partition street





座り込んだ悟空を見下ろしてくる、真紅の双眸。
呆れたような、困ったような顔。
いぶかしんで寄せられる眉間には、二本の皺。

纏うのは、燃えるような色。
見つけた瞬間からずっと、褪せない色。



「……ガキの来るとこじゃねーぞ」



素っ気無い言い方も。
飄々とした、ふざけたような態度も。
どう接していいか判らないから、体裁を立てているだけで。

でなければ、こんな風に気付いてくれたりしない。
この冷たい世界で、自分を見てくれたりしない。



「……なんだよ、転んだか?」



呆れたような声。
同じ高さになる目線。
嗅ぎ慣れた煙草の匂い。



「……どーせ迷子になったんだろ」



くしゃくしゃと乱暴に頭を撫でる、大きな手。
其処から伝わる、確かな熱。
切れ長の瞳は、今は何処か柔らかい。

ほら、と手を差し出す。
それは自分のそれよりも、一回りも二回りも違う。



「別に、お前なんてどうでもいいんだけどよ」



その言葉が嘘だと知っている。
ただの照れ隠しなんだと。

いつだって彼は、嘘で本当を隠そうとする。
けれどどう足掻いたって悪役には向いていない、やはり何処かで甘さが出る。
だからいつも彼は、自分に対して甘いのだ。


そうでないなら、どうして彼は此処にいる?



「お前置いて帰ったら、殺されるんだからよ」



腕を掴まれ、引っ張り起こされた。

掴まれた腕は、意外と痛くない。
きちんと緩和されていて、痣が残るような事はない。






「帰るぞ」








そうやって甘やかすから、甘えてしまうんだ。




立ち上がっても歩き出さない悟空に、悟浄は眉根を寄せた。
まだ先程の喧嘩の事を気にしているのかと。
それとも、喧嘩の相手に見っとも無い所を見られたと思っているのだろうか。

俯いたままの悟空の顔は、ネオンの光の所為で影になり、余計に伺えない状態だった。
悟空も悟空で、じっと地面の方を睨んでいるから、悟浄がどんな顔をしているのか判らない。


ただ、手は繋いだままだった。



「……おい悟空」



名前を呼ばれた、悟空はいつだって返事をした。
悔しくて泣いている時も、怒って拗ねている時も、名前を呼べば顔を上げた。
それは最早、悟空の癖のようなもの。

けれども悟空は、顔を上げなかった。
なんとなく、悟浄の顔を見るのが恥ずかしかった。


見っとも無いところを見られた。
それもある。
泣いているところを見られた。
それもある。
迷子になっているところを見られた。
それも、ある。

でも、そういう事ではない。
それだけではなくて、なんだか恥ずかしかった。

けれど、このまま俯いたまま動かなかったら、悟浄も痺れを切らすだろう。


だから、その前に。



「……ごじょぉ」
「あ?」



悟浄からの返事はちゃんとあった。
それだけで心の何処かが安心するような気がして、現金というのはこの事なのかと思う。
だって仕方がないだろう、ほっとしたのは本当の事だ。

一人ぼっちの世界から掬い上げてくれた。
繋いだままの、この手で。



「……疲れた」
「どんだけ迷ってたんだ、お前」



呆れたような声で呟きながら、頭を撫でられる。
子供扱いするなといつもなら言う所だけれど、今はそれさえ欲しかった。

そんな風に思うのは、きっと一人でいたからだ。





「悟浄、おんぶ」





子供みたいな我がままを、言うのも。


言って数秒後、手を離された。
それから悟浄が目の前にきて、背中を向けて屈む。

無言で赦してくれる。
耳や首筋まで赤くなって見えるのは、きっと後ろにある赤い蛍光灯の所為だ。
そう決めながら、悟空は広い背中に身体を預ける。


悟浄が立ち上がると、視界が広くなった。

悟浄は背が高い。
その背に乗っていれば、背の低い悟空も目線も高い位置になる。
殆ど悟浄と同じ高さにあると言って良いだろう。



「ったく、何やってんだよ、お前は」
「……迷子」
「自覚があるなら、もうちょい改善しやがれ」



誰が探すと思ってんだ、と言われた。
悟浄、と答えると、溜息が聞こえた。



「あのなぁ、いい迷惑なんだよ。判る?」
「うん」



規則正しい揺れ。



「で、お前がいないと保護者さん達のヒステリーが酷いんだよ」
「うん」



苛々なんてちっともしていない、声。



「皺寄せは全部こっちに来るんだぜ」
「うん」



……知ってる。
悟浄が憎まれ口ばかり叩く時は、本音は隠れていると言うこと。



「大体、お前の帰巣本能は当てにならねぇんだよ」
「……うん」



……知ってる。
本当に言いたい事は何か、なんて。






「だからお前は、一人でうろうろするんじゃねぇよ」







『傍にいろ』って。

本当は言いたいんだって事。











「……なぁ、悟浄」
「なんだよ」



心地良いリズムに揺られながら、悟空は意識がふわふわとしているのを感じていた。
このままそれに身を委ねても、きっと悟浄は何も言わないだろう。

宿に戻ったらベッドに寝かせて、自分はその隣で煙草を吹かす。
八戒はもう帰っているだろうから、灰皿に築かれた山は撤去されている筈だ。



「…覚えてる?」
「何を」



主語が抜けてしまう悟空の言葉を、繋ぎ繋ぎで聞き出す悟浄。
きっと回りくどくて面倒だろうに、悟浄は意外と辛抱強い。

そういう所も、好きだ。



「オレ達さぁ」
「おう」
「…なんで喧嘩してたんだっけ」



自分たちが揉める理由なんて、幾らでもある。
取って置いたおやつを食べられたとか、煙草を湿気らせてしまったとか。
止める者がいないと簡単にヒートアップしてしまうから、些細な事さえも喧嘩の原因になる。


今回は、何が原因だっただろうか。
悟空はもうすっかり、頭から抜け落ちてしまっていた。
もともと物覚えが良い方ではないし……思い当たる節があり過ぎて、逆に定まらない。

先刻思った通り、悟空は忘れている。
では、悟浄の場合はどうだろう。



「……さあ」



歩く度に揺れる紅。
触れ合った場所の温もり。
肩口から覗いて見える、頬の傷。

全部、好きで。






「下らな過ぎて、忘れちまった」






笑いながら言うその声も、好き。







悟浄の言葉に、悟空はなんとなく安心した。
多分、一緒だったからだろう。

本音か嘘か、これは判らなかった。
けれど判らないなら、本音と言う事にしたい。
一緒なんだと。



「……悟浄」
「今度はなんだよ」
「寝ていい?」



暢気だな、という声が聞こえた。
帰ったら怒られるのに、と続けて。

くすりと小さな笑い声。



「好きにしろよ」



言いながら、落ちないようにと抱え直してくれる。
歩く歩調が少しゆっくりになって、それがまた眠気を誘う。

背中に頬を押し付けた。
そろそろ、瞼を上げたままにするのが辛い。
意識はやっぱりふわふわしている。


宿で目覚めたら、きっと三蔵のハリセンで叩かれるのだろう。
その後八戒に仲介されて、軽くお叱りを受ける。
その間、悟浄がどうしているのかは、判らない。

でも、きっと傍にいてくれるのだ。
だってこんな冷たい世界でも、一緒にいてくれるのだから、きっとそうだ。



「しょーがねぇなあ」



それを聞いたのは二度目だと、言おうとして、意識が霞みに包まれて行く。









背中で眠ってしまった少年に、紅は愛しそうに微笑んだ。
































後で結局、忘れてしまうと言う事は


つまり、それだけ





必要ないという事なのだろうか。











そうして結局、傍に在る事を望んでしまうと言う事は


つまり、それだけ












あなたがいなきゃ、世界は何もないという事か。












FIN.




後書き