刻が過ぎても







始まって終わって


終わって始まって







だから、ほら









笑ってよ。






















全く、騒がしいのは嫌いだと、何度言えば判るのか。



近所の方から頂いたんですよ、と袋一杯の餅を抱えて執務室に乗り込んできたのは、当然悟浄と八戒だ。
ご丁寧に悟浄は七輪まで運び込んでいて、全く準備の良い事だ。

七輪も餅も始めて見た訳ではなかったが、案の定、悟空ははしゃいでいた。
最高僧の意向を綺麗に無視して用意を始める二人に、ちゃっかり手伝いで参加している。
友人と、そして食べ物がやって来たのだ。
悟空にとっては、歓迎しない訳には行かないだろう。


煙が立ち込めることを気にして、部屋の扉は開け放たれている。
既に何度か煙を目撃して、何事かと修行僧が部屋の扉を叩いた。
それを適当に追い返して、ついでに河童と猿に何度目か知れないハリセンを振り下ろす。

それなのにこの二人組は、すっかり部屋の中に腰を落ち着けてしまっていた。



「なぁなぁ、どうやって食うの?」
「悟空はどんなのが良いですか?」
「取り合えず、焼けるまでは待てよ」



七輪の火を団扇で扇いでいる悟浄と、その横で皿を準備している八戒。
悟空はうきうきとした表情で、七輪の上の餅をじっと見ている。


彼等に何を言った所で、聞くわけが無いのはよく判っている。
自分だって誰かに何か言われた所で、容易く行動を変えない事は自負している。
他人の顔色を伺いながら行動する程、出来た性格はしていない。

そして、今瞳を大きく開いて輝かしている子供も同じ事。
拾ってから今年で6年目を迎えるのだが、子供特有の奔放さで三蔵さえも振り回す。



「な、三蔵は何がいい?」
「……………」
「ちぇ、無視かよ」



詰まらなそうに悟空が唇を尖らせた。

三蔵が苛々としている事に気付いていない訳ではないだろう。
何せ年末となれば寺院は何かと慌しくて、当然最高僧にもあれこれ仕事は舞い込んでくるのだ。



「その点、お前は楽しそうだな」
「うん! だってさ、こんな美味そうなんだぜ!」



悟空がポイントとしているのは、やはり其処だ。


心の底から、悟空は待ち遠しいらしい。
もうちょっと待ちましょうね、と八戒が悟空の大地色の髪を撫でる。

八戒の手が離れると、いい子にしてろよ、と悟浄の指が頬を突いた。
子供扱いするなとそれを振り払って、悟空はじろりと悟浄を睨む。
最も、それの効果は全く期待できるものではないのだが。


ぱたぱたと七輪の火を仰いでいる悟浄が、ふと、お、と声を上げた。
それを聡く聞きつけた悟空が顔を上げると、七輪の上の餅がふっくらと膨らんでいる。



「お、膨らんだ!」
「じゃ、ひっくり返しますね」
「あ、オレやりたい!」
「出来るのか? 猿の癖に」



悟浄の言葉に、悟空はまたムッとした。
八戒が宥めながら、箸を手渡す。

ひっくり返せるか否か以前に、三蔵の危惧は別の所にある。
興奮するとじっとしていられない悟空が七輪を倒したりしないか、その一点だ。
どうせ何か仕出かしたところで、片付けは彼等にやらせるつもりだが。




そもそも、こう言う事は室内でやるべきではない。
それをうっかり許してしまった原因は、小さな子供以外に他ならない。



仕事が一段落し、ようやく休憩できると思った時、彼等はやって来た。
後から修行僧に小言を言われるのは面倒だというのに、彼等にとってそれは他人事なのである。

そして外に出ろといったら、今日は風が強くて寒い、と八戒が言い出す。
なら別の日にやれと言ったのだが、それで引き下がるような人物ではない。
三蔵が八戒と言い合っている間に、悟空と悟浄はすっかり準備を済ませてしまっていた。


それだけなら、部屋から蹴り出してしまえばいい。
する気はあったのにタイミングを逃してしまった自分が、今は疎ましくて仕方がない。


準備を済ませて駆け寄ってきた悟空に、持ちうる限りの力でハリセンを振り下ろした。
けれどもその程度で挫けるほど、悟空はか弱くない。
一度決めてしまうと譲らないのは、何処と無く保護者譲りではないかと悟浄と八戒は思っている。


悟空は三蔵の法衣を引っ張りながら、いいだろ、としつこく食い下がった。
駄目だ、却下、と言っても、悟空も譲らない。

こうだと決めた悟空を御せるのは、確かに三蔵だけだ。
だけなのだが、悟空だって譲れないものがある時は意地でも引き下がらない。
そういう時は、結局三蔵が折れてしまう訳で、今回もまた───……


……それと、同じ訳だ。

おまけに。




「いいじゃん、な、さんぞ」







………真っ直ぐ見上げてくるから。








この有様を僧正にでも知られた、何を言われるか。
ただでさえ悟空の事で日毎に文句を言われているのに。

だが最早諦めてしまった方が楽だろう。
何事か言われたところで、それは三蔵にとって大した問題ではない。
また悟空を追い出せだとか言い出す事も、容易に想像がつく。
気にするだけ、疲れるものなのだ。


ちら、と三蔵は七輪を覗き込んでいる悟空を見遣る。
その表情は年不相応に幼く、きらきらと輝いてさえ見える。



「なぁ、まだ? オレもう限界だよぉ」
「お前はいっつもそうだろが」



呆れた、と溜息交じりの悟浄の台詞。
悟空は待ちきれない様子で、今度は八戒の方を見上げる。



「いい子ですから、我慢ですよ」
「だってぇ……」
「でかいのはお前にやるから、それで言う事聞け」



悟浄の言葉に拗ねた顔を作りつつも、悟空は素直に口を噤んだ。

それでどんな風に食べましょうか、と。
問い掛けた八戒に、またすぐに悟空の表情が切り替わる。
この日までに悟空は悟浄宅で色々食べてきたので、意外と舌は肥えている。


悟空がそうやって素直な反応をするから、八戒も作り甲斐があるのだろう。
悟浄も取り合っている時は豪快に食べる事があるが、やはり悟空には及ばない。

あそこまで一気に平らげてくれるのは、見ていて気持ちが良いものだろう。
三蔵からすればもっと大人しくて欲しいのだが。
しかし幾ら注意しても、悟空のあの食べ方は直りそうにない。

まぁ、あれが悟空らしいといえば、らしいのだが。



「なんか、全部食いたいなぁ」
「まだまだ沢山ありますからね。遠慮しないで下さい」
「マジ!?」
「焼く時間ぐらいは待てよ、お前…」



嬉々とする悟空を、悟浄と八戒は軽く頭を叩いて落ち着かせようとしている。
しかし悟空の興奮は抑えきれないらしい。

はぁ、と溜息を吐きながら、三蔵は歩み寄り、悟空の頭に手を置いた。



「もう少し大人しくしてろ、猿」



焼くのぐらい直ぐなんだから、と。
三蔵の言葉に悟空は頷いた。

二人の様を見た悟浄と八戒が、クク、と笑う。



「……なんだ、テメェら……」
「いーや」
「なんでもありませんよ」



睨む三蔵に対して、二人はにやにやと笑いながら応える。
三蔵の眉間の皺が益々深くなった。


面白がられているのは明らかだったが、三蔵はそれ以上何も言わない。
七輪の前で大人しくしていた悟空は、三蔵の腕にくっついている。
三蔵も振り払えば良いのに、好きにさせている。

三蔵にこういった自覚があるかは、悟浄達には判らない。
だから余計に、二人にとっては面白いのだ。
誰に対してでも無愛想なこの破戒僧が、悟空に対してだけは甘いから。



「三蔵、腹減った」
「煩い、黙れ。っつーか離せ」


お決まりの悟空の台詞。
それに対して、三蔵はそんな言葉しか返さない。

悟空も悟空で、そんな事はよく判っているのだ。
判っていて声をかけるのは、返事があるだけでも嬉しいから。
だからこれは、甘えているのだ。



「な、まだ?」
「もういいか?」
「そうですね。じゃ、お皿に取りますよ」



三蔵から離れる様子も無く、悟空は催促する。
そんな無邪気な子供に笑いながら、八戒は餅を取り分ける。


一度三蔵にくっつくと、悟空は中々離れようとしない。
機嫌が悪いと、近付く事さえ許せない事を知っている。
仕事で遠方に行けば、空間を共有する事さえ許されない。

だから悟空は、甘えられる時に目一杯甘える。
まるでその光を捕まえるようにして。



「これは悟空のですね」
「うわっ! でけぇ!」
「慌てて喰って喉に詰まらせんじゃねーぞ」
「しねぇよ、そんな事」
「どうだかな」



揶揄混じりに忠告する悟浄に、悟空は噛み付くように反論した。


悟浄の一言に臍を曲げながら、悟空は餅にかぶりついた。
もごもごと不慣れな様子でそれを噛み千切る。

八戒は三蔵に手渡し、悟浄にも渡してから、自分の分を確保した。
それからきっと足りないと言い出すであろう悟空の為に、次の餅を七輪に置く。


悟空はいつものようにがっつく事はしなかった。

いつもこうだと、三蔵としても楽なのだが。
きっとこれは今だけなのだろう。



「なぁ、喉詰まらせたら死ぬってホント?」
「上手くやりゃあ助かるだろうけどな」
「掃除機口に突っ込めば助かるとか聞いた事ありますねぇ」



八戒のいう事に、悟空はうわ、と舌を出す。
何にしても、無事でいる事が一番良い。

今日ばかりは、悟空はきちんと餅を一口サイズに切り分けていた。



「……なんか、中々切れねえんだけど」
「そりゃ餅だからな」



上手く切れない事に苛立ちつつ、悟空は奮闘している。



「なぁ、喉に詰まったら死ぬんだよな。三蔵でも死ぬの?」
「……どういう意味だ、バカ猿」
「呼吸が出来なくなりますからね、誰でも死んじゃいますよ」



悟空のいう事に三蔵は眉を顰め、八戒は苦笑するしかない。
呼吸器官が塞がれてしまうのだから、対象がなんであっても、死んでしまうのは当たり前だ。
悟空の思考回路は、何処で例外をはじき出そうとしているのか。

ゴキブリでも死にます、と八戒は悟浄を指差して言った。
おい、という悟浄の突っ込みは綺麗に流される。



「そっかあ……」
「悟空、一体何を考えてたんですか?」



悟空の発想が突拍子なのは今に始まった事ではない。
ではあるのだが、やはり時折、とんでもない事を言い出すのには慣れなかった。

バカな事言うんじゃねえよ、と悟浄が悟空の頭を小突いた。
三蔵としても、一体何処で育て方を間違えたのかと思ってしまう。
妙な事は吹き込んでいないと思うのだが。



だから悟空のこれは、天然なのだ。



すっかり餅に夢中になっている悟空。
お陰で、傍らで話す大人達の話など聞こえていないようだ。



「ビール持ってくりゃ良かったな」
「執務室で宴会なんかすんじゃねえよ」
「でもいいですよね」
「猿には飲ますなよ」



三蔵の一言に、悟浄は肩を竦めた。


悟空はまだ未成年であるから、確かに酒は飲めない。
けれど興味はあるようで、時折悟浄の家でこっそり飲んだ事があった。

免疫が殆どない悟空は、やはり少量飲んだだけで酔ってしまう。
酔った悟空は人とくっつきたがり、三蔵が迎えに来た時は仔犬宜しく離れようとしなかった。
更に帰る道中、道端で寝るなんて事を仕出かし、結局三蔵が負ぶって帰る羽目になった。

その時の大変さを思い出してか、三蔵が大きな溜息を吐く。


ビールがない為に不満そうな顔をしている悟浄だが、場が場だけに我慢するしかない。



「20歳になっても駄目ですか?」
「駄目だ」



はっきり言い切った三蔵に、八戒は苦笑するばかりだ。
悟空は餅を一つ食べ終わって、なんの話だと大人達に目を向ける。



「酔っ払いの面倒を見る気はない」
「っつーかお前、悟空が20歳になっても保護者でいる気か?」
「……なんの話?」
「まぁ、今後の話ですよ」



八戒の言葉に、悟空はふぅん、と言っただけ。
それからまた更に乗せられた餅に、意識を持っていかれてしまった。


そんな悟空の大地色の髪を、悟浄がくしゃくしゃと撫ぜた。
急な事に悟空が驚いて、顔を上げる。

最早見慣れた、その光景。



「今16歳ですから、あと4年ですね。その頃になれば、悟空ももう少し成長してるんじゃないですか?」
「つっても、やっぱチビはチビのまんまだろー」



チビ、の一言はしっかり悟空の鼓膜に届いたらしい。
誰がチビだ、と騒ぎ出す悟空の襟元を三蔵が掴む。
むぅ、と拗ねた顔で悟空が保護者を振り返る。

自然と、金と紫闇が交じり合った。






「………だろうな」





ぽつりと呟かれた三蔵の言葉。
悟空はそれに頬を膨らませ、悟浄と八戒はやっぱり、と笑う。


─────拾ってから6年だ。
その間、やはりずっと見ている事になるのだが、いつまで経っても悟空は変わらない。

拾った頃よりも確かに身長は伸びた。
けれど、根本的な部分は幾らも変わっていないのだ。
真っ直ぐ見つめる瞳が、いつまでも三蔵よりも下の位置にある事も。



「……このままだろうな」



ますます拗ねる悟空の頭を、くしゃくしゃと撫でる。
それだけで悟空の表情が、ほんの少し和らいだ。
悟空は昔から、撫でられるのが好きだ。

だからこれは、確信だ。
変わらないと。



「……猿にこれ以上成長しろってのが無理な話だろ」
「だってよー」
「とか言って、変わらずにいて欲しいだけじゃないですか?」



笑う八戒を、じろりと睨みつける。
けれど否定の言葉が出てこない。
それを肯定だと言えば、銃弾が飛んでくるだろう。

でも、きっと。
例えば子供が、大人になっても。









「オレもこのまんまでいいな」








見上げた先の光も。

直ぐ傍にある優しい眼差しも。



このままで、と子供は笑う。



















始まりはが終わり






終わりが始まり

















それでもキミは今のキミを終わらないで










笑ってよ。



















FIN.




後書き