- end of Eden -



幸いな事に、鍵はかかっていなかった。
そそっかしい部下だったから、多分忘れたのだろう。

部屋に鍵をかけて、備えられたベッドに悟空を寝かせる。
腕の中の重みがなくなって、少しほっとする半面で。
離れた温もりが、名残となって淋しさを誘う。



天蓬と金蝉は、床に座り込んで肩で息をしている。




「…長居は出来ねぇな」
「そうですね……あー疲れた!」





ばたっ、と天蓬が床に倒れ込む。
大の字になって、大きく酸素を吸い込んだ。


簡素な部屋は、天蓬の部屋よりも狭い。
…筈なのだが、少し広いように思うのは気の所為か。
恐らく、いつも本で埋もれているからそう思うのだろう。

ちなみに何度か訪れた事のある金蝉の私室は。
広いのに更に物がない所為で、余計に広く感じたものだ。



「水でも飲めりゃいいんだけど」
「ありませんねぇ、流石に」
「取りに行くのも辛いよなー」



ちら、と子供を伺いながら呟く。

汗が吹き出て止まらない。
冷やしてやりたいのに、出来ないのがもどかしい。


額に張り付いた前髪が鬱陶しそうで、払い除けてやる。




「悟空、寝るんじゃねぇぞ」
「………ん…」




うっかりすると夢路に誘われそうな悟空。
無慈悲とも思える金蝉の言葉に、悟空は頷いた。
だが、その言葉も無理はなかったのだ。

疲れを飛ばすには眠るのが一番だろうが。
残念ながら、そんな時間はないのである。



きっと自分たち以上に疲れているのに。
文句も言わないで、必死に走ってきた悟空。

無理をさせているのが判るから。
可哀想だとも思うのだけれど。
立ち止まれば、きっと引き離されるから。


悟空が現状を何処まで理解しているか、捲簾には判らない。
ただ離れたくない事だけは、痛いほどに伝わる。




「取り合えず……此処からどう動くかな」
「中庭はどうなってる」
「相変わらず一杯いますよ。危ない顔の方々が」




窓から外を伺う天蓬。
それと同じく、捲簾も窓辺に寄った。

外へ繋がるのに一番の近道は、中庭を突っ切る事だろうが。
手に手に武器を持った男達が大勢いる。
子供に泣かれる顔とは、ああいうものを言うのだろう。




幾らなんでも、多勢に無勢だ。
万全の体勢ならともかく、疲労し切った今。

あの軍勢を蹴散らせる自信は、正直、なかった。


最初に逃げた時に持ち出した獲物は。
何度もぶつかる内に、使い物にならなくなった。

それからは逃げの一手だ。





「……誰か引き込めそうな人いませんかね」
「やめとけよ、無茶だって」
「判ってますよ。冗談です」





こんな事をするのは、自分たちだけで十分だから。






部下の誰にも欠けて欲しくない。
入隊したばかりの者も、古株の連中も。

こんな上司を、よくも慕ってくれたものだ。
破天荒な男と、ズボラな男の二人に。
よくも今まで、着いてきてくれたものである。



今回の件で、幻滅した者も多いだろう。

異端の子供を庇って、謀反を起こして。
たった四人で起こした反乱。
勝ち負けなど、誰が見ても明らかなものである。


大人しく投降すれば、三人は助かるだろう。
後の地位がどうなっても、命だけは。

けれどその行為の先にあるものは、別離しかなく。
それが嫌だったから起こした、この反乱。
誰になんと言われようと、止めるつもりはないのだ。















“楽園”を目指して。














「……あのね」



聞こえた声に、振り向くと。
ベッドの上に寝転んだまま、こちらを見詰める金瞳がある。

声は、とても小さなものだったけれど。
限られた空間の中、静かであるのならば。
十分に聞き取れる、幼い高い声音であった。





「さっきケン兄ちゃん、何食べたいって言ったけどね」






それは、この部屋に入る直前の事。
聞こえていない事を判っていたのだろうか。

悟空の小さな手が、ベッドシーツを握る。
その手が少し、震えているように見えた。



「オレね……なんでもいいよ」



保護者と同じ答えを告げる子供。
けれどその表情は、酷く儚い笑顔を灯す。

疲れているから、そんな風に見えるのだろうか。


緩慢な流れて起き上がった金蝉が、ベッドに歩み寄って。
悟空の枕元に、腰を下ろした。
あの位置は、保護者にのみ赦された距離だ。

大きなその手が、大地色の髪を撫ぜて。
それを、小さな手が掴む。




「みんながね」




皆。
それは、此処にいる三人の大人と。

きっと、もしかしたら。
数えられる程度にしか、逢う事が出来なかった。
たった一人の友達も、含まれているのかも知れない。






「みんなが、いてくれるんなら」






あの日、みたいに。
あの夜、みたいに。
桜の下で、騒いだ時みたいに。

皆が、一緒にいてくれたら。








「きっと、なんでもおいしいから」









一人じゃなければ。
誰かがいれば。
皆がいれば。

どんな料理だって、最高に美味いんだ。
それを、自分はよく知っている。













「オレ、なんでもいいよ」


















ああ。

どうして、この子は。
こんなに嬉しい事を言ってくれるんだろう。







それは、大人達の願い。

今も、これからも、ずっと。
変わらないまま、一緒にいたいと。
この掴んだ手を、離したくないと。




華が綻ぶように笑うのが、堪らなく愛しくて。
駆け寄った天蓬が、小さな身体を抱き締めた。
同じくして、捲簾も悟空の頭を抱え込む。

息苦しいだろうに、視界の端には嬉しそうな顔。
二人分の温もりに包まれて。








遠くで、沢山の足音がした。
それは近付く事はなく、遠退いて、消える。

このまま此処にいたら。
時間は止まってくれるのだろうか。
在り得ないと判っていても、そう思ってしまう。



神様なんて、こんなものだ。
下界で言われているほど、綺麗なものではない。
気に入らないものは、不浄として消そうとして。

たった一人の子供を守る為にも、格好悪く足掻くしかない。
そんなものでしか、ないのだ。







金蝉の手が、差し出されて。
子供は躊躇う事無く、その手をしっかりと掴む。

天蓬を見てみれば、いつもの笑顔。
自分もきっと、いつも通りなのだろう。
金蝉の鉄面皮も元通りだった。



手頃な武器がないかと部屋の中を見回すが。
私室なので、そう言ったものは何処にもない。

どうせ逃げの一手は変わらないのだから。
半端に牙を持つより、いいかも知れない。




扉を開けて、また走り出す。




肩越しに振り返った子供が。
もう大丈夫だよ、と安心させる為なのだろう。
笑ってこちらに手を振った。

その笑顔が、もっともっと見たい。
やっぱり一度見ただけじゃ、足りない。













―――――――さぁ、“楽園”へ。

キミが笑える、“楽園”へ。




























もう少し

もう少しだけ時間を下さい


キミの温もりを、覚えていられる時間を下さい




あと少し

あと少しだけ生かせて下さい


キミが笑える場所に、生かせて下さい













キミが笑える“楽園”へ

それを見れる“楽園”へ


僕らは足掻いて、奔って行く


















FIN.




後書き