もう少し、あと少し




杏仁豆腐に胡麻豆腐、フルーツココナッツと、一通り代表的なデザートを悟空が平らげて、夕飯は終わった。
テイクアウト用に注文したエビチリと五目あんかけ焼き蕎麦を受け取り、ゴールドカードで支払いを済ませる。
領収書に書かれた金額については、誰もが見なかった事に決めた。


三蔵に言い付けられていた、煙草の追加とビールを近くの酒屋で購入し、宿に戻ると、八戒は持っていた領収書を悟空へ渡した。
三蔵にテイクアウトした夕飯を届ける序に、渡して置いて下さい、との事。

満足行くまで夕飯を食べ尽くした悟空は、膨らんだ腹を撫でながら、奥部屋を確保した三蔵の下へ向かった。
二回のノックをした後、入るよ、とだけ言って、返事を待たずにドアを開ける。



「ただいまー。三蔵、晩飯持って来た」
「ああ」



声が返って来たのは、ベッドの方からだった。
見ると、三蔵は窓辺のベッドに横になり、煙草を吹かしている。



「寝煙草してると、八戒に怒られるぞ」
「河童じゃねえんだ。バレるような真似はしねえよ」



寝煙草は火事の下になる、と言っていた八戒の言葉を思い出した悟空は、バレるバレないの問題ではないような───と思ったが、口には出さない。
八戒が言っても止めないような事を、悟空が注意した所で、この傲岸不遜が服を着て歩いているような男が、改める訳もないのだ。


悟空は簡素なテーブルに、ビールと煙草、テイクアウト料理の入ったビニール袋を置いた。
中身を取り出していると、ぎしり、とベッドの鳴る音。



「三蔵はあんかけ焼き蕎麦な」
「ああ」
「でもって、オレはエビチリ!」



発泡スチロールのパックに入れられた夕飯を差し出しながら言えば、三蔵は咥えていた煙草を灰皿に押し付けながら、



「…食って帰ったんじゃねえのか」
「食ったよ。でも、まだ食える」
「………」
「そうだ。はいコレ、領収書」



ズボンのポケットに入れていた紙きれを差し出す。
ああ、と気のない声を漏らしてそれを受け取った三蔵は、掻き込まれた数字を見て、眉間の皺を深くした。



「おい」
「ん?」
「………」



きょとんとした表情で見返してくる悟空に、三蔵は溜息を一つ。
それから、無言で手を差し出した三蔵に、悟空は数秒首を傾げた後、紙と一緒にポケットに入れていたカードを取り出した。

三蔵はカードを受け取ると、ぽい、とベッド上に塊にしていた法衣の上に放った。



「次から加減しろ」
「何が?」
「……もう良い」



三蔵の言葉の意図がいまいち読み取れず、不思議そうな顔で問い返すばかりの悟空に、三蔵はもう一度、深々と溜息を吐いた。
八戒に言って置くべきだったか、と独り言を呟く三蔵に、悟空は反対側に首を傾げるばかりであった。


悟空はテーブル横の椅子を引いて座り、パックの蓋を開けた。
香辛料の匂いがツンと鼻腔を刺激して、如何にも美味そうだ。

先程、たらふく夕飯を平らげた悟空であるが、胃袋にはまだ余裕がある。
パキン、と割り箸を割ると、赤い光沢に包まれた海老を一つ、口の中に入れた。



「やっぱうまーい!」



嬉しそうな悟空の声が響く。
悟空はベッド上から動く気のない三蔵を見て、嬉々とした目で言った。



「三蔵、エビチリすっげえ美味いよ!三蔵も食う?」
「…いらん。それより、箸を寄越せ」
「あ。ごめん」



料理だけを渡して、食べる為に必要な道具を渡しそびれていた事に気付いて、悟空は急いで袋から割り箸を取り出した。
差し出したそれを三蔵が受け取り、ようやくあんかけ焼き蕎麦に手を付ける。


遅い夕飯を、ゆっくりとしたペースで食べる三蔵に対し、悟空の食事が終わるのは早かった。
今此処で、誰かが自分のエビチリを奪う事等ないのだが、この食事スピードは癖のようなものだ。
テーブルマナー云々を気にしなければならないような場所でもないので、三蔵も特に咎める事はない。

エビチリは、ものの五分で、悟空の胃の中に全て納められた。
空になったパックと割り箸を袋に戻し、悟空は三蔵がいるベッドに移動する。



「…食い終わったのなら、さっさと部屋に帰れ」
「別に良いじゃん。此処にいたいんだ」



じろり、と紫電が悟空を睨む。
鬱陶しいとか言われるかな、と悟空は思ったが、予想に反して、三蔵は無言のまま目線を外した。
何かを言われた所で、悟空も大人しく退室する気はなかったが。


悟空はベッドに上ると、ごろりと横になった。
大の字になると三蔵を蹴ってしまうので、丸くなって縮こまる。
そうして、三蔵の横顔をじっと見つめた。

五目あんかけ、美味かったな。
彼の手元で減って行く焼き蕎麦を見ながら、悟空はそんな事を考える。



「なー、三蔵」
「なんだ」
「それ、美味い?」



判っていて問うてみる。



「悪くはない」



要するに、美味いと言う事だ。
よしよし、と悟空は満足げに笑みを浮かべた。

────と。
笑みを浮かべていた悟空の前に、発泡スチロールのパックが差し出される。
ん?とぱちりと瞬きをして顔を上げると、紫電が一瞬だけ交わって、直ぐに逸らされた。



「後はお前が食え」



それだけ言うと、三蔵はベッドの上にパックと割り箸を置き、テーブルへと移動した。
新しい煙草の封を切って、早速火を点けている。


悟空は起き上がると、半分に減った五目あんかけ焼き蕎麦を見下ろした。

三蔵は、小食と言えば小食だが、それは悟空から見た話なので、十分“普通”の基準に収まる程度には食べる方だった。
テイクアウトした焼き蕎麦の量も、十分“普通”の一人前に値する。
夕飯よりも睡眠を優先したとは言え、三蔵も腹が減っていなかった訳ではないだろうに、それにしても食べる量が少なすぎる様な。


首を傾げる悟空の前で、三蔵は煙を燻らせる。
悟空はベッドの上で胡坐になると、パックを拾って膝の上に置いた。



「三蔵、もう要らねえの?」
「ああ」
「腹痛ぇの?」
「別に」



心配そうに問い掛ける悟空に対し、三蔵の反応は素っ気ない。

見る限り、顔色が悪い訳でもないし、無理をしている様子もない。
それなら何故、食べないのだろう。
本当に食べて良いのかな、と手許を見下ろしている悟空に、三蔵は煙草の灰を灰皿へと落としながら、



「要らねえなら、河童の餌にでもすれば良い」
「それは嫌だ」



そんな事をする位なら、自分で食べる。
そう言って、悟空は箸を掴んだ。


テイクアウトの五目あんかけ焼き蕎麦は、店で食べた物に比べると、少し冷えてしまっている。
時間が経っているのだから仕方がない。
しかし、それでも十分に悟空の舌を満足させた。

夕飯から数えて、何品目になるか判らない料理を、あっと言う間に平らげて行く悟空に、三蔵が煙を吐き出して言った。



「食い過ぎで豚になるなよ」
「なんねーよ。食った分だけ動くし」
「そうだな。猿が豚になるのは有り得ねえ話だ」
「猿でもねーし!ご馳走様っ!」



抗議しながら、悟空は空になったパックを閉じた。
割り箸と一緒に、ゴミ袋へと役目を変えた袋の中に入れ、袋の口を確りと閉じる。


今日はなんだか、一杯食べた。
それは決して気の所為ではあるまい。
朝食も昼食も、八戒が贔屓にしてくれたし、夕食は言わずもがな、満足行くまで食べさせて貰えた。

明日もこうなら良いのにな、と思いつつ、これは今日一日だけに許された我儘である事は、悟空もよく判っている。



「────よしっと。腹一杯になったし。オレ、もう寝る!」
「ああ。ガキはさっさと寝ろ」
「ガキじゃねーってば」



不満げに顔を顰める悟空を、三蔵は見ていない。
それに益々、拗ねるように唇を尖らせた悟空だったが、ふと、その口元が緩む。


悟空はベッドから降りると、ゴミ袋を掴んで、ドアへと向かった。



「じゃ、おやすみ!」
「ああ」



就寝前の挨拶に、保護者からの返事は素っ気ない。
いつもの事だ。

そのまま部屋を出て、ドアを閉めようとして、悟空ははたと思い出す。



「三蔵」



呼ぶと、紫電色の瞳だけが此方を見た。
なんだ、と無言で問うその瞳に、悟空はむず痒さを感じながら、言った。



「ありがと!おやすみ!」



言い放って、相手の反応を見る事をせず、ドアを閉める。
バタバタと俄かに騒がしくなるドアの向こうを見送る男の口元が、微かに緩んでいるなど、知らないまま。









────もう子供ではない。
けれども、大人にも成り切れない。


幼い頃のように、今日と言う日を指折り数えて楽しみにしていられる程、無邪気ではなくなった。
しかし、今日と言う日を迎えて、何も感慨が沸かない程、無関心になる事はなく。
真っ直ぐに向けられる言葉や、遠回しに与えられる温もりに喜ばない程、天邪鬼でもない。

気恥ずかしく思うようになったのは、一体、いつからだっただろう。
「おめでとう」と言われて、面と向かって「ありがとう」と返せなくなって、けれども、何も言わずに受け流してしまうのは、余りにも寂しい気がして。


だから、もう少し。
あと少しだけ。
大人と子供の狭間で、遠回しに与えられる愛情に、甘えていたいと思う。















もう少し、後少し
経った頃にはきっと同じ目線になっていると思いたい

でもそうなったら
もう昔みたいに甘えてはいられなくなりそうで



だからその前にもう少し、後少し、甘えさせてくれる人達に甘えている
















FIN.


後書き