隣にはいつも君


子供を預かってからと言うもの、疲労感が倍────どころではない気がする。
いや、絶対にそうだ、と金蝉は思った。



金色の瞳を持った下界の異端児は、今日も今日とて元気である。

午前中には軍大将と共に中庭で遊び、池の畔で駆け回っていたら、足を滑らせて水の中にダイブ。
そのズブ濡れのままで子供は屋敷に戻って来て、書類を届けた帰りだった金蝉の腰に抱き着いて来た。
仕事終わりの疲労もあって、半ば八つ当たり気味に風呂に連れて行き、犬猫を洗うように乱暴に湯に浸からせて清めさせ、服を着せ、自分も服を着替えた。

食事中は遊びの内容について延々喋り、午後は天ちゃんの所に行く!と言った。
それなら明日分の仕事を今の内に片付けてしまえるな…と金蝉は思っていたのだが、当ては外れた。
意気揚々と出て行った子供は、十分もしない内に執務室に戻って来て、「天ちゃん、いなかった」と拗ねた顔をする。
西方軍に緊急招集がかかってしまい、約束反故の挨拶も出来ないまま、彼らは出立したらしい。

執務室に戻ってきた悟空は、保護者が机に向かっているのを見て、不満な顔をしつつも大人しく過ごす事を決めた。
金蝉も、これは今日やらなくて良い、とは言わず、子供が大人しい間に片付けてしまうのが最良と判断した。
悟空は、じっとしているのが苦手な方だが、当てが外れた所為で駆け回る気力も奪われたのか、黙々と部屋の隅で絵本を開いていて、その内、床の上に猫宜しく丸くなって眠る事となった。


床で寝る位なら寝室に戻れ、といつも言い聞かせている。
何故なら、床で眠る子供を、金蝉が抱えて寝室に運ぶことが出来ないからだ。

金蝉は、手元の書類の山が一区切りを迎えたのを期に、床で転がる子供を見て、溜息を一つ。




(……知らねえぞ、風邪ひいても)




俺は面倒は見ない、と思いつつ、結局は自分が世話を焼く羽目になるのだろうと思う。
しかし、金蝉は病人の看病は愚か、他人の面倒を見る事そのものが不慣れであった。

だから、極論を言えば、床で寝ようが池に落ちようがもう勝手にしろと思いつつ、頼むから体調不良にだけはなってくれるなと思うのだ。
金蝉の方がどうすれば良いのか判らないから。


子供の方は、保護者のそんな心境など何処吹く風とばかりに、すやすやと健やかな寝息を立てている。




(……暢気だな)




そう思った所で、ころん、と悟空が寝返りを打った。

硬い床の感触が嫌なのか、悟空はむにゃむにゃと何事か寝言を呟きながら、ころん、ともう一つ転がった。
そんな調子で悟空は、あっちへころころ、こっちへころころと寝転がって移動する。
恐らく、落ち着ける場所を探しているのだろう。


しばらくそんな調子で転がり続けた後、悟空はぴたりと動きを止め、




「……むゅ」




意図のない声が漏れて、ぱち、と瞼が持ち上がる。
起きたか、と金蝉がぼんやりと眺めていると、悟空はのろのろと起き上った。

悟空は眠い目を擦りながら、きょろきょろと辺りを見回して、やがてその瞳は保護者へと行き付いた。




「んー、」




子供がゆっくりと立ち上がり、ふらふらと覚束ない足取りで歩き出す。
重い頭が右へ左へ不規則に揺れて、なんとも危なっかしい。
かと言って、金蝉は声をかける事も、増して手を差し出してやる訳でもなく、ぼんやりと子供の様子を眺めていた。

眼を擦っていた手が、顔から離れて、伸ばされる。
小さく丸みのある手が、きゅ、と金蝉のズボンの裾を掴んだ。




「……おい」
「………」




流石に丸ごと無視は出来なくなって声をかけた金蝉だったが、悟空の反応は芳しくない。

そのまま悟空は、金蝉のズボンの端を握ってぼんやりと立っていたのだが、暫くするとまた床の上に座ってしまった。
そして、執務机の脚に寄り掛かる形で落ち着き、すぅすぅと寝息を立て始める。


金蝉は、暫くの間、足元の子供を見下ろした後、




(いつも、こう静かなら良いんだがな)




昨晩の夜、眠る悟空に盛大に蹴飛ばされて目を覚ました事を思いつつ、書類を手に取った。






今更特別な事と思わないくらい、隣に、傍に、一緒にいるのが当たり前。
当たり前のように“いつも”と思っている、そんな、誰も気付かないくらいの小さな幸せ。


(僕らの理想郷
僕の幸せ5題 / 01.隣にはいつも君)