あなたの腕に守られて





朝から誰も使っていないのだから、当たり前に布団は冷たかった。
それでも悟空は、逃げるようにベッド上に行くと、そのまま身体を丸くした。
まるでダンゴムシだな、等と思う。

その丸まった子供の横に腰を下ろすと、早々に身を摺り寄せてきた。
毛布の隙間から覗いた手は、やはり三蔵の法衣を掴む。



「蹴るんじゃねぇぞ、バカ猿」
「しない」
「…そう言っていつもやってんじゃねぇか」



執務室で眠る子供の様子を思い出して、三蔵は溜息を吐いた。

いつでも悟空は落ち着いて眠る事が出来ない。
そうすると、傍らにいる三蔵まで落ち着くことが出来なくなるのである。


今もやはり、もぞもぞと悟空は身動ぎする事を止めない。
5分位じっとしていられないのか、と顔に出さずに思う。

どうしてこの子供は、こんなにも落ち着きがないのだろうか。
起きている時は色々なものに目移りしているし、眠っていると転がるし。
一種の病気でないかと思う事だってしばしある事だ。



「蹴らないよ。蹴らないからさ、三蔵」



ぶつぶつ考えている間に、悟空はようやく納得する場所を見つけたらしい。
それはやはり三蔵にくっついている事で、小さな手も法衣を握ったままである。





「オレが寝るまで、此処にいてくれる?」





……この台詞も、随分聞き慣れた。
三蔵がこうやって悟空を寝付かせる時、悟空は決まって言うのだ。

眠るまでは、此処に、と。



(……どうせ寝たって離しゃしねぇんだろうが……)



捕まえるように法衣を握る幼い手。
それを見つめながら、三蔵は溜息を吐いた。

頭を撫でれば、それだけで安心したように悟空は微笑む。


眠る間際に法衣を掴んだ手。
それが離される事は、滅多にないと言っていい。

小さいながらに強い力で掴まれて、仕事が残っているのに翌日に持ち越した事は何度かあった。
今日も結局そうなるのだろうと思いつつ、三蔵は窓向こうに光る春雷を見遣る。
あれが今にでも収まれば、仕事に戻る事も出来るのだろうが。

……まぁ、結局仕事をやる気もないのだけど。


幼子をあやすように、子供の大地色の髪を撫でる。
悟空はそれを甘受しながら、小さく笑みを浮かべて気持ち良さそうに目を細める。

しかし、やはり春雷が光ると、ビクリと身体を震わせる。



「やっぱ、やだ……」
「だから早く寝ろって言ってんだろうが」



聞こえる音から逃げるように、悟空はまた小さく丸まった。
それでも三蔵から離れる事だけはしない。



「だって……寝れないよ、こんなん……」
「目閉じてろ。そうすりゃ、その内眠れるだろ」
「無理だってば……」



三蔵を捕まえる、小さな手。
仕方なしに、その手を握る。

それでも、悟空は気が気ではないらしい。
雷なぞに何を其処まで警戒するのか。
悟空にとってまだまだ未知のものであるから、気になるのだろうか。


とにかく、この子供を落ち着けなければ、自分もゆっくり出来ないのだ。



「ったく……おい、ちょっと離せ」
「え……」
「別に何処も行きゃしねぇよ」



目を見てそれだけ言うと、悟空はしばし俯いて。
それから、悟空はゆるゆるとした手付きで捕まえていた手を離す。

三蔵がベッドから退くと、金色の瞳がじっとそれを追い駆けている。
稲光がまた疾り、頼るものがなくなったからか、先刻以上に肩を揺らした。



「何処も行かねえって言ってんだろう…」
「うん……」



言いながら、三蔵は法衣の帯を解いた。
脱いだそれは適当に放り投げて、またベッドへと戻った。

やはりまた、悟空の手が三蔵を捕まえる。




「蹴ったら赦さんからな」
「だから、蹴らないってば……」



三蔵の言葉に、悟空は拗ねたように言う。

隣に横になった三蔵に、悟空は擦り寄った。



「…それにしても……」



呟くと、ん? と見上げて来る大きな瞳。
まるで零れ落ちそうなほど。



「なんだってお前は、そうやって俺の方に転がって来るんだ」
「……オレ、んな事してる?」
「寝て起きたら、いつも俺の横にいるだろ」
「…そういや、そうだっけ…?」



大体寝惚けているので、まともに覚えていないのだろう。
執務室でだって、寝惚けている間に退かせた。
そして離れて直ぐ眠って、また間もなく三蔵の所まで転がってくるのだ。

どうしてそんなにも、保護者から離れようとしないのだろう。
今日ばかりは雷の音から逃げたいのもあるのだろうが。



「…まぁいい」
「そなの?」
「猿の事なんぞ判る訳ねぇからな」
「…猿じゃない……っ!」



音がして、悟空の言葉が其処で途切れた。

縋り付いてくる薄い肩は、小さく震えていた。
仕方なくそれをあやす様に、くしゃりと大地色の髪を撫ぜてやる。



「文句言ってねぇで、早く寝ろってんだよ」
「……ぁい……」



三蔵の胸に顔を埋めて、悟空はくぐもった声で返事をした。



「……まったく……」



誰に対してでもなく呟いて、三蔵は溜息を吐いた。







───寝息が聞こえてきたのは、間もなくだった。

眠れないと言っていたのに、やはり眠ってしまった。
相変わらず、三蔵にしがみ付いたままで。


身動ぎする事もなく、もう聞こえる稲光の音にも肩を揺らす事はない。


あれだけ怖がっていたというのに、これだ。
落ち着きなくしていたのに、悟空は気持ち良さそうに眠っている。
まだ時折手を動かしたり、三蔵の胸に頭を押し付けたりするが、目を開ける事はない。



(…仕事は、……明日だな)



判りきっていた事だが、三蔵は改めて思った。

アンダーを掴む悟空の手は、やはりしっかりと力が篭められている。
引き剥がすには少々骨が折れるし、何より悟空が目覚めてしまうだろう。


珍しく大人しく寝ているのだから、今日は────



(…………ん?)



ふと、三蔵は気付く。



悟空が大人しく眠っている時。
あの寝相の悪さが、僅かでも形を潜める時。

それは、いつもこんな時だ。


普段、悟空はかなり寝相が悪い。
ふとたまに大人しいかと思えば、急に蹴り飛ばしてきたりする。
布団の中に納まっていたかと思えば、目覚めた時には全く見当違いの場所にいる。

それが形を潜める時。
大人しく、じっとしている時。






それはいつも、


三蔵の腕の中にいる時だけ。






腕の中で眠る子供は、大人しい。
鳴り響く稲妻の音さえ、きっと届いてはいないのだろう。



(……やれやれ…)



ただ三蔵を捕まえる手だけ。
それだけに、確かな力が篭っている。

なんの夢を見ているのか。
ほんのりと笑みを象る口元。
寝言は形にならずに、何を言っているのかは判らなかった。


それに絆されたのは、これが初めてではないと思う。
今までの事はあまり覚えていないが、悟空を抱いて寝たのはこれが初めてではない筈だ。

拾ってきたばかりの頃、悟空は何かと一人寝を嫌がった。
それだけではない、三蔵の温もりを感じていなければ怖い夢を見たと言って泣いた。
今は其処までの事はないけれど、やはりまだ同じなのだろうか。



「……やっぱり…どーしようもねぇ奴だな……」



こうしていなければ、落ち着いて眠れない。
温もりを感じていなければ、じっとしていられない。

全く、どうしようもない子供だ。




腕の中の温もりは、少しずつ人に伝染するらしい。

少しずつ、三蔵にも睡魔が訪れる。
下らない仕事に付き合わされた疲れもあるのだろうが。


それに逆らう気力も理由もない。
そのまま、三蔵も眼を閉じた。












光の音は、もう遠い。


























傍にいれば





温もりがあれば











それが紡ぐ糸がある
















……僕だけの安らぎの空間が
















FIN.




後書き