鼓動の温度
 雪山は好きではない。
雪そのものが嫌いと言うよりも、寒いのが嫌いだからだ。
ジタンやバッツ、ティーダのように、雪合戦で遊ぼうと言うようなアクティブな性格でもない。
だが、進路の関係で雪山を横断しなければならない、と言う時は、好きも嫌いも言ってはいられない。

 秩序の女神が徐々に力を失うに従い、反比例するように、混沌の神が力を増して行く。
その作用だろうか、闘争の世界はあちこちが不安定さを増している。
万年雪に覆われているエルフ雪原にもその影響は及んでおり、以前は一部の地域で降雪が見られる程度だった天候が、場所を問わずに荒れるようになった。
酷い時には一寸先すら見えない程の猛吹雪で、このまま遭難するのではないか、と不安を覚える程だ。
それが常に起きていると言う訳でなく、気まぐれに襲ってくるのも性質が悪い。
更に言えば、次元の歪に巻き込まれて強制的に転移される場合があるので、何の準備もない状態で、吹雪の雪原に放り出される事がある。
そう言う時の為にと、軍隊経験のある者が中心となり、雪中訓練を計画する程、世界の不安定さは戦士達に苦行を強いていた。

 その訓練のお陰で、雪山の恐ろしさを改めて再確認したが、かと言って、いつまでも雪山を避けてはいられない。

 スコールとフリオニール他、秩序の戦士達がエルフ雪原を訪れたのは、この地域に存在する歪を確認する為だった。
エルフ雪原は、此処しばらく、山の向こうからも判る程、全域に渡って天候が荒れていた。
無理に行って遭難するのは良くないと、天候が落ち付くまでは近付かないようにしていたのだが、その間に歪にイミテーションが巣食ってしまった。
昨日になってようやく天候が回復した為、また荒れない内にと、三手に別れて歪を解放して周っていた。
イミテーションは下位のものが殆どであった為、半日とかからず、帰路へ向かう事が出来た───が、その途中で一気に転向が悪化したのである。

 空の雲行きが怪しくなってきた頃から、急ぎ足で指定の合流地点へ急いでいたが、それよりも雲足の方が早かった。
刻一刻と悪くなる視界に、隣を歩いていたフリオニールが溜息を吐く。


「まずいな。このままじゃ本当に何も見えなくなる」


 今はまだ、辛うじて遠い山脈の陰影や、ぽつぽつと点在する森の陰が見えるのだが、このまま更に吹雪が強くなれば、視界は白一色に塗り潰されるだろう。
フリオニールは剥き出しの二の腕を摩りながら、きょろきょろと辺りを見回す。


「あそこに森があるなら、多分、近くに洞窟があると思うんだが…」
「洞窟?」


 知らない話だ、とスコールが呟くと、フリオニールは振り返って頷く。


「前にこの辺りで見付けて、野営に利用した事があるんだ。ちょっと見辛い場所にあるから、よく探さないと見落としそうなんだけど」
「近いのか?」
「此処が俺の思ってる場所で間違ってなければ……」


 其処が一番肝心なんだが、とスコールは眉根を寄せるが、この天候ではフリオニールが不安になるのも無理はない。
スコールもエルフ雪原の大まかな地理は頭に入っているが、既にその記憶と、周囲の景色の照合も儘ならなくなっている。


「…何か目印になりそうなものは?」
「森が入口からほんの少し見えていた。今の距離よりは遠いな。後は……岩かな。尖った形の岩が密集していた。これは結構近くにあったと思う」
「そっちを手掛かりにした方が確実か。その岩が雪に埋もれてないと良いが」


 ただでさえ豪雪地帯である場所で、雪に埋もれやすいものを目印にするのは厳しい話だが、この世界には標識の類は殆ど存在しない。
あってもそれは秩序の聖域の周辺、文明の跡を残している僅かな範囲にあるだけで、エルフ雪原では期待するだけ無駄だ。
スコールの言う通り、目当ての雪が埋もれて隠れていない事を祈って、早急に避難できる場所を探すしかない。

 セシルとクラウドをリーダーとして行われた雪中訓練では、雪を使って簡単な雪洞を作る方法も教わった。
雪深いこの地なら、場所を探すよりも早いが、作るのに相応の時間も手間もいる。
作り方を失敗すれば洞が崩れ、雪の中に生き埋めになる事もあるらしい。
更に言えば、こう言う時のイミテーションは非常に厄介である。
戦士型のイミテーションは、人間と同じような視覚を持って周囲を認識しているようだったが、ティナやルーネス、クジャやアルティミシアと言った魔法を得意とする戦士のイミテーションは、当人達と同様、視界がなくとも気配を辿って近付いて来る事がある。
此方がその接近に先に気付く事が出来れば良いのだが、今此処にいるのは、魔法が不得手なスコールとフリオニールだ。
視界が悪い中で襲われたら、ほぼ間違いなく先手を取られてしまう上、天候の具合によっては、ホワイトアウトしている状態で相手を認識できないまま、攻撃され続ける羽目になり兼ねない。
雪洞作りも決して楽な作業ではないし、諸々の危険や可能性を考えると、当てがあるのなら洞窟を探した方が今後の対策も取り易い。

 目印とした岩群を探す内にも、視界は悪くなって行く。
気温が下がるにつれ、体感温度もぐんぐん下がり、スコールはジャケットの前を寄せ閉じている。
それを見たフリオニールが、心配そうに声をかけた。


「大丈夫か?スコール」
「……ああ」


 気遣う仲間に、スコールの返す言葉は少ない。
単に無口なだけではなく、寒さの所為だと言うのは、フリオニールにも判った。

 早く洞窟を見付けないと、とフリオニールが吹雪の向こうに目を凝らそうとした時だった。
隣を歩いていたスコールが足を止め、進行方向の真横を見ている。
この吹雪の中、僅かでも距離が離れたら、その姿は直ぐに雪の向こうに見えなくなってしまう。
フリオニールは慌ててスコールへと駆け寄った。


「急に止まったら逸れてしまうだろ」
「………」
「スコール?」


 唖然としたような表情で、明後日の方向を見詰めるスコールに、フリオニールが首を傾げる。
何があるのかとスコールの見ている方へと視線を向ける。

 向けて、フリオニールもスコールと同様に唖然とした。
何せ其処には、小さな山小屋がぽつりと建っていたのだ。


「……山小屋?」


 こんな所に、急に?と首を傾げるフリオニールの隣で、スコールも眉根を寄せている。
この辺りに山小屋があったなんて話は聞いた事がなかったし、この雪原で山小屋なんてものがあれば、間違いなくバッツやティーダが見付けている筈だ。
小さいとはいえ、晴れていれば何処からでも目につくだろうし、過去に何度も足を運んでいる戦士達が、誰一人気付かずにいたと言うのも不自然。

 吹雪からの避難所を探していた二人にとっては、何処にあるのか判然としない洞窟を探すよりも、有難い代物だ。
しかし、こう言うものを見付けられたからと言って、手放しで喜べる程、スコールもフリオニールも楽観的ではない。
思い切れば早いが、それ以外では心配性とティーダに揶揄われるフリオニールと、元々警戒心の強いスコールである。
この山小屋は近付いて良いものか、其処からして頭を悩ませる。


「……どうする?正直、助かるけど」
「……あんたの言ってた洞窟は?」
「…尖った岩も見当たらないし、森も見えるから、まだ遠いと思う」
「………」


 スコールは判り易く顔を顰め、気が進まない、と無言で言った。
だよな、とフリオニールも呟くが、赤い瞳は山小屋へと向かう。

 このまま吹雪の中を進み、件の洞窟を探すか、危険を承知でこの山小屋に入るか。
単純に考えるなら山小屋を使う所だろうが、罠である可能性は否めないし、もっと悪いのは次元の歪に巻き込まれる場合だ。
この建物が丸ごと何処かの世界から切り取られてきたなら、また突然消えてしまうかも知れない。
そう言う現象に戦士達が巻き込まれた時は、大抵何処か違う場所に強制転移されるのだが、これも絶対とは言い難く、出来れば次元の揺らぎには巻き込まれないようにしたい。

 ────考えれば考える程、どちらが安全とも言い難いが、現状から起こり得る事を加味して選ぶなら、どちらが無難な選択と言えるかは明らかだ。
起きるか起きないか判らない時空の揺らぎと、目の前の吹雪のどちらが危険か。
雪中で最も避けるべきは、早期の下山を試みるあまりに、最悪な環境を無理に歩き続ける事だと、セシルとクラウドから聞いている。
実際、スコールも同様の注意を何処かで教わった気がするし、フリオニールも、こう言う時は身の安全の確保が第一であると知っている。

 今一度、蒼と紅が山小屋を見上げる。
小さな窓から見える中は、暗く、人がいる気配はない。
それでも警戒だけは怠らないようにと、慎重な足取りで、二人は雪を踏んだ。




 音を立てずに中の様子を探るのなら、身軽なスコールの方が向いている。
フリオニールを小屋の窓下に待機させて、スコールは単身で戸口に向かう。
小さなドアに施錠はされておらず、余計にスコールの警戒心を呼んだが、その理由を考えるよりも、先ず中の様子を確認するのが先、とスコールは扉を開けた。

 ────結局の所、あれだけ警戒したのは何だったんだ、と言いたくなる程、何事もなかった。
小屋の中は、外で見ていた時と同様、人の気配はない。
中には火も薪もない土間竈が一つと、板張りの床に放られた、使い古されたブランケットが一枚、壁には此方も使い古された農具が一式あるのみ。
混沌の戦士による罠の危険も考え、思い付く場所は一通り確認したスコールだったが、これと言うものは見付からなかった。


(……一応、安全なんだろうな)


 半ば自分に言い聞かせるように、スコールは独り言ちてから、外で待っているフリオニールを呼びに行った。
窓下で待っていたフリオニールは、中で何かあれば直ぐに突入していたのだろう、じりじりと戸口へと近付いている所だった。


「フリオニール」
「ああ、スコール。大丈夫そうか?」
「……恐らく」


 慎重に慎重を重ねるスコールには、やはり安全であるとは言い切れなかった。
とは言え、それはフリオニールも同じだろう。
目に見えた危険性がないだけでも有難い事だと、フリオニールは肩当に積もった雪を払いながら、小屋へ入った。


「結構古いな。でも、建物はしっかりしてるみたいだ」


 朽ちた内装の割に、隙間風が感じられない事に気付いて、フリオニールは少し嬉しそうに言った。
これなら吹雪で埋もれる事もない、と言うフリオニールに、スコールも頷く。


「欲を言えば、薪があれば良かったんだが…」
「確かに。暖も取れたし、服も乾かせたし……でも、この建物に入れただけでも、感謝しないと」
「……そうだな」


 フリオニールの言葉は最もで、凍死の可能性が低くなっただけでも、この状況では有難い事だ。
未だに建物そのものへの不信感は拭えないが、天の助けと言っても過言ではない事も間違いないのだから。

 ない物強請りをしても仕方ないと、スコールは頭を切り替えた。
吹雪への対策はこの建物に委ねるとして、次は自分の身体を今以上に冷やさないようにしなければならない。
床に転がっていたブランケットを拡げてみると、所々に穴は開いているが、起毛も死んでおらず、厚みのある綿が入っているようで、寒さを凌ぐには十分役に立ちそうだった。

 がちゃがちゃと音が聞こえ、フリオニールが鎧を外している。
スコールは鎧など身に付けた事がないので、環境の変化がどう影響するのか判らないが、単純に考えると、冷えた金属を身に付けたままと言うのは辛いだろう。
しかし、鎧を外すと、フリオニールは一気に薄着になってしまう。
スコールは広げたブランケットを持って、身軽になって体の筋肉を伸ばしているフリオニールの下へ向かった。


「フリオニール。あんたも使え」
「ああ、ありがとう」


 ブランケットは大きなもので、二人が並んで包まっても余裕がある。
これだけ大きなブランケットを使う人間とは、どんな巨漢だったのだろう、とスコールは知る由もない事を考える。

 ガタガタと風に揺れて鳴る窓の向こうで、雪がどんどん深くなって行く。
吹雪の唸る音まで聞こえて来て、スコールは今更ながら、この山小屋があって良かったと思った。
小屋に入ってから幾らも時間が経たない内に、益々天気が荒れている。
若しも小屋に入らず、フリオニールの言う洞窟を探し続けていたらどうなっていたか───最悪の可能性があった事も否めず、クラウド達の忠告を聞いておいてよかった、と胸を撫で下ろした。

 外の様子は、隣のフリオニールにも見えている。
フリオニールもスコール同様、吹雪が酷くなる前に山小屋に入れたことを安堵していた。


「良かったよ、この小屋があって。雪だるまにならずに済んだから」
「……」
「今晩はもう腹を括るしかないけど、明日には晴れてくれると良いな。皆に心配をかける」
「……」
「他の皆は……大丈夫か。ジタンにはバッツがいるし、ティーダはクラウドと一緒だし。危ない事はしないよな」
「……クラウドの方はともかく、バッツの方は保証し兼ねる」
「信用してないなあ」


 スコールの返しに、フリオニールは笑った。
それから、少し眉尻を下げて、赤い瞳が心なしか寂しそうにスコールを見詰める。
二人でブランケットに包まっている為、酷く近い距離からの視線に、その手のものに敏感なスコールが気付かない筈もなく、


「……なんだ」
「あ、いや、なんでも……、」


 意図の汲み取れない視線に、スコールが眉根を寄せて見返せば、フリオニールは「なんでもない」と言おうとして止めた。
煮え切らない表情で口を噤むフリオニールに、スコールの眉間の皺が深くなる。

 フリオニールは数瞬の間を置いた後、情けないけど、と前置きをしてから口を開いた。


「スコールは、ジタンとバッツには、色々と遠慮がないだろう?」
「…遠慮がないのはあいつらの方だ」
「はは、まあ確かにそうだけど。今のその言い方も、他の奴が相手なら、きっと言わないだろ?」
「………」


 フリオニールの指摘に、そうでもない、とスコールは胸中で呟いた。
沢山の言葉はいつでもスコールの頭の中を占めていて、それが案外と人聞きの悪いものになる事を、スコールは自覚している。
ただ、それを口にする対象については、フリオニールの言う通り、選んでいる所はあるかも知れない。


「だから、ちょっとジタンとバッツが羨ましかったんだ。スコールと距離が近いように見えるから」
「……あいつらが勝手に近付いて来るんだ」


 こっちは良い迷惑だ、と顔を顰めるスコール。
そんなスコールに、フリオニールは小さくではあるが、声を上げて笑い出した。
何をそんなに笑う事があるのかと蒼灰色が睨めば、直ぐにそれに気付いて、フリオニールは口を噤む。
が、その口元は緩んでいるままで、緋色の瞳も、変わらず楽しそうに笑っている。


「ははは……いや、怒らないでくれ。それだって俺は羨ましいんだ。俺はなんと言うか、あの二人みたいに、勢いでスコールに飛び付いたりって言うのは、出来ないだろうし」
「あんたまでそんなふざけた真似しないでくれ」


 ただでさえ、ジタンとバッツに毎日のように飛び付かれているスコールだ。
最近はティーダが一緒になって突撃して来る事も増え、更にはクラウドまで加わって来る事がある。
この上、フリオニールにまで飛び付かれるようになったら、スコールは押し潰され兼ねない。
心底嫌だと言う貌をするスコールに、判ってるよ、とフリオニールは宥めた。

 自分を宥めるフリオニールの声を聞きながら、スコールは明後日の方向を向いて、唇を尖らせる。


(大体、俺とあんたの関係で、これ以上の距離とか、そんなものないだろう)


 スコールとフリオニールは、所謂恋人同士と言う関係だ。
仲間全員にそれが知られている訳ではないが、スコールに関しては妙に聡いジタンとバッツ、フリオニールとよく話をするティーダとクラウドは気付いている。
関係について面と向かって言及された事はないが、普段、パーティを組む事が少ない二人が一緒になった時は、空気を読んだように二人の時間を作っていた。
今回の歪の解放調査で、手分けをすると言う建前をつけて、スコールとフリオニールを組ませた事から考えても、彼等が二人の関係を感じ取っている事は確かだろう。

 フリオニールは、ジタンとバッツがスコールと距離が近いと言うが、スコールにしてみれば、最も近いのはフリオニールだ。
確かに、以前はジタンとバッツが一番近い位置にいたし、物理的には今もそうだろう。
しかし、スコールが本当の意味で一番近い距離を許しているのは、フリオニールに他ならない。


(……いや、何を考えているんだ、俺は)


 随分と自分らしくない事を考えている事に気付いて、スコールはふるふると首を振った。
突然のスコールの仕種に、フリオニールが首を傾げる。

 そんな時に、ぶるり、とスコールの体が寒気に震えた。
直ぐ隣で同じ毛布に包まっているお陰で、フリオニールは直ぐにその様子に気付く。


「スコール、寒いんじゃないか?」
「……問題ない」
「我慢するのは駄目だぞ。こう言う状況なんだから」


 こういう状況だからこそ、多少の忍耐が必要なのではないか、とスコールは口の中で呟く。
しかし、ただでさえ冷え切っている空間で、身の内から来る寒さを堪え続けると言うのも、確かに良い判断とは言えない。

 暖を取る為に使えるものは無いかと、フリオニールがきょろきょろと辺りを見回す。
しかし、部屋の中の物がいつの間にか増えていると言った様子はなく、相変わらず、火のない竈と農具があるだけだ。
贅沢を言っても仕方ないと諦めていたが、やはり、薪の類がないのは辛い。


「ファイアでなんとかならないかな」
「…あんた、火力を維持していられるか?」
「……いや……」


 スコールもフリオニールも、簡単な魔法なら心得ている。
しかし、その威力は戦闘の力に使うには弱いが、かと言ってマッチ棒のように勝手良く使えるかと言えば否である。
基本的に敵への牽制の術として使用しているのもあり、極端に火力を抑え、更にその状態を維持し続けると言う使い方は、試した事もない。

 この小屋に暖炉か囲炉裏のようなスペースがあれば、其処を利用し、後は建材を少々失敬して焚火が作れたのだが、この小屋にそうしたスペースはない。
炎を焚いて安全に使えそうなのは、土間になっている竈の中だけだ。
スコール達が落ち付いている板張りの床は、埃っぽく所々痛んでおり、此処でうっかり威力の強い炎魔法を使ったら、火事になってしまいそうだ。


「すまない。もうちょっと魔法の使い方を覚えておけば良かったな」
「…別に、あんたが謝る事じゃないだろ」


 魔法の用途が多岐に渡る事は、スコールも知っている。
その利便性を活かせない事をフリオニールが謝らなければならないのなら、それはスコールも同じ事だ。

 どうしたものかと考えていたスコールは、自分の首の後ろに冷気が溜まっているのを感じて、手を遣った。
首に直接触れる前に、ジャケットのファーがびっしょりと濡れている事に気付く。
吹雪の中を歩いた時に雪が採りついて凍っていたものが、小屋に入ってからの温度差で溶けたのだろう。
首回りは体温維持に重要な場所となるのだが、其処から冷やされていたのでは、体温が逃げて行くのも無理はない。

 自覚した冷気を嫌い、首の後ろを摩って熱を戻そうとするスコールの隣で、フリオニールが頭を掻いて、


「他に暖を取る方法と言ったら……此処で出来るのは、人肌で温める、って言う位……」


 其処まで言って、フリオニールの動きが止まり、地黒の頬が沸騰したように赤くなる。
が、スコールはそれに気付いていなかった。

 スコールの脳裏には、映画かドラマか、その類で見たのであろうシチュエーションが浮かんでいた。
遭難したり、深手を負ったりと言った様々な理由で、山中を彷徨う男女の二人組。
男の体温が著しく低下して行くのを見て、女は止むを得ずに服を脱ぎ、自身の体温で男を温めようと試みる。
ただし、あれは低体温症などで著しく体温が低下し、自力で温度を取り戻せない場合や、急激に温めるのが反って危険と言う際に行うものだ。
とは言え、このままではそうなってしまう可能性も否定し切れない。

 暖房に使える道具は勿論、魔法による熱の確保も出来ない。
出来る事は限られるが、幸いにも、此処にいるのは自分一人ではない。
現状で二人が裸になる必要はないが、密着し合って熱が逃げないように互いの体温でカバーすると言う方法もあるので、人肌で温め合うと言う判断も間違っていない。
他者の存在がある事は、精神的にも肉体的にも、救けとなる事は多いのだ。
密着するのはあまり好きではないスコールだが、相手がフリオニールなら、気恥ずかしさはあっても、嫌な気分にはならない。
何より、今の危機的状況を思えば、気恥ずかしさなど気にしている暇はないのだ。

 ────しかし、水を含んで冷えたジャケットを着たままフリオニールに密着すれば、彼の体温まで奪ってしまうだろう。


(……絞れば少しはマシになるか?)


 取り敢えずやってみよう、とスコールは毛布から出だ。

 手袋を外してよくよく確かめれば、ジャケットはファーだけでなく、全体に渡って水分を吸っていた。
手袋を外した直の手で触れてみると、改めてよく判る。
雪の中では、脱げば体温を逃がしてしまうと着続けていたが、今の状況では逆効果だ。
フリオニールが鎧を脱いだ時に、自分も脱いでしまえば良かったと遅蒔きに気付いて、スコールはジャケットの肩を肌蹴させた────と、


「うわっ、ス、スコール!」
「?」


 引っ繰り返った声が聞こえ、何事かと振り返ると、赤い顔をしているフリオニールがいた。
目許を隠すように手で覆っているフリオニールに、スコールは胡乱気に目を細める。


「…あんた、何してるんだ」
「い、いきなり服を脱ぐから」
「………」


 真っ赤になっているフリオニールに、この状況で何を考えているんだ、とスコールの目に冷たいものが宿る。


「……服が濡れてるんだ。このままだと余計に冷えるだろ」
「あ……そ、そうか…そうだな……」


 スコールの言葉に、フリオニールは顔を赤くしたまま、ついと背中を向ける。
耳まで赤くしているフリオニールに、何を考えたんだ、と伝染したように微かに頬を赤くしながら、ジャケットを脱いだ。

 ジャケットの裾を強く絞るど、少量ではあったが、ぽたぽたと水滴が絞り出される。
ファーに至っては酷いもので、流水になって床に水溜りを作る程だ。
その間に、冷え切った部屋の空気に触れている体が、またぶるりと震える。


「………っくしゅ!」


 堪えきれなかったくしゃみをして、スコールは鼻を啜った。
最悪だ、と胸中で悪態を吐きながら、インナーはどうしたものかと考える。
フリオニールは鎧のお陰で、下服を汗を掻いた以上に濡らす事はなかったようだが、スコールにああした金属類の恩恵はない。
ジャケットも丈が短いので、シャツの下半分は吹雪を受けており、じっとりと湿っているのが判る。

 でも、此処でこれ以上脱ぐのは────と思案していた時だった。
ふわりと暖かいものが背中を覆い、しっかりとした腕に閉じ込められる。
肩口から微かに銀色が覗いて、振り返ってみれば、酷く近い距離で緋色とぶつかった。


「………!」
「いつまでもその格好じゃ寒いだろ。上着は置いて、先に暖まった方が良い」


 そう言って、フリオニールはスコールの腹に腕を回して、自分の方へと抱き寄せた。
しっかりと厚い胸板が、スコールの薄手のシャツ越しに密着する。
そのままフリオニールは、自分と毛布でスコールの躯をすっぽりと包み込んだ。


「やっぱり冷えてるじゃないか」
「…服の所為だ」
「それもあるだろうけど、スコール自身も冷えてるんだよ。手もこんなに冷たい」


 ジャケットを絞っていた手をフリオニールが握れば、確かに、彼の掌が随分と暖かく感じられる。
それだけスコールの手が冷え切っていたと言う事だろう。

 スコールの冷え切った手を、フリオニールの手が柔らかく摩り揉む。
熱を与えようとしているのが判って、スコールは無性にむずむずとした気分になった。
自覚すると心臓の音が煩くなる。
フリオニールは鎧を、スコールはジャケットを脱いでいるので、彼と密着したスコールの背中には、フリオニールの鼓動が聞こえていた。
とく、とく、と言うそのリズムが、自分の煩く跳ねる心臓と余りにも違い過ぎて、自分がこの状況を酷く意識してしまっている事を知る。

 武骨なフリオニールの手指にマッサージされている手が、段々と熱を取り戻して行く。
冷えた指先などは、僅かに感覚が鈍っていたのだが、それも治まった。
フリオニールは、スコールの掌がほんのりと赤く火照ったのを確認して、よし、と満足そうに言った。


「もう大丈夫か?」
「……ああ。と言うか、あんた、大袈裟だ。放って置いても温まるのに」
「でも、こうした方が早く温まっただろ?」
「……まあ……」


 確かに、何もせずにいるよりも、この方が温かくなるのは早かっただろう。
が、スコールには、温かいを通り越して、熱くなってきたような気がする。
それはしっかりとスコールの顔や首、耳にまで出ていたらしく、


「スコール、耳が赤いな。冷えてるのか」
「……違う」


 確かに、寒さで悴んでいた耳は、赤くなっていた事だろう。
しかし、今耳が赤いのは、絶対にそれが理由ではない。

 心配なのか、フリオニールの指がスコールの耳朶を擽る。
抱き締められた時から感じていた、彼の微かな息遣いが、覗き込んでいるのか、より近くに感じられる。
瞳と同じ色をした蒼いピアスを嵌めた耳に、少し乾燥気味の指が何度も触れて、スコールは我慢できずにその手を払い除けた。


「す、すまない」
「………」


 払い除けられた事で、スコールの不興を誘ったと思ったのだろう、フリオニールは素直に謝った。
しかし、振り返ったスコールの表情は憮然としており、フリオニールは緊張してごくりと唾を飲む。

 まるで死刑宣告前の被告人のような貌をしているフリオニールに、スコールは赤い顔のまま、小さく口を開いた。


「あんた……さっき変な事考えてた癖に」
「へ、変な事?」
「……俺が服を脱いだ時、バカみたいに慌ててたじゃないか」


 スコールの言葉に、つい先程の自分の思考を思い出したか、フリオニールの顔がまた赤くなった。
途端、間近にあるスコールの顔と、ジャケットがない事でよりはっきりと感じられるスコールの体温に気付き、慌てて距離を取ろうとする。
しかし、それよりも一歩早く、スコールが二人を包む毛布を掴み、逃亡を阻止した。


「離れるな。寒い」
「あっ、わ、悪い!いや、でも、ち、近…!」
「あんたからくっついて来たんだろ。湯たんぽは離れるな」
「ゆ、湯たんぽ……」


 スコールに命令気味に指示されて、フリオニールはおずおずと元の位置に戻る。
が、スコールの腹を抱いていた腕や、背中に密着していた胸は、僅かに隙間が生まれている。

 スコールがちらりと背後を見遣れば、真っ赤な顔で明後日の方向を向いているフリオニールの横顔があった。
さっきまで彼の吐息がスコールの耳をくすぐっていたのに、それもない。
くすぐったさを嫌ったスコールには都合の良い事だが、此方を見ない緋色が無性に気に入らなかった。
二人一緒に毛布に包まれているのに、背中に僅かな隙間がある所為で、冷えた空気が居残っている気がする。
スコールは、毛布でフリオニールの退路を断ったまま、とすっ、と彼の胸に背中を押し付けた。
予想していた通り、ガチン、とフリオニールの体が硬直する。


「ス、スコール……」


 背中から伝わるフリオニールの鼓動が早い。
それにひっそりとスコールの口角が上がるが、背中でおたおたと視線を彷徨わせているフリオニールが、それに気付く事はない。

 ついでだ、とスコールは毛布の中で彷徨っているフリオニールの手を掴み、自分の腹へと回した。
ついさっきまで、自分で抱いていた筈なのに、ロボットかと思う程にぎこちないフリオニールの腕。
とは言え、体温まで無機物なものになった訳ではなく、腕を重ねた腹に、じわじわと熱が伝わるのが判る。
背中から伝わる温もりの、鼓動の早さに比例するように、少しずつ上昇しているのが感じられた。


(あんた、自分からこんな事してた癖に)


 最初にスコールを抱き、こうして腕の中に閉じ込めたのはフリオニールの方だ。
その所為で、耳の裏側にかかる吐息や、頬や首をくすぐる髪の毛の感触に、スコールの方が緊張していた。
しかし、こうなってしまうと形勢はすっかり逆転する。
いつもの事ではあったが、スコールにはそれが少し可笑しくて、悪くないと思う。

 小さな窓の向こうで、風の唸る音がする。
既に外は暗くなっており、小屋の中は物の陰影も危うい程の暗さになっていた。
吹雪が止むまで、この小屋に何事もなければ良いが、と不確定な不安要素に眉根を寄せていると、不意に、ぎゅう、と腹を抱く腕に力が篭った。


「……雪、早く止むと良いな」


 耳通りの良い声が傍らから聞こえて、スコールの心音が跳ねる。
逞しい腕が、未だ僅かにぎこちなさを残しながら、自らの意思でスコールの体を抱き締めた。

 雪は早く止むと良い───その言葉には頷く。
だが、雪が止んでも、もうしばらくはこのままで良い、と背中の熱に身を委ねながら思った。




『フリスコで後ろから抱き締める』のリクを頂きました。

意識しなければ普通に密着するのに、意識すると途端に駄目なフリオニール。
自分からはくっつけないけど、開き直ると遠慮なくくっつくスコール。
意識するタイミングがそれぞれ微妙にズレていると楽しいです。

それにしても、暖かくなったこの時期(春)に雪山ネタとは……