夏日和









暑苦しくて、不意に眼が覚めた。


ただでさえ熱を持った身体だというのに。
どうしてこんなにも、暑いのだろうか。
これは、明らかに他意の熱だ。

蝉の声は相変わらず煩かったが、陽光は差し込んでいない。
西側の入り口からは遠いから、夕時になっても大丈夫な筈。


で、あるにも関わらず。
明らかに、己の体温とは程遠いと思われる熱の塊。


扇風機の風が当たる頭は、相変わらず涼しいのだが。
何故だか懐の辺りが無性に暑くて堪らない。

この熱の正体は、よく知っている。


見なくても判るのだが、一応確認してみると。
いつのまに外から帰ってきたのだろうか。
横向きになって眠っていた、自分の腕の中。

すっぽりと収まっている、小さな子供。
いつも零れんばかりの瞳を、今は隠した、養い子。






孫悟空。






起き上がろうとして、僅かな力にそれは妨げられた。
アンダーを見ると、小さな手がしっかりと握っている。


まるで磁石のようにくっついている子供。
どうしてこんな日にまで、こいつはくっつくのか。
どう考えても暑いだけで、何も得などないだろうに。




丸くなっている様は、すっかり小動物のようで。
八戒辺りなら、寝冷えしないようにと薄布をかけたり。
悟浄なら、顔に落書きするなりして遊ぶのだろうが。

生憎、三蔵はそんな性格でも、余力がある訳でもなく。
眠りを妨げた熱の塊に、思い切り眉間に皺を寄せていた。



見下ろした先にあるのは、幸せそうな子供の寝顔。
三蔵の腕の中で、寝苦しくなかったのか。

毎夜暑い暑いと騒ぎ立てている癖に。
どうしてこの子供は、抱かれていると眠るのだろう。



一時は、暑いどころか不安だと言って泣いていたのに。
いつの間にか、子供は一人寝も随分慣れて。

その割に、こういう甘え癖が抜けないのは。
なんだかんだ言いつつ、三蔵が悟空に甘い面があるからで。
最も、本人はそれを認めようとはしないが。


取り合えず。
ハリセンで思い切りすっ叩いても良いのだが。
この体勢ではそれも難しい。

悟空は三蔵の胸に顔を埋めるようにして。
丸くなって、小さくなって眠ったままで。





さて、どうしてやるか。





しかし、三蔵が動いたからだろうか。
悟空が小さく身動ぎして、眼を擦る。

程なく金瞳が色を覗かせた。



「うー……?」



ぼんやりとした顔で、三蔵を見上げて来る。
それでもアンダーを掴んだ手は離れない。



「さんぞ……?」



自分でくっついて来たのだろうに。
何故確かめるように名を呼ぶのだろうか。

これは最早、悟空の癖のようなものだ。
目覚めて最初に三蔵を探して、名前を呼ぶ。
傍にいるなら、寝惚けた頭で確認のように名を呼ぶのだ。


それから、花が綻ぶように笑った後。
三蔵の胸に、頬を摺り寄せる。

いつもならば、引き剥がすのも面倒で好きにしてやるのだが。







「あっちぃんだよ、馬鹿猿っ!!!」

「いったぁっ!!!!」






ハリセンを取り出す間も惜しいので。
三蔵は左の肘を、思い切り悟空の脳天に落とした。

ハリセンの軽い痛みではなく、直に来る痛み。
肘が落ちた場所を押さえて、悟空はまた蹲る。
と言っても押さえたのは片手だけで、もう片手はやはり三蔵のアンダーを掴んだままで離そうとしない。



「いきなり何すんだよぉ…」
「人の安眠を妨げといて何抜かす」
「……だって気持ち良さそうだったから…」



悟空が手を離さないので、寝転がったままで。
問うてみれば、悟空はしゅんとして呟く。




最初は、悟空も眠るつもりはなかったらしい。
珍しく寝ているから、邪魔をしないように。
少しの間、一緒にいられれば、と思っただけで。

けれども、涼しい風と吹き抜けの本堂の室温と。
悟浄宅から走って帰ってきた悟空は、つい寝てしまったのだ。


傍に誰か、気を許した相手がいると。
眠っている間に、悟空はそちらに寄って行く癖がある。
特に三蔵に対して、その傾向は強く見られる。

今日も今日とて、三蔵の傍で寝てしまった為に。
悟空は無意識のうちに、三蔵を求めてしまったのだ。



「このクソ暑い時に……」
「だからごめんって…」



悟空が自分の高い体温を自覚しているかは判らない。
だが、責められればそれだけ、悟空も自責に駆られる。
エアコンでもあればと思いつつ、三蔵は溜息を吐いた。

くっついたままの子供には、まるで犬の耳が見える。
上目遣いでこちらを伺うのは、いつもの事。



「少し離れろ」



殴った後にしては、良い扱いだろう。
いつもなら蹴飛ばしてでも引き剥がす所だ。

けれども、悟空は見上げてくるだけで、手を離さない。




「……おい…」




睨んだ所で、この子供には無意味だ。
見慣れている所為もあるだろうが、最初から怯えなかった。
怯えるどころか、笑顔を返す程だったのだ。

それでも、大抵は聞き分けはいい方だと思う。
それが本当に判っているのか、遠巻きな遠慮かは知らないが。


多くは、後者であるのだろう。


拾われた上に、養われている身であるからか。
周囲から向けられる奇異の視線によるものか。

子供のした事の責任が、全て三蔵に降りかかると。
流石に五年も此処にいれば理解したのだろう。
後ろめたさもあるのか、過ぎた我儘はあまり口にしない。




仕事が溜まっている時は、傍にいたいと言う程度で。
仕事が終われば、一緒に遊んでと言う位で。
遠くに出かける時は、連れて行けと騒ぐ。

恐らくそれは、子供にすれば当然の主張なのだろう。
そう思うようになった自分は、かなり保護者が板についてきてしまっているようだ。
だからだろうか、こういう些細な我儘は。
何を言おうと、意地でも曲げようとしないのだ。






「……ったく…お前は熱いんだよ」
「…うん」






独り言に近い三蔵の言葉に、短い返事。
返事の声は、少しだけ嬉しそうな色を含んでいる。

こんなに暑いのに、どうしてだろう。
この子供は、くっついていると、いつも笑顔で。
上機嫌なばかりで、自分とは正反対なのだ。


この子供が前に拗ねた顔をしたのは、いつだっただろう。




「三蔵、仕事終わったの?」
「でなきゃ此処で寝てるかよ」
「うっそだぁ。三蔵、サボってんじゃないの?」




無言でもう一発肘を落とした。



「いってぇ」
「テメェが下らねぇ事言うからだ」



痛い、と口では言っているくせに。
表情筋は緩んでいて、見上げる瞳は細められている。



「だってさぁ、嬉しいんだもん。三蔵と一緒でさぁ」



この馬鹿面は、毎日のように見ている。

時折、仕事詰めにされる時があって。
その際は丸一日、顔を合わせなかったりするのだけれど。




「……三蔵さぁ」




思い出したことのように。
悟空がぽつりぽつりと。




「ずーっと仕事ばっかしててさぁ」




ずっと。
それは、ほんの二日であったり、数週間であったり。
悟空の示す表現基準は、酷く曖昧なものだ。

けれど“ずっと”と言うだけあって。
悟空にとっては、長い時間に感じられたのだろう。




「一緒にいると、オレ迷惑かけちゃうし」




理解している割に、一向に改善されない。
最近覚えたのが、傍に行かない、という事程度だ。

それだって、悟空にとってはかなりの我慢がいる事だろう。





「でもね、オレね」











ずーっと一緒にいたかったんだよ













……そんな事、言われなくても知っている。
五年も育ててきたのだから。
傍に置いていたのだから。

悟空が何を思って、何を願っているかなど。
単純な子供だから、余計によく判るのだ。



「……で」



くしゃ、と大地色の髪を撫でてやれば。
悟空はくすぐったそうに笑って。



「満足か」



何が、と言う事はしない。

アンダーを握った手に、僅かに力が入る。
擦り寄る熱は、やはりこの時期、暑さを助長させるだけで。







「うん」










その手を、いつから振り払えなくなったのだろう。












目覚めた時と同じように。
腕の中に、子供を囲った。

小さな身体は、すっかり其処に収まって。
悟空はしばらくきょとんとしていたが、三蔵の腕に気付いて。
満足そうに笑って、また三蔵に擦り寄る。



「寝ろ、疲れた」
「うん」



寝つきのいい子供の寝息は、直ぐに聞こえてくるだろう。
反面、きっと自分はこの熱にしばらく耐える羽目になるのだ。


解いてしまう事は、出来ない。
そもそも、掴む手がそれを許そうとしないし。
廻してしまった腕を動かすのも、もう面倒臭い。

取り合えず、風は当たってくるのだし。
そう言えば、茶の氷はもう溶けてしまっただろうか。











腕の中の塊は、暑い筈なのに。

どうしてか、心地良く思えた。
























暑くても寒くても


暖かくても涼しくても


中々一緒にいられないから








もう少し我慢すれば大丈夫だって


いつも言い聞かせてるんだから










ねぇ、少しぐらいはわがまま聞いてよ













FIN.




後書き