リピートエンドレス・リスタート




「うっわ、汚ぇ!」




部屋に通して、開口一番この台詞である。
少々米神に筋が浮いた是音だったが、子供の言葉は事実であったので、何も反論できない。

最低限、生活に必要なスペース───寝る場所と食事────は確保するように努めているが、やっぱり汚いよな、と是音も自分で思う。
脱いだものは放置しているし、洗濯物なんて部屋干して吊るしっ放しで片付けない。
ゴミだけは捨てるようにしているが、それも幾らか溜まってからまとめてポイ、と言うスタイル。
潔癖症ではないから、多少の汚れは気にしないし、面倒臭いから明日で良いかと先延ばしにして結局忘れる、なんて事も少なくない。

男の一人暮らしでこんなものだろう、と気にしないようにしていた是音だったが、やはり子供は正直且つ残酷である。
やっぱり汚いか、と是音が顔を引き攣らせていると、




「そっかな?天ちゃんの部屋よりマシだと思うけど」
「……天蓬元帥の部屋?」
「あー、あいつの部屋はな。ってか、あれは規格外なんだと思うぞ。一緒にしたら駄目だって」




天蓬元帥の部屋と言えば、臨時書庫的扱いにもされる程、沢山の本に埋め尽くされていると言う。
しかし彼は片付けと言ったものが非常に苦手で、読み終わったものも、読み途中のものも、これから読もうと思っているものも、全てごちゃまぜに積み上げられているそうだ。
定期的に捲簾大将が掃除に赴くらしいが、一ヶ月も経てば(悪い意味の方で)元に戻っているらしい。

是音は天蓬と親しくはないので、彼の部屋を直接目にした事はないのだが、子供達がこれだけ言うのだから、噂通り酷い有様なのだろうと思う。
先程、噂は噂でしかないと思った所だったが、日のない所に煙は立たぬと言うのも、強ち嘘ではないようだ。


部屋が汚い事について、子供達からの最低評価は免れたが、それで自分の部屋が少しでも綺麗になる訳ではなく。
それでも、今直ぐに掃除をする気にはならないので、是音は早々に気にするのを止めた。




「ま、適当に座ってろ」
「うん」
「ラーメンまだ?」
「今から作るトコだよ。大人しくしてな」




ぐぅう、と腹を鳴らす悟空の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
乱れた髪を、猫が頭を振るようにぷるぷると揺らして、悟空は那托と一緒にベッドの端に腰掛ける。


キッチンコンロに水を入れた薬缶を置いて、火を点ける。
どうせ直ぐには沸騰しないから、是音はそれから目を離して、棚に入れていたカップラーメンを取り出した。




「お前ら好きな味あるか?」
「オレ、どれでもいいよ。でも美味い奴がいい」
「カップラーメンで不味いのなんかないだろ。好みはあるだろうけどさ」




悟空の返事に、那托が呆れたように言った。
しかし、悟空はきょとんとして首を傾げ、




「金蝉が作ったラーメン、不味いよ」
「……マジで?」
「うん」
「……まあ、あれだ。お坊ちゃんだからな、あいつ」




カップラーメン(若しかしたらインスタントの方かも知れないが)を不味く作るなんて、一体どうやったら出来るのだろう。
一瞬気になった是音だったが、訊ねた所でこの子供が判る事もあるまい。


沸騰した薬缶が音を立てる。
少しだけ開けた所から湯を流し込んで、蓋を閉じて少し待つ。
子供二人がわくわくと待ち遠しそうにしているのが判った。

その間に、と是音はベッド端に座っている子供達に近付いた。




「お前ら、飯の前に、ちょっといいか?」
「うん?」
「何?」




きょとんとして見上げて来る二人の額に、是音はこつん、と軽く拳を当ててやる。
突然の男の行動の意図が読めない所為だろう、二人は小突かれた額に手を当てて、揃って首を傾げた。




「お前ら、さっきの悪戯だけどな」
「さっき?」
「捲簾大将にやった悪戯」




眠っている捲簾の目と口をガムテープで塞ぐと言う、あの悪戯の話だ。
ああ、あれ、と二人が納得したように言った後、見下ろす隻眼が心持ち尖っている事に気付いて、同時に肩が強張る。


子供と言う生き物は、理屈云々よりも、肌で感情で物事を感じ取る生き物だと、是音は思う。
だから頭ごなしに叱ると、委縮してただ怯えてしまうし、理屈を延々と語っても飽きてしまう。
だから先ずは、きちんと向き合って、目線の高さを同じにして、対話をする事に向き合わせなければ。

隻眼に見詰められる子供達は、二人で身を寄せ合うようにして縮こまっている。




「お前らな。悪気がなかったってぇのは判るが、流石にありゃあ性質が悪いぞ」
「……そなの?」
「考えても見ろ。お前らだって、起きた時に目が明かなくて口も利けないってなったら、おっかなくねぇか?」




二人が顔を見合わせる。
場面がイメージし難いのか、二人は眉根を寄せて考え込み始めてしまった。

仕方ねえな、と是音は膝を折って目線を合わせ、改めて子供達に教える。




「眼が覚めてるのに真っ暗ってのは、中々怖いぞ。お前ら、目隠しして自分の館駆け回れる自信があるか?」
「それくらいなら出来そうだけど」
「俺もー。いつも使ってるとこだし」
「お前らなぁ……」




いまいち危機感が足りないと言うか────いや、経験したことがないから、想像の仕様がないのだろう、きっと。
子供の想像力は無限大ではあるが、それは自分の興味がある分野に限った話であって、興味がない分野についてはからきしなのだ。

是音は溜息を吐いて、なんと言ったものか、と頭を掻いた。




「あー……あのな。起きた時に目が開けられないって事は、自分のいる場所が確認できないって事だ。判り易く実践してやろうか。お前ら二人とも、ちょっと目を閉じろ。良いって言うまで絶対に開けるなよ」




はーい、と二人分の良い返事があった後、子供達は目を閉じた。
是音は悟空と那托の手をそれぞれ取って、ベッドから立たせる。
ふる、と二人の瞼が揺れたのが見えて、開けるなよ、と釘を差せば。
二人はぎゅっと瞼を強く閉じた。

子供二人と手を繋いで、部屋の中をぐるぐると歩き回る。
床に散らばっていた服やゴミは蹴飛ばして、子供達の足下を阻害しないように退けた。
どうせなら抱え上げてしまった方が是音としては楽なのだが、那托はともかく、両手足に20kgの枷を嵌めている悟空は、さしもの是音でも持ち上げるのは難しい。


二人の手はとても小さく、柔らかく、温かい。
悟空の手足の枷など、単なる無粋なものでしかないのではないか、必要ないのではないか、と思える程に。

異端の子供と、闘神太子と、随分と大層な呼び名を付けられている彼らだが、こうして接してみると、ごく普通の小さな子供と大して変わらないように見える。
いや、きっと変わらないのだ、周りの大人が手前勝手に大騒ぎをしているだけで。
その証拠に、是音の両手を握る子供達の手は、彼がとても大切にしていた小さな温もりと、全く同じ温もりを宿している。




(逢わせて────やれりゃ、良かったな)




もう既に戻らぬ温もり。
此処で今、鼓動を打つ温もり。
それらが交わる所が見れたら、どんなにか嬉しかった事だろう。

────詮無い事を考えた。
子供達が見ていないのを良い事に、是音は小さく自嘲を零す。


是音に手を引かれて歩く子供達の足下が、段々と覚束なくなって来る。
手を引く強さに素直に従ってはいるが、段々とそれは縋るように是音の手を強く握るようになってきて、時折唸る声も聞こえて来るようになった。
是音がちらと両サイドの二人を見ると、目を開けようとして、けれど釘を差されているから出来なくて、と言うジレンマに苛まれているのが判った。




「わっ、」




悟空が何もない所で躓いて、足を縺れさせる。
バランスを崩して転びそうになるのを、是音は繋いでいる手を引っ張って支えてやった。

そんな親友に釣られたように、那托も足を縺れさせた。




「わ、わっ!」
「ほれ」
「うわ、」




ぐっと是音が那托の手を持ち上げて、宙に浮かせる。
直ぐに床に下ろしてやると、那托がほっと安堵の息を漏らした。
反対側では、悟空が是音の腕にしがみ付いている。

────この辺で許してやるか。
律儀に“目を開けるな”と言う言葉を守り続ける子供達に、是音は小さく笑みを零した。




「もう目ぇ開けていいぜ」
「……ほんと?」
「ああ」




是音の両手にしがみ付いていた子供達が、恐る恐る、目を開ける。
そして其処に広がっている光景が、数分前に見たものと同じである事を知って、知らず緊張に強張っていた肩から力を抜いた。

そのまま座り込んでしまいそうな二人を、是音は手を引いて、ベッドまで誘導してやる。
ぽすんとベッド縁に座った二人は、そのままぱったりとシーツの上に倒れ込んでしまった。
先程までの元気や生意気さは何処へやら、完全に脱力している子供達に、是音はくつくつと笑う。




「どうだった?」
「なんか気持ち悪かった……」
「あんなに歩き回ったから、部屋から出たのかと思ったのに。ずーっと部屋の中ぐるぐるしてたのか?」
「ああ」
「オレ、何処か知らないとこ連れてかれたのかと思ってた」
「俺も……」




悟空と那托にとって、是音と言う人物は、まだまだ掴み切れない人物であった。
保護者の金蝉童子や、いつも遊び相手をして貰っている天蓬元帥や捲簾大将、身の回りの世話をしてくれる人々とは違い、絶対的な信頼がない。
楽しい所に連れて行ってくれるとか、面白いものを見せてくれるとか言うような、身を任せて良いと言う自信が持てる相手ではないのだ。

幼い故に、彼らは容易く他人を信用してしまう。
けれども、無条件に信頼して身を委ねていられる程、警戒心がない訳でもないらしい。


悟空と那托が人心地ついた所で、是音はテーブルに置きっぱなしにしていたカップラーメンの蓋を開けた。
固めて乾燥していた麺は解かれ、スープの匂いが食欲をそそる。

二つのカップラーメンの蓋に箸を乗せて、是音は悟空と那托に差し出した。




「ほれ」
「あ、ありがと」
「ありがとー」




二人それぞれに礼を言うのを聞いて、良い子だ、と大地色と銀色をくしゃくしゃと掻き回してやる。
それから自分のカップラーメンを取って、子供達と同じようにベッド縁に腰掛ける。




「見えないってのがどれだけ怖いか、これで判っただろ」
「うん」
「その上、喋れないとあっちゃな。助けも呼べない訳だ」
「俺達、捲簾に悪い事したんだなー……」




ずず……と麺を啜りながら呟いた那托に、判ったのなら結構だ、と是音は言った。




「だから、それ食い終わったらちゃんと謝りに行きな」
「はーい」
「でも怖そうだなぁ……ケン兄ちゃん、滅茶苦茶怒ってたもん」
「拳骨くらいされそうだよな」
「そりゃお前らの自業自得だからな。それ位我慢しろ」




はぁい、と不貞腐れたような声が二つ上がって、ずずー…と麺を啜る音。

悟空の所為だ、那托の所為だ、と小さな声でやり取りが聞こえる。
しばらくそうして責任を押し付け合っていた二人だったが、数分もすると、不毛な争いであると気付いたのか、沈黙した。


くつくつと是音の喉から笑いが漏れる。
気付いた二人が同時に顔を上げて、きょとんとした面持ちで是音を見た。




「ああ、なんでもねえ。気にすんな」
「何?思い出し笑い?」
「そんなとこだ」
「思い出し笑いするのってスケベなんだって。天ちゃんが言ってた」
「ろくな事教えて貰ってねぇな、お前ら……」




顔を引き攣らせる是音の言葉に、そうなの?と子供二人はまたきょとんとする。
他にも色々と余計な知識を、知らぬ間に植え込まれていそうな子供達に、大丈夫なのかね、と他人事ながら、彼らの将来が心配になってくる。


─────でも、まあ。
大丈夫だろう、と是音は思う事にした。

子供は純粋培養で育てれば良いと言うものではない。
無邪気に駆け回ってケガをして、喧嘩をしたり悪戯をして怒られたりして、肉体的にも精神的にも、傷を負う事の意味を知って行くのだ。
この二人の子供の周りには、遊び相手をしてくれる大人も、余計な事を教えてくれる大人も、叱ってくれる大人もいる。
惜しむらくは、彼らが決して自由ではない事、監視の下でしか駆け回れない事か。
しかし、彼ら自身はそんな事など何処吹く風と、二人で手を繋いで、何処までで駆け抜けて行けそうな程、眩しく輝いている。




「ごちそうさまー!」
「ごちそーさま!」




空っぽになったカップラーメンを膝に置いて、二人は両手を合わせて食後の挨拶。
それから、空になったカップを指差して、




「これ、どうしたらいい?」
「其処に置いといてくれ。後でまとめて捨てるからよ」
「はーい」




那托がぺりぺりとカップの蓋を剥ぎ取って、口が大きくなった所へ、悟空が自分のカップを入れた。
剥がした紙蓋は、悟空のカップの中に折って入れる。

ぱたぱたと慌ただしい、軽い足音を立てて、二人は部屋の出入口へ。




「じゃ!お邪魔しました!」
「ラーメン美味かった!ありがとー!」
「おう。しっかり怒られて来いや」




二人は挨拶の言葉を口早に、是音の返事も待たずに部屋を飛び出して行った。
元気な声はドアが閉まってもしばらく聞こえて来て、賑やかで結構なことだと、是音はラーメンのスープを啜る。

一分、二分と時間が過ぎて、カップの中身も殆どスープのみになってきた頃に、是音はふと、気付く。




(誰かと飯を食ったの────久しぶりだったな)




特に人嫌いと言う訳ではないし、紫鳶のように取っ付きにくい印象ではないと自覚している(悪人面とは言われるが)。
他人との会話を苦に思うような性質ではないから、以前はよく同僚や部下から食事に誘われた。


けれども、妻と息子を奪われて以来、そうした声も形を潜めた。

いいや、それは少し違う。
件については皆暗黙の了解のように触れないが、単純に食事に誘ったり、飲みに誘ったりと言う声はある。
それを全て断って、食堂なり酒盛りの場なり、人の多い所に行こうとしないのは是音の方だ。


妻と息子がいた頃は、どうだっただろうか。
ひっそりと隠れ住むような場所で暮らしていて、色々と不自由な思いもさせていたと思うのだけれど、二人はそれについて是音に何かを求めて来た事はなかった。
時々、「早く帰って来てね」とか「明日は一緒に遊んでよ」と息子にねだられる事があった位だと思う。
妻は何も言わず、にこにこと綺麗な面を和らげていたけれど、甘える息子を咎めはしなかったから、多分、同じ気持ちは少なからずあったのだろう────これは是音の願望に近いけれど、そうであったら、嬉しいと思う。

是音も愛する家族に早く会いたかったから、家路への足はいつも早かった。
誘われた食事や飲みを、これを理由に───まさか正直に告げはしなかったが───断ったのも、一度や二度ではない。
部下や気心の知れた同僚と飲む酒も美味いが、それより何より、妻が作った料理を、一人息子と一緒に食べている方が断然美味い。
一人より誰かと、他人よりも家族と過ごすのが、是音は好きだった。



妻と息子を守れなかったあの日から、どれ程の刻が流れたのだろうか。
大切なものを失って、ぽっかりと胸に開いてしまった虚無は、きっとどれだけの年月が経っても消えない。
その痛みは、守りたかった者達が大切だった分だけ、長く永く是音を苛むのだろう。

─────けれど。




(まぁまぁ、美味かったな)




スープも飲み干して、空っぽになったカップを見て、思う。


妻が腕をかけてくれた、手の込んだ料理ではない。
嫌いな物をこっそり渡してくる息子もいない。

此処にいたのは、異端の子供と、不浄の子供。
息子と同じ、謂れなき罪を背負わされた、それでもきらきらと眩しく輝く子供達。


きっと今頃は、般若顔の軍大将にきつく絞られている事だろう。
いや、案外、素直に謝って来た子供達に絆されて、拳骨一つで済ませているかも知れない。
今もまだ子供達が持っているであろう、イタズラ道具にされたガムテープは、しっかり没収して。




「……さてと」




一つ、誰に向ける訳でもなく呟いて、是音はベッドから腰を上げた。
空のカップラーメンをゴミ袋に放り投げた後、子供達から「汚い!」と絶賛された部屋を見回す。


─────取り敢えず、掃除をしよう。

いつまでも汚いままだと、掃除好きの妻に怒られてしまう。
利発に育っていた息子からも、だらしないなぁ、なんて言われてしまうかも知れない。







部屋を片付けた所で、このまま散らかしていた所で、何が変わる訳でもないけれど。
少なくとも、もう一度子供達を招いた時に、これ以上の不名誉な言葉は賜らないようにしたいと思う。

















無意識のうちに、繰り返し願う事がある

あの日、あの時、守れたのなら
小さなあの手は、あの温もりは、今も傍らにいてくれたのにと


だから、何度も願う事がある

あの日、あの時、眩しく輝いていたものが
遠い先の未来でも、輝き続けていられるようにと

















後書き