ドント・セパレート・フロム・ミー
『ドント・ミスアンダースタンド・ミー』の続き


 『総務部調査課』が宛がわれているフロアから、スコールはエレベーターで地上一階へと下りようとしていた。
陰鬱とした気分は未だに抜けていない。

 保護者達にザックスの誤解と、此処数日の彼の嘘について愚痴を零した後、日課となっているルードとの訓練として手合せをして貰ったが、どうにも集中できず、彼から一本も取る事が出来なかった。
その上、ルードから「気分転換でもしてこい」と彼の名義のキャッシュカードを渡される始末。
カードなので判り難いが、これは小さな子供に小遣いを渡し、「お菓子でも買っておいで」と言っているようなものだ。
数年前のスコールなら、素直に喜び、保護者に手を引かれてLOVELESS通りに繰り出したのだが、流石にもう其処まで子供はない。
とは言っても、欲しい本やアクセサリーがあったのは確かで、その誘惑に負けてしまう位には、幼いのであった。

 こういう所があるから、いつまでも子供扱いされるのだろう、とスコールは思った。
感情に左右されて、訓練に集中する事が出来ず、一つの事にいつまでも拘っている。
女子供に間違われる事は確かに悔しいけれど、潜入任務や敵の油断を誘える事を考えれば、メリットにも成り得る……と頭では分かっているのだが、やはり納得がいかない。
特に、ソルジャー1stの人懐こい男に、女子供と同じ扱いをされるのが、腹立たしくて堪らない。


(……どうして)


 ふと、スコールは疑問を抱いた。
どうしてザックスにばかり、腹が立つのだろう、と。

 ハイデッカーやスカーレットに子供扱いされたり、パルマーにだらしない顔で言い寄られたりと言うのも、非常に腹が立つ。
しかし表だって文句が言えるような立場ではないし、彼らの性質を考えると、特別スコールに対してのみああした態度を取る訳ではないので、好きに言わせておけば良いのだと思うまで、それ程時間はかからなかった。
リーブに子供扱いされるのも不服だが、彼は先の幹部達に比べると、ずっと常識人だし、男だと言う事は判ってくれているので(それがタークスの面々による説明のお陰であるとはスコールは知らされていない)、それ程尾は引かなかった。

 他にも沢山の人間に、女子供だからと勘違いと色眼鏡で見られてきた。
後少し身長が伸びれば、鍛えて筋肉もつけてしまえば、そんな風に言われる事もなくなるだろう。
だからそれまでの辛抱なのだ、と思ってはいるのだけれど、


(……ザックスに勘違いされてるのは、嫌だ)


 どうしてか彼にだけは、女だと思われているのも、子供扱いされるのも我慢できない。
幾ら言っても判ってくれない彼に、どれ程腹を立てただろう。
其処までして、誤解を解きたいと思う相手は、彼しかいなかった。

 ゆっくりと下りて行くエレベーターの中で、スコールは唇を噛んだ。


(……どうして、……)


 子供扱いして頭を撫でる手が、嫌いだと思う。
シスネやレノの手と同じように撫でるのに、彼女達の手は好きだと思うのに、ザックスの撫でる手だけは嫌いだと思う。

 けれど、此処しばらくの間、その嫌いな手に撫でられてさえいない。
今の彼は、触れる事は愚か、スコールが近付こうとしただけで逃げるように姿を眩ます。
眼を合わせると、まるで隠れていた所を見付かってしまったかのように、判り易く「しまった」と言う顔をして見せる。


(……どうしてあんな顔するんだよ)


 少し前────休暇に行く前までは、人懐こい顔で手を振って来たのに。
それをスコールが無視しても、次に逢った時には、また同じように手を振って来たのに。
スコールの気持ちなんて知らないで、ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でに来たのに。


(……嫌われたのかな)


 触れたくないくらい、近付きたくないくらい。
顔も見たくないくらい、嫌われてしまったのだろうか。
其処まで嫌われる程の事を、自分は何かしたのだろうか。

 彼の撫でる手は嫌いだと思うのに、彼に嫌われたのかと思うと、胸の奥が酷く痛む。
自分勝手だな、とスコールはエレベーターのガラスに額を押し付けて呟いた。

 ─────ガコン、と不自然にエレベーターが停止したのは、その時だ。


「……え?」


 スコールが目を丸くして顔を上げると、ブツン、とエレベーター内の電気が消えた。
身構えて辺りの気配を探ると、微かに地響きのような振動が伝わってくる。
恐らく、この振動を感知して、エレベーターは緊急停止したのだろう。

 スコールの脳裏に、数ヶ月前に起きた謎の敵からの襲撃事件が浮かんだ。
あの件については、その前後に起きていたソルジャー1st失踪事件と関連して解決したと言うが、同じ事が再び起こらないとも限らない。
近年、反神羅組織の活動が活発化していると言う話も聞くし、何処からか襲撃を受けているのかも。

 がこん、とエレベーターが一度揺れて、消えていた電気が点灯する。
スコールは直ぐに停止ボタンの全フロアを押した。
エレベーターは少しの間下降した後、最寄のフロアに停止し、扉を開く。
急いでエレベーターから出ると、今度は大きな振動がスコールを襲う。


「っ……!」


 何が、と壁に寄り掛かって捕まりながら辺りを見回すと、ソルジャーの制服を着た者が右往左往している。
どうやら、ソルジャーフロアのようだが、其処にスコールの知っている人物の顔は見当たらない。
微かに肩を落としてしまう自分を叱咤して、スコールは現状把握が先だと頭を振った。

 近くでガラスが割れる音が鳴り響き、通路の向こうから突風とともに粉塵が押し寄せる。
振動の大元は此処にあったのだと知って、スコールは身構えた。

 ────が、


「サンダガはないんじゃね!?」
「お前が逃げるからだぞ、と」
「シスネもそれ仕舞えよ!おっかねえよ!」
「貴方がちゃんと、全部話してくれたら考えるわ」


 よく知る声が土煙の向こうから聞こえて来て、スコールは目を丸くした。
ひゅぅん、と風を切る音がして、緋色の手裏剣がスコールの真横を跳びぬけて行く。
細いワイヤーで繋がれたそれが、巻き戻しのように回収されていくのを目で追って、スコールは粉塵の向こうに誰がいるのかを把握した。


「おい、お嬢ちゃん!其処にいると危ないぞ!」


 ソルジャー2ndの制服を着た男が叫んだが、スコールが反応する余裕はなかった。
ガシャン、ドゴン、と物騒な音が響く粉塵の向こうへと走り出す。

 通路の向こうで爆炎が響いた。
熱波にスコールが顔を顰めて足を止めると、其処へ大きな影が吹き飛んできた。
何、とスコールが物体を把握するよりも先に、塊はスコールにぶつかって、諸共に床を転がる羽目になる。


「いっ……」
「ってぇ〜…!!だからガ系はやめろって!お前ら、ビル丸ごと吹っ飛ばす気か!?」


 呻くスコールの傍らで、悲鳴のような非難のような、必死の声が木霊する。
スコールは直ぐに起きてその存在を確かめたかったが、床を転がった時にぶつけた頭がガンガンと鈍い響きを訴えていて出来なかった。

 粉塵を破るように飛来する影に、ザックスが慌てて這うように逃げ出す。
ガキン、と固い金属の音がして、スコールが振り返ると、地面に緋色の手裏剣が突き刺さっている。
先程見たものは、やはり見間違いではなかったのだと知って、スコールは急いで体を起こした。


「シス、」
「見ただけならともかく、押し倒したって何!?あの子に何をしたの、ザックス!」
「いや、ちょっと待ってくれ!話せば判る!」
「って、あんたさっきまで何も言わなかっただろ、と」


 通路向こうに逃げたザックスを追って、シスネとレノが現れた。
二人の向こうにあった広めの休憩スペースは、すっかり灰と化している。
一体どうしてこうなったんだ、とスコールはその場に座り込んだまま、呆然とした。

 シスネとレノは、憮然とした表情でザックスを睨み付けている。
壁際に座り込んでいる少年の存在には、全く気付いていないようだ。


「はっきりしてよ!大事な事なんだから!」
「そんな事言われたって、俺だってパニクってたし────」
「驚いてパニックになって、うっかり手出したって?」
「……ザックス!!」
「レーノー!お前何言ってくれてんの!?俺、子供に手出す趣味はないって言っただろ!」


 火に油を注ぐレノの台詞に、シスネが亜麻色の瞳を血走らせて、ザックスに向かって突進する。
床に突き刺さっていた手裏剣を手繰り寄せて回収し、ザックス目掛けて腕を振り被った。
ザックスは右に転んで攻撃をかわすと、直ぐに起き上がって距離を取ろうと走り出す。
が、その先には、特殊警棒を肩に担いだレノが立っていた。


「手ぇつけといて避けるってのは、無責任だぞ、と」
「ちょっ、待て待て。お前ら根本的なとこ誤解してるって!」
「先に誤解してたのは貴方でしょ。スコール、きっとその誤解を解こうとして、それだけだったのに……なんて事したの!」
「俺が何の誤解したってんだよ?って言うか、いや、本当に!何もなかったって!お前らが思ってるような事は!」


 パシッパリッ、とレノの構えた警棒から電気が奔る。
シスネの構えた緋色の手裏剣の刃が、鋭い光でザックスを睨んだ。
どちらも人は勿論の事、モンスターを相手に十二分の威力を発揮させる事が出来る武器である。
幾ら魔晄を浴びて、通常の人間よりも頑丈になったソルジャーでも、あれは駄目だ、とザックスは思った。

 じりじりと距離を詰める二人に、ザックスは腰を引いて後退して行く。
しかし、神羅ビルの各フロアの通路と言うものは、総じて然程広くはない。
エレベーターホールまで行き付いてしまえば、もう其処から先の逃げ場はなく、ザックスは壁を背にして追い詰められてしまう。


「待て、落ち付け。取り敢えず落ち着いてくれ。お前らが思うような事は、本当になかったんだって」
「押し倒したって言ったじゃない」
「押し倒しただけじゃないぞ、と。揉んだってのは、どういう事だ、と」
「揉ん…だかも知れないけど、押し倒したってのも、それは事故で。ちょっと当たったって言うか」
「当たったと揉んだって凄く意味が違うと思うんだけど…」
「当たったとかだけなら、謝れば済む話だろ、と。少なくとも、うちのお姫様は、あんたに何かされたとか思ってはいないみたいだし、と。……あんたが口止めしてなければの話だが」
「……それもどーかと思うんだけどなぁ……アレで何もされてないって言うのも……つか、口止めって何。口止めするような事なんてしてないぞ!」
「だから、アレって何をしたの。そんな事しておいて、どうしてあの子を避けてるの?」
「責任取る気もなしで手を出したんなら、最低だぞ、と」
「いやいやいや!そんな事言うんだったら、お前らの方こそ、なんであんな状況にさせたんだよ!?」
「貴方を信じてたからよ。あの子だって、貴方と一緒にいると楽しそうだったし……だから少し位ならって思ったら……」
「あんたがそんな男だったとは思わなかったぞ、と」


 レノが失望した、とばかりに深い溜息を吐く。
その隣で、シスネが手裏剣を握る手をわなわなと震わせ、


「私が…私がもっとちゃんとスコールの話を聞いてあげてれば……一緒に行かせて良いんじゃない、なんて、あんな安易なこと言わなかったら……」
「それは言いっこなしだぞ、と。俺もルードも、ツォンさんも、こんな事になるとは思ってなかったし」


 泣き崩れそうな程に声を震わせるシスネに、レノが努めて柔らかい声で宥める。
しかし、構えたままの警棒からは、相変わらず電気が迸る音が鳴っている。

 ザックスは、壁に張り付いたままで、そんな二人を見詰めながら首を捻る。
やっぱり根本的に勘違いされているような、会話の中で何か重大な擦れ違いが起きているような。
そんな疑問に苛まれつつ、逃げるなら今だよな、でも逃げたら余計に怒るよな、と現状打破の最良手段を必死で探る。
しかし、それが答えを出すのを待ってくれるほど、相手は優しくはなかった。


「どっちにしても……」
「責任を取る気がないのなら、」


 ぎらり、とタークスの眼光がザックスを射抜いた。
ぎくっとザックスの顔が引き攣る。


「うちのお姫様を泣かせた責任、あんたの体で払って貰うぞ、と」
「体でって………お前、そんな趣味あったの?」


 茶化すようなザックスの台詞に、レノは無言で雷光を放つ。
和ませようと思ったのに、と場違いな思考で嘆くザックス目掛け、緋色の手裏剣が稲光を纏いながら接近した。

 あ、死んだ。
ザックスは思った。
しかし、予想した未来は、乱入者によって変えられる。


「ウォール!!」


 高い声と共に、ザックスと乱入者の周囲に虹色の光を放つ壁が現れた。
手裏剣の刃が壁を削り、耐久に負けて弾かれる。
雷光に押された壁が微かに後退するように揺れたが、先に消えたのは雷光の方だった。

 壁が消え、ザックスを庇うように立ち塞がっていた乱入者が、その場にへたりと頽れる。
ザックスは、慌てて腕を伸ばして、それを拾い支えた。


「────スコール!」


 ザックスの腕に抱えられて、安堵したように座り込む人物を見て、シスネが名前を呼んだ。
レノも顔面を蒼くし、急いでスコールとザックスの下へと駆け寄る。


「何て無茶してるんだ、と」
「スコール、スコール。大丈夫?」
「ん……」


 覗き込む二人の声に、スコールが小さく頷く。
その後で、じろりと青灰色が二人の保護者を睨み付け、


「何やってるんだ、あんた達!」


 思いも寄らなかったであろう、スコールからの怒声に、シスネとレノだけでなく、ザックスも目を丸くした。
そんな面々に構わず、スコールは廃墟同然の有様となったフロアを指差し、


「フロア一つ滅茶苦茶にして、何考えてるんだ!怪我人も出てるし、補修費用だってうちが負わなきゃいけないだろ。ガ系魔法まで使って、ビルが吹っ飛んだりしたらどうする気だったんだ!?」


 スコールに言われて、シスネとレノはようやくビル内の惨状に気付いた。
頭に血が上ってとんでもない事を仕出かしてしまったと、シスネは頭を抱え、レノは顔を引き攣らせる。
幾ら社長・副社長直々のバックアップがあるとは言え、流石にこれは言い逃れ出来るものではない。
それも酷く私的な理由であるから、尚更。

 眦を吊り上げて保護者達を睨んでいたスコールだったが、項垂れる二人を見ると、小さく溜息を吐いて表情を緩めた。


「……ごめん。ごめんなさい」
「え?」


 小さく呟いたスコールの言葉に、シスネとレノが顔を上げる。


「どうしてスコールが謝るの。私達がした事なのに」
「…だって……シスネとレノが…よく判らないけど、怒ってたのって、きっと俺の所為なんだろう。さっき話したザックスの事とかで……」
「あー……まぁ、…うん」


 肯定か否定か迷うような仕草をした後で、レノが小さく頷いた。
それを見て、「だから、ごめん」ともう一度スコールが謝る。
シスネとレノは、俯く子供に何を言えば良いのか判らず、泣き出しそうな蒼を見詰めて口を噤んだ。

 その様子を傍観しているザックスは、スコールを腕に抱いたまま、若干の混乱状態に陥っていた。


(俺の話って……あれだよな、コスタ・デル・ソルで俺がスコールに…って、あれの話だよな。やっぱりそうだよな…スコールにとっては、事故なんかで済ませれるもんじゃないし……)


 そんな事を考えていたら、このままスコールを抱いたままでいても良いのだろうか、と言う疑問まで湧いてくる。
しかし、マテリア解放と騒動を納める事で気力を使い果たしたのか、細い身体には力が入っていない。
医療フロアまで連れて行った方が良いかも知れない、とザックスは考えた。

 シスネとレノは、フロアの修復費用云々については、自分達が責任を持つと言った。
事の原因(らしい)であるスコールは、それを聞いて酷く不安げな表情をしたが、レノに頭を撫でられると、小さく頷いて了承した。
幼い自分が表に出た所で、タークスの立場が悪くなるだけで、何もメリットはないと理解しているのだ。


「ごめんね、スコール。怖い思いさせちゃって」
「怪我はないみたいだな、と」
「……ん。ありがとう」
「でも立てそうにないわね……私達は、これから治安維持部門の方に行かなきゃいけないし……」
「……と、なると……」


 シスネとレノの視線が、一点────ザックスへと向けられる。
え、と顔を引き攣らせるザックスに、二人は顔を見合わせ、深々と溜息を吐いた。


「……仕方ないぞ、と」
「…そうよね……ツォンさん達が降りて来るまで、スコールを一人にする訳に行かないし」
「え。え、ちょっと待って…俺の意見は……」


 ストップをかけようとするザックスの声を無視し、シスネとレノはスコールの顔を覗き込む。


「医療フロアには、ザックスに連れて行って貰ってね」
「え……」
「何かされそうになったら、これで殴っていいぞ、と」


 レノが自分の警棒をスコールの手に握らせる。
スコールが徐に手元のスイッチらしきものを押すと、バチッバチッと放電が光った。


「おい、危ないモン渡すなよ!」
「ソルジャー相手じゃ、それ位のものじゃないと護身にならないだろ、と」
「ってか、俺がスコールに手出したとかその辺の話、」
「詳しい話はまた後で聞くわ。ごめんね、スコール、ザックス」


 ざわざわと人が集まって来た気配に、シスネがザックスの言葉を遮って立ち上がる。
ザックスとスコールがそれぞれ引き留めるように手を伸ばすが、二人は直ぐに一般兵たちに取り囲まれる事となった。
こうなっては、ザックス達にはもう追う事は出来ない。

 ザックスが手を下ろして溜息を吐くと、全く同じタイミングで、同じトーンの溜息があった。
顔を上げれば、魔晄の碧色と、深海のような青灰色が間近で重なる。


「お、」
「……あ、」


 何日振りに、その色を見ただろう。
気まずさと、それ以上の気恥ずかしさで、二人は同時に顔を背けた。


「え、と……と、取り敢えず、医療フロアだな」
「あ、うわっ!?」


 言われた事は取り敢えず果たさなければ、とザックスは、腕に抱いていたスコールを横抱きの格好で掬い、立ち上がる。
所謂“お姫様抱っこ”の状態をされている事に気付いたスコールは、真っ赤な顔でザックスの頬を抓った。


「ひててててて」
「下ろせ!」
「らって、ほまへはへらいひゃん」


 だって、お前立てないじゃん。
ザックスの言葉に、スコールは自身の体に殆ど力が入らず、降ろして貰う為に暴れる事すらままならない事実を突き付けられ、唇を尖らせる。
赤い顔で眉根を寄せ、ぎりぎりと歯を食いしばるスコールに、ザックスは安堵のような、複雑なような、微妙な溜息を吐く。

 傍らのエレベーターの案内パネルが光って、昇降機の到着を知らせる。
扉が開くと、上階から降りて来たのだろうセフィロスと数名のソルジャーが現れた。
ちら、と銀糸の男がザックスを見遣ったのが見えたが、腕の中にいる子供を見つけると、「早く行け」と促すように目を逸らした。

 ザックスは、入れ違いで空っぽになったエレベーターに乗り込むと、スコールに首に捕まるように言った。


「え、なんで……」
「なんでって、ボタン押せないだろ」
「……下ろせばいいだろ……」
「駄目だって。ほら、早く。セフィロスが気ぃ使ってくれたし、早く行っちまわないと」
「………」


 渋々、ザックスの首に細い腕が伸ばされる。
しっかりとした力でスコールがしがみ付くのを確かめて、ザックスはスコールの背を支えていた手を離し、行先のフロアボタンを押す。
扉が閉まり、ゆっくりと下降して行く間、小さな箱の中は沈黙が支配していた。

 エレベーターが医療フロアに到着し、ザックスはスコールを抱え直して昇降機から降りる。
先の騒動に巻き込まれたのだろう、常よりも人が多い通路を進み、空いている場所を探す。


「えーと……ベッドのあるとこはっと……」
「……別に其処までしなくていい…適当に休める所までで、」
「うん。だからベッドのあるとこな。あと人がいない所と」


 だから、其処までしなくて良いって言ってるのに────と呟いて、スコールは辺りを見回した。
じろじろと、あちこちから向けられる視線が痛くて堪らない。

 スコールは人目につくのが苦手なのだが、ザックスは全く気にならないらしい。
数少ないソルジャー1stが、神羅ビルの内部に早々いる筈のない子供を抱いているなど、注目の的になって当然だ。
スコールがどんなに体を縮めても、ザックスと言う存在が嫌でも目立ってしまっていた。


(こんな事になる位なら、シスネ達が戻ってくるのを待っていれば良かった)


 こっそりと溜息を吐いたスコールだったが、あの場にスコールが残っていれば、タークスメンバーの一人として、事情聴取を受ける事になっただろう。
シスネとレノが、スコールに医療フロアへ行くように促したのは、根本の原因的存在であるスコールを庇う意味もあった。
そんな彼女らの親心を思うと、幼さ故の悔しさはあるものの、二人の気持ちを無駄にしてしまうのも気が引ける。

 取り敢えず、早くこんな目立つ状況から解放されたい。
そう思っていると、ザックスが足を止めた。


「おっ、此処はまだ誰も使ってないみたいだな」


 電気の落ちた部屋を覗き込んで、ザックスは言った。
スコールが顔を上げると、其処はベッドが二つ並んでいるだけの、医療部門用に設けられた仮眠室のようだった。
部門外の人間が勝手に使って良いのだろうか、と言うスコールの疑問など知る由もなく、ザックスは「お邪魔しまーす」と軽い口調で断りを言って、敷居を跨ぐ。

 ザックスは、スコールをゆっくりとベッドへと下ろした。
固いマットレスがスコールを受け止め、力のない体を横たえさせた後、ザックスは壁のスイッチを押して部屋の電気を点ける。


「えっと……」


 点灯スイッチをオンにしてからも、ザックスはその場に立ち尽くしていた。
ベッドに横になったスコールには背中を向けたまま。

 がりがりとハリネズミのように後ろに流している黒髪を掻くザックスを見て、スコールは眉根を寄せた。


「ザックス────」
「よし。じゃ、俺は外に出てるから!」


 名を呼ぶ声を拒絶するかのように、殊更に明るい声でザックスは言った。
そのまま部屋を出て行こうとする彼に、スコールは手元にあるものを掴んで投げつける。
ザックスの頭目掛けて飛んだそれは、ぼすん、とクッションを軽く弾ませた後、彼の足下へと落ちた。

 今のはなんだ、と言う表情で振り向いたザックスの眼に、ベッドから起き上がったスコールの姿が映る。


「おい、無理するなって……」


 足下に落ちていた枕を拾って、スコールに渡そうとして、ザックスは息を飲む。
深い深い海の底のような、青灰色の瞳に、一杯の雫が浮かんでいた。

 ひく、とスコールの喉が引き攣った。
薄い唇はぎゅっと噛み締められているが、眦の雫は耐え切れず、呆気なく頬へ落ちて伝って行く。
スコールは服の袖でごしごしとそれを拭こうとしたが、雫は後から後から溢れて来て、止まってくれなかった。


「スコール、どうした?どっか痛むのか?」


 ベッドの傍らに膝をついて、覗き込むように見上げながら、ザックスが問う。
そんなザックスに、スコールは濡れた瞳を尖らせて睨んだ。


「あんたの所為だ!」
「うぇっ!?」


 決して広くはない部屋一杯に響いた声に、ザックスは思わず肩を跳ねさせる。


「お、お、俺の所為って……」
「あんたがずっと俺を無視するから!」
「無視って、そんな事────」
「嘘吐け!俺が話しかけたら、仕事があるっていつも逃げてた癖に。仕事なんかなかった癖に!」


 今度は、スコールがザックスの声を遮った。
涙を浮かべて叫ぶスコールの言葉に、ザックスはばつが悪そうに視線を逸らす。
そうして、自分と一緒にいるのに、自分を見てくれない碧色が嫌で、スコールは益々溢れる涙を堪える事が出来なくなった。


「なんだよ…俺が何かしたなら、言えばいいだろ。それとも、嘘吐いて避けて、顔合わせるのも嫌になったのか?そんなに俺の事嫌いになったんなら、そう言えばいいだろ……」


 そうしたら、中途半端に苦しい胸の痛みも消えるのに。
人懐こい笑顔で、声で、名前を呼ぶ残像を、きっぱり忘れてしまえるのに。

 小さな子供に戻ってしまったように、ぼろぼろと大粒の涙を零して泣きじゃくるスコールに、ザックスは目を丸くしていた。
俺が泣かせたんだろうか、と、停止しかかった思考の中で呟く。
嫌いになったって、誰が、誰を?と自問して、「俺がスコールを」と言う答えに、それは違う、と直ぐに否定する。
自分の方こそ、スコールにコスタ・デル・ソルでの一件で嫌われても可笑しくなかった筈だと、ザックスは思っていた。


「……スコール」
「…ふ…う……嫌いになったんなら言ってくれ。もう、馬鹿みたいにあんたに声をかけたりしないから。あんたに嫌な思いさせたくない」
「違う。違うって、スコール。そんなの、ない。ないからさ」


 ザックスの伸ばした手が、乱暴に涙を拭う細い腕を掴んだ。
濡れた大きな瞳の中に、ザックスの姿が微かに歪んで映りこむ。


「避けてたのは、悪かった。けどそれは、俺がお前を嫌いになったとかじゃなくて、……その、俺が勝手に気まずくなってたっつーか」
「…だから、それ、俺が何かしたんだろう…?」


 消え入りそうな声で呟いたスコールに、ザックスは緩く首を横に振った。


「違うんだ。あの、ほら。コスタ・デル・ソルでさ。俺、その────お前の裸、見ちまっただろ」


 少しの間、言葉を探すように視線を彷徨わせたザックスだったが、結局他に言い方が見付からなかった。
しかし、直球だが判り易い言葉を受けた筈のスコールは、きょとんとした表情で首を傾げる。


「裸って……あんた、俺が服脱ごうとしたら、いつも大慌てで部屋出て行ってたじゃないか」
「そう、だけど。ほら、一回さ、あっただろ。お前が風呂で足滑らせて転んだ時に。俺、慌てて風呂場に入っちゃって……」


 ────コスタ・デル・ソルのホテルで一段落をした後の事。
スコールが風呂に入り、ザックスが部屋で暇を潰していた時、風呂場から派手な物音が聞こえてきた。
足を滑らせて怪我でもしたのではないかと、ザックスは慌てて浴室に飛び込み、その時、スコールの裸を見てしまったのだ。

 気まずげに視線を彷徨わせながら説明するザックスに、スコールは涙で濡れた眦を不機嫌に尖らせる。


「…そんな事で、あんた、俺の事避けてたのか」
「そんな事ってなぁ……おまけに、ほら。俺、触っちまったし、押し倒したし……」


 ザックスは自分の右手を見下ろした。
それに倣うようにスコールも視線を落として来るので、慌ててその手を背中に隠す。

 ザックスは、浴室で派手に転んだスコールが怪我をしていない事を確かめると、直ぐに浴室を出て行こうとしたのだが、慌て過ぎて自分も足を滑らせてしまった。
倒れ込んだのは、まだ座り込んでいたスコールの上で、覆い被さるように押し潰してしまう羽目になり、その拍子にスコールの体に触れたのだ。
シャワーに濡れ、湯で火照ってほんのりと色付いた、細い肢体に─────薄い胸に。

 触れた瞬間の感触を思い出して、ザックスは慌てて頭を振った。
脳裏に蘇る、濡れた細い四肢のヴィジョンを、必死になって追い払っていると、


「……そんな事で、俺の事、避けてたのか」


 不機嫌を滲ませる声に、ザックスも眉根を寄せて顔を上げる。


「そんな事ってなぁ。その、胸だぞ?触ったの。よりにもよってさ!押し倒しちまったし、嫌だったろうなーとか、何にも言わないけどやっぱ気にしてるんじゃねぇかなーとか思ったら」
「そんなの気になるもんか。確かに、あんたに比べたら貧層で情けなくて、子供みたいかも知れないけど」
「いや、貧層って事は…ない、と思う、けど……って、そうじゃなくてだな!もうちょっと別のところ怒れよ!でもって気にしろよ!頼むから気にしてくれ!」


 肩を掴んで揺さぶり、頼むから!と懇願するザックスに、スコールは整った眉を吊り上げる。
濡れていた蒼から流れていた涙は、頬に痕を残しているだけで、もうすっかり止まっていた。


「押し倒したってなんだ、あれはあんたがドジやって転んだだけじゃないか。大体、女子供じゃあるまいし、裸見られた位で気にする訳ないだろ」
「駄目だって!気にしろって!危ないんだから!」
「………!!」


 やっぱり判ってくれない、とスコールは顔を真っ赤にして唇を噛む。
女じゃないのに、子供じゃないのに。
肝心な部分を聞いてくれないザックスに、スコールはわなわなと肩を震わせた。

 ────しかし、


「……でも、うん。ごめんな、避けたりして」


 酷く落ち着いた声で呟かれた言葉は、すとんとスコールの内側に落ちて来た。
途端、どうすれば判ってくれるのだろう、と躍起になっていた心が静まって行くのが判った。

 ザックスは、掴んでいたスコールの肩を離すと、並んでいたもう一つのベッドの縁に腰を下ろした。


「コスタ・デル・ソルでの、まあ、あれでさ。色々考え込んじまって、考えちゃいけない事も考えてた感じでさ。お前の顔見ると、それを全部思い出しちまって、申し訳なかったって言うか……いや、違うかな。なんか……俺、これは駄目だろって事ばっかりで頭一杯になって。お前をいつか、傷つけるような事、するんじゃないかって思って」
「……あんたが、俺を…傷付ける?」
「うん……あ、いや、細かい事は別にな?考えてない…と思うんだけど」


 ザックスは、自分がスコールに対して保護者的な立場でいる事を自負している。
だから、そうあるべきだと、思っていた。

 けれど、コスタ・デル・ソルでの一件以来、どうしても瞼の裏側をちらつくものがある。
疾しい考えなど持っていない筈なのに、それは、まるで雄の本能であるかのように、ザックスを押し流そうとしていた。
細い身体を掴んで、組み敷いて────等と言うあられもない夢想を見て、何度自己嫌悪に陥ったか。
何も知らない、無垢で無防備な子供を、自分が穢してしまうかも知れない。
それだけは絶対にあってはならない事だ。
それなのに、何も知らずに見上げて来る蒼色の瞳を見る度に、あらぬ感情は繰り返し蘇って来て、ザックスを蝕んだ。


「……そういう感じの事を考えてるって気付いたら、もう、お前の傍にいちゃいけないような気がしたんだ」
「………」
「だから、その────お前が俺に何かしたとか、そういうのは、ないからさ。俺がスコールの事、嫌いになったって訳でもなくて。寧ろなんか、えーと……いや、俺、何言おうとしたんだ?」


 ぐるぐると絡まってきた思考に、ザックスはがしがしと頭を掻いて独り言ちた。
頭の中が滅茶苦茶だな、と小さく呟く。

 ぼすん、と柔らかいものがザックスの頭に当たった。
膝の上に落ちて来たのは、先程と同じ、柔らかな枕クッションだ。
ザックスが顔を上げると、枕を投げつけた格好のまま、スコールが俯いている。


「……だったら、もう、避けたりなんかするな」


 俯いたスコールの表情は、ザックスからは見えない。
ザックスはスコールの枕を手に握って、言葉を待った。


「……別に、女子供じゃないんだから、裸なんか見られたって、俺は気にしてない。触られたのだって。他の奴なら、きっと気持ち悪かっただろうけど、あんたはそうじゃなかったし」


 スコールは、自分が人嫌いな性質であると自覚があった。
幼い頃から人見知りが酷いし、最近は幾らか落ち着いたが、環境の所為もあって、やはり初めて顔を合わせる人間には警戒心が先立つ。
不用意に触れられる事も嫌いだ。
そもそも、他人の体温と言うものが苦手で、幼い頃から面倒を見てくれているタークスのメンバー以外には、近付かれるのも嫌だった。

 それが、ザックスに対してだけは働かない。
女子供のように扱われるのは腹が立つが、同じ空間にいるのは苦に感じないし、コスタ・デル・ソルにいた時のように、ほぼ四六時中を傍にいるのも嫌ではなかった。

 どうしてザックスだけは寛容できるのか、スコール自身にもよく判らない。
判らないけれど、


「だから、もう、避けたりしないでくれ。あんたに……別に何もされてない気がするけど……された事は、気にしてないし。よく判らないけど、あんたに逃げられるの、凄く嫌だったから」


 ザックスに避けられたくない。
ザックスに嫌われたくない。
それだけは、はっきりとしていたから、スコールはそう言った。

 スコールの耳が赤くなっているのが見えて、ザックスは、ベッドの縁に座ったまま、手元の枕クッションを差し出した。
それを細い腕が引っ手繰るように掴んで、ぼすっ、と細い体がベッドに沈む。
体を隠そうとするかのように丸くなって行くスコールに、ザックスは眉尻を下げて笑った。


(だから、警戒しろって)


 傷付けるかも知れないって言ったばかりなのに、やはり判っていないのだと、ザックスは諦め半分で息を吐いた。
仕様がない奴だなぁ、とでも言うように。

 ザックスはベッド縁から腰を上げると、ベッドの下に収められていた丸椅子を出して、其処に座った。
スコールが丸まっているベッドに頬杖をして、背中を向けた子供をじっと眺める。
ダークブラウンの髪の隙間から、白い項が覗いていた。


(だから見るなよ、俺。学習してねえなあ)


 胸中でそんな事を呟きながらも、ザックスの表情は穏やかだった。

 腕を伸ばして、久しぶりに、ダークブラウンの髪に触れる。
ふわふわと猫っ気のように柔らかな感触。
こうして撫でると、スコールは決まって「子供扱いするな」と怒って振り払うのだが、今は背中を向けたまま、大人しい。

 丸くなったスコールは、ゆっくりと頭を撫でる手の存在に気付いていた。


(……嫌いだ)


 子供扱いも、女扱いも、ザックスにされるのは、特に嫌いだ。
だから宥めるように撫でる手も、嫌いだと思う。


(……でも、今は)


 この手に撫でられるのは、随分久しぶりだから、少しくらいは我慢してやっても良いだろうと、何も言わずに眼を閉じた。




ぐるぐるザックスと、もやもやスコール。そして保護者組が暴走。

このザックスはお兄ちゃん気分でスコールを可愛がってるけど、スコールの方は……色々と無自覚。色々と。
保護者組はなんとなくスコールの気持ちを察してて、出来ればスコールが幸せになれたらいいな〜って見守ってる。
でも未成年の内に手出しちゃ駄目だって事です。誤解であって、ザックスは何もしてないけど。