月下の惑い子




悟空が時折、突拍子な事を口にするのは。
幼さゆえの柔軟な発想もあるのだろう。

そしてもう一つの理由として。
綺麗に抜け落ちてしまった、己の空白部分の為であると。
三蔵は、勝手に推測を立てている。


覚えていない。
思い出せない。
その部分。

頭になくても、何処かに感覚が生きていて。
無意識にそれに流されてしまう事があるのだろう。






今までにも、こんな事は何度かあった。






桜を見て、綺麗だと笑った後。
三蔵の姿を見た途端に、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。

大した傷でもないのに、三蔵が怪我をすると。
急に情緒不安定になって、くっついて離れなくて。
少しでも距離が出来ると、置いて行かないでと言い出す。


それから、悟空は覚えていないようだけど。
今日のように、夜半まで三蔵が仕事を終えるのを待って。
結局、うたた寝してしまっていた時。

仕方なく三蔵が部屋に連れて行こうとしたら。
……知らない名前を呼んで、笑ったりして。





それは恐らく、全て失くしたモノの片鱗なのだろう。







訂正する。
不安なのではない。

……怯えている。



何に対してかは、三蔵の知る所ではない。
けれども、震える手は確かにそれを伝えていて。

最初はきっと、何気なくそう思ったのだろう。
いつもよりも光の強い月明かりに気を寄せられて。
見た瞬間に、思っただけなのだろう。
そしてそれを、三蔵に伝えたかっただけで。




「……なんでかなぁ……」




聞かれても、どう応えれる訳もなく。
顔を埋める養い子の頭を撫でるだけだ。




「……なんで……」





悟空の声に嗚咽が混じっている。







怯えているのは、月の所為なのか。

未だに欠片も拾えぬ、己の空白の部分なのか。








判らないのに、感じる何か。
知っているのに、知る事が出来ない。

いつも天真爛漫で煩い子供だけれど。
まるで反動のように、涙腺は酷く緩くて。
心が揺れると、それはすぐに表に出る。



「……あれは、月だ」



太陽じゃない、と。
言い聞かせるように囁くと、小さく頷いた。


愚図るように、悟空は頭を押し付けてくる。
恐らく、どうして時分が不安になっているのか判っていない。
それがまた、悟空の不安を煽る。

己の中で眠る虚無の部分を、悟空は幼さゆえか、判らない。
それが自分を縛り付けている事さえも。




「……テメェの太陽は、あんなもんじゃねぇだろう」




闇の中で冴え冴えと光を放つものでもなく。
今の満ちた、夜に明るすぎる光でもない。

500年の孤独の中で。
ずっと焦がれていた太陽は、あれではない。
最初に手を伸ばして掴んだ太陽は、あれではい。




「………うん……」




小さく呟いた悟空だったけれど。
震える声は、まだ心が揺れている事を見せている。

法衣を握る小さな手。
皺になっても、今は好きにさせる。



「……あんなもんが太陽なんて俺には判らんな」



錯覚するにもいい所だ、と。
素っ気無い言い方をすると。
悟空は、むずがるように三蔵の胸に頭を押し付けた。

けれども事実そうなのだ。
三蔵にしてみれば、月以外の何者でもない。


確かに、いつもは青白く優しい筈の光が。
今日に限って、強い金の線を伴っているけれど。

いつもは遠くに見える筈の光の輪が。
今日に限って、大きく近く見えるけれど。









「あれは月だ」









夜の闇にしか生きることが出来ない、月。

対極にあるものになど、なれない。










「よく見ろ」




空にある月ではなくて。
今は空にない太陽でもなくて。

目の前にある、自分の手で掴んだ太陽を。
よく見て、ちゃんと確認して。
思い出せば。





「テメェの言う太陽は、何処にある?」





今、この瞬間に。


ゆっくりと、悟空が顔を上げていけば。
案の定、涙で濡れた金色の瞳が其処にある。

法衣を握る手の力が、ほんの少しだけ抜ける。
けれども、離れる事はない。









そうして、金の双眸に映し出されるのは。



まやかしではない、あの時掴んだ、自分の太陽。












ふわ、と。
花が綻ぶように、悟空は笑った。




それから直ぐに、とろとろと瞼が落ちて。
やはりこんな時間まで起きているのは限界を超していて。
力の抜ける身体を、三蔵は支えた。


だからさっさと寝ろと言ったのに。
このまま、この子供を抱えて寝所まで戻らねばならない。
手間がかかる養い子に、自然と溜息が漏れた。

机の上の書類が目に付いたが、今日はもう止めにした。
後が面倒でも、もうやる気が起きない。



「……ったく……」



まだまだ幼い体躯を抱き上げて、三蔵は扉へ向かう。

毎日よく食べていると言うのに。
どういう訳か、悟空は背も低いし体重も軽い。
発育不良ではないと思うのだが。


どうしてこの子供は、こうも世話を焼かせるのか。
そして自分も、どうしてこの子供の面倒を見るのか。

これが以前の自分であるなら。
きっと、放って置くのだろうと思うけど。
泣かれたって、わざわざ落ち着かせたりしないと思うけれど。





法衣を握る手は、相変わらず離れていなくて。





廊下へと出て、扉を閉める間際に。
窓の向こうの月が見えた。


金色の光。
空を照らす、輝き。

あれを太陽だと、悟空は言ったけれど。
あんなものが太陽であるなど、三蔵は思わない。
そう呼ばれて相応しいものは、もっと他にある。


三蔵は窓枠の向こうを一瞥すると。
無言で、静かに扉を閉めた。

暗い廊下を歩くと、自然と足音が目立って聞こえる。
けれども、腕の中の子供が目覚める様子はなく。
甘えるように擦り寄っては、小さく笑みを浮かべている。








「……バカ面…」









─────何よりも輝く太陽は、今、腕の中に。






















たった一つの太陽を追い駆けて

何度も何度も手を伸ばして



…やっと掴んだ光だから












似ているものは沢山あるけど



僕が欲しいのは、ひとつだけ。
















FIN.




後書き