繋いだ幸せ







館の端さえも見えなくなった場所で、那托はようやく立ち止まった。

緑が生い茂るこの場所は、滅多に人が来ない。
那托が時折抜け出して此処に来る際、己以外の誰かが此処に赴いた形跡は一つもない。


隠れ家や秘密基地とは少し違うけど、此処は那托の秘密の場所だった。


「気持ち良いだろ? 此処」


館付近とは全く様相を変えた風景に、辺りを見回していた悟空。
那托の言葉に、返事なんて出来ないようだ。
呆けた顔で口を空きっぱなしにして、空の蒼と緑を見上げている。

屋敷付近にも緑はあるし、桜もあるけど、開放感は此処に負けると思う。
見回しても人工的な冷たい壁はないし、誰かの視線も何処にもない。


「此処に誰か連れてきたの、お前が初めてなんだ」
「ほんと!?」
「ホント。俺、悟空に嘘言わないよ」


笑って言えば、悟空も嬉しそうに笑う。
それは初めてつれて来たからなのか、嘘を言わないからなのか。
けれど那托はどちらでも良くて、笑った顔が見れたのが嬉しい。

もっと笑って欲しくて、色々な事を教える。
あそこに鳥の巣があるとか、あの実は食べられるんだとか、そんな他愛もない事を。







そうして悟空は、笑ってくれる。






「鳥の巣、見たい」
「じゃあこっち」


悟空の要望に応える為、那托は一本の木に触れる。
大きなそれの樹齢は、よく知らない。

那托が昇り始めると、悟空も一緒になって木に足をかけた。
危なっかしい手取りで昇る子供達を止めるものは、誰もいない。
誰の目も気にしないで良い。



「どの辺にあんの? 天辺?」
「そこまでじゃないけど、結構上の方」
「あったら教えてな」
「うん」



那托が少し先を行く。
それを追うようにして、悟空。


木は凸凹が多くて、上手く足場が出来ていた。
手で掴む場所にも困らないし、滑る事はない。
割と登りやすい木だ。

細い枝にはなるべく触れないようにする。
脆く折れてしまいそうで、そうすると自分達も落ちてしまうから。

反面、太い枝はしっかりしている。
悟空がまるで保護者の腕みたいだと言い出した。
意味が判らずにいると、抱き締めてくれる時はこんな風に強くて優しいんだと笑う。



言ったら、自分も抱き締めて貰えるだろうか。
父親じゃなくて、もっと優しい誰かに。

例えば、目の前の存在に。




ふと下を見てみれば、結構な高さ。
高所恐怖症なら卒倒しそうだ。

けれども、子供二人がそれを気にする訳もない。
逆にもっともっと高い場所に行って見たいと思った。


「まだ?」
「もうちょい」


高揚とするのを抑えられない悟空の言葉に、短い返事。
頑張れ、と言うと、うん、と笑顔。


「休む?」
「ヘーキ」


それより、早く巣がみたいんだと。
爛々と光る瞳が、言葉以上に雄弁に語る。

そんな目をしているから、回りの大人達も悟空に甘いのだろう。
何かと厳しいらしい保護者も、食えない元帥も、ガキ大将も。
観世音菩薩やその従者だって、この子供にだけは甘いのだ。


そうしたら、自分もやっぱり甘いのだろうか。
でもこれは、自分の願望もあるから、少し違うか。


「卵がさ、この間あったんだ」
「鳥の卵?」
「そう。孵ってたら雛が見れるぜ」


見た事がなかったのか、悟空の瞳がまた輝く。

見たい、早く、と昇るのを急かす悟空。
その様がなんとも幼くて、同じぐらいの歳の筈なのに。
弟が出来たみたいだ、なんて思った。





高さは、木の全長の三分の一程。
地面は随分遠くにあって、反対に空が近い。

其処まで昇って、那托は目当てのものを見付けた。
その一つ上まで上ると、那托は悟空が昇ってくるのを待つ。


木の葉の隙間から差し込んでくる陽光が眩しくて、少しだけ目を細める。
けれども、これよりずっと眩しい光を自分は知っている。
その光の持ち主は、現在、那托の足元よりも下の方にいた。

きっとあの金色の光は、太陽や月の光を浴びて出来たものなんだ。
だから眩しい光である事もあれば、優しい光を放つ事もある。


言えばきっと。
何のことか判らないまま、きょとんとして。
褒めてるんだと行ったら、いつものように笑うんだ。



「那托?」
「此処だよ」



昇るのを止めた那托に、悟空が不思議そうな声で名を呼んだ。
そんな悟空に何があるとは言わないまま、那托は場所だけを示して幹の分かれ目を指差した。

望んだものが其処にあるとすぐに察した悟空は、ぱっと明るい顔になる。
もう然程の距離もないのに昇るペースを上げた。
落ちたりしないかと少し心配だったが、足場をしっかりと確保しているので、大丈夫そうだ。



「何処?」
「ほら、其処。静かにしろよ」



高揚として自然と声が大きくなっていた悟空に、那托は人差し指を立てて静かに、と指示する。
悟空は手のひらで口を覆って、そろそろと那托が指差す所を覗き込む。

それから漏れたのは、小さな感嘆の声。







其処にいたのは、小さな雛。

ふわふわ、ころころ。
それが、三つ。







どうやらお昼寝中らしく、那托と悟空が覗き込んでも、反応はない。

先日那托が見付けた卵は、確か三つだった。
どうやら無事に孵れたようだ。


三羽で寄り添いあって、暖かい寝床で目を細めて眠っている、その姿。
自然と二人の頬が緩む。

親鳥は餌を探しに行っているのか、不在の模様。
けれども帰って来たら、きっとこの雛達は皆目を覚ますのだろう。
食事をねだって、甘えて。


「……可愛いね」
「そうだな」


ふわふわしているのを触ってみたいけれど、起こしてしまいそうで躊躇う。
けれど見ているだけでも、何故か何処かが暖かくなる気がする。


「なんの鳥?」
「よく知らない」


でも綺麗な鳥だった、と言えば。
悟空はそっか、じゃあこいつらもきれいになるんだ、と呟いた。



不意に、鳥の鳴き声が二人の鼓膜に届いた。
まだ遠いけれど、それは確実に此処へ近付いてきている。



「帰ってきた?」
「多分な」



ならば早く退散しなければなるまい。
自分たちは勝手に彼らの家にお邪魔してしまっているのだから。

親を警戒させてしまうのも嫌だし、目覚めた雛に怯えられるのも嫌だ。
親鳥の声に雛が起きてしまう前に、此処を離れるのが無難。
何事もなかったかのように、誰も此処に来なかったようにと。


先に降り始めたのは那托だった。
悟空は名残惜しそうにしながら、雛を触ろうとして、結局止める。

起きた時に最初に見るなら、大好きな父や母の顔がいいだろう。
自分がそうである悟空だから、きっとあの赤子達もそうなのだと思う。
一足先に下へ下へと向かう那托を追いかけて、悟空も一つ下にある太い枝に飛び移る。





「もっと見たかった」
「今度な」





悟空の言葉に、那托は小さく笑って言った。

うん、と言った悟空を。
那托はあと一つで地に降りれるという場所で止まって、待つ。


身軽に木の枝を飛び移る悟空は、かのガキ大将に言われていた通り、まるで猿のようだった。
だが運動神経がいいのも、身軽なのも、那托だって同じ事。
そうすると自分も猿になるのかと思って、那托は笑う。

悪くないと、思ってしまった自分が可笑しくて。


悟空が並んで、二人同時に最後の枝を蹴った。
地面に足をつけたのは殆ど同時。

立ち上がって空を見ると、二羽の鳥が旋回している。
高い雛鳥の鳴き声も聞こえて、やっぱり帰ってきたのだと判った。
雛鳥達も予想通り、親の声を聞き届けて目覚めたのだ。


「お前みたい」
「なんだよ、急に」
「だって悟空、保護者が来たらすぐ判るもん」


昼寝をしてても飛び起きる。
遊んでいても、目を向ける。

ほら、あいつらと一緒。


木の上───巣で甘えているであろう雛達を指差して、那托は笑う。
悟空はそうかな、なんて言って首を傾げている。
どうやら、無自覚の行動だったらしい。

その瞬間の悟空の、嬉しそうな顔と言ったら。
大好きな保護者が迎えに来てくれることが、そんなにも嬉しい事なんだと。


「お前は判り易いから」
「…那托だって判り易いよ」
「俺が?」


対抗するように、悟空は唇を尖らせて言った。

へぇ、と呟いて見せるものの、那托は自分が感情を隠すのは得意な方だと自負している。
食えない元帥や、常に不機嫌な顔をしている悟空の保護者程ではないにしろ、ポーカーで相手を梃子摺らせるぐらいには。


でも判り易いんだと、悟空は言い張る。




「俺の何処が判り易いんだ?」
「すっげー判り易いもん! ほんとだぞ!」


意地悪をするように笑いながら聞けば、悟空は益々ムキになる。


「どういう所が判り易いんだ? 具体的に教えてくれよ」
「え? 那托、自分で判ってないの?」
「……お前には言われたくないぞ、その台詞」


誰よりバカ正直な癖して、と。
呟くと、悟空はむーっと頬を膨らませる。


確かに嬉しい時は嬉しいと思うし、嫌だと思う時は嫌だと思う。

けれども、悟空ほどそれを感情を表に出した事はない。
悟空が正直過ぎるだけと言われれば、そうかも知れないが。


……殺す事に慣れたと言ったら、それはやはり淋しい事なのだろうか。
感情を殺せば、相手に自分の事を悟られないで済む。
特に、知られたくない事は。

幼い頃からそれが当たり前だったから、よく判らない。
けれども、こんな自分でも判り易い面があるなら、少しでも喜ぶ事を許されるだろうか。


……悟空と、一緒だと。









「オレと一緒にいる時は、すっげー判り易いもん!」








悟空の言葉に、那托は目を丸くした。


「ホントだよ! 笑うのとか、拗ねるのとか、ホントに判り易いもん!」


得意げに宣言して見せる悟空。
顔を近付けて、嘘言わないよ、と。


でも、納得した。
だって悟空の前だけは、望んだままに出来るから。

手を伸ばす事も出来るし、手を掴む事も出来る。
歩く事だって走る事だって。
手を繋いで遠くに駆けて行く事だって。


幸せに思うこの場所を、護りたいと思う事だって。

赦されて。







「……だって、お前と一緒にいたいもん」








思った通りに搾り出した言葉に笑うお前が、好きだから。


















このてのひらで

初めてつかんだ幸せを



護りたいと思うのは

きっと、ごくごく当たり前で






このてのひらで

初めてつかんだ幸せと


ずっとずっと一緒にいたいのは









ごくごく、普通なことなんだ












FIN.




後書き