リメンバー・リリース




表替えされたカードが一枚、裏返ったままのカードが三枚。
うち、表替えしたカードと同じ数字のカードは一枚だけなので、確率は三分の一。
悟空はそれらをじっと睨むように見つめ、うんうんうなった後、



「こっち!」



勢いよく振り上げた手を、勢いよく落して、一枚のカードを叩いた。
そして、ドキドキと自分自身の鼓動が緊張に逸って行くのを感じながら、掌の下敷きにしたカードを表に引っ繰り返し、



「やった!」



引き当てたのは、先に表に返されていたカードと同じ数字のもの。
金色が嬉しそうに輝くのを見て、是音も口元を緩める。
が、自慢するように二枚のカードを並べて掲げて来る子供の手前、大袈裟に頭を抱える仕草をして、残念がって見せる。

悟空は残った二枚のカードも引っ繰り返した。
最後に残った二枚だから、当然、これらは同じ数字の余り者同士である。



「へへー、これもオレのっ」
「よし、これで全部取り終わったから……後は取ったカードの枚数を数えて、多い方が勝ちだ」



そう言って、是音は自分の傍らに置いていたカードの山を手に取った。
悟空も最後の二枚をカードの山に加え、是音を真似するように数え始める。


勝負は、前半の内は是音が優勢であった。
悟空は50枚前後のカードをランダムに表返しては裏返して、是音はその時に見たカードの凡その配置を覚えていた。
暗記が苦手な悟空は、自分で捲ったカードもあまり覚えていなかったようで、思うようにカードを合わせる事が出来なかった。

是音は最初、普通に勝負をして───要するに手加減なしで───やろうかと思ったのだが、流石に小さな子供相手に大人げない真似は気が引けた。
悟空は神経衰弱と言うゲームを初めて楽しんでいるのだし、やはり楽しませてやらなければなるまい。
是音は、暗記していたカードの配置について、さり気無くヒントを出すようになった。
「あの辺にあったような」「さっき見た気がするなぁ」等と是音が呟けば、悟空もそれを思い出し、目当てのカードを見つけ出す事が出来た。

是音は適度に自分のカードを確保しながら、悟空にカードを獲得させて行った。
こういう勝負事は、やはり勝った方が嬉しいし、楽しくなるものだ。


数えるカードがなくなるのは、是音の方が早かった。



「18枚、か」
「じゅーく、にじゅう、にじゅーいち、にじゅーに、」



数える為に崩した山にしたカードを、是音はもう一度集めて整えた。
その向かいで、悟空は一枚一枚数えて口に出しながら、カードを捲って行く。

二人でゲームをしているのだから、片方が数え終われば、後はその分をマイナスして計算すれば、勝敗は直ぐに判るのだが、是音はそれを口には出さなかった。
是音の枚数を越えても、まだまだ自分が数えられるのが嬉しい様子の子供の高揚に、可惜に水を差す事もあるまい。


数え続けていた悟空の手から、最後の一枚が床のカード山に落ちた。



「34枚!オレの勝ちー!」



ほぼ倍の差をつけて勝った悟空は、その喜びを全身で表現するかのように、両手を上げて万歳をした。
是音は、嬉しそうにはしゃぐ悟空を眺めながら、くつくつと喉を鳴らして笑った。



「中々やるじゃねえか。暗記、苦手なんじゃなかったのか?」
「へへーん。オレだって本気出せば、これくらい直ぐ覚えられるもんね」



ゲームで勝った事で自信になったのか、悟空は胸を張って自慢そうに言った。
そんな子供の無邪気な様子が益々おかしくて、是音は声を上げて笑った。

ぐしゃぐしゃと大地色の髪を掻き撫ぜてやる。
乱暴にも見えるその手付きを、悟空が嫌がる事はなかった。



「さてと……どうする?もう一回やるか?」



是音は、自分と悟空のカードを混ぜ合わせて、整え直しながら言った。
今日はもうやる事はないから、幾らでも子供の遊び相手に付き合っていられるだろう。

しかし、生憎ながら子供の方がそういう訳には行かなかった。



「んー……やりたいけど、そろそろ帰らないと金蝉に怒られるかも」



そう言って時計を見る悟空に倣い、是音も時間を確認する。
時刻は午後5時、夕方の入り口と言った頃だろうか。
下界の冬であれば、陽が短い所為で空に漆が溶け始めているかも知れない。
しかし、下界で言う常春に等しい天界で、午後5時と言ったらまだまだ明るい時分であるが、確かに、子供に帰宅を促す頃合いでもあった。

悟空は少し残念そうな顔をしつつも、床から腰を上げて、尻についた埃を払う仕草をする。



「金蝉に怒られたくないし、オレ、そろそろ帰るよ」
「そうだな。おとーさんの言い付けは守って置いた方がいい」



是音も腰を上げて、座っている時よりも随分と低い位置になった子供の頭を、もう一度くしゃくしゃと撫でる。
悟空は眩しがる猫のように目を細め、ゆらゆらとされるがままに頭を揺らした。


────意外だな、と是音はこっそりと思う。

是音の脳裏には、気難しくて無愛想だと定評のある金糸の男の姿があった。
武官である是音と、文官である彼の間に接点はないが、それでも噂は耳にする。
その噂を聞く限りでは、子供の遊び時間に門限を設けるような気質ではないように思えるのだが、意外と子煩悩な性質だったのだろうか。

子供も子供で、保護者の言い付けは律儀に守っているらしい。
ひょっとして、親友と一緒に遊んでいる時でも、保護者の言い付けだけは破らないように心掛けているのだろうか。
自由奔放で、目の前の楽しい事に夢中になってしまいそうなのに────それとも、一度言い付けを破って叱られた事でもあるのだろうか。



(あり得るな)



先程は子煩悩なのだろうかと思ったが、決して優しい男ではないだろう、と是音は思う。
良くも悪くも厳しくて、判り易い愛情を見せられる性格ではあるまい。

あの男が子供の保護者役となったのは、彼の伯母であり、天界でも影響力を持つ観世音菩薩の勅命の為だと言う。
そうでなければ、彼が下界で生まれた異端の子供を引き取るなどと言う、珍事にはならなかっただろう。
子供を引き取る事になった時、彼は判り易く面倒事が増えたと頭を抱えたと聞くが、どうやら、他者が思うよりも案外と保護者としてちゃんと役目を全うしているようだ。


悟空は、親の言いつけをきちんと守っている。
時折、うっかり忘れてしまう事もあるのだろうが、その後にはきちんと反省するのだろう。
そうした子供の様子を見れば、親がきちんと子供と接しているのかどうか判るものだ。



(子供は親の鏡ってな)



ちゃんと良い親してるみたいじゃないか。
ぴんぴんと跳ねた髪を気にして、指先で毛先を摘まむ子供を見下ろして、是音は思った。



「さてと────館まで送ってやるよ」
「いいよ、道なら覚えてるもん」
「いいから来な。もう直、夜になるんだ。こんな時間にガキを一人でブラつかせるもんじゃねえよ」



此処にいるのが普通の子供ではない事も、特別に危険があるような場所ではない事も、是音は判っている。
それでも、送ってやらなければなるまい、と是音は思った。
例え普通の子供ではないとしても、名前も知らないような男を疑いもせずについてくるような、無邪気で無垢な小さな子供である事には変わりない。


ほら、来い、と促す是音の後ろを、てちてちと裸足の足音が追い駆ける。
歩幅の差を考えて、是音が常よりも歩調を落して歩くと、直ぐに子供が隣に並んだ。

くん、と自分の手が引かれたのを感じて、是音はちらりと視線を落とす。
小さな手が、武骨な自分の手を握っている。
それを軽く握り返してやれば、太陽のような金色が見上げて来て、



「へへっ」



笑った子供の顔が、もう二度と見る事の出来ない愛しいものと重なって、是音は知らず微笑んでいた。
















愛用の武器は下げていたものの、幾らか警戒の色を残していた瞳は、時間が経つ毎に警戒する事そのものが面倒になったのだろうか。
是音が気付いた時には、悟空は如意棒でこつこつと地面を小突いて退屈を弄ばせていた。

やはり、子供の頃とあまり変わっていないかも知れない。
初めは警戒していても、いつの間にかストンと警戒心が抜け落ちていて、敵の前で無防備な姿を晒す。
「何かあっても直ぐに反応できる」と言う自信があるからかも知れないが、今現在、悟空は脇腹を痛めている。
不意打ちに気付く事が出来ても、対応まで間に合うかどうかは怪しい所だ。


こんな調子で大丈夫なのだろうか。
少年の強さや力云々とは関係なく、是音は純粋に心配に思ってしまった。



「んー……」



がりがりと如意棒の先で描かれる落書き。
随分と熱心に描いてるな、と是音が首を伸ばしてそれを覗き込むと、



「─────ぶふっ、」



描かれた三人組を見て、是音は思わず噴き出した。

見られていると気付いた悟空が顔を上げる。
隻眼と金色が交じり合って、金色が悪戯っ子のように無邪気に笑った。



「上手いだろ!」
「ぶっ…くくっ……!」



自信満々に言う少年に、是音は堪える事が出来ない。
それでも、腹を抱えて笑う男の反応は、十分悟空にとって満足な代物であったようだ。


地面には、鬼のように目付きの悪い、垂れ目の顔が一つ。
その両隣に、にこにこと笑顔を浮かべている顔と、釣り目で煙草を咥えている顔。
どれも良く似ている。

そのモデルとなった男達の声が、下方から響いたのを聞いて、悟空が顔を上げる。
四つ這いで崖縁に寄って身を乗り出すと、



「おーい、バカ猿ー!死んでねーなら返事しろー!」
「勝手に殺すな、エロ河童ーっ!」



心配と言うにはあんまりな台詞が飛んできて、悟空はすかさず怒鳴り返した。
その拍子に脇腹の痛みがぶり返したか、悟空は腹を抑えて蹲る。



「ってぇ〜……」
「おい、大丈夫か」
「うー……うん……」



是音の問いに、悟空はもぞもぞと脇腹を庇いながら起き上って、小さく頷いた。
痛みの箇所を摩りながら顔を顰める少年に、元気そうに見えていたが、案外と酷い怪我だったのだろうか、と是音は印象を改める。

是音は立ち上がってボトムの土埃を払うと、肩にかけていた魔神銃を提げ直した。
悟空の傍まで歩み寄って、崖の下を覗き込むと、三人の男が誰が崖を上るかで揉めている。
是音が悟空の傍にいる事には気付いていないらしく、退散するなら今の内が良いだろう。



「保護者さん、来たみたいだな」
「保護者ってなんだよ。オレ、ガキじゃないぞ」
「そーかいそーかい」



地面に座っている悟空の頭を、是音は上からぐしゃぐしゃと乱暴に撫でてやった。



「うわっ、止めろって!ガキじゃないって言ってんじゃん!」
「ンな事言ってる内は、まだまだお子様って事だ」



そう言って撫でる手を離すと、不満げな金色が睨んでくる。
唇を尖らせたその表情が、拗ねているのだと判り易く主張していて、やっぱりお子様だな、と是音は思う。

崖の下で揉める声が止んだ。
恐らく、上ってくるのは赤髪の男だろうと見当をつける。
彼が此処まで上ってくる前に、自分は退散しなければ。


─────でも、その前に。



「おい、チビ助」
「チビ言うな!」



脊髄反射のように返って来た声に構わず、是音は悟空の傍らにしゃがむと、少年の脇腹に手を当てた。
ふ、と小さな光が是音の掌を包み、触れている箇所へと移り、消えて行く。



「……何?」



きょとんとした顔で見上げて来る悟空に、さてなんだろうね、と是音は言った。
意味が判らないと眉根を寄せる少年に構わず、足を延ばして立ち上がり、背を向ける。


なんだよ、と拗ねたような声があったが、やはり是音は気に留めないままで転移した。
着地したのは崖の上で、切り立った場所から下方を除き込めば、取り残された少年が座り込んでいる。
其処にようやっとと言う様で、崖を上った紅髪の男が顔を出した。

是音が耳を欹ててみると、ぽんぽんとテンポの良い応酬が聞こえてくる。



「ったく…世話の焼ける猿だな、てめぇは」
「猿言うな!」
「あーあー煩ぇ煩ぇ。いいからさっさと来いよ。三蔵様が不機嫌ったらねぇんだからな。八戒もおっかねえしよ」
「げ、マジで?やっぱ怒られるよなぁ……」
「お前は良いだろ、どうせハリセン止まりだし。ほら、早くしろ」
「ちょっと待てよ。オレ、怪我してるんだって」
「はぁ?何ドジってんだよ、お前」



崖を下りろと促す悟浄に、悟空は無理だと言う言葉の代わりに、痛みのあった脇腹を抑えて言った。

悟浄は判り易く呆れた声を出した後、半身だけを崖上に上げていた体を持ち上げて、完全に崖上へと登り切る。
腹を抑える悟空の傍に腰を下ろすと、服の裾を引っ張って捲り、怪我をしたと言う場所を確かめようとする─────が、



「……何処だ?」
「此処だって、此処。なんか赤くなったりとかしてるだろ」
「……ねえぞ、そんなモン」



悟浄の言葉に、悟空がえ?と首を傾げる。
自分でシャツを捲って脇腹を除き込めば、其処にはいつもと変わらない色をした皮膚があるだけで、



「……痛くない」



あれ、と反対側に首を傾げる悟空に、悟浄はわざとらしく大きな溜息を吐いた。



「あいつらに怒られたくないからって、馬鹿みたいな嘘吐いてんじゃねえよ」
「嘘じゃないって!本当にすっげー痛かったんだぞ!」
「へいへい、判った判った。そんでも、今は痛くねえんだろ。だったら問題なしだ、さっさと降りるぞ」



心配してやって損した、と言って、悟浄は腰を上げた。
悟空は自分の体の変化に首を傾げ、痛みのあった筈の脇腹を庇いながら立ち上がる。
しっかりと足を延ばして立ち、脇腹を抑えていた手を離しても、もう激痛が走る事はなかった。


崖下へと下りて行く二人の姿が見えなくなって、是音は崖の縁から離れた。
程なく、車のエンジン音が微かに届いて、遠退いて行く。

特に何か収穫があった訳でもない時間であったが、是音は概ね満足していた。
嘗ては子供だった少年と、ただするべき会話もなく過ごしていただけだったけれど、お陰で色々と思い出す事も出来た。
それが今後の目的に影響する事はないだろうが、思い出を連れて行く位は良いだろう。



次に逢った時、少年はもう、無邪気に笑いかけてはくれまい。
それでも是音は、遠い日に繋いだ小さな手の温もりは、覚えていようと思った。














何も変わっていないようで
確かに変わったものがある

全てが変わってしまったようで
変わらないままの色がある



それを見付けた時に感じるのは、ほんの少しの寂しさと、ささやかだけれど確かな喜び

















後書き