face painting



いかな軍大将と言えど、本気で逃げる子供に追いつくことは容易ではなかった。


小さくとも身体能力は遥かに大人の上を行くであろう子供二人は、ちょこまかと縦横無尽に駆け回る。
おまけに時々反対方向に逃げ出すから、一瞬捲簾はどちらに行くべきか判断が鈍る。
最終的には結局手を繋いで駆け出すのだが、それでも捲簾は追いつくことが出来ない。

一時追いつくことが出来ても、彼らは伸ばされる捲簾の腕をひょいひょいと避けてしまう。
片方を捕まえようとすれば片方がそれを庇って助けるから、捲簾の方が分が悪い。



「おーにさーんこーちら!」
「てめぇ那托っ!!」
「手の鳴るほーへ!」
「一緒になるな、悟空!」



手なんて鳴らしている暇はないから、勿論歌だけだ。
けれども揶揄われているのは間違いない。



「なんだよ、もう疲れたのか〜!?」
「大人を怒らせると怖ぇんだぞ、このクソガキ!」
「知ってるもーん、金蝉怒ると怖いもん」
「だったら金蝉に言いつけるぞ!」
「ズリー!! ケン兄ちゃんオトナゲないー!」
「そーだぞ、可愛い悪戯だろー!」



確かに、子供の悪戯に本気で怒って追い駆けまわす捲簾の姿は、傍目に大人気ないだろう。
しかし子供二人はそれさえも楽しんでいるようで、鬼ごっこ気分だ。



「此処までやっといて、何が可愛い悪戯だコラ!」



基本の額に“肉”、ぐるぐる渦巻きの頬、瞼に目玉。
鼻の頭の絆創膏は意味不明だが、左右の米神の文字とキスマークは色々と問題アリだ(子供達は深く考えていないと思うが)。

この場に旧知の友人がいたら、「まず落書き落としたらどうです?」と突っ込んだだろう。
落書きされた顔のまま子供達を追い駆けまわす捲簾は、正直不審人物だ。
悪戯されて怒っている、という構図を実に判り易く現してくれてはいるけれど。



「しかもぶっとく書きやがって!!」
「判り難かったら面白くないじゃん」
「だー! 判るだけに腹が立つっ!!」



捲簾も、遠い昔の幼い日、同じような悪戯をした事はある。
細いペンでは判りにくいし、面白みも半減すると判ってはいる。

けれども、やっぱりやられると腹が立つ。



「テメェら、大人しく捕まれっ! 今なら拳骨一発で許してやる!」
「ぜってー嘘だ! 三発ぐらいやる気だろ!」
「ケン兄ちゃんの痛いからやだーっ」



妥協をしてやった所で、大人しく捕まる子供達ではない。
だから、捲簾が自力で捕まえるしかない。


しかし、普通に追い駆けてはいつまで発っても捕まえられない。
すばしこい子供は、時に大人が驚くような方法で逃げてしまう。
捕まえようと伸ばした手を避け、腕を足台にして、背中側に降りてしまうように。

羽根でも生えているんじゃないかと思うくらいに、子供達はよく跳んで跳ねて、捲簾の手から逃れる。
ともすればそのまま高く跳んでしまうんじゃないかと思うほどに。


けれどこの見えない羽根を持った子供達は、決して自分一人で逃げようとはしないのだ。



だから。


「よっ!」
「あたっ!」


少々乱暴だとは思ったが、尻尾のような長い髪を掴まえた。
そういえば悟空の髪を掴まえたのはこれが二度目だ、と関係ない事をふっと思う。

こういう尻尾は体とはワンテンポ遅れてしまうから、捕まえ易い。



「捕獲完了〜」
「うぅ〜っ」
「ほら、お前もだ!」
「ぶっ」



どうにか片割れを助けようとした那托を、捲簾は簡単に捕まえてしまった。
悟空に向けて伸ばした小さな手が届く前に、リーチの差を利用して捲簾は那托の頭お抑えた。


猫の子供を持つように、首根っこを掴まえて持ち上げる。
例えそのままに固まったように動かなくなった二人に、捲簾はようやく息を吐いた。

やはり軍大将と言えど、遊びにかけて底なしの体力を誇る子供達には勝てないようだ。
気付けば汗びっしょりで、水でも頭から引っかぶりたい気分だった。
生憎此処はただ広いだけの庭で、池もあるが誰かの目に留まっては煩い小言を聞く羽目になる。
結果、子供達を追い掛け回して上がった体温は自然鎮火を待つしかなかった。

ちなみに顔の落書きは、その汗を拭こうと無意識に袖で拭っている間に大方取れてくれた。
捲簾からは、生憎ソレを確認する事は出来ないのだけど。



「さーて、どうしてやろうかな〜」
「拳骨一発で許すっつったじゃん!」
「言った時に大人しく捕まったらの話だ」
「いいじゃんか、コレ水性だぜ。もう殆ど落ちてるよ」
「そういう問題じゃねえんだよ」
「ヘリクツー!」
「おーぼー!」



きんきんとステレオで聞こえてくる高い声。
流石にこれは鼓膜がいかれそうだ、と捲簾はこっそり思った。



「悟空は金蝉にチクるからな」
「なんでぇ!?」
「保護者の監督不行き届き、って奴だ」
「カント…フユ……??」
「子供の不始末は親の不始末。まだお前らにゃ責任能力って判んねぇだろうから、金蝉に責任取って貰うんだよ」
「やだーっ! やだやだ、金蝉ぜってースゲー怒るじゃん!」
「だからチクるんだろが」



自分がなんだかんだと叱るより、保護者直々のお叱りの方が応えるに違いない。
まさか本気でチクったりする気はない捲簾だったが、悟空の反応があまりに正直で面白いので調子に乗ってしまう。

それから、もう片方の手で持ち上げている那托に視線を落とす。



「お前はどーすっかな……」
「言いたきゃ言ってもいいぜ」



さらりと言う那托だったが、その瞳が少しだけ淋しそうに見えるのは気のせいではない。
だから捲簾は笑って、それよりも、と別の方法を口にするのだ。



「そういうガキには、もっとキツいお仕置きだぜ」
「へっ、やれるもんならやってみろよ」
「えー…やめようよ、那托ー……」



あっかんべー、と舌を出す那托に、悟空が顔を顰める。
那托が本気でお仕置きされるなら、きっと悟空は止めに来るだろう。

生意気を言う那托と、萎れた仔猫のように大人しくなった悟空。
正反対なれど、捲簾の視界の隅でいつの間にか繋がれていた手は離れようとしない。
どちらかだけがキツい思いなんて嫌だ、それなら自分も一緒でいい、と。


可愛いもんじゃないか、と捲簾は思う。



「言うじゃねえか、那托。だったらいっちばんキツいお仕置きするぞ」
「じゃあオレも! オレもそれでいい!」
「え!? なんで悟空までそうなるんだよ!」



案の定自分も、と言い出した悟空に、那托が目を剥いた。



「だって那托だけなんてヤだ!」
「お前は金蝉からお説教だろ。それでいいじゃん」



捲簾直々の“一番キツいお仕置き”より、そっちの方がずっと楽だろう。
金蝉からも拳骨の一発二発、そして確実に小言は貰うだろうけれど。
それでも、武官として鍛えている捲簾の本気の拳骨の方が痛いことぐらい判る。

が、悟空はそれでもいいと言うのだ。



「那托も怒られるんなら、オレも一緒に怒られる! ぜったい、ぜったい一緒がいい!!」



仔猫のように持ち上げられたまま、言い切る悟空に那托が僅かに息を呑んだ。
譲らない、とでも主張するかのような友達に、那托の頬が赤くなる。

自分の為に一所懸命に、自分だって怒られるのは嫌だろうに。
声をあげて“一緒がいい”と言ってくれる友達の存在に、那托が気を抜いたら泣きそうになっているのを捲簾は気付いた。
それを見ていたら最初からそれほどなかった憤りは、すっかり抜かれてしまっていた。


けれども、大人に大して屈辱的な事をしてくれた事は確かな訳で。
もしも捲簾や金蝉、天蓬以外に叱られるなら、こんな事では済まないのは確かだから。


(形式だけ、な)


此処で捲簾が叱っておけば、それこそ本当に下らない連中からの無為な攻撃からは守ってやれる。
だから一応、体裁として捲簾はまだお怒りモードを続けた。



「んじゃあ、那托は俺直々にお仕置き」
「………おぅ」
「悟空は金蝉にチクリはなしで、那托と一緒でいいんだな」
「ん」



躊躇いもせずに頷く悟空を見て、捲簾は二人を地面に下ろす。
猫のように持ち上げられていた二人は、ようやく足元が安定したことにホッとしたようだった。



「よし、二人とも目ぇ瞑れ」
「へ?」
「此処ですんのか?」



捲簾の言葉に、悟空と那托は目を丸くする。


此処は、広い庭のど真ん中だ。
同じ敷地内だと言うのに館の外廊下さえ遠く、其処も滅多に通る人はいない。
とはいえ外である事に変わりはない訳で、誰も通らないなどと保障がある訳でもなく。

それにも関わらず、捲簾は目を閉じろという。
さっきまでの話の流れからすれば、早速お仕置きが敢行されると判っただろう。


捲簾曰く“一番キツいお仕置き”がどんなものか、二人は今更ではあるが少し不安になってきたらしい。
繋いだ手を一層強く握り合って、お互いの顔を見遣って逡巡していた。

けれども、やはり子供は素直だ。



「二人とも、動くなよ」
「…う」
「……おー」



捲簾と向き合って、子供達はぎゅっと目を閉じる。
どんな痛みにも耐えられるように、眉間に皺を寄せてまで。

それに噴出しそうになって、けれど此処でそれをしたら台無しになるから、なんとか捲簾は我慢した。


腕を突き出してみると、見えていないのに二人ともピクッと反応した。
視界は閉ざされても感受性の豊かな子供達は、不可視でも眼前の圧迫感を感じたらしい。
それに違わず、二人の顔の前には捲簾の手が片手ずつ突き出されていた。

顔面に拳を貰うとか、そんな事を考えたのだろうか。
……本気で自分が怒っても、子供相手にそんな事は絶対に出来ない、と捲簾は自負する。





─────“一番キツいお仕置き”なんて。

ある訳ない。



無邪気な子供達に救われているのは、こっちの方だ。
悪戯は悪戯として叱るべきだろうが、それとこれとは捲簾の中で別の話だった。

悟空は保護と言う名のもとに監視下に置かれ、那托は殺人人形と忌み名をつけられて。
それでも文句も言わなければ大人たちを責めることもしない子供達。
小さなようで、大人よりもずっと果てしないくらいの心を持つ子供達の悪戯に、誰が本気で怒れるものか。


そりゃ、多少は腹立つけど。


顔に書かれていた米神の文字やキスマークを思い出しつつ、考えるけれど。
それが自分の本気の怒りに繋がるのかと言ったら、答えは“否”と捲簾ははっきり言える。

この場にいない金瞳の子供の保護者だって、だから手を煩わされても邪険には出来ないのだ。



子供のちょっと度が過ぎた悪戯なんて、子供の遊びにつきものだ。
駆け回って転んで些細な怪我をしてしまうのと同じくらいに。

ついでに、捲簾がそんな二人を本気で怒る気にならないのは、自分がそういう子供だった自覚があるからかも知れない。
やんちゃで悪戯好きで、それは今の捲簾の性格にそのまま投影されると言ってもいいだろう。
そしてその頃、叱られても殴られても、痛い思いをしても、その瞬間がとても楽しかったと覚えているから。


目の前の子供達がどれほどそれを望んでいたか。
そうして一緒に笑える相手を、手を繋いでいられる相手をどれほど望んでいたか。
そのまま捲簾が知ることは出来ないけれど、それでも。

二人一緒に笑うのを見ていれば、そんなものはすぐに判る。
手を繋いで笑いあって、一緒にいて、何を感じているか、なんて。


だから、“お仕置き”はこれだけにする。





ぴしっ、と。
音がして、那托の額と悟空の金鈷のすぐ下が真っ赤になった。


「「い………てぇ〜〜〜〜〜っ!!」」


二人同時に響いた声に、捲簾は今度こそ声を上げて笑った。



「いってー! 何コレぇ!?」
「すっげーじんじんする!」
「デコピンだ、デコピン。どーだ、痛ぇだろ」
「「すっげー痛い!!」」



また声が綺麗に揃う。

二人は紅くなった額を押さえて、涙目で捲簾を見上げてくる。



「落書きぐらいでこんなしなくてもいいじゃん…」
「じゃあ全身くすぐりの刑の方が良かったか」
「それも嫌だぞ」



拗ねた顔で見上げてくる悟空と那托の頭を、捲簾はくしゃくしゃと少し乱暴な手付きで撫でる。
二人はそれを感受して、また仔猫のように目を細めていた。

それから二人が持っていたマジックペンを取ると、あ、と小さな手がそれを追い駆ける。
身長差でそれが届かない高さになっても、二人は一所懸命それを追い駆けた。



「返してよー!」
「ちょっと見てるだけだろ」
「かーえーせー!」
「ちょっとだけだって」



そのまま取り上げられる、と思ったのだろう。
だが捲簾は言葉の通り眺めているだけで、没収しようとはしなかった。

どうするのか、と子供達がじっと見上げて、数秒後。



に、と捲簾は楽しそうに笑って。






「水性なんかじゃ生温いぜ。オレが顔落書きの極意ってモンを教えてやる!」






来い! なんて言った捲簾に、二人は数舜ぽかんとして。
それでも顔を合わせてから。






「「お─────!!」





繋いだ手はそのままで、高らかな声が響いた。








子供二人と子供のような大人は、楽しそうに走り出した。





























ささやかで

だけどそれが大切で






楽しくて

だからその瞬間が大好きで










ほら、また笑顔











いつも一緒が、他の何より一番楽しい











FIN.



後書き