事は、戦闘中にお前が何かしたって事だな」
「そうなのか?」
「探索中は普通だったんだろ?」


 首を傾げるクラウドに、質問する形で確かめれば、これには頷いた。
若しかしたら、クラウドが普通だったと思っているだけで、何か小さなことが積み重なっていたかも知れないが、其処まで考慮するとキリがないので、今は省く事にする。


「多分、戦闘中にスコールが怒るような事をしたんだ。何か思い当る事ってないのか?」
「………………」
「……それが判ってるなら、オレの所になんか来ないか」


 腕を組んで考え込んだクラウドに、この朴念仁、とジタンは胸中で呟く。

 神経質なスコールが、どうしてこの男を好きになったのか、ジタンにはよく判らない。
顔は良いし、落ち着いているし、思慮深くて頼りになるのは確かだが、女心は到底測れそうにない人物だ。
……いや、だからこそスコールが気を許したのかも知れない、とジタンは思い直す。
ジタンのように紳士然とした態度で接したり、フリオニールのように一々真っ赤になったり(彼女がその原因に気付いているかは別として)、ウォーリアのように娘を心配する父親のように何かと苦言を呈したり……それらは全て、スコールにとって酷く気に障る事なのだろう。
そんな中で、クラウドは良くも悪くもスコールに対しての反応が鈍い。
ティナの事は“守ってやりたい”と思っている所もあるようだが、スコールの事は“共に戦う仲間”として認識していた。
“女性”であるよりも“傭兵”である事に自己価値を見出しているスコールにとって、クラウドが取ったスタンスは、きっと嬉しいものだったのだ。
多分、そういう所から少しずつ、スコールの心もクラウドへと傾いて行ったのだろう。

 だが、度々こうした事件を起こしている所を見ると、ジタンはスコールの事が哀れに思えてくる。
可哀想などと言う目で見られる事を彼女が良しとするとは思えないが、彼女自身が女扱いを嫌っていようとも、やはりジタンにとって女性は“守るべき存在”であった。
彼女が悲しむ顔は見たくないし、傷付いているなら手を差し伸べたいし、傷付ける者がいるなら、その者の下から連れ去ってやりたい。
何よりジタンは、スコールがとても繊細で傷付きやすい性格をしている事を知っていた。
だから、クラウドが頬に痣を作って自分に相談に来る度、付き合う事に反対すれば良かったかな、と娘を持つ父親のような心境になるのである。

 しかし、ジタンがどう思おうと、クラウドはスコールと別れる気はないようだし、スコールもクラウドの事を嫌いになる事はなかった。
ならばジタンが取るべき行動は、きっと悲しんでいるであろう彼女の心を癒す為に、目の前の朴念仁に女心────スコールの複雑な心の有り様と言うものを確りと理解させる事、これに尽きる。


「よく思い出せよ。スコールが理由もなく、お前をいきなり殴ったりなんか、絶対ある訳ないんだから」
「ああ、それは俺も判っている」
「そういや、クラウド。殴られた後に謝ったりとかは?」
「していない。理由が判らない内に謝っても、スコールは益々怒るだろうし、取り敢えず謝って置けば、なんて事は俺も思っていない」


 クラウド自身は、傍目にどう見えるとしても、真剣にスコールの事を想っている。
その様子が感じられて、ジタンは吊り上げていた眉の力を少し緩めた。


「じゃあ、ちょっとおさらいしようぜ。昨日の事、一から順番に話してみろよ」


 クラウドの行動に原因があって、それに本人が気付いていないと言う可能性は、大いにあり得る。
第三者の目線が必要だろうと提案したジタンに、クラウドは昨日の出来事について語り始めた。






 以前は単独行動が目立っていたスコールだったが、最近は大分、その傾向も緩和されていた。
好んで団体行動を取る訳ではなかったが、ジタンやバッツに引っ張られて行く事にも慣れたようで、抵抗したり、跳ねつけたりと言う事も減った。
そして、クラウドと恋仲になってからは、彼がスコールを追ってくるようになり、二人で探索に向かう事が増えたのである。

 同行する二人の間には、特別に交わされるような会話はない。
どちらも寡黙な性質であるし、互いが口下手である事も知っているから、無理に話題を探して沈黙を嫌う必要もなかった。
時折、あの件はどうなった、あれは何があったんだ、程度の遣り取りがあるだけ。
……そんな些細な遣り取りが、クラウドは気に入っていた。

 ルフェイン地方の南部、混沌の大陸へと続く場所で、二人は探索を行っていた。
この周辺の歪は、解放しても再びイミテーションに侵食される。
放っておけば歪はどんどん広がり、イミテーションが増加し、聖域方面へ大挙して来る可能性がある為、定期的に様子を見に来る必要があった。
恋人と二人きりで過ごすには、なんとも色気のない話だが、他に邪魔───乱入して来るジタンとバッツだとか、じゃれたがるティーダだとか、邪険にしている訳ではないのだが、どうしても“邪魔”と言う言葉になってしまう───がいない事を思えば、クラウドはこの周辺の探索行為は決して嫌いではなかった。
聖域近辺のように、仲間が探しに来るかもしれない、と言う可能性も低いから、運が良ければ甘い時間を楽しむ事も出来る。

 が、戦の世界は恋人達には優しくはなく、


「いつもの事だが、無粋な連中だな」


 ずらりと並んだ模倣の軍勢たちを前に、クラウドは呟いた。
その隣では、スコールが既にガンブレードを握り、鋭い眦で軍勢を睨んでいる。
そんな彼女の横顔は、先程まで、口付けられる瞬間を前に、真っ赤になって目を閉じていたとは思えない。


「上級種はいないようだな」
「なら、一気に片付けるか」


 ぐるりと周囲を見回して、敵のレベルを適当に見当をつけると、二人同時に駆け出した。

 勇者、猛者、義士、兵士、少女、魔女、夢想……模倣者の軍勢のバランスに統一性はなく、指揮を取るカオスの戦士の姿もない。
ならば、それ程時間はかからないだろうと踏んで、クラウドは力押しの一手で攻めた。
スコールも同様に、細い腕でガンブレードを縦横無尽に振り回し、襲い掛かる模倣者達を次々と切り捨てて行く。

 十体、二十体と屠り続けている最中、遠方から魔力の匂いを感じて、クラウドは眉を潜めた。
正面から襲い掛かって来た、自分と同じ顔をした模倣物を刻むと、倒れ行くその体を駆け上った。
続け様に飛び掛かって来た盗賊の肩を借りて、宙へ跳ぶ。
上空から周囲を見渡すと、円状に広がった軍勢の外側に、複数体の暴君の姿が見えた。


「スコール!」


 体が重力に従い始める中、クラウドは獅子と刃を交えていたスコールを呼んだ。
拮抗し合った力で対峙したまま、スコールの視線だけがクラウドへと向けられる。


「6時の方向で暴君が何か仕掛けている!直ぐに討て!」


 クラウドの言葉が終わるよりも早く、スコールは足を振り上げて獅子の腹を蹴り上げた。
バランスを崩した獅子を切り裂いて、方向転換すると、ガンブレードに闘気のオーラが集まる。

 動きを止めたスコールを狙って、義士の放った小剣が迫る。
スコールの背にクラウドが滑り込んで、突き立てたバスターソードが小剣を弾いた。


「おおおおおおおおおおおっっ!!」


 咆哮と共に、巨大な刃となったオーラが頭上高く持ち上げられ、振り下ろされる。
闘気の剣は周辺のイミテーションを巻き込みながら渦を巻き、破裂し、円の向こうにいた暴君達を飲み込んだ。

 暴君達が高めていた魔力が霧散する。
しかし、未だ消えない魔力の波を感じて、クラウドは眉を寄せた。


(まだいる!)
「────其処だ!」


 クラウドが周囲を見渡すよりも早く、スコールが地を蹴った。
その後を追うように軍勢が一斉に動くのを、クラウドが壁となって立ちはだかる。
しかし、暴君の方角から感じる魔力の匂いが一種類ではない事に気付いて、クラウドは目を瞠った。


「スコール!」


 嫌な予感を感じて振り返った時、スコールは暴君の腹に刃を沈めていた。
背まで貫くほどに強く埋められたダメージに、暴君は耳障りな雑音に似た悲鳴を上げて絶命する。
────その向こうで、魔女が冷たい笑みを浮かべていた。


「────……!」


 暴君への突進力に力を集中させていた所為で、スコールの体は次の動きへの処理に対応できなくなっていた。
目を瞠り、無防備になった彼女の細い体へ、無数の矢が放たれる。

 肩へ、腕へ、足へ、漆黒の矢が突き刺さり、腹を掠めて血が噴き出した。
筋肉の抵抗を突き破って進もうとする矢を、腕を振って強引に払い除けると、蓋を失った穴から目に痛いほどに鮮やかな紅が溢れ出す。
それにも構わず、金糸は強く地を蹴って突進した。


「─────はぁっ!」


 無数の矢を潜って、バスターソードが魔女の首にめり込んだ。
パキ、ピキ、と骨が砕ける音とは違う、人体では起こりえない音が鳴って、魔女の顔が引き攣った。
断末魔と共にガラスは破片になって飛び散り、砂となって風に浚われる。

 突進の余力をブレーキで殺し、クラウドは踵を返した。
直ぐに再び地を駆け、バスターソードを握り直す。
向かう先では、冷たい瞳の少女が銀刃を翳していた。




 走り回っている内に、出血は止まり、流れた血も汗と一緒に落ちてしまったらしい。
イミテーションの気配も姿もなくなった荒野の中で、クラウドは呼吸を整えながら、剥き出しの二の腕を見てそれを確認した。

 土を踏む音がして、振り返ると、右手にガンブレードを持ったままのスコールが立っていた。
風に流されて揺れるダークブラウンの髪は、すっかり土埃を被ってくすんでしまい、俯いている所為で目元は前髪で隠れ、表情を伺う事が出来ない。


「スコール、大丈夫か?」


 クラウドが声をかけても、スコールは答えない。
無言のまま、クラウドの前まで歩み寄って来ると、徐にクラウドの腕を掴んで自分の下へと引き寄せた。


「ス、」
「動くな」


 呼ぼうとする声を遮って、スコールは固い声で言った。
硬質的な態度にクラウドは眉を潜めたが、大人しくじっとしていると、スコールは穴の開いたクラウドの腕に掌を重ねた。

 ぽう、と淡い柔らかな光がスコールの掌から生まれ、温かな流れがクラウドの身体へと流れ込んでくる。
ケアルの魔法であると気付くと、クラウドは肩の力を抜き、スコールに身を任せる事にした。

 ティナやルーネス、セシル程ではないが、スコールも一通りの魔法を扱える程度には、魔法の心得がある。
ゆっくりと傷は確実に癒えて行き、一分ほどでクラウドの身体から殆どの傷は消えた。


「すまない。ありが────」


 ────言葉が最後まで続かなかった。
突如襲った、頬を打つ鈍い痛みによって。

 握り締めた拳が視界の端に映る。
スコールが何をしたのか、自分が何をされたのか、クラウドの理解は中々追い付かなかった。
それがまとまるのを待たず、青灰色が碧眼をじろりと睨み、


「あんたは違うって、思ったのに」


 そう呟いて、彼女はクラウドに背を向けた。






「────それからは、会話もしていない。帰り道で何度か話しかけてみたんだが、無視された」


 帰路の途中からは、クラウドも黙るしかなくなり、聖域に戻ってからは、スコールが直ぐに部屋に篭ってしまった為、会話の機会さえも失った。
食事の時に顔を見せてくれるかと思ったが、スコールの食事はティナが自分の分と一緒に部屋に運んでしまい、今朝もそれは同様であった。
結局クラウドは、昨日の一件から今まで、まともにスコールと言葉を交わしていないのである。
だから本人から怒った理由を聞きたくとも、彼女が一貫して部屋から出ようとしないので、叶わなかった。
同室のティナにスコールと話が出来るように頼んでもみたのだが、彼女は困ったようにクラウドを見詰め、「ごめんね」と詫びたのみ。
彼女も早くスコールが元に戻ってくれる事を願っているのだが、唯一の女性の仲間である事、年下である事もあって、スコールの味方と言うスタンスに偏ってしまうのだろう。

 八方塞がりだ、と言って溜息を吐いたクラウドを見て、ジタンは彼以上に盛大な溜息を吐いた。


「やっぱりお前が悪いぜ、クラウド」


 ゆらりと尻尾を揺らして言ったジタンに、クラウドが顔を上げる。


「何か判ったのか?」
「判ったって言うか……なんとなく、かな。推測だけど」
「教えてくれ。どうしてスコールは怒ったんだ?」


 ジタンの前置きを気にせず食いついて来たクラウドに、多分だぞ?とジタンはもう一度釘を刺した。


「お前、スコールを庇ったんだろ」
「………ああ。そうだな」


 イミテーションの軍勢との戦闘中、スコールは暴君を盾にしていた魔女の存在に気付くのが遅れ、あわや串刺しになる所だった。
それをクラウドが間に割り込み、代わりに矢を受けた事で、彼女はダメージを免れた。


「スコール、守られるとか庇われるとか、そう言うの駄目なんだよ。そういうのって────お前にそんなつもりはないと思うけど、弱いと思われているから庇われるって、スコールは思うみたいでさ」


 無論、クラウドにそんな気持ちがあって彼女を庇った訳ではない事は、ジタンとて理解している。
しかし、庇われた本人はそれで済ませられるものではなく、何よりスコールのプライドは天よりも高いのだ。
一人で道を突き進む、その強さに異常なほど拘る傾向のある彼女の事、きっとクラウドに庇われた事も悔しい事だったに違いない。

 スコールが言ったと言う、「クラウドは違うと思った」と言う台詞も、「クラウドに弱いと思われていた」と言う誤解から来る言葉だとしたら。
悔しさで一杯になって、それをぶつける言葉を持たない彼女が手を出してしまったのでは、とジタンは考える。


(其処でビンタじゃない辺りが、スコールらしいよな)


 頬を打つなら平手でも良いだろうに、クラウドの頬の痣は、くっきりと拳の形を作っている。
けれど、その時の彼女の手には、ガンブレードが握られていたと言う事を考えると、拳で済んだのが幸いあった事が伺える。


「スコールが弱いと思うから、俺が庇ったって、そう思われてるのか?」
「いや、なんつーか……ちょっと違うかな。お前の行動が咄嗟のことだったのは俺だって判るぜ。同じ立場なら、俺だってスコールを庇うだろうし」


 此処に置いて問題となるのは、クラウドの行動の意味を、スコールがどう受け取ったか、と言う事だ。
恋人同士であるとは言え、戦場に置いて、二人の立場は対等である。
それが“守られる存在”として見られていた事が、スコールにはショックだったのではないだろうか。

 スコールは、大人しく守られているような気質ではないし、それを受け入れられるような性格でもない。
誰かに庇われる事、守られる事……それは傭兵として、前線で戦う者として育ってきた彼女にとって、自分自身の価値を否定されたように思えたのかも知れない。


「行けよ、クラウド。話さなきゃいけない事は判っただろ。そんで、誤解もちゃんと解いて来いよ」


 自分自身を愛する事に不慣れな彼女が、もっと愛されても良いんだと思えるように。
それが不器用な恋人を持った男の務めだと、ジタンはクラウドの背中を押してリビングを追い出した。




 ぽんぽん、と頭を撫でる手があった。
瞼を持ち上げて目を向ければ、柔らかい笑みを浮かべて見下ろす少女がいる。

 昨日、クラウドとの探索を終えて聖域に戻ってから、スコールはずっとベッドの上で蹲っていた。
食事はティナが持って来てくれているから、外に出る必要はないし、何より、今のスコールには動く気力がない。
ティナが食事を持って来てくれなければ、仲間が食事に誘いに来ても「いらない」の一言で無視していただろう。

 スコールがベッドで丸くなってから、ティナはずっとスコールの世話を焼いている。
まるで小さな子供をあやしているように。


(……子供じゃないのに)


 そう思いながら、スコールは、撫でる優しい手を拒否する事が出来ない。
その手が触れていると、頭の中で何か柔らかなものが浮かんできて、無性に苛立っていた心が少しずつ落ち着いて行くのが判った。

 コンコン、とドアをノックする音が聞こえて、ティナの手が離れていく。
それに寂しさを感じている事を自覚して、スコールは枕を手繰り寄せて顔を埋めた。
柔らかいクッションに鼻先を埋めれば、息が少しし辛くなったけれど、代わりに他の何も見えなくなってしまうから、ぐるぐると周る思考も黒く塗りつぶせるような気がした。


「スコール」


 呼ぶ声に顔を上げると、ティナが戻って来ていた。
枕に顔を半分埋めたまま、何だ、と可愛げもなく問うと、


「あのね。クラウドがお話したいって」
「………」


 告げられた名前に、眉間の皺が深くなる。
それを見たティナは、ふわりと笑ってスコールの頭を撫でた。


「私、外に行ってるね」
「…あ、……」
「きっと大丈夫だから。じゃあね」


 スコールからの返事を待たず、ティナは軽い足取りでベッドを離れていく。
それを追うようにスコールが起き上がると、彼女と入れ替わりで部屋に入って来るクラウドの姿が見えた。

 クラウドの剥き出しの二の腕に視線が行って、スコールの脳裏に、其処に穴が開いた絵が浮かび上がった。
そのまま幻視のようにイメージは現実へとトレースされ、血を流す男の姿が見える。
ぞわ、と背中を走った冷たさに、スコールは顔を引き攣らせ────それを見たクラウドが、困ったように眉尻を下げる。


「悪かったな、押しかけて」


 そんなに、俺の顔、見たくなかったか。
そう言って寂しそうに苦笑する男に、違う、と言いたくて、スコールは喉がひりついたのを感じた。

 ベッドの上で枕を抱え、怯える子供のように蹲る少女に、クラウドはゆっくりと近付いた。
スコールがそのまま動かずにいると、クラウドはスコールに背中を向ける形でベッドの縁に腰を下ろす。
少しの間、部屋には沈黙が落ちていたが、スコールが身動ぎした時に鳴ったスプリングの音を切っ掛けにして、クラウドが口を開く。


「あんたが強いって事は、俺も判ってるつもりなんだ」


 前置きのない告白に、スコールはぱちりと瞬き一つして、クラウドを見た。
肩当てやグローブを外した男の背中は、外に出る時に比べてラフなものであったが、鍛えられた筋肉の所為か、身長の割には大きく見える。

 口を噤んだままのスコールに構わず、クラウドは続けた。


「あんたの事、弱いとか、守ってやらなくちゃいけないとか、そういう事は考えていない、と思う。だから昨日の事で、俺があんたの事を弱いと思ってるって、あんたがそう思ってしまったのなら、それは誤解なんだ」


 其処までクラウドの言葉を聞いて、スコールは昨日の───自分が部屋に引き籠る原因となった出来事の話なのだと、ようやく気付いた。
途端、目の前にある背中を漆黒の矢が貫くヴィジョンが見えて、戦慄する。


「庇われるとか、守られるとか、嫌いなんだって、ジタンから聞いた。あんたは傭兵だし、戦うのが仕事のようなものだから、守られてたら意味がないって思うのも、理解できるつもりだ」


 だけど、と一呼吸。


「俺は、お前を守りたい。お前を弱いと思うからじゃない。女だからって訳でもない。ただ、俺はお前に、傷付いて欲しくないんだ」


 クラウドがスコールを庇ったのは、ただ純粋に、彼女に傷付いて欲しくなかったから。
彼女が守られるほど弱くない事も、傷付く事を恐れないのも、戦場ではどうしたって傷を負うものだと言う事も、クラウドは判っている。
それでも、愛しい彼女の、細く白い、嫋やかな体が血を流す所を見たくなかった。

 砕けたガラス片の向こうで、魔女が哂っているのを見た瞬間、クラウドの思考は既に停止し、反射だけで体が動いた。
防御を忘れてスコールと魔女の間に割り込んだ後、突き刺さった筈の沢山の痛みは、不思議と感覚神経に届かなかった。
愛しい少女を傷付けようとした敵を屠り、振り返った時には、彼女は無心に刃を振るっていて、彼女が傷付かなかった事にクラウドは安堵した。
────その時、少女がどんな想いで剣を振るっていたのかも気付かずに。

 クッションが投げられて、とっ、とクラウドの背中に温もりが当たった。
さらりとダークブラウンの髪が揺れたのが見えて、クラウドは肩越しに後ろにいる少女を見て、


「スコール、」


 ────ドン、と勢いよく突き倒された。
思わぬ出来事に、何が起こったのか理解できず、顔面から床にキスする羽目となる。

 鼻とか唇とか額とか、じんじんとした痛みを訴える顔を押さえながら、クラウドは起き上がる。
いきなりどうしたのかと恋人に尋ねようとして、ベッドの上から見下ろす少女の顔を見て、息を飲む。

 涙で潤んだ青灰色が、じっとクラウドを睨んでいた。
スコールは精一杯に震える唇を噛み、頬から耳から首から、真っ赤に染まっている。


「……ちがう」


 詰めていた吐息と一緒に吐き出された言の葉に、クラウドは首を傾げた。


「……違う?」
「ちがう」


 喉が引き攣っている所為で、スコールは上手く呂律が回らなくなっていた。
意識して息を吐き出し、思う言葉を紡ごうとするけれど、何から、何と言って良いのかが判らない。

 ぎし、と軋む音が鳴って、クラウドがベッドに片膝を乗せていた。
覗き込んでくる碧眼の傍に、自分が残した痣があって、それから逃げるようにスコールが俯くと、前髪が彼女の目元を隠す。


「あんたに、庇われたのも、嫌だったけど。……それじゃない」


 守られた、と言う事実に腹は立ったけれど、それは自分自身に対してだ。
あの時点で暴君の向こうにいた魔女に気付かなかったのは自分の落ち度だし、リボルバーに装填した魔弾の作用で魔女の矢を跳ね返す事も考えたが、あのタイミングでは、先ず間違いなく無傷ではいられなかっただろう。
当たり所が悪ければ、その後の戦闘にも多少の支障が出たかも知れない。
だから、クラウドに庇われた事は、悔しいと言う自分の感情さえ除けば、怒りをぶつけるような事ではなかった。

 スコールの膝の上で、白い手がぎゅう、と握り締められる。
指輪の獅子の下に、ぽた、と大粒の雫が落ちた。


「あんたは、俺なんかの為に、あんな事しないって、思ってた」


 誰かに庇われる事、守られる事。
前線で戦う傭兵として、それにプライドが障る事はあっても、戦場では仲間との連携が不可欠である事は判っているし、場面としてそんな瞬間がある事も判っている。

 だから、スコールがあの時“嫌だ”と思ったのは、もっと別の事。
自分を庇ったクラウドが、傷付き、血を流していた事。


「あんたは落ち着いてるし、冷静だから。無茶したりしないから。あんな事しないと思ってた」


 庇うなら、もっと上手く。
自分が傷つかないように。

 そんなに都合の良い戦闘方法ばかりが間に合うとは、スコールとて思っていない。
それでも、自分の体をまともに守らずに間に入って来るとは思っていなかった。
自分の所為でクラウドが傷付くところなんて、見たくなかった。

 自分を庇って漆黒の矢を受けた男の背中を見てから、幻視が消えない。
彼はちゃんと生きていて、あの時受けた傷もスコール自ら治癒したのに、クラウドの顔を見る度、あの瞬間の光景が甦る。
その映像は、まるで瞳の奥に張り付いてしまったかのように鮮やかで、時間が経つごとに凄惨なものになって行った。
腕に、足に穴が開いて、胸を腹を抉られて、頭が割れて……それは全て幻であると、頭では判っているのに、心が悲鳴を上げる。

 だから、クラウドの顔を見れなくなった。
顔を見ると、生きている事の安心感よりも、失う瞬間の恐怖に耐えられなくて、その恐怖から逃げて部屋に閉じ籠った。
幻視が消えるまで、あの光景が消えるまで、クラウドと逢う事のないように。
その事はティナにだけは話していたから、彼女は甲斐甲斐しくスコールの世話を焼いてくれて、昨晩も「大丈夫」とずっと語りかけてくれていた。
お陰で、大分落ち着いたと思っていたのだが、クラウドの顔を見た瞬間、またあの光景が甦ってしまった。


「嫌なんだ。俺の所為であんたが傷付くのなんか、見たくない。俺なんかの為に、あんたに無茶して欲しくない」


 守られる事への喜びなど、スコールは知らない。
あるのは、傷から繋がる喪失への恐怖だけ。
だから、誰にも守られなくていいように、いつか失うかもしれない“何か”を持たなくて良いように、強さを求めていた。

 それなのに、クラウドに出逢ってから、どんどん弱くなる。
庇われて、守られて、怖くなって、泣いて。
女である事を理由に馬鹿にさせるのが嫌だったから、捨てて来た筈のものが、クラウドの傍にいる事でもう一度芽吹いて来る。


「あんたはきっと、俺なんかの為に無茶しないって思ってた。なのにあんた、あんな無茶するから」


 恋人同士になる前は、もっと楽だった。
クラウドは、スコールの事を“女”であるよりも“戦士”として認識していたから、スコールも気が楽だった。
庇い庇われるのは戦術に置いての事で、クラウドも兵士であったと言うから、ならば尚の事気を使う必要はない。
セシルのように騎士然とした構えを持っている訳ではなく、どちらかと言えば“傭兵”であるスコールと近い気質をしていたから。
もしも誰かの命が失われる日が来ても、戦場においてそれは当たり前の光景だと知っている。

 けれど、いつしか心を通い合わせている内に、スコールはどんどん自分が弱くなって行く事に気付いた。
想う相手がいる幸福感よりも、いつか別れる悲しさが、失われるかも知れない温もりが、置いて行かれる日が来る事が恐怖になった。
それでも、クラウドならきっと大丈夫だと、自分自身に言い聞かせた。
冷静で思慮深い彼なら、自分の命が危険にさらされるような無茶はしないだろうと。

 ぼろぼろと泣きじゃくりながら話す少女を、クラウドはそっと抱き寄せた。
触れる温もりを怖がるように、スコールはゆるゆると首を横に振ったが、彼女の腕はクラウドの背に回されている。
精一杯にしがみ付いて来る細い腕が震えていた。


「難しいな、スコール」


 クラウドの呟きに、ぴく、とスコールの肩が揺れた。


「お前は俺に傷付いて欲しくないって言うけど、俺はお前に傷付いて欲しくない。だからきっと、また同じ事をするだろうな」
「……!」


 スコールの体が強張って、いやいやと首が横に振られる。
そんな彼女の柔らかな髪を撫でて、クラウドは小さく笑みを浮かべた。


「だって、どうしようもないだろう?」
「なくない。あんたが俺を庇わなければいいんだ」
「無理だな。殆ど条件反射だから」


 昨日だって、頭で考えるよりも先に、体が動いていた。
どんなに冷静を装ったつもりでも、スコールを想うだけで、クラウドの頭は簡単にオーバーヒートを起こす。
こればかりは、スコールの言うようには出来そうにない。

 嫌だ、としがみ付いて来るスコールの額にキスをする。
涙で濡れた青灰色がクラウドを見上げ、泣き出しそうに表情が歪んで、直ぐに視線が逸らされる。
カタ、と彼女の肩が震えるのを見て、クラウドはスコールの肩を掴んで押し倒した。

 白いシーツの波の中に、ダークブラウンの髪が散らばった。
驚いたように見開かれたスコールの瞳が、クラウドの顔を真正面から見上げている。


「大丈夫だ、スコール。ちゃんと俺を見ろ」
「……や、」


 顔を隠そうとする彼女の腕を掴むと、スコールは固く目を閉じる。
そうすると、瞼の裏側で、愛しい人が血に塗れて行くのが見えて。


「スコール」


 呼ぶ声がして、頬に凹凸のある手が触れた。
重いバスターソードを振り回す、クラウドの手だ。

 スコールが恐る恐る目を開けると、碧眼がじっと自分を見下ろしていた。


「あの時の怪我、治してくれたのは、お前だろ?その後の、これも」


 一晩経っても消えない頬の痣を指差して、口元を緩めてクラウドは言った。
スコールが気まずそうに唇を噤み、視線を彷徨わせる。
それをクラウドは、スコールの顎に手を当てて上向かせる事で、自分の方へと強制的に向き合わせた。

 淡い色の唇に、クラウドのそれが重なると、スコールの体から力が抜けていく。
クラウドが掴んでいた彼女の腕を解放すると、恐る恐る、首へと回されて身を寄せられる。


「ん、…ぅ……」


 ちゅ、と小さな音が鳴ると、スコールの耳が赤くなった。
ゆっくりと顔を放して行けば、涙の痕を残した瞳が、自身に覆い被さる男を見詰めていた。


「クラウド」


 小さな唇が紡ぐ名に、クラウドは柔らかな笑みを浮かべて、少女の額にキスをする。
青灰色が益々潤んでいたのが見えたが、クラウドは構わずキスを繰り返した。
少女の肩はもう震えてはいなかったけれど、縋り付く腕は離れない。

 ────温もりに触れているだけで、愛する男の熱が此処にあると感じるだけで、あれだけ繰り返されていた幻視が消えていく。
それでもまだ恐怖心は消えない。
スコールは、震える腕でクラウドに力一杯縋り付いて、其処にいる男が生きている事を確かめた。


「スコール」
「く、ら…うど……」


 呼ぶ声が耳元で聞こえて、スコールは目頭がまた熱くなるのを感じた。

 クラウドと逢ってから、想いを遂げてから、酷く涙脆くなった気がする。
溢れそうになる涙が舐め取られるのを感じながら、スコールは思った。

 ぎし、とベッドのスプリングが鳴る音がして、はた、とスコールは目を開ける。
間近に迫った男の顔を見て、咄嗟にその顔を掌で押し退けた。


「……ティナが戻ってくる」


 そう言ったスコールの顔を、クラウドは彼女の指の隙間から見た。
耳から首から真っ赤になった彼女の姿に、そう言われてもな、と眉尻を下げる。

 顔を押し上げるスコールの手を取って、クラウドはスコールの顔を覗き込んだ。


「駄目か?…昨日の今日だし、お前が無事だって確かめたいんだ」


 眉尻を下げて問うクラウドに、スコールはむず痒そうに唇を噛んだ後、


「俺、だって……」
「じゃあ」
「……でも……此処、は、……嫌だ……」


 ティナ、帰って来るだろうし。
ベッドも汚れるし。

 スコールの声は尻すぼみに小さくなって行き、顔は熟れた林檎のように真っ赤になっている。
クラウドはそんなスコールの唇にキスを落として、細い少女の体を抱き上げた。





[2]はR-18です。お気をつけて。

何故か真面目にすると朴念仁になってしまうクラウド……
スコール贔屓なティナママが好きです。