sea cradle

















『すっげー! すっげー、これが海?』


『ああ』


『すげー! でっかーい!』


『走ると転ぶぞ!』


『ヘーキ……あたっ』


『……何処がだ……』










『ねー、この向こうってどうなってんの?』


『海の先には海しかねぇよ』


『なんにもないの?』


『なくはねぇが……』


『よく判んないよ』


『帰ったら天蓬にでも聞け』


『天ちゃん、話長いんだもん』


『だったら捲簾に』


『ケン兄ちゃんは嘘吐きだって金蝉言ったじゃん』











『ねぇ、近くまで行っていい?』


『気を付けろよ』


『うん』








『……なんだ、どうした?』


『う〜……』


『波が怖かったか?』


『…なんか、足持ってかれそうだった』


『ちゃんと立ってりゃ問題ねぇよ』








『やっぱりなんかヤだ』


『お前でも怖いものがあるんだな』


『怖くない!』


『逃げてきたのは何処の誰だ』


『……怖くないもん』


『まぁ…確かに、あれの動きは生き物みたいだな』


『あれって生きてんの!?』


『例えだ、例え』








『意外だな』


『?』


『お前は、はしゃいで泳ぎ回るもんだとばかり思っていた』


『……そういうもんなの?』


『ガキは大抵そうらしいぞ』


『ふーん…』







『詰まらんか?』


『ううん』


『怖いんだろう、波』


『……ちょっとだけ』


『まぁ、それでも良いがな。手間が省ける』


『なんの?』


『お前を追い掛け回す手間だ』


『追っかけてくれるの?』


『じゃねえと、沖まで行くだろうと思ってたからな』


『沖?』


『あのずっと向こうの方だ』


『そんなの行きたくない』


『そうか?』


『金蝉、見えなくなっちゃうからヤだ』


『……』


『金蝉、変な顔』


『黙れ』









『金蝉、また連れて来てくれる?』


『気が向いたらな』


『そしたら、一緒にあっちまで行ってくれる?』


『怖いんじゃなかったのか』


『金蝉が一緒だったら平気だもん』


『…………────』


『ねぇ、ダメ?』

















『………しょーがねぇな………』






































































目覚めて直ぐに、子供がいなくなっている事に気付いた。
昨晩は襲撃も何もなかったと言うのに、一体何処にいったのか。

俄かに慌しくなったが、すぐに子供の姿は見つかった。
この海岸で視界を遮るものと言ったら、浜辺と道の狭間の岩場にある隆起した岩ぐらいのもの。
其処を一歩出れば視界に広がるのは浜辺と海だけで、後は何もないのだ。


だから、浜辺に座り込んだ悟空を見つけるのにそう時間はかからなかった。



「悟空!」
「バカ、何してんだよ、お前!」



駆け寄る悟浄と八戒が声をかけても、悟空は何も反応しなかった。
まさか夜半の間に何かあったのかと思ったが、争った形跡もない。

だけれど、悟空の身体は濡れていた。
海水に浸かってしまったのだと知って、そちらに意識を取られていたから三人とも中々気付けなかった。
……悟空が泣いていることに。


泣き出すと、本当に子供のように泣くのだ、この悟空と言う少年は。
癇癪を起こした子供が喚き散らすようだったり、悲痛な慟哭のようであったり、様々ではあるけれど。

けれど、時々───……本当に限られた時にだけ、この子供は黙って涙を流す。
滔々と零れる涙は留まる術を知らず、しゃくりあげる事もしない。
宥めようと伸ばされる手を振り払う事はないけれど、柔らかい殻の内部に触れさせてはくれない。



「……おい」



何かあったのか、と問おうとしたのだろう悟浄の声は、其処で途切れた。

中途半端に言葉を失ってしまった悟浄を、三蔵が押し退ける。
悟空の目の前に膝を折って目線の高さを合わせると、僅かに金瞳が揺れた。




「………さ…んぞ………」




口癖のように呼ぶ、その名前。
子供が抱っこをせがむように伸ばされる手を取れば、そのまま縋り付いてきた。
怒鳴る事もなく好きにさせていると、強い力で抱きついて来る。

その姿はまるで小さな子供だった。
三蔵が悟空を拾ったばかりの時のような、そんな。


腕の中に閉じ込めれば、ゆるゆると悟空が顔を上げた。

泣き腫らした瞳が其処にある。
一体いつから此処にいたのか、いつも上気している頬は冷たくなっていた。



「……三蔵…は……」



法衣を握る手に力が籠る。
皺になったが、こういう時だけは怒らない事にしていた。



「三蔵は……三蔵、だよね」
「それ以外のモンに見えるか」



悟空の言葉を怪訝に思ったが、それを表に出さず、いつもの声で返す。

悟空は小さく首を横に振った。
けれど、その後、



「でも、さ……時々…変になる……」
「あぁ?」
「…三蔵が…じゃ、なくて……」



悟空の頬を濡らす涙は、まだ止まらない。

悟浄と八戒は何を言う事もなく、ただ浜辺に座り込む悟空と三蔵を見つめているだけ。
他に彼らが出来ることなんて、幾らもないのだ。





「オレが…変、なの………判んなく…なるの………」




小さな手が震えていて、怯えているのだと判った。
それが何に対してなのかは、三蔵にも判らなかった。

─────けれど。






「ずっと、三蔵だけ見てる筈なのに」






こういう顔をするのは、決まって何かがあった時で。
その“何か”が引き起こすのは、いつも悟空の埋もれた歪の部分。
無邪気に笑う子供の奥底に巣食ったままで離れない、暗い暗い光の届かない場所。

それが何を意味しているのか、推測の域を出る事はない。
だが恐らく、悟空の封印された500年前のものが引き金になっている事だけは確かだと三蔵は思う。








「……三蔵しか、見てないのに」








見上げる金瞳に映りこんでいるのは、三蔵しかいない。
その筈なのに、揺れる金瞳は時折遠くを見るように霞む。


抱き締める腕に力が籠って、少し痛いかと思った。
けれど悟空はそれに対して何も言わず、それどころか更に強くしがみ付いてきた。

まるで繋ぎ止めようとしているようだ。
どちらが、という訳でもないけれど、互いに。
自分が此処にいる事を、相手が此処にいる事を、刻み込むように。








「─────当たり前だ」
「……さんぞ……」
「お前は、俺だけ見てればいいんだ」









他の誰も知らなくても。
他の何を知らなくても。

遠い記憶に消えた誰かを、追わなくても良い。


悟空は今此処にいて、悟空が見ているのは三蔵だけ。
それだけで十分なのだ。
悟空の世界も、三蔵も、それで何もかも。














「他なんて、お前は知らなくていいんだよ」


















例えばそれが、寄せては返す波の狭間に揺らめく一時の幻であるとしても。




































一度目、初めて海を見て




二度目、浜辺に足跡つけて




三度目、白波狭間に駆け寄って







四度目、やっぱり怖くてあなたのところに駆けって帰り











五度目、あなたと一緒の約束は、果たされないまま波間に浚われ溶けて消えた






















いつか、その約束は形になると







僕は、願うべきですか






















FIN.




後書き