ただ、隣に



タライを引っくり返すとか。
それで水をかけられるとか。

子供がやりそうな事と言ったらそんなものばかりで、悟浄もそうなるのだと思っていた。
だから嫌な予感しか覚えなかったし、出来れば勘弁して欲しいとも。
それなら自分でやるし、後は一人で寝ているから、と。


だけれど悟空はその予想を見事に裏切って、ちゃんと看病らしい看病をしている。
絞った濡れタオルを額に乗せるだけだったけれど。

後は窓を開けて喚起したり、それも寒くなってきたかと思ったらちゃんと閉めた。
構ってくれと必要以上に話しかけることもなく、時折退屈そうに足をぶらつかせていたけれど、それだけだ。
トランプをやろうとも言い出さず、ただ悟浄がゆっくり休めるように努めていた。



世話をされてばかりだから、逆に覚えたのかもしれない。
どんな風にすれば相手が楽になるか、気兼ねさせないで済むのか。



……いや、多分違う。

悟空は、ただ傍にいようとしているだけのようだった。
気が紛れるように会話をするでもなく、気落ちにしないように励まそうとする訳でもなく。
ただ隣にいて、一人にしないようにしているだけ。


それこそ、なんだかこの子供らしい気がした。


普段から悟空は一人になるのが嫌いで、体調を崩すとそれは顕著になる。
人は病気になると気弱になるものらしく、悟空は特にそれが表に出易かった。
預かっている時に体調を崩した悟空が、一人は嫌だと泣き出したこともある。

そんな思いを誰かにさせたくないから、自分にできる事は幾らもないけど、傍にいたい。
自分がそうされると嬉しいし、気持ちも楽になるから。


失敗しないように気をつけて。
相手に気を遣わせないように。
相手がちゃんと休めるように。

傍には自分がついているから、安心して。






正直、逆に不安が募ったりもするのだけれど、確かに気分は楽になった気がする悟浄だ。

時折悟空に目をやれば、金瞳とぶつかる。
少しの間悟空はきょとんとして、それから笑って見せた。


それがなんだか、“大丈夫だよ”と言われているようで。


(……ガキのくせに)


誰も寂しいなんて言っていないのに、悟空は安心させようとして。
寂しいなんて思っていないのに、それに何かが緩和されたような気がして。



「なんか、腹減ったな」
「んー……うん」



そのまま沈黙が続くのも苦ではなかったけど、悟浄は言った。
すると悟空はしばし考えたように首を傾げた後、やはり頷く。

窓の外を見ればいつの間にか夕方になっていた。



「八戒、遅いね」
「どっかのオバサン連中と話し込んでるんだろ」
「じゃあまだ帰って来ない?」
「さぁな」



盛り上がっている最中なら帰ってこないだろうし、そうでないなら後少し。
悟浄にも其処の判断はよく判らないので、曖昧な返事をした。

話題が出た所為か、悟空は空腹を感じたのだろう、自分の腹に手を当てた。
それを見た悟浄が起き上がると、きょとんとした瞳が悟浄へ向けられる。



「悟浄?」
「なんか作ってやるよ。俺も腹減ったし」



思い返せば、最初に眠る前に食事をしたっきりだ。
あれも朝の時間であったから、もう半日何も食べていない事になる。

悟空も此処に来てから、何も口にしていない。
ずっと悟浄の傍についていて、お菓子も食べていなかった。
万年欠食児童と呼ばれる悟空にしては、実に珍しい事だ。


だから悟浄がそう言ったら、悟空はすぐに跳んで喜ぶものだと思っていた。
が、また悟浄の予想は大いに外れる。



「いーよ、悟浄は寝てろよ!」
「腹減ったら寝れやしねぇだろ」
「んじゃ、オレが作るから!」
「そっちの方が俺は寝てらんねぇよ……」



恐ろしい事を言ってくれる悟空に、悟浄は顔を顰めながら言った。
しかし悟空の表情は至って真剣そのもので、引き下がらないだろうことも判った。



「じゃあ、八戒が帰ってくるまで待つことになるぜ」
「…うん……」



空腹感に耐えることは、悟空にとって何よりの苦痛になるだろう。
それでも悟空は我慢する、と首を縦に振った。

この選択肢で空腹に耐えなければならないのは、悟浄も同じ事。
何より悟浄の体調を優先しようとする悟空に、悟浄は嘆息した。
空腹は少々辛いが、こんなにも気遣う子供の気持ちを無碍にするのも気が引けた。



「そだ、タオル替えよ」
「ん……もういい加減なくても良いけどな。熱ひいてみてぇだし」
「ほんと?」



既に何度かタオルを替えている内に、悟浄の熱は下がっていた。
あれほどだるかったと言うのに、今はもうなんともない。



「ま、今日はお前のお陰だな」



ベッドに上半身を起こしたまま、悟浄は腕を伸ばし、悟空の頭を撫でた。
大地色の髪をくしゃくしゃを掻き撫ぜると、悟空は猫のように目を細める。
えへ、と嬉しそうに、少し照れ臭そうに笑ったのが見えた。

手を離せば、少し名残惜しそうに悟空の手が撫でた箇所に当てられた。



「でも、オレなんにもしてないよ?」



確かに、悟空がした事と言えば、タオルを取り替えるのと部屋の喚起程度。
それも八戒のように手際が良かったとは言えない。
悟浄一人でも出来るようなことばかりだったんじゃないか、と金瞳が語る。

けれど、それとはもっと別の意味だと悟浄は言った。
生憎、それの真意はやっぱり子供には伝わってはくれなかったけれど。



「いーの。礼言ってんだから、素直に受け取っとけよ」
「………ん!」



笑いかければ、返って来るのは笑顔。
嬉しそうにくすぐったそうに、見慣れた子供の笑った顔。


傍にいたのが八戒だったら、こうは行かなかったんじゃないかと思う。
熱は下がるし、体調も良くなるだろうけれど、気持ちまで楽にはならなかったんじゃないかと。

八戒と悟空が持っているものは違う。
悟浄や三蔵だってそれは同じ事だ。
其の中で、特にきっと悟空だけが持っているだろうものがあると、悟浄は思った。




だからこんなに気分が良いんだ。





「────…ごじょ?」



椅子に座っていた悟空の手を引いて、抱き寄せた。
小さな身体はいつも通り暖かくて、最初に目覚めた時のように冷たいと思うことはない。
それは悟浄の熱がちゃんと下がった事も意味していた。

これだけ落ち着けば、多分、もう伝染ったりすることはないだろう。


腕の中に閉じ込めた子供は、相変わらず小さい。
今年で15だと言われても、中々ピンと来ないのではないだろうか。



「……悟浄、どうかした?」
「いーや。ただの湯たんぽ代わり」



悟浄の返答に悟空は少し首を傾げたが、結局はあまり気にならなかったらしい。
それよりもスキンシップが好きな子供は、突然とは言え抱き締められたことの方が大事だったようで、
シャツの上から悟浄の胸にぐりぐりと頭を押し付け、くすくすと笑い始めていた。
その押し付けてくる頭がなんだ無性にくすぐったくて、悟浄も笑いが漏れ始める。

ベッドの上でじゃれついている光景を、八戒が見たら何と言うだろう。
伝染るとか、寝ていろとか、やはりそういうものか。
子供の保護者であったら、其処に少々危険な実力行使も加わるのだろう。

でも、今は誰も邪魔しない。


悟空の腕が背中に廻されて、小さな手がシャツを握る。
胸に押し付けてくる頭に手を置いて、小さな身体を丸ごと腕の中に閉じ込めた。



「八戒帰ってくるまで暇になりそう」
「トランプしたいとか言わねえのな」
「んー……今日はいい」



負けが決まっているからでもなく、ただなんとなく。
悟空はこのままがいい、と小さな声で呟いた。


このままで。
悟浄の腕の中で。

子供の言葉に変な意味を期待するほど、悟浄も浅はかではない。
ないけれど、その言葉が無条件に近い信頼から来るものだと思うと、少し嬉しかった。
もう少し警戒してもいいけど、と矛盾を抱きつつ、ぎゅうっと子供を抱き締める。



「八戒が帰ってくるまで寝ちまうか」



一番手っ取り早い暇つぶし方法に、悟空が頷いた。

悟空を抱いたまま、布団を引っ張り上げて横になる。
子供は特に躊躇う事もなく、悟浄の身体に密着した。



「後で伝染って文句言うなよ。もうないと思うけど」
「んー……そしたら悟浄に看病してもらうからいい」
「…………あっそ」
「うん」



くっついたまま、顔も見ないで応えた悟空に、悟浄は少し不意打ちを喰らった気分になった。



面倒見の良い八戒でもなく。
絶対的存在の三蔵でもなく。

悟浄に看病してもらうからいい、なんて。





それなら少しはいいかな、と思った自分がいた。





















なぁ、頼むから


他はなんにもいらねぇから






そのまま、じっとしててくれ












目が覚めたら、今度は思いっきり構ってやるから












FIN.



後書き