if it snows ....


夜になって、しんと静まり返った室内。
悟空は肌寒くなって、くしゃみをすると同時に目が覚めてしまった。

起き上がって目を擦ると、しばらく間を置いて目が慣れたから、ようやく部屋の様子が見渡せる。
不思議なほどに静かなその部屋の中は、まるで音がなくなったようだ。


いつもよりも静かな部屋。
なんとなくそれが不気味で、悟空は金蝉に擦り寄ろうとした。

しかし、其処に馴染んだ温もりはない。



「……金蝉?」



起き上がって、もう一度部屋を見渡す。
相変わらずベッドに潜り込んできた悟空を抱き締めてくれた腕は、何処にもない。
トイレかとも思ったが、彼が眠っていた筈の形跡さえ、残されていなかった。

一緒に入っていた筈の掛け布団は、悟空をすっかり包んでしまっている。
枕も跡は残っているけれど、それだけだ。



「金蝉、何処?」



彼が暗闇の中で、悟空を一人残して行くとは思えなかった。
否、思いたくない、というのが正しい心情かも知れない。

ベッドから降りると、床がひんやりとして冷たかった。
それがまた悟空の心の不安を煽る。
今までこういう事がなかったら、尚更。


夜中に一人で部屋を出るのは気が進まなかったが、此処でじっとしているよりはいい。
そう判断して、悟空は金蝉を探しに行こうとした。

─────が。







「悟空、起きてるか?」








廊下へ繋がる扉から聞こえてきた声。
それは探していた保護者のものではなく、今日一日、一緒に遊んでいた友人のものだった。

扉を開けると、心持長い髪を結ったままの那托が其処にいた。



「……なに?」
「いや……何って、俺が聞きたいんだけど…」



そう言う那托は、確かに当惑したような顔をしている。



「これ、お前、知らないの?」
「……何が?」
「目が覚めたら、こんなのがあってさ」



那托が取り出したのは、一枚の紙切れだった。
それは適当なノートを破って、走り書きしたのだろう文字が連ねてある。
乱暴な字体ではあったが、読む分には問題ない。

悟空はまだ寝惚けている目を擦りながら、紙を受け取った。
見慣れない字体で、それにはこう書かれている。




“二人で中庭に。絶対な!”




差出人が誰であるとか、そういった事は一切書かれていない。
“二人”の片割れについては触れられていないが、那托は悟空しか出てこなかった。
だから真っ直ぐ、此処へ向かってきたのだ。

那托の寝所周辺には見張りの者がいたのだが、今日に限って、それら全員が寝こけていた。
不審に思いながらも、この機を逃す手はないとして、那托は部屋へやって来ることが出来た。


しかし悟空は、この紙にも内容にも覚えがない。
二人で顔を見合わせて、首を傾げる。



「……とりあえず…行く?」
「でも、金蝉が……」
「怒る?」
「ってか、いなくて……」
「じゃあさっさと行って戻ればいいよ」



自分も抜け出してきたんだから、と。
場違いではあるけれど、イタズラっぽく笑う那托に、悟空も緊張が解れる。

出て行っている間に帰って来るかも知れない。
けれど、一人でこの暗闇の中で待っているのも嫌だった。
後で拳骨と怒声を浴びるのを覚悟しながら、悟空は那托と手を繋ぐ。


誰かに見付かったら厄介だからと、二人は人が少なそうな場所を選んで走った。




不思議な夜の出来事に、少しだけ心を躍らせながら。









足音を立てないようにと気をつけても、悟空の枷が音を立てる。
歩いても走ってもこれは止まないから、早く目的地へ着く事を選んだ。



夜中に部屋を抜け出す。
いつもはしない出来事に、二人は心が高揚するのを抑えられなった。
勿論昼間のように騒いだりはしないけれど、口元が笑みを象るのを止められない。

時々見張りに見付かりそうになって、慌てて隠れる。
それさえも、スリルを感じて楽しみに変わってしまうのだ。


手紙を書いたのが誰なのか、どうしてそれが那托の枕元にあったのか。
そもそも、本当にあれは那托に向けて書かれた物であったのか。
何もかもがあやふやだったけれど、もうそんな事は気にしなかった。



互いに保護者に見付かれば、何を言われるか判ったものではない。
けれど次第に、そんな事さえ気にならなくなってくるのだ。

ゴールは中庭。
誰かに見付かったらゲームオーバー。
誰も知らないゲームを、二人だけで楽しむのも悪くない。




やがて二人は、昼間、雪の話をしていた渡り廊下へ辿り着く。
正規ルートならば、一旦反対側の館に入らなければならない。
だが面倒臭いし、中庭に何かがあるというなら早く見たかった。

二人は中庭と廊下の仕切りにされている柵に足をかけた。
先に那托が反対側──中庭──へ下りて、悟空を手伝う。


明かりがないから、中庭は真っ暗だった。



けれど。








ぽう、と一箇所が明るくなって。


次々に光が灯り出し。










白が、其処にあった。


















雪だ。






地面を覆う、中庭一杯の、雪。
池は綺麗に残されているけれど、その周りは一面の白に覆われている。

那托が目を見張り、悟空も言葉が出ない。
その白はアルバムの中で見たものと同じで、違う。
炎に照らされているから────いや、それだけではないだろう。


悟空がゆっくりと進むと、ある一線から足元が酷く冷たくなった。



「ふひゃっ!?」
「悟空!?」
「冷たいーっ!」
「マジで!? じゃ、これ……!」



本物、と那托が悟空に駆け寄り、その場にしゃがむ。



「……本物だ…ほんとの雪だ、これ」
「ホント!?」



ほんの数cm、積もっている白い雪。
篝火に照らされる雪に触れると、それは冷たく、段々と痛みを伴ってくる。

なんとなく、これが霜焼けかぁ、と二人で呟いた。
それさえも、悟空と那托にとっては初めての経験だったのだ。
そっと雪から手を離せば、くっきりと跡が残っている。



「でも季節じゃないんだよな」
「…そうだよな……雪なんて…下界でも……」



天界は年中春で、気候は安定して保たれている。
下界は雪の季節を終えて、冬眠していた動物達も目覚めるだろう。

天界で雪が降るなんて思えない。
まして、この中庭の一角だけだなんて、尚更。


どうして、と二人がもう一度顔を見合わせたところで。








「そいつは、万年雪だよ」








聞こえた声に振り返る。

其処には捲簾がいて、天蓬がいて、金蝉までもがいた。
篝火に照らされる彼等の表情は様々だったが、金蝉も不機嫌そうではない。
少々、疲れたような色を見せてはいるけれど。



「金蝉!」



所在の判らなかった保護者を見つけて、悟空が破顔する。


那托の方は訳が判らなくて混乱していた。
天界に雪がある事もそうだし、何故此処で彼等が出てくるのか。
何もかも知っている、そんな顔をしてはいるけれど。

万年雪、というのは初めて聞いた。
普通の雪とは違うのか────其処も混乱のもとだ。


目を白黒させている那托に、捲簾は天蓬と顔を合わせて笑う。



「万年雪ってのはな、一年中積もったままの雪の事だ。下界の一部じゃ、こういう事もあるのさ」
「全く、運ぶの大変でしたよ。こういう力仕事はあなたの担当でしょう」
「まぁいいじゃねぇか、たまには運動しねぇと」



つまり、この雪は彼等が下界から運んできたという事か。
昼間は何もなかったから、この夜半の間に。

軍大将と元帥が色々ととんでもない事をやるのは知っていた。
知っていたけれど、これはやり過ぎではないのか。


まさかこっちも、と那托は金蝉を見遣る。



「……俺は、引きずり込まれただけだ」



つまり、自分に参加意志はなかった、と。
至極不本意であると、溜息交じりの言葉が切々と語っている。



「よく言うぜ。悟空が喜ぶぞって言ったら、無言で作業してたくせに」
「してねぇ!」
「意外と判り易いですからね、あなたも」



否定する金蝉の顔が紅く見えるのは、果たして篝火の所為だけだろうか。



「これ、金蝉達が持ってきたの?」
「……そうみたいだな」



いまいち話を理解し切れていない悟空の問い。
それに那托が頷くと、悟空はまた、破顔する。


さてと、と捲簾が呟いて。
雪が積もっている一歩手前に立ち尽くしている二人の子供へと近付いてくる。
それからちらり、と二人の足元へと眼をやった。

悟空は当然裸足で、寝巻きのままやって来た那托も、同じく裸足だった。



「そのまんまじゃまともに遊べねぇな」
「遊んでいいの?」



思ってもいなかったのだろうか、悟空の言葉に捲簾は苦笑した。



「その為に運んできたんだからな。気兼ねすんなよ」



悟空と那托は顔を合わせ、明るい顔になる。
けれどその前にと制すと、ころりと不満そうな顔になった。

そのままじゃ歩けないだろうから、と靴を持ち出してきたのは天蓬だ。
一体何の為に持っていたのか、それは子供用のサイズの靴。
那托には少し小さいようだったが、動き回る分には問題ない。


これで準備が出来た、と捲簾は子供達の頭を撫でてやる。



「手は何にもないけど……いいか?」
「うん!」
「平気!」



二人とも、ついさっき雪の冷たさを感じたばかりなのに、大丈夫だと言い張る。

これでは何を言っても、もう待とうとはしないだろう。
今すぐにでも動き出さんばかりに、二人はうずうずしている。


きっと明日になったら、手は霜焼けになっているだろう。
悟空の面倒は金蝉が見る羽目になって、那托も誰かから小言を言われるに違いない。
けれど今の二人には、そんな事を考えるような余裕はなかった。

明日の面倒を気にしてだろう、金蝉が何事かぶつぶつ言っているのが捲簾には伺えた。
それを宥めている天蓬がいて、結局折れてしまうのだろう事は見当がつく。


自分たちは誰しも、あの幼子には甘いから。



「雪合戦やろう、悟空!」
「雪……?」
「教えてやる、早く!」



言った後、那托は悟空を引っ張って雪の中に足を踏み出した。
少々不安定な足元にひっくり返った声が上がったが、転ぶ事はなかった。

適当に広い場所を見繕って、那托はしゃがんで雪球を作り始める。
どうするんだろう、と悟空はそれを傍らで見下ろしていた。







初めての雪遊びに子供達が夢中になるのは、直ぐ。




















「楽しそうですねぇ」
「だな」



季節外れの雪の中で、はしゃぎ回っている二人の子供。

それらを遠巻きに眺めながら、大人達は笑っていた。
金蝉だけはいつも通りの仏頂面だが、それだって不機嫌なものではない。



「それにしても疲れましたね」
「流石に大仕事だったからなー…」
「金蝉は絶対に筋肉痛ですよね」
「……………」



返事はなかったが、聞こえていない訳ではない。
ただ意識が子供らの方へ向けられている、それだけの事だ。

本人が見ていないのを良い事に、捲簾と天蓬は顔を見合わせて笑う。
なんだかんだ言って、この保護者が一番悟空に対して甘いのだ。
不慣れな力仕事を文句も言わずにしていた姿は、まだ二人の記憶に新しい。


明日になれば、この雪は溶けて消えてしまうだろう。
今晩が珍しく冷え込んでいたのは幸いだった。
でなければ、運んできた矢先から、雪は溶けて行ってしまっただろうから。

一夕一晩の間で此処までするのは骨が折れた。
けれども、目の前の光景を見ていれば、まあいいか、とも思えてくる。



雪塗れになって駆け回っている子供が二人。
冷たい、痛い、そんな事を言う子供達の表情は至極明るくて、楽しそうで。





「こんぜーん! 金蝉も遊ぼー!」
「天蓬と捲簾もやろうぜー!!」





大きく手を振りながら誘う、子供達。










これだけでも、苦労した甲斐があるというものだ。



















雪が降ったら





二人で見にいけたらいいね










雪が降ったら





みんなで遊べたらいいね


















雪が降ったら。


















FIN.




後書き