aurora








腕の中の子供が。
うつらうつらとし始めた。

そのまま眠ってしまえ、と頭を撫でて促すと。
悟空はいやいやと首を横に振り、目元を擦った。
どうやら、どうしても起きていたいらしい。



「……眠いんだろうが」
「…ううん、平気…」



とろんとした目で、そんな事を言う。
何処がだ、と呟いたが、聞こえた様子は無い。


「それより、さぁ……」


欠伸を噛み殺しているのが判る。


この子供は、寝付きがいい。
睡魔に身を委ねれば、一分となく眠るだろう。


そんな悟空が眠ろうとしない理由は。




「三蔵は……寝ない、の…」




自分が寝たら、保護者を一人にしてしまうから。
雨音から意識を逸らすものがいなくなるから。

決して黙っていられない自分が、喋っていれば。
煩いと言われても、鬱陶しい雨音を聞かずに済むけれど。
自分が眠ってしまったら、その後には静寂しかないから。


それでも三蔵は、無言で眠る事を促した。






「俺は……まだ眠くねぇからな」





そんな事を言えば。





「…じゃあ…おれも…おきてる……」





子供がそう返して来るのは、容易く予想できる。
それでも言ったのは、他の返事を考えるのが面倒で。
どの道、長くは持たないだろうと思ったから。

このまま、腕に抱いて頭を撫でていれば。
次第に子供の意識は、夢へと傾き始めるだろう。



悟空の大地色の髪が、三蔵の鼻先で揺れた。
いつもの太陽の匂いは、しない。
三蔵の煙草の移り香も、なかった。

それが、ほんの少し、三蔵を苛立たせた。
雨の中に出て行くから、こんな事になるのだ。




悟空は日の本の匂いがよく似合う。
太陽の下で、光とともに走り回っているのが。

煙草の匂いは、いつも三蔵にくっついてくるから。
ヘビースモーカーの三蔵の匂いが移るのは、当たり前で。
悟空はその匂いを、「三蔵の匂い」と言って笑う。



そのどちらもが、今は、ない。




「……バカ猿が……」




憮然として呟くと、子供がこちらを見上げてきた。
金色の瞳は、明確な理由は知らないが、潤んでいる。

小さな身体を、痛いくらいに抱き締める。
触れた箇所から、温もりが伝染していく。
悟空も三蔵に縋りついた。



「さんぞ…いたい……」
「黙れ」
「くるし……」



小さな抗議を上げた悟空に、短く返すと。
呼吸さえ奪うほどに、深く口付ける。

息苦しさに耐える声が漏れているのは、聞こえていたが。
無意識か、暴れようとする身体を押さえつけ。
三蔵は悟空の口内を、嫌と言うほど蹂躙した。


舌を噛むなり、本気で暴れるなりすれば逃げれるだろうに。
結局それをしないで、悟空は三蔵を甘受している。

行為の意味など教えなかった。
その奥にあるものも、三蔵は教えていない。



それでも。
悟空は受け止める。




「……っう……ふ…」




口付けた時、開かれたままの金瞳。
突然の事に、未だに対応し切れていない。

その瞳の端に、浮かび上がる雫を。
三蔵は指の腹で拭って、手を後頭部に廻した。
逃げる悟空の舌を絡め取る。




「う…………!」




悟空がぎゅっと目を瞑る。
深くなった口付けは、終わる様子は無い。
このまま、窒息死するかも知れない。

そうしたら、今度雨が降った時に思い出すのは。
この子供の事なのだろうかと、ぼんやり考えた。



ゆっくりと解放すると。
悟空は三蔵の胸に、こてんと頭を乗せた。
不足した酸素を必死に取り込もうとしている。

苦しそうな悟空の頭を撫で、背中を軽く叩く。
長い大地色の髪が、ふわふわと揺れた。



ふと。
悟空が、窓の外へと目を向けた。




「……さんぞ……」
「…なんだ」




小さな手が、三蔵の服を軽く引っ張った。
それから悟空は、窓の方を指差す。

雨は、まだ止んでいない。
しかし、土砂降りという様ではなくなっていて。
止む一歩手前、と言っていいだろう。



だが、悟空が伝えたかったのは其処ではない。
いや、それも含めて、かも知れないが。

悟空が指差した先にあったのは。





「なんか……色んな光ががある……」











一筋の、虹。















「……虹か」
「………にじ?」


初めて聞いた単語を、悟空が繰り返し。
三蔵は、悟空の頭を撫でてやる。



「雨が上がると、見れるんだよ」
「……じゃあ、雨、止むの?」
「……多分な」



三蔵の言葉に、悟空が嬉しそうに笑う。

それは、外で遊べるからだろうか。
それとも。




「……雨止んだら、…外、行こうね」




虹を近くで見たいのだと。
金色の瞳が輝きながら言っていた。

どうも自分は、この子供に甘い。
雨上がりの地面は、お世辞にも歩き易いとは言えない。
いつもの自分なら、面倒だから一人で行け、と言うのに。


悟空はいつも、三蔵に見せたがる。
見慣れた花も、拾ってきた動物も、晴れた空も。
なんでもない事を、悟空は報告して見せに来る。

共有したいのだ、と言ったのは何時だっただろう。
その時、もうこちらが折れてやらねばいけないのだと思った。



悟空は、微笑むように笑っていた。
それはまるで、慈しみを表しているようで。

ガキの癖に、と三蔵は声に出さずに呟いた。












三蔵が悟空を膝上から退かせて、立ち上がると。
悟空も立ち上がり、その場で背筋を伸ばした。

見下ろさなければ見えない位置から。
悟空が三蔵の服を引っ張り、催促している。
そんな子供の頭を撫で、三蔵は歩き出した。



修行僧に見付かれば、また煩く言われるだろう。
だが、三蔵はそれを聞くつもりは無かった。
雨音と同じぐらい鬱陶しいものは、これ以上いらない。


煩いのは、この子供一人で十分なのだ。
それ以外の音は、必要ない。



転ばないように、置いて行かれないように。
一所懸命についてくる子供を横目で見て。
三蔵は少しだけ、歩く速度を落とした。

悟空がそれに気付いた様子はなかったが。
追いついた悟空は、三蔵の服を掴んで離さない。













真っ直ぐ見上げる金瞳に、太陽の光が反射した。




















この手を離さずにいたら

きっと光が見えてくる

小さな微かな温かい光が



頼りないほどのその光

きっと誰もが焦がれる光








雨が上がったその後に

零れた陽光を拾い集めて輝くもの









それは、極光















FIN.



後書き