はなふぶき















世界は光で溢れてる


世界は色で溢れてる




世界はきれいなもので溢れてる











あなた達の世界で溢れてる















































花見。








─────悟空のその言葉は、実に唐突なものであった。



その言葉の前に悟空がしていた事は、ぼんやりと窓の外を眺めていたということ。
場所は三蔵の執務室で、三蔵はいつも通り仕事中。

それでも悟浄と八戒が来ていたので、悟空のその行動は珍しいことだったと言っていい。
仕事真っ最中の保護者に構ってもらえなくて、退屈を持て余すのは毎度のことだ。
だから束の間でも来訪者があれば、悟空は遊べ構えとまとわりつくのが常である。


しかし、何を思っていたのか、今日はそれをしなかった。
二人が来た時にも窓の外を眺めていて、扉の開閉の音に振り向きもしない。
三蔵と喧嘩でもして拗ねているのだろうかと、悟浄と八戒は思っていた。

けれども三蔵と話をしてみれば、こちらは不機嫌でもなんでもなく、単に常の仏頂面があるだけ。
養い子と喧嘩をしたとなると、大人気ない事に、この男も盛大に機嫌を損ねる筈。
だから三蔵の平静とした態度に、喧嘩ではなかったかと二人も行き着いた。

だがそれならそれで、謎は残る。


声をかけてみると、心此処にあらずという生返事しかなかった。
お菓子を持ってこなかったのが残念なのだろうかと、八戒は思った。
いや、それでも遊んで欲しいという欲求ぐらいはぶつけてくる子供である。

ジープが悟空の隣、窓の桟に舞い降りても、視線すら向けない。
ただぼんやりと外を眺める悟空に、ジープは少しつまらなそうに鳴いた。


首を捻って、悟浄がアレはどうかしたのか、と三蔵に問うも、三蔵もよく判らなかった。
ただ仕事をする分に静かであるのは願ったり叶ったりなので、好きにさせていた。

……三蔵が悟空の事で判らないとなると、他二名にはまるでお手上げだ。



取り敢えず、仕事の報告をさっさと済ませ、今日はもう帰ろうかと悟浄と八戒が目と目で会話した時。
くるりと振り返って、子供は冒頭の台詞を呟いたのである。

そして一点の曇りもない金色の瞳を、きらきらと輝かせ、









「皆で花見、行こうよ」









─────そう言ったのだ。




花見。

花見とくれば、やはり桜か。
その単語に連想するものは、八割から九割の確率でソレだろう。


しかし桜は春に咲くもので、春の間に散る花である。
季節は既に9月の半ばに差し掛かり、桜どころか、葉桜さえも見込めそうにない季節。

悟空とてそれは判っているだろう。
山の緑が少しずつ紅に染まりつつある今が、どんな季節であるかと言う事ぐらい。
どんなに遅く咲く桜だって、こんな時期には望めまい。


だが真っ直ぐに大人三人を見つめる瞳は、そんな事などお構いなしで。




「ね、皆で行こ。ジープも一緒!」




隣にいたジープの頭を撫でて、笑って言う。
やっと撫でて貰えて、ジープがきゅぅと嬉しそうに喉を鳴らした。

じゃれあっている小動物二匹の光景は、見ていて実に心が和む。
和むが、大人三人は今だけはそれどころではなかった。




「……おい、悟空」
「何?」




悟浄が少々脱力気味に名を呼ぶと、悟空はぱっと明るい顔で悟浄を見た。
自分の主張が通らないなど、きっと微塵も考えていないに違いない。
それもこれも、目に見えて甘い保父と、自分では認めなくても誰より甘い保護者の所為だと、悟浄は勝手に結論付けた。




「お前な、花見したいったって、今何月だと思ってんだ?」
「9月」
「だよな」




急に何を聞くんだと、悟空は首を傾げる。




「花見っつったら桜だろ? 桜なんかこの時期に見れる訳ねぇだろ」




呆れたように言えば、今度はムッとしたように唇を尖らした。
やっぱり自分の意見が通らぬなど、微塵も思っていないらしい。




「桜は好きだけど、別に桜が見たいなんて言ってない」
「でも、お花見したいんでしょう?」
「桜じゃなくたって花見は出来るじゃん」




八戒の言葉に、悟空は真っ直ぐに相手を見据えて言った。


それは、確かにそうだ。
花見イコール桜というのは誰もが連想するものだが、絶対のものではない。
開花した桜の木の下で行われる宴会を“花見”と称する機会が多いだけだ。

季節季節に咲いた花を見て愛でるなら、それも十分花見である。




「それにしたって急過ぎるだろ」
「そうですねぇ……しかも皆でと言われても…」




ちらり、悟浄と八戒の視線が三蔵へと向けられる。

三蔵の手から筆は既に離れていたが、机の上の書類の数は相変わらず山のようだ。
急ぎの書類は特に見当たらないらしく、雑務についてばかりだと言うが、それでも仕事は仕事。
三蔵がこの慶雲院の最高責任者を担っている以上、面倒臭かろうとなんだろうと、片付けなくてはならない代物だ。

本人のやる気は一切合切失われていようとも、勝手に消えては行かないこの紙の束。
此処で子供の突然のワガママに付き合おうものなら、更に積み重ねられること請け合いだ。




「三蔵、行こうよ」




だが、子供はやはり大人のそんな事情などお構いなしだ。

ジープを腕に抱いて、悟空は三蔵に駆け寄り、法衣の袖を引く。
三蔵は判り易い程に眉間に皺を寄せたが、悟空は怯まない。




「外、スッゲー晴れてんの! だからさ、行こう!」




何が“だから”なのか、大人達には全く判らない。
しかし今日の外界の空が、悟空の言う通り晴れ渡っているのは真実だ。

子供らしく外遊びが好きな悟空である。
常日頃──本人の性格も合わせて──執務室に缶詰の保護者を、外に連れ出そうとするのも珍しくない。
今日のような天気の良い日なら尚更だった。




「花見、行こ!」




言い出したのが当人であるから、悟空自身はすっかり行く気満々だ。
それも自分一人ではなく、この場に揃った全員で。


悟浄と八戒の視線が、保護者にねだる子供から、執務机の書類へと再度移される。
三蔵が物臭なのは知っているが、それでも一応、責任者という立場にあるのだ。
無視する訳には行くまいと、八戒がそろそろ悟空を宥めようかと思った、時。

三蔵が椅子から立ち上がり、しつこく袖を引く子供の頭をハリセンで叩いた。




「……ってぇ〜…何すんだよ、三蔵」
「てめぇがしつこいからだ、バカ猿が」




盛大な音を立てた頭を擦り、抗議する悟空に、三蔵はにべもない。
ぷーっと頬を膨らませる悟空を慰めるように、ジープがそのまろい頬を舐めた。




「まぁまぁ三蔵、その辺にして」
「オメーも諦めろ、悟空。三蔵様は、一応仕事中らしいから」
「一応じゃねえ。テメェ等暇人と一緒にするな」




悟空に向けたものとは比べ物にならない冷たい目で、三蔵が悟浄と八戒を睨む。
しかしこの二人も、悟空とは別の意味で、その視線の効果のない人物だ。

三蔵は一つ舌打ちすると、机の上に置いていた煙草を取り、懐に仕舞う。




「三蔵?」




いつもなら直ぐに取り出して火をつける所を、何故仕舞うのか。
悟空が不思議そうに首を傾げ、三蔵の名を呼ぶ。

三蔵は振り返らずに部屋の出入り口に近付くと、扉のノブに手をかけた。






「─────休憩だ」











なんだかんだで、結局彼が一番甘いのだと。
悟浄と八戒が胸中で呟いたのは、言うまでもなく。

それに子供が嬉しそうに笑うから、敵わないとも思うのであった。