三つの掟は誰が為








一つ、出かける時には「行ってきます」「いってらっしゃい」

一つ、外から帰ってきたら「ただいま」「お帰りなさい」

一つ、眠る前には「お休みなさい」







徹底的に教え込まれた訳ではないが、幼少期から培われたものである。
バカバカしいと常々思っている悟浄であるが、染み付いたものは取れない。


今朝も事件があったとかで早くに家を出る捲簾と、「行ってくる」「行って来い」と遣り取りをした。
その時、悟空はまだ眠っていたが、既に夢現の状態であったのか、寝言のようにもごもご何か言っていた。
ひょっとしたら、夢半分で捲簾を送り出したのかも知れない。

昼過ぎになって帰ってきた時、悟浄も長屋にいたので、「ただいま」「お帰り」という兄と養い子の会話を聞いた。
小腹を満たす為に焼いた魚を食っていた悟浄は、振り返っただけで、その姿を確認した。
捲簾は養い子に出迎えられたので既に満足だったようで、悟浄には言葉代わりに手を上げて見せただけだ。




挨拶は人と人とを繋ぐものだと、誰かが言っていた。

そんな些細なもんで何かが変わるもんかと思うものの、前述も述べたが、これは染み付いたものなのだ。
「行ってくる」と言われれば「行って来い」、「ただいま」と言われれば「おう」。
両親が生きていた頃から続けられた習慣であった。


そして見事にその習慣は、兄が溺愛する養い子にも浸透して。
ついでにその友達一同にまで伝染しているのであった。











夕方になって、捲簾はまた家を出て行った。
それを見送ったのは悟浄と悟空だけだった。

が、捲簾が帰る頃、捲簾の長屋は大変にぎやかな事になっていた。
それもその筈、遊び盛りの子供が一人から三人に増えていたのである。





「ケン兄ちゃん、お帰りー!」
「あ、捲簾お帰りー!」
「おっかえりー!!」
「おーただいまー」






引き戸を開けて帰ってきた捲簾に、子供三人が飛びつく。
それらを全てしっかりと受け止めて、悟空を肩に乗せ、那托と李厘を腰に纏わり付かせて、捲簾は帰宅の挨拶。






「ケン兄ちゃん、お腹空いたぁー」
「オイラもー」
「俺もー。なぁ、晩飯なんだ?」






わきゃわきゃと賑やかな子供達に、捲簾は嫌な顔一つしない。
見下ろしてようやく見つけられる那托と李厘の頭をぽんぽんと叩いている。


捲簾は草鞋を脱ぐ事無く、そのまま竃に立った。
これから夕飯の準備をしなければならないのだ。

朝も夕方も、どちらも仕事で出て行ったのだろうに。
捕物を纏める立場であるのだから、多少なりとも疲れている筈だ。
だというのに捲簾は、こうして帰って直ぐに家事を始める事に愚痴さえ零した事はなかった。






「そうだなー……そういや、昨日いい鰹買ったんだよな」
「じゃあタタキがいい!」
「んじゃ、そうすっか」
「「「やったー!」」」





子供三人の賑やかな声。






「中庭から薪取ってきてくれるか?」
「おー!」
「俺も行く」
「オイラもー!」






中庭へと向かう悟空を追い駆けて、何故か那托と李厘も走る。
一緒にいるといつでも、いつまでもくっつきあっているのだ、あの三人は。



子供達が中庭へ行ったのを計らって、悟浄は腰を上げた。


今日一日はずっと家で捲簾の留守を預かっていた悟浄だが、その顔は滅法疲れている。
それというのも、保護者の不在で退屈を持て余した悟空に散々遊べ構えと付き纏われ、
夕方以降も同じく、寧ろ子供二匹追加で被害増大となった。

捲簾ならば幾らでも遊びに付き合ってやるのだろうが、生憎、悟浄はそうではない。
大体遊びにかける子供の体力は底知れないものがある。
あれらについて行ける(寧ろ同等に遊べる)捲簾の方が可笑しいのだと、悟浄はいつも思う。



台所に近付けば、早速鰹を捌いていた捲簾が振り返り、








「おう、ただいま」







と、笑う。







「………おう」







子供達のように、おかえり、と悟浄が言った事はない。
ないが、返事があるだけでも捲簾は構わないらしい。

返事を聞いて鰹に向き直る捲簾に、悟浄もくるりと背を向けて、居間の元の位置に戻る。


──────本当に、それだけの会話の為に、悟浄は腰を上げたのである。




ぱたぱた軽い足音がして、中庭から子供達が戻って来た。






「おう、お帰り」
「ただいまー!」
「ただいま」
「たっだいまー!」






捲簾の言葉に、子供達は三者三様に返す。
中庭に行って戻ったぐらいで、挨拶する必要もないと思うのだが。


………染み付いているのだ、こんな遣り取りをするのが。







何故こんなにも捲簾が挨拶をしたがるのか、悟浄はいつだったか聞いた事がある。
その時、捲簾は嬉しそうに、そう言って迎えてくれる相手がいるのが嬉しいからだ、と言った。


「行ってきます」と言えば、「行ってらっしゃい」。
「ただいま」と言えば「お帰りなさい」。

「おはよう」と言えば「おはよう」が返り。
「お休み」と言えば「お休み」が返ってくる。


些細だけれど、これは大事なことなんだ、と言っていた。





でも、悟浄は気付いている。
捲簾だって判っている。


─────なんのことはない。











(自分がそう言って欲しいからだろ)













何よりも愛しい、子供達に。














(漢数字5題/3.三つの掟は誰が為)


掟の中に“朝の挨拶”がないのは、捲簾が朝早くに出て行ったり、悟浄がいなかったりで、出来ない日があるから。

悟浄もなんだかんだ行って、挨拶ちゃんとするのです。
子供達のように「お帰り」は言わないけど、「ただいま」に反応する。
で、「おう」って返すのが悟浄の「お帰り」です。
そして自分が帰った時にはちゃんと「ただいま」言うんですよ。


義理人情の未成年トリオは、一緒にいたらもうヒッツキモッツキしてます。
それがまた捲簾には可愛くてしょうがない。



お題元 Cage