すべて僕のものだから





野菜を扱っている店の前で、悟空を待たせる事にした。
店口が狭いので、交渉している間に他の客が入ってきた時に邪魔にならないように、だ。


退屈そうに立つ悟空に、ちょこまかしないように、と言い聞かせる。
子供じゃないんだと反論する悟空だったが、どうにも心配なのだ。

あれでも18歳だから、待っていろと言われれば待っている悟空だ。
けれども問題は悟空自身よりも、それに近付く悪い虫。
保護者が過保護だからか、どうにも警戒心が薄いので、そちらが心配になってしまう。



「……早目に終わらせましょうかね」



普段はなるべく安く買おうと粘って交渉している八戒だが、今日はそうも行かない。


栄えている街には、様々な人間がいる。
当然、その中にはタチの悪い輩もいるのだ。

自分も大概過保護だと思う八戒だが、例えば先程悟空がぶつかった相手だとか。
本人には言うと怒るのだが、悟空の中世的な顔立ちに邪な感情を抱く者だっている。
これで心配するなと言う方が無理な話なのだ。


それなりの金額まで下げて貰って、主人が渋っている間に、ちらりと外の悟空を見遣る。
話し相手もいない所為で、悟空はやはり暇そうに軒先の商品を眺めている。



「…流石にこれ以上はな…」
「ええ…まぁ、それなら、他の店に行くだけですから」
「あー……ちょ、ちょっと待ってくれよ」



他の店に行く、となれば、この店の売り上げが下がる。
主人は慌てて計算を初め、八戒はそれを待ちながら、ちらりと入り口を見た。

小さな背中は、まだ其処にある。
立っているのに疲れたのか、地面にしゃがんでいる。
肩が小さく動いているから、多分小石で何か描いているのだろう。


このぐらいで、で額を提案する主人。
本音を言えばもう少し下げたいのだが、今回は仕方がないだろう。



「では、それで」
「はい、まいどあり」



これで厄介な客が帰ってくれると思ったのだろう。
それでも笑顔を絶やさず、主人は野菜を袋に詰めて行く。

次の店は何処だったかと思い出しつつ、八戒は袋を受け取った。


そして、店の外へと出て。





……小さな背中は、何処にも見当たらなかった。





待っていろと言われたら、悟空はきちんと待っている。
もとより素直な子供だし、三蔵の教育もあるのだろう。
退屈は好きではないが、後で怒られるのも嫌いなのだ。

だから、いなくなったのであれば、それは悟空の所為ではない。
流石に10歳の幼い子供ではないのだから、食べ物に釣られることもないだろうし。



「……ひょっとして、さっきの人でしょうかね」



呟く八戒の瞳には、いつもの柔和は色はない。

思い出すのは、数分前に擦れ違った柄の悪い男。
ぶつかったのは謝ったけれど、ああいう輩はそんな事は構わないのだ。


悟空の力は、並大抵のものではない。
小柄であるが、力は大の大人よりもあるし、戦闘能力も四人の中で一番秀でている。

けれども、不意打ちには弱いのだ。
体格差で封じられてしまえば、悟空に抗う手立てはない。
小柄な身体は捕まってしまうと、どうにもならないのだ。



「…ちょっと、良いですか」



行き交う人を捕まえて、問う。
茶色い髪の、15歳位の子を見なかったか、と。

あんな柄の悪い男と一緒にいたら、否応ナシに目立つ筈。
それに、普段はもっと目立つ二人(三蔵と悟浄)と一緒にいる所為で隠れてしまいそうになるが、
あの爛々とした金色の瞳も、目立つには十分な要素を持っているのである。



「此処に座ってた子かい?」
「ええ。僕の連れなんですけど、見当たらないので」
「俺は見てないけどな……」



言いながら捕まえた通行人は、連れであるもう一人に目をやった。



「…あの子なら、ここらのゴロツキに絡まれてるの見たぜ」



相手にしてなかったけど、と付け足される。
何故助けなかったのか、と言われるのを避けてだろうか。

絡まれているのを見ただけで、後は知らない。
そう言う通行人を放して、今度は別の通行人を捕まえる。
とにかく何処何処で見かけた、と聞くまで、引っ切り無しに問い掛けた。



やっぱり一人にさせるんじゃなかった。
今更な事を考えながら。




あの子なら、あっちにいたよ。


そう聞いた時に示されたのは、市のすぐ傍にある細い路地。
家々の隙間にあるようなもので、見通しも悪い。
成る程、先程の柄の悪い連中が好んで居座りそうな場所だ。

行き交う人をするすると避けて、八戒は路地裏を一つ一つ覗いていく。
手に持っていた荷物が邪魔だったが、まさか放置する訳にも行くまい。


一つ一つの路地を見ていくのは、手間がかかる。
けれども、見落とすわけには行かないのだ。



そして、幾つか路地を見回って。

他の路地よりも暗い、薄汚れた道の向こう側。




「や…だ、はなせっ……!」




呻くように聞こえてきた声。

視力の悪い八戒では、路地の向こう側までは見渡せない。
けれども、聴覚を妨げるものは何もない。




「……い…っ……この…っ……」




届くその声に、腹の中で蠢くこの感情はなんだろう。


ガタン、と何か、木箱のようなものを蹴る音がした。
今がどういう状況であるのか、脳裏を過ぎるのは腹立たしいだけのものだ。







「や……はっかぃ…い………!!」









あの子は、自分のものなのに。












「人のものに何をしてらっしゃるんですか?」



呟いた声は、意外と低いものだった。


ビクリと大仰なほどに肩を震わせて、振り返った男。
その男の顔は、やはり少し前に見た柄の悪い男のものだった。

男の陰に隠れて、古びた木箱の上に其の身体を押し付けられている子供。
服を乱され、胸を露にされて、男の片手は悟空のズボンにかかっている。
真っ赤な顔で泣きそうな瞳のままで、悟空は八戒の姿を確認していた。



「…は…っかい……」



相当暴れたのだろう、悟空は肩で荒い息をしていた。
紅潮した頬とそれが相俟って、常の爛漫とした表情とは程遠い色が其処にある。



「……死にたくないなら、さっさと其処から退いてくれません?」



口元だけに笑みを浮かべて、自分が本当に笑っていないと他人事のように判った。
だっていつも通りに、普段のままに笑える訳がない。

だって、あの子供を乱して良いのは、自分だけだ。



「……っ離せ!!」



臆しているのか、男が固まっている。
それを見つけた悟空は、思い切り男の腹を蹴り飛ばした。



「何もしていませんね?」



地面と仲良しになった男を見下ろしながら、八戒は問う。
何かしたと言うなら、赦しはしない────そんな声で。

見下ろす冷たい瞳に、男が上擦った声を上げる。
それが悲鳴に変わるまでそれほど時間はかからなかった。


形振り構わず市の通りへと逃げ出したのは、まぁ懸命な判断だっただろう。
此処で例えば八戒に向かってくるとか、もしも悟空を人質にするなんて真似をしたらどうなるか。
片腕が無事であったかどうか、正直、怪しい所だ。

街ではそれなりに噂のあるゴロツキだと言っても、八戒にしてみればただの小物。
そして、目をつけた相手が悪かった。



「大丈夫ですか? 悟空」



よりにもよって、この子を狙うものだから。




悟空はのろのろと起き上がって、ちらりと八戒を見上げた。



「何かされました?」
「……んーん」



乱された服を元に戻しながら、悟空は首を横に振る。

情けないところを見られた、と思ったのだろうか。
悟空は悔しそうに唇を噛んでいた。


ふと、悟空の其の細い腕に残る痕を見つけてしまった。
それは手首を一回りしていて、あの男と悟空の体格の差を歴然とさせる。

腕力だけなら、悟空も負けていない。
けれど体格差が大きければ、上からの圧力には逆らい難くなる。
挙句不安定な体勢にさせられれば、まともに力も入らない訳で。



「……悟空」
「なに─────わっ…ン!」



上半身だけを起き上がらせていた悟空。
肩を押して倒れれば、また木箱に背中を乗せてしまう。

痕の残る腕を取って、深く口付ける。
突然の事に目を白黒させて、悟空は苦しげに呻く。
けれども暴れる事はなく、抗議するように空いた手で八戒の胸を押しやろうとするだけ。


折角元に戻した服をまたたくし上げ、手を這わした。

子供体温の悟空に比べて、八戒の手の温度は低い。
ひんやりとしたその感触に、悟空はふるりと身を震わせた。



「っは…ちょ…八戒……っ」



捕まえていた腕を引き寄せて、痕をゆっくりと舐め上げる。
悟空は真っ赤になってそれを振り払おうとするが、八戒が許す訳もない。



「やだ……や……」



いや、と。
何度言われても、八戒は止める気はなかった。

悟空が本当に嫌がっているのなら、直ぐに止める。
そうでないと判るのは、悟空が決して暴れようとしないから。
誰かに見られるかも知れない羞恥心は残っていても、だ。



「あ………!」



悟空の片足を持ち上げると、流石にこれには目を見開いた。

木箱に横になったまま、悟空は八戒の肩にしがみつく。
顔はさっき以上に真っ赤で、瞳の端には透明な雫。


さっきも同じような顔を見た。
あの男に押し倒されている状態で。

あの時は、酷く腹立たしかった。
そういう事を仕掛けた男にもそうだが、そうなってしまった悟空にも、だ。
勿論、悟空にそういう気がない、なんて考えなくても判るのだけど。



「ま、待って、八戒、待って!」
「待ちません」
「やぅっ!」



開かせた足の間に滑り込めば、悟空は足を閉じれなくなる。
ズボンを履いたままでも、この格好は十分恥ずかしい。
夜毎の情事を思い出すから、尚更そうだろう。



「な、なんか…怒って…ない……?」
「……そうですね…そう見えます?」
「だ…ってぇ……」



ゆっくりと悟空の首筋を舐め上げる。
艶の篭った呼吸が悟空の唇から漏れた。


怒ってないか、と言われて。
多分そんなのだろうな、と八戒は他人事のように認識した。

だって、仕方がないじゃないか。



「ちょっと目を離したら、こうですからね」
「別、に、好きで…こうなったんじゃ……」
「だから余計に、ムカつくんでしょうね」



腕のあとを見遣りながら呟くと、悟空はきょとんとした顔で見上げる。

そういう天然な所に惚れたといえば、確かにそうなのだけれど。
こんな時まで鈍いと、やはり少し、苛々する事もある。


だって、悟空はいつでも無意識だ。



「他の人の痕があるのも、他の人の事を僕以上に知っているのも嫌なんですよ」



僕は、悟空が思っているほど優しい人間じゃないんです。

耳元に唇を寄せて囁くと、また震える小さな身体。
それでも、悟空は決して逃げたりしない。



まろい頬をゆったりと撫でて、額に口付けを落とす。
ふるふると震える小さな身体を抱き締めて、起き上がらせた。

乱れた服でぼんやりと見上げて来る金瞳。
気を抜けばまた押し倒してしまいそうになったが、それは帰ってから。
こんな所で初めて、誰かに気付かれて、悟空のあられもない姿を見せるのさえ嫌なのだ。
帰った所で、他に二人ほど邪魔がいるのだけれど。



「ほら、帰りましょう」



手を差し伸べて言えば、悟空は紅い顔でその手を取る。
よろよろとついて来る悟空に、八戒は小さく笑う。

それを見つけて、悟空は拗ねた顔で俯いた。



「……八戒のバカ」
「ええ、そうですね」
「ホントにバカ」



上手く身体に力が入らないのだろう、悟空は八戒にしがみついて歩く。
そんな距離だから、小さな声でも八戒にも聞こえてくるのだ。


判っている。
判っているつもりだ。

悟空が本当に─────






「オレだって、八戒じゃなきゃ嫌だからね」










痕をつけるのも。

一番知っているのも。



お互いじゃなきゃ、嫌なんだと。





























全てあなたでなければ嫌で

全て私でなければ嫌で



いっそ塗り替えてしまえたら









だけどちゃんと判っていれば大丈夫















同じ事を望んでいると判っていれば
















FIN.




後書き