Repaying the kindness







物事に対する考え方や接する態度と言うものは、気持ち一つで幾らでも変わる。


悟空が喜んでくれるのならば、焔はどんな事でも苦にならない。
それは、焔が悟空を何よりも大事に思うからだ。

だからこそ、悟空のちょっとした無茶のお願い程度、焔にとっては無茶でもなんでもない事だったのだ。
その全ては彼に喜んで欲しいから、彼に笑って欲しいから、その一存で全ての苦は大した障害にはならない。
悟空の落胆した表情の方が、焔にとっては何よりも痛い出来事となって記憶に刻まれるのである。



─────しかし、これは流石に苦痛の方が過ぎる。



二人きりなら幾らでも話が出来るのだが、人数が増えれば増えるほど、話す機会は少なくなる。
機会があっても取り合う人間が多いので、比例して倍率は高くなってしまい、結果、時間はどんどん削られる。

揃っている人間の内、弁舌の立つ者は二人いる。
一人はお調子者、もう一人は専ら悟空の擁護に立つ人間だ。
お調子者の方は、他人が悟空と喋っていても遠慮なく介入してくるので、正直言って邪魔だと思う事は一度や二度ではない。
だが悟空の方はそれを厭う訳もなく、新しい話題に移ったり、次のアトラクションへ促されたりと楽しそうだった。


これが単純に面白がって邪魔をしていると言うのなら、まだ良い。
しかし彼らの瞳の奥には、明らかに別の意図があり、妨害は意識的な行動である事が伺える。


焔が悟空との会話を楽しみとしている事は、誰が見ても判る事だ。
他者と悟空との扱いの差を見れば、一見した人間でも直ぐに気付くだろう。

それを奪われたとあっては、誰でも腹が立つ事だろう。
一日の内、二度や三度と言う頻度ではないから、尚の事。



普通なら、そんな事は適度に流しておけば良いのかも知れない。
しかし、焔にはどうしてもそれが出来ない───と言うか、そのままにはして置けない理由がある。

焔が悟空に対して特別な感情を抱いているのと同じように、彼らも悟空に対して特別な感情を抱いている。
それが根本となって、焔が悟空と会話する所を妨害して来るのだから、放置は出来ない。
うっかりそれに流されて二人の間に距離が出来た途端、滑り込もうとしている人間がいるのだから。


悟空が誰かに対して特別な感情を抱いている節はない。
アニメやドラマの恋愛だってついて行けないと言うし、そんなものよりスポ根系を見ている方が楽しいらしい。

そんな訳だから、色恋沙汰なんて何処吹く風だ。
自分がその渦中の真ん中で、台風の目になっている事なんて全く知らない。
焔としても伝える気はないし、知れればきっと彼にとって重く圧し掛かるだろう事は予想に難くない。
そうなれば隠す事が苦手な悟空は、周りに対してギクシャクしてしまうだろう。


悟空は無邪気に、明るく笑っているのが一番良い。
これはこの場に揃っている全員に、唯一、共通して言える想いであった。



それはつまり────この場にいる全員が、揃ってライバル同士と言う事なのだ。
焔にストレスが溜まるのも無理はない。


悟浄と八戒に挟まれて、悟空は拡げたパンフレットを眺め、次のアトラクションを選んでいる。
時刻は既に夕刻を終えつつあった。


昼には遊園地内にあるジャンクフードを食べて、また直ぐにアトラクションに乗った。
時間よって少々赴きの変わるアトラクションもあるので、それは時間を変えて繰り返し乗り、楽しんだ。
特に時間ごとにイルミネーションの色や表現が変わるメリーゴーランド等は随分気に入ったようだ。

子供をターゲットにしているので、客にはやはり子供の姿が目立つ。
春休みなのでカップルの姿もあるかと思ったのだが、それは然程見つけられなかった。
そんな中に高校生の少年が一人無邪気に遊んでいるのは、傍目にはどんな風に見えただろう。
焔にしてみれば、あまり違和感がないように思えたが。
笑いものにされると言ったら、売り言葉に買い言葉で、悟空の乗車に全て付き合う事になった悟浄だろうか。


「次どうしよっか?」
「あー……もうでかいのないよな?」
「そうですねぇ……」


絶叫系は全て回った。
立体迷路やシューティングゲームと併設されたアトラクションにも乗った。

そこそこ大きな遊園地である。
キャラクター達で行われるパフォーマンスも見ていると、時間はあっと言う間に過ぎていった。
夕陽も直に沈む頃となっているので、今度はネオンが輝き出すだろう。


「あ、もっかいメリーゴーランド乗らなきゃ」
「……後何回乗るきだよ、お前……」
「あと一回だけだよ」
「と言う訳で、悟浄もあと一回乗る訳ですね」


無条件で付き合わされることを決定されている事に、悟浄はぐったりと肩を落とす。


「もう勘弁してくれよ……酔うんだよ、アレ」
「いいじゃん、あと一回だけ! あ、でももうちょっと後でな」
「イルミネーション変更は日が沈んでからなんですね」


目ぼしい物は回り終わったとあって、少しばかり小休憩の雰囲気も漂っている。


メリーゴーランドのイルミネーションが変更となって、追いかけるように他のライトも点灯する。
それから遊園地全体も夜使用になるのだ。

それまでどうして過ごそうか、と悟空はパンフレットをパラパラと捲りながら考える。



決まる様子のない三人を眺めていた三蔵が、はっきりと溜息を吐く。


「する事がねえなら、動き回る必要はねえだろ」
「んー……ま、そっか。そうだよな。えーっと、そんじゃあ動き回らないでいいのは……」


結局乗るのか、と悟浄が呟く。
その隣で、八戒がパンフレットで一等大きく描かれている観覧車を指差した。


「じゃあこれに乗りませんか? 一周に時間がかかるので、休憩するには丁度良いですよ」


今から乗れば、観覧車を一周する途中で、イルミネーションも点灯し始めるだろう。
ゆっくり休憩をして、時間つぶしも出来て、見物もあるとなれば、これを利用しない手はなかった。


「うん、じゃ観覧車行こう! 皆も乗ろう!」


言うなり、悟空は焔と三蔵に駆け寄り、二人の手を引っ張って走り出す。


「おい、悟空」
「待て、このバカ猿! 俺は乗らん!」
「いいから行こっ!」


まるでこっちの話を聞いていない。
いや、これは悟空なりの気遣いなのだ。

遊園地に来てから、悟浄と八戒とは楽しめたけれど、焔と三蔵はすっかり蚊帳の外状態。
それはそれで構わないと二人は思っているのだが、悟空にとってはそうではない。
皆で楽しみたいのだ、悟空は。



悟空としては、一度でいいから、此処に揃った全員でアトラクションを楽しみたかったのだろう。
けれども絶叫系は好き嫌いが分かれるものだし、子供っぽいものは三蔵が先ず間違いなく敬遠する。
と言うか、三蔵個人が既に遊園地そのものに対して乗り気ではない。

そんなメンバーが全員一緒に乗れるものと言ったら、のんびりと外を眺める事の出来る観覧車ぐらいだろう。


しかし、搭乗口に駆け寄ってから悟空はぱちりと瞬きする。
搭乗口横に書いてある人数制限に、箱体一つにつき『定員4名』と記されていた。

くるりと振り返って、悟空はその場にいるメンバーの数を確認する。


「……五人」
「俺はいい」
「だーめーだってば!」


定員オーバーを判り易い理由として、直ぐに三蔵が抜けると言い出す。
直ぐ様悟空がそれを捕まえ、列から離れようとするのを引き止める。


「皆で乗るの!」
「つったって定員オーバーじゃ仕方ねぇだろ」
「うー……」


悟浄の言葉に、悟空は頬を膨らませる。


「……じゃあ、分かれて乗ろうよ」
「まあ、そうするしかありませんしね」
「んじゃ、小猿ちゃんは俺と─────いでっ!!」


悲鳴を上げて言葉を途切れさせた悟浄に、悟空はきょとんと首を傾げる。
どうかしたのかと聞く悟空に対し、八戒は笑顔で、三蔵と焔は無表情、悟浄はなんでもないとしか答えられない。


「どうやって分けるんだ?」
「籤にしましょうか。メモ帳ありますよ」
「悟空が作れよ」
「いいの?」


促されて、悟空が嬉しそうに破顔する。
八戒に渡されたメモ帳とペンで、アミダ籤を作り始めた。


「×印、二箇所してあるから、そしたら一緒な」


印を書いたと言うアミダの終点は、ページの付け根を少し破って折りたたみ、隠してあった。
その籤を悟浄、八戒、三蔵、焔────余った場所を悟空と言う順番で選び、悟空が名前を書いた。

これで誰と一緒になっても、文句はなしだ。






悟空がアミダをなぞって行く。


それを見守る人々の願いは、揃って一つだけだった。





























「すっげー! 高えー!」


箱体の椅子に座って無邪気にはしゃぐ悟空。
それを微笑ましげに見守っているのは、オッドアイの男一人だった。


アミダ籤の結果は、焔と悟空、他三名と言う括りになった。
悟空は焔と一緒と言うことに素直に喜び、焔は緩みそうになる口元をどうにか堪えて、はしゃぐ悟空を宥めた。
紅と翡翠と紫闇が睨んでいた事など、焔にとっては大した問題ではない。

悟空と焔が先に箱に乗り込んで、ゆっくりと箱は上へ上へと登り始めた。
直ぐ下を回っている箱には三蔵達がいるのだが、焔は其方を気にしてはいない。
そもそもが悟空の誕生日なのだ、それ以外に気を配るつもりは毛頭ないのである───悟空が一喜一憂する事でなければ。



ガラス一枚向こうに広がる光景に、悟空はすっかり心を奪われている。
遊園地の敷地内は勿論、街の方にもちらほらとネオンが灯り始め、大地に星が落ちたように煌いている。


「すげーな! な、焔!」
「ああ、そうだな」


同意を求める声に促されて、焔も外界へと視線を向けてみる。


「な、焔はジェットコースターもフリーフォールも乗ってないから、遊園地の形見てないだろ?」
「ああ」
「あのな、あそこ耳になってんだ。ウサギの耳。そんで、メリーゴーランドが鼻になってて……」


観覧車は、丁度ウサギの首に当たる位置にある。
ウサギの顔を下から見える形で、全体を見渡す事が出来るのである。

正直、言われなくても見ていれば判る。
子供向けの遊園地とあって、大人が見れば説明されなくても判るような、単純な形をしている。
けれども悟空が嬉しそうに話しているのだから、水を差す必要はない。


悟空が指差したメリーゴーランドのネオンカラーが変わった。
メリーゴーランドはウサギの鼻、敷地のほぼ真ん中に位置している。
其処から順々に光が広がっていくのが見えた。


「うわ、凄……キレー……」


暗闇の中に沈みつつあった光景が、発光して線の色を変えて浮き上がってくる。
悟空がほう、と溜息を漏らす。


「これは大したものだな。昼間に乗ったら、また違って見えただろう」
「うん。あー、昼もやっぱり乗っとけば良かったかなぁ」
「また今度来るか」
「うん!」


嬉しそうに頷く悟空に、焔はほっと胸を撫で下ろす。

今日一日で悟空の喜ぶ顔は何度も見たけれど、焔はそれを遠くから見ているだけだった。
別段、それが不満だったと言う訳ではないが、その笑顔をずっと欲していたのは確かだ。
ようやく自分へと真っ直ぐに向けられた笑顔に、充足感を感じるのは当然の事と言えた。


しばしそうして外を見詰めていた悟空だったが、ぐう、と盛大な腹の音が鳴った。
ぱちりと瞬きして、悟空が焔を見て、へらりと笑う。


「腹減っちゃった」
「観覧車を降りたら、夕飯にするか。メリーゴーランドはそれからでも良いだろう?」
「うん。昼飯の時さ、悟浄が食ってた奴食べたい。すっげーいい匂いしてたんだ」
「ああ」


了承を得られて、悟空はガッツポーズ。
焔はくしゃりと悟空の頭を撫でてやる。

悟空はそれにくすぐったそうに目を細め、撫でる手に自分の手を重ねる。


「な、焔、焔」
「なんだ?」


撫でる手を離そうとすると、悟空の手がそれを引き止める。


「ありがとな。すっげー楽しかった」


そう言った悟空の頭をもう一度撫でて、焔は今度は其処から手を離した。
悟空も引き止めない。
少しばかり紅くなった頬で、頭を掻いている。

改めて言われると、なんだか焔の方がくすぐったくなって来る。
悟空の方も照れくさいのか、少しばかりはにかんでいるので、お互いにそれが伝染したような感じだ。


火照った頬を誤魔化すように悟空は窓外に目を向けたが、その頬は紅いのは変わらない。
寧ろ耳まで赤くなっているのが見えてしまった。


毎年4月5日と言うのは、焔にとって勝負の日だった。
それも全て、悟空の笑った顔が見たいから。


もう16年前になる、焔と悟空が始めて出会った日。
無邪気に笑いかけた小さな赤子に、焔は心全てを一気に持って行かれた。

その瞬間から、焔は悟空の笑った顔を見たい一心で、他の何よりも心を傾けるようになった。


一年の中で、4月5日は焔にとって特別の日。
それは決して焔に限った事ではなく、悟空と言う少年を知る人々にとっては皆そうだ。
そして、彼自身にとっても。


今日一日、悟空はどうやら満足してくれたようだ。
これからまだ夕飯をして、メリーゴーランドをもう一度乗って、折角だからパレードも見よう。
この際だ、閉園までいたいと言っても焔は一向に構わない。

そうして、帰る頃には焔の車の中で眠ってしまうだろう。
夢の中でも遊園地で遊んでいるのなら、焔には今日と言う日は大成功だと言って良い。


観覧車が半分を切った。
見える視界がゆっくりと下降を始めて行く。


「焔、横行ってもいい?」
「ああ」


自分の側から見える景色に飽きたのか。
悟空の申し出に、焔は箱体の端へと身を寄せる。


少しばかり不安定な足元に気を配りつつ、出来るだけ箱体を揺らさないように、そっと移動する。
焔の隣にちょこんと収まって、悟空は窓に張り付いて見える景色を眺めている。

────と、悟空が肩越しに焔を振り返り、





「本当にありがとな。焔の誕生日プレゼント、オレすっげー嬉しかった!」





真っ直ぐに見詰める金色の瞳に、焔の顔がそのまま映り込んでいる。
それが豆鉄砲を食らったような表情である事を指摘する人間は、此処にはいない。


またガラスの向こうへと、悟空は視線を移す。
焔には背中を向ける形になった。

それは焔にとって幸運だった。
呆けた顔と、その後の緩んだ顔を見られないで済んだから。


焔が4月5日に拘るのは、悟空が生まれた日だからだ。
この日、焔の世界は灰色から彩色へと一気に変化した。
それ程に、焔にとっては大切な日。

大切で特別な日。
それを教えてくれたのは、他の誰でもない、悟空だ。


この日に生まれてきてくれた悟空に、焔は何よりも感謝している。
親愛も慕情も全てひっくるめて、彼に全て抱くほど。

その恩返しに、焔は悟空に喜んで欲しいから、何でも叶えようと思うのだ。


──────けれど、今年も失敗だ。
やっぱり今年も、自分が嬉しいばかりになってしまった。








さあ、来年はどうしよう。


きらきらと輝くネオンを見詰める少年を見守りながら、次の春へと思いを馳せた。






















君が欲しいと言うのなら
どんなものでも手に入れて、どんなものでもプレゼントしよう

そうして、君が笑ってくれるのなら



けれど本当は気付いてる

君が笑って欲しいのは
自分がそれを見たいと願うから


それでも赦してくれるなら、これからずっと、君の願いを叶えよう
























FIN.



後書き