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しかし。
子供の長い、尻尾が揺れて。
金色の瞳が爛と輝いた瞬間に。

止まった時間は動き出す。





「さんぞぉ! 悟浄、八戒!」





本堂の上に座ったままで。
悟空は名前を呼んで、こちらに手を振った。

そんな悟空に、悟浄と八戒は軽く手を振り返す。
しかし、三蔵一人はといえば。
下を向いて、大きく溜息を吐いた後で。



「バカ猿! さっさと降りて来い!!」




怒鳴り声が、静かな寺院に響き渡って。
空気が振動されて、幾つかのシャボン玉が消えた。

怒鳴られた悟空は、遠目に判るほど身を竦ませた。



「本堂の屋根に昇るなと何度言ったら判るんだ、テメェは!」
「だ…だって、此処、一番見晴らしいいし…」
「降りろ!!」



どうやら、悟空が此処に来たのは初めてではないらしい。
悟空は悪戯が見付かった子供のような顔をして。
おどおどしながら、三蔵に良い訳をする。

しかし、三蔵に一際大きな声で言われ。
悟空は口を真一文字に噤んだ。
屋根の上に乗ったままで、悟空は凹んでしまい。
俯いて、淋しそうな瞳で頬を膨らます。


あんなに嬉しそうに笑っていたのに。




「三蔵、其処まで言わなくても……」
「猿が何か仕出かして、小言言われるのは俺だ」
「そりゃお前が保護者だから当たり前だろ」
「面倒に付き合わされるのは御免なんだよ」




寺院で決して良く思われていない悟空は。
三蔵の庇護下にいる事が、一番安全なのだが。
反面、子供に関する面倒事は全て保護者に回される。

保護者としては当たり前の状況なのだが。
頻度が頻度だからか、三蔵はうんざりして言う。


そんな会話をしている間も。
悟空は先程の位置から動こうとしない。

反抗期か? と悟浄は思ってみる。
いつも三蔵の後ろを子犬のようについていっているが。
そろそろ、そんな時期が来ても良い頃ではなかろうか。



「猿! 何やってる!」
「まぁまぁ、三蔵……」
「まぁまぁ、じゃねぇよ」



宥める八戒を、三蔵はじろりと睨み付ける。
常人なら、其処で黙りこくるのだろうが。
悟浄や八戒は慣れたもので、元より通じない。

その事も三蔵の不機嫌を買うようで。
三蔵は加えていた煙草に、ついに火を点けた。



子供は、しばらく動きそうに無い。



あれでは、どんなに怒鳴っても無理だろう。
そう、二人は思ったのだが。

予想に反して、悟空は直ぐに動いた。
屋根の上で、危なげなく立ち上がって。
傾度の低い屋根を滑って、そのまま地面に飛び降りる。



見晴らしのいい場所を離れたくないと思っても。
大好きな三蔵に怒られるよりは良いと思ったのか。

悟空はこちらに駆け寄ってきたが。
抱きついたのは、いつもの相手ではなくて。
八戒の方だった。




「三蔵のケチ」




八戒の陰に隠れながら。
悟空は三蔵に向かって、抗議を上げる。

当然、三蔵がそれを聞く訳もない。
素知らぬ顔で煙草を吹かしているだけだった。


何処までも素っ気無い保護者に、悟空はまた剥れる。



「言い付けを破ったお前が悪い」
「……だって……」
「言い訳不可」



ぴしゃりと言いたい事を遮られて。
悟空は剥れ、八戒の胸に頭をぐりぐりと押し付けた。

そんな悟空の頭を、八戒が優しく撫でて。
悟浄も同じく、大地色の髪をくしゃりと撫でる。
八戒の背に回っていた腕の片方が、悟浄の腕を掴む。




それから先刻より幾分幼さい声で「けち」と言った。





それから、5分もして。
悟空は未だに、拗ねた顔をしていたが。

三蔵が仕方なさそうに頭を撫でてやると。
現金な事に、直ぐに機嫌を直してしまった。
自分達の立場が無い、と悟浄はぼやく。


その後、ようやく悟空は言い付けを破った事を謝った。




「ねぇ、悟空」
「何?」
「あそこに昇ったのは、初めてじゃないんですよね?」




八戒の言葉に、悟空は頷く。


悟空はまだ八戒に抱きついたままで。
八戒の腕の中から、悟空は見上げて来た。




「怒られるって判っていて、何故あそこにいたんです?」




今回が初めてでないのであれば。
見つけた三蔵が、怒るのは当たり前の事だ。

それを忘れた訳ではないだろう。
「何度言ったら」と三蔵は言っていたから。
一度二度ならともかく、流石に悟空も忘れないだろう。


すると悟空は、また拗ねた顔をして。
ズボンのポケットから、何かを取り出した。

それはシャボン玉を作る道具。
悟空が今朝、貰ったばかりだと言う物。
小柄な悟空の手に、すっぽり入る程度の大きさだった。


ばぁちゃん達から貰ったんだ、と言って。
悟空は容器の蓋を空け、プラスチックのストローを差し込む。

それを口に咥えて、フッと拭けば。
小さな沢山の透明な風船が、空に舞い上がる。
それは陽光を乱反射し、虹色を見せる。




ふわふわと空へと昇っていくシャボン玉を見上げながら。
悟空はまた、容器にストローを差し込んだ。





「人の息って、幸せが詰まってるんだって」





じいちゃんが言ってた、と。
だから溜息吐いたら、幸せが逃げるんだ、と。
老夫婦から教わった事を話す悟空を見て。
やっぱりこいつは子供だと、悟浄は思った。

今時、そんな事を信じているなんて。
本当に今年で15歳なのかと疑ってしまう。
実年齢に精神年齢が追いけていないのは、いつもの事だが。




「だからね、シャボン玉って幸せが詰まってるんだって」




幸せを運んで、飛んで行って。
弾けて消えて、詰まった幸せは空から舞い降りる。


自分は、此処にいて幸せだから。
色々嫌な事を言われたりもするけれど。
大好きな人と一緒にいられて幸せだから。

ちょっとだけ、その幸せを他の人に分けてみたくて。
自分がこんなに幸せなんだと、ちょっと自慢してみたくて。




高い所から飛ばしたら、
遠くへ遠くへ飛んで行ってくれそうだったから。





小さな手の中に納まった、シャボン玉の道具。

まるで宝物でも扱うかのように持って。
悟空は見下ろす大人達に、笑う。




迷信も良い所だ。
度の過ぎた作り話。

けれど、誰もそんな事は言わなくて。
幸せそうに笑う悟空に、三蔵も毒気が抜かれたらしく。
軽く息を吐いて、悟空の大地色の髪を撫ぜた。




「怒られたけど」




へへ、と誤魔化すように笑う悟空。
怒られた事を、ちっとも悲観していない。

自分が言い付けを破った事に負い目は感じているようで。
その反面、木登りなら何も言わないのにな、と。
小さく呟いて、三蔵を見上げている。


三蔵はと言えば、特に何を言うでもなく。
咥えていた煙草に、ようやく火を点けただけだった。



「………ガキだな」



三蔵の小さな呟きに、悟空がきょとんとする。
どうやら、言葉までは聞き取れなかったようだ。

大地色から、三蔵の手が離れて行って。
その直後、どんっと悟浄が悟空の背中を叩いた。




「いったいな、何すんだよバカ河童!」
「べっつに〜?」




毛を逆立てた猫のように威嚇する悟空に。
悟浄は平然とした顔で、抗議の声を聞き流す。

憮然とした表情になる悟空を、八戒が宥める。



「ほら悟空、怒っても幸せ逃げちゃいますよ?」
「え、そうなの!?」



八戒の言葉を、悟空は真に受けたようで。
途端に怒り顔を止めた子供を見て。
悟浄は思わず噴出しそうになったのを必死で堪えた。

単純にも程があるだろう。
しかし、これでこそ悟空なのだ。



「怒ると、息が荒くなっちゃうでしょう?」
「んー……うん、そうだな」
「人の息には、幸せが詰まってるんですよね」
「うん。じいちゃんが言ってたもん」
「息が荒くなったら、その分一杯逃げて行っちゃうでしょ」



溜息と一緒です、なんて。
訳の判らない理屈を捏ねる八戒を見ながら。
悟空はそっかぁ、などと呟いている。

言われた事を全て本気で受け取る養い子を見ながら。
三蔵が盛大に溜息を吐いているのを、悟浄は見た。

冗談で幸せが逃げるらしいぞ、なんて言えば。
お決まりの口癖が、目線もなく投げつけられた。





(幸せ……ね)





よくもまぁ、そんな不確定な物を信じられるな、と。
思いながらも、気付けば悟浄の口元は緩んでいた。

これも悟空の吹いたシャボン玉の所為だろうかと考えた。





ふわっ、と。
悟浄の視線の下から、透明な風船が浮かび上がる。

突然の事だったから、らしくもなく驚いて。
視線を下に向けると、悟空が其処にいて。
広い広い空に向かって、シャボン玉を飛ばしていた。




そう言えば、とふと思い出す。
シャボン玉の歌があったな、と。

あれは消えるな、と言っていた。
風風吹くな、と。
消えてくれるな、と言っていた気がする。


でも、自分の目線より下にいる子供は。
吹いた風に揺れて飛んで、消えたシャボン玉に。
嬉しそうな顔をしていて。


弾けて消えたら、詰め込んだ幸せが飛んでいく。
きっとそれは、風にのって知らない場所まで飛んでいくのだ。









八戒の手を右肩に乗せて、
悟浄の腕を左肩に乗せて、
三蔵の隣で、


飛ばした幸せが、






いつか子供の元に還って来たらいいと、思った。



















ふわふわ
ふわふわ

空まで昇れ



ふわふわ
ふわふわ

風に流れて





キミが詰め込んだ幸せが
キミの知らない場所まで届くように


キミが詰め込んだ幸せが
弾けて飛んでいくように





遠くに遠くに流されて

高い高い空まで昇れ



ほら、そこには幸せが詰まってる












FIN.




後書き