Sunset school






グラウンドの真ん中を横切る最中、見つけた影に足を止めた。
それに数歩送れて、那托も足を止めると立ち止まった幼馴染を振り返る。



「どうかしたのか?」



その声に一度は那托に視線を戻した悟空だったが、直ぐにそれは彷徨ってしまう。
幼馴染らしからぬ行動に首を傾げた那托は、悟空が先ほど見ていた方へと目を向ける。

そして、納得した。


視線の先の校門に背中を預け、気だるげに立っている男。
校内は禁煙なんじゃないかと言うのも憚れるほど、咥えて吹かす煙草さえも彼を引き立たせるものになる。
見事な金糸は朱を帯びた陽光に煌き、風に踊り、さながら恋愛映画のワンシーンのようだった。

例えば此処で男がこちらへ目を向け立ち方を整えたら、それこそ本当に映画のシーンの切り抜き絵だ。
くっきりとした陰影を作る彫りの深い顔立ちは、実に厭味なくらい整っていると思う。



「……玄奘先生だな」
「…………うん」



いつもの悟空であれば、仔犬のように彼に駆け寄って言っただろう。
気の知れた者達以外の前では呼ばないようにしている、彼の名前を大きな声で呼んで。
それからまだ校内なのだから、と一度拳骨を落とした後で、悟空がついて行くのをまるで当たり前という背中で歩き出す。
今年の春の終わりから何度か見られる光景を、那托は思い描いていた。

けれど、現実は悟空は立ち止まったまま、其処から足を動かそうとしない。
その理由がなんであるのか、那托も、悟空自身も、よく判っていた。


―――……三蔵の一歩前、手を伸ばせば届く距離。
其処に、見慣れない女子生徒が一人。



「……悟空」



隣の幼馴染が、言葉を捜して結局音に出来ず、悟空の肩に手を置いた。
その手は決して悟空の背中を押す事はしなかった。


三蔵は女子生徒と何か話をしているのか、時折口が僅かに動いているのが見える。
表情はいつもの仏頂面で、面倒臭いという色がありありと浮かんでいた。
けれども女子生徒の前から退かないということは、何か相談でも持ち掛けられているのだろうか。

それをじっと見つめる悟空の、重力に従った手が白むほど強く握られる。
爪が皮膚を食い破りそうな痛みに悲鳴を上げたけれど、力を緩めることが出来ない。



「…お前が心配するような事はないよ」
「……うん」
「………俺が言っても、お前は自信持てないかも知れないけど」
「…ううん。ありがと」



言いながら淋しい笑顔を浮かべて、悟空はゆっくりと歩き出す。
その足取りが思っている以上に重く見えるのは、間違いではないだろう。

幼馴染が進み出したのを見て、那托も隣を歩き出す。


近付いていくごとに、三蔵と話をしている女子生徒の顔がはっきりしてくる。
見える顔は悟空も那托も見覚えの無いもので、あどけなさから恐らく一年生だろうと見当がついた。

後手に、三蔵に見えないように隠して持っているものが見えた。
小さな白い封筒のようなそれの中身が何であるのかなんて、考えなくても判る。
それを彼女がどうしようと思っているかなんて、すぐ。






――――――嫌だ、と思った。






弾けたように走り出した悟空を、咄嗟に捉えようとした那托の手が空を掴む。
その時に呼んだ那托の声は、校門の女子生徒と金糸の男にも聞こえていた。


真っ直ぐ走る悟空を女子生徒が誰かと確かめるよりも早く。
追い駆けようと那托が地面を一度強く蹴ろうとするよりも早く。

金糸の男が駆ける少年の名を呼ぼうと、口を開きかけるよりも早く。


金色の光を抱いた少年は、大好きな人を掴まえるように抱き付いた。


そのまま殺されない勢いに、珍しくも金糸の男が姿勢を崩した。
突然のことに目を白黒させている女子生徒の前で、三蔵は悟空に抱き疲れた姿勢のまま地面に落ちる。

慌てて追い駆けた那托が見たのは、実に珍しい光景だったと言っていいだろう。
小柄な少年を腹に抱えた状態で、学校中の憧れと尊敬を集めるカリスマ教師が背中から地面に倒れている。
背中を打ち付けたのか痛みに顔を顰め、同時に限りなく不機嫌なオーラを撒き散らしている。


だけど、悟空にとってそんな事はどうでも良かった。



「――――っ何しやがる、このバカ猿!!」



地面に落ちた姿勢のままで怒鳴る三蔵だが、悟空は離れようとしない。
那托はそれを見下ろしてあーあ、と額に手を当てて溜息を吐く。

何がなんだか判らない様子の女子生徒は、茫然とその様子を見ているだけだ。



「おい、退け。重い」
「やだ」



憮然とした口調で、半ば命令口調で告げられた言葉。
それに対して悟空が反抗する事は、余程でなければ滅多にない話であった。

けれど、悟空はきっぱりと首を横に振った。



「ざけんな、立たせろ」
「やだ!!」
「悟空!!!」



名を呼ばれて、悟空の肩がびくりと跳ねる。


三蔵が校内で、事情の知る那托以外の前で悟空の名前を呼ぶことはない。
また同じように、悟空も他の生徒や教員がいる前で三蔵の名前を呼ぶことはしなかった。 

だけれど悟空は三蔵の名を呼び、三蔵も悟空の名を呼んだ。
“名を呼ばれる”という事を、悟空は殊更特別なことだと感じていた。
だから三蔵が悟空を言い聞かせる時、こうやって名前を呼ぶ。


だが、それでも離れようとしない。



「あ、あの……」



恐る恐る声をかけてきた女子生徒に、悟空が顔をあげる。
その顔は癇癪を起こした子供のように幼くて、金瞳には涙が浮かんでいる。



「三蔵、オレのなんだからね!!」



この発言に驚いたのは、この場にいた三人全員だった。

女子生徒は悟空の発言に純粋に驚き、那托は意外と照れ屋で今まで隠そうとしていた事を言い放ったことに対して。
三蔵は那托同様のものもあったし、何故悟空が突然そんな事を言い出すのかと言う混乱。


悟空は自分がどれだけ突拍子なことを口走っているのか、頭の隅でだけ認識していた。
それに伴う恥ずかしさなんてものは、今は欠片も感じない。
プッツリ行った、と言うのが今の自分に的確なんだろう、と思う。

そうやって頭の隅だけが冷静な状態で、沸き上がるのは今まで抑え続けてきた感情。
悔しさだったり、憤りだったり、淋しさだったりするそれは、ぐちゃぐちゃに絡まって悟空にも掴み切れない。


それでも、ただ確かなのは、



「三蔵はオレのなんだから! 隣にいていいのはオレだけなんだから!!」



自分達以外の姿がない学校に、高めの少年の慟哭にも聞こえる声は響いて溶ける。








「だから、だからとっちゃダメ!!!」








夕暮れの空に響いて消えた声。
そのまま、しがみついたままで泣き出した少年を、見下ろす紫闇はしばらく驚きに彩られていた、けれど。
やがて持ち上げられた手がくしゃりと大地色の髪を撫でて、もう片手は背中に添えられる。

未だに状況を把握できないのか、それとも理解したくないのかも知れない。
隠していた筈の手紙の存在すら忘れたように立ち尽くす女子生徒に、那托がごめんな、と声をかけて。



「もう決まっちゃってんだって」



大人しそうな顔立ちのこの少女が、どれだけの想いを込めて手紙を書いたのか。
精一杯の勇気を振り絞って想いだけでも伝えようとしたのだろうに。

だけれど泣きじゃくる少年は、嘗てそんな風に想いを伝えることも禁忌と恐れていた。
だからやっと結んだ想いを手放したくなくて、子供のように叫んだ。


大好きな人を奪らないで、と。



「ひぅっ…っひく……ぅ…ふぇっ……」



大好きな人の腕の中で泣く悟空と、その愛しい少年を抱き締める金糸の男。
夕暮れに照らされるその光景に、女子生徒は一度泣きそうな顔をしたけれど、頭を振るとそれは消えた。

ぺこりと頭を下げると、少女は踵を返して駆け出した。
それを見送ったのは那托だけで、悟空は溢れる涙を抑えられずに三蔵の胸に顔を埋めている。
三蔵は一度ちらりと女子生徒を見遣ったけれど、直ぐにその視線は腕の中の存在へと戻された。



「行ったよ、悟空」
「ふぇ…ひ……っく……ぅ……」



小さな子供のように泣きじゃくる幼馴染に、那托は苦笑する。


三蔵はぽんぽんと赤子をあやすように悟空の背中を叩いている。
その紫闇が優しく見えるのは、きっと那托の気の所為ではないだろう。
そして幼馴染が心配しなくても、彼にそんな顔をさせる事が出来るのはたった一人しかいないのだと。

やっぱり心配損だったか、とこっそり思っていたことを胸中で呟く。
その丁度後で、三蔵が那托へと目を向けた。



「…お前らまだ残ってやがったのか」
「よく言いますよね。だから先生も残ってたんじゃないっスか」



校門の直ぐ外側に落ちている煙草の吸殻に、何故か悟空は気付かないらしい。
恋人以上に目敏い生徒に、三蔵はあからさまに顔を顰める。



「それじゃ、俺は先に帰ります。……と、悟空」
「……ふえ……」
「オゴリは今度な。んじゃ、また明日」



くしゃくしゃと悟空の頭を撫でると、那托は手を振って校門の外に出て行く。

明日ね、と悟空がようよう小さな声で呟けば、しっかり聞き届けたらしい。
肩越しに振り返って、ひらひらと手を振ってまた歩き出した。


遠くなる幼馴染を見送りながら、悟空は片手で三蔵の服を掴み、空いている手でまだ溢れてくる涙を擦る。
けれど三蔵が抱き寄せて、見えないようにと顔を自分の胸に押し付けるから、余計に泣きそうになった。




……抱き寄せるその手が、不器用な優しさだと判るようになるまで、それほど時間はかからなかったと思う。


その不器用な優しさを一人占めしたくて、酷いことを言ったんだと今になって気付く。
何も言わずに行ってしまった彼女がどんな顔をしていたのか、悟空は結局判らなかった。

ただ、もしも立場が逆だったらと思うと、呼吸が出来ないぐらい苦しくなる。




――――でも、取られたくなかった。





悟空を抱き寄せる三蔵は、そんな悟空を仕方がないという表情で見下ろしていた。

突進よろしく抱き付かれて打ち付けた背中の痛みも、もう怒りも湧かない。
いきなりの悟空の言葉にも、今となって何故あんな行動に至ったのかなんとなく予想がついた。



「ったく……下らん嫉妬なんざしてんじゃねえよ」



グラウンドから走ってきた悟空が何を見つけたのか。
女子生徒は隠していたつもりだったようだが、背中にあった手紙は身長差の所為で見えてしまっていた。

そして、今まで聞き分けのいい子供のようだった悟空の行動。



「受け取る訳ねえだろ、あんなもん」



あの少女がどれだけ勇気を振り絞ったとか、三蔵にとってそれは関係ないのだ。
こうして泣きじゃくる恋人を抱き締めるだけで、特異な事だと悟空は未だに気付けない。



「だ…って……だってぇ……!!」
「だっても何もあるか」
「だって、ヤだって思ったんだもん!!」



自分以外の人と話をするのを見るのが嫌だ。
例えそれが教員と言う仕事の内容の一つであるとしても、一度そう思ったら止まらなかった。
それを言い訳にして話をしたがる人達がいるのが嫌だった。

照れ臭くて恥ずかしくて内緒にしようとしていたのは自分だったけれど、それが余計に苦しい結果を生んでいた。
恋人なのは自分なのに、堂々とそれを曝け出せない関係が嫌だった。


男同士で、教師と生徒。
誰から見ても、赦される間柄ではなかった。

判っていて、それでも好きで好きで、抑えられなかったから掴み取った想いなのに。



いつの間にか壊れてしまいそうで、怖かった。





「オレのなんだから…! 三蔵は、ずーっとずっとオレのなんだ!!」






この間に割り込めるものなら、割り込んでみればいい。
全部自分が跳ね返してやるから。
もう我慢するのは嫌だ。


彼の事を愛するのは自分だけでいい。
他の人なんていなくていい。

自分以外にこの人に愛を囁く人なんていなくていい。



子供のワガママのように喚くそれが、極上の愛の告白だと悟空は気付かない。
ただ自分の沸き上がる気持ちを吐き出しているだけなのだから。

腕の中で散々に泣き喚いて叫ぶ少年に、三蔵は見えないからこそ笑みを浮かべる。


普段他者との交流が盛んなのは、三蔵ではなく悟空の方だ。
目敏い幼馴染に限らず、クラスメイトに部活の関係、教員にだって人気がある。
無邪気で屈託のない悟空に行為を寄せる者は決して少なくないのだ。

プライドの高い三蔵はそれについて何事か言った事はないが、悟空はそんな感情とは無縁だと思っていた。
人との関わりを持つことが好きだったし、何より今まで三蔵の前で嫉妬なんて感情を垣間見せた事はなかったから。



「………バカ猿」



何も言わない傍らで、冷や冷やしていたのはお互い様と言う訳だ。


くしゃっと頭を撫でて、自分の胸から悟空の顔を離させる。
途端に不安げに三蔵の服を握る手に力が篭ったのが判る。

そんな悟空の顎を捉えて、口付けた。










――――――……誰にも渡さないのは、お互い様だ。









































あなたと僕の間にある見えない線は


手を繋いだら此処から消えてくれますか




あなたと僕を隔ててる高い段差は


手を伸ばして掴んだら底からなくなってくれますか










其処には誰かが入る隙間なんていらないんだ














FIN.




後書き