手を繋いで


あっちあっち、と手を引いて早足に進む子供。
そんな子供の後ろをついて歩くのは、それ程難しいことではない。

全速力で走れば、その辺の大人など追い付けない程のスピードの子供だが、其処まで急ぐ事がなければ、大人が悟空に置いて行かれる事はない。
身長は勿論、足の長さもまだまだだから、そのコンパスはとても短いのだ。
その短いコンパスを一所懸命に動かして、右へ左へ駆け回る姿は、なんとも愛らしいものである。
その時、子供の小さな手が、自分の手を握って引っ張っていれば、尚の事。


面白いもの見付けた、と言って悟空が天蓬の部屋にやって来たのは、今から十分ほど前の事。

そうしたものを報告する時、悟空は大抵第一に自分の保護者の所へ行くのだが、今日は月末なので、彼もきっとピリピリしているのだろう。
子供は敏感にそれを感じ取っており、「今日は無理」だと察した末、天蓬の所へやって来た、と言う流れだ。
ちなみに、軍大将は何処かへエスケープしているようで、館内を探し回っても見付からなかった(下界で釣りでもしているのかも知れない)。

天蓬とて全くの暇と言う訳ではなかったが、金蝉のように文官ではないから、片付けなければならない書類もない。
捲簾から「掃除をしろ」と言われていたような気もするが、それも急ぐ事ではあるまい────どうせ途中で本を開いてしまって進まなくなるのは目に見えている。
それなら、悟空が言う“面白いもの”を見に行く方が、余程有意義である。



─────それにしても、悟空は一体何処まで行くつもりなのだろう。

館を後にした悟空は、天蓬の手を引きながら、桜吹雪の奥へ奥へと進んでいく。
あまり遠出をするようになると、顔に似合わず過保護な男が心配の拳骨を落とすのではないかと思いつつ、好奇心旺盛な子供にそれを考慮しろと言うのも、土台無理な話だろうと天蓬は思った。


走って走って、悟空がようやく足を止めた時、周囲の景色は天蓬が見慣れたものから一変していた。
桜並木が終わり、緑生い茂る木々や草花が辺りを覆い尽くしている。
時が止まったような、館の周辺とは違う、どちらかと言えば下界の風景とよく似ている、そんな場所。




「えーっと……ちょっと待っててな!」
「はい」
「直ぐ見付けるから!」




言って、悟空は茂みの中へ飛び込んだ。

悟空は鬱蒼と茂る草木の中を、右へ左へ走り回る。
向き出しの腕や裸足の足が、木枝に引っ掛かって擦れても、子供はまるでお構いなしだ。


あれ?あれ?と言う声が茂みの向こうから聞こえて来て、暫く。
ざざっ!と勢いよく飛び出して来た悟空は、きらきらと輝く笑みを浮かべて、天蓬の下に駆け寄る。




「これ!こんなの見付けた!」
「うん?」




戻って来た悟空は、手に持っていたものを天蓬に差し出して見せる。

悟空のが丸い指が持っていたのは、細い胴体に細い手足の薄茶色の虫。
一見すれば細い木の枝にも見えたが、悟空の手から逃げようと、一所懸命に六本の足を動かしている。




「これはナナフシですね」
「ななふし?」
「はい。木の枝を主な生息場所にしている昆虫です。体や足の節……付け根と言った方が良いですかね。こういう所、木の枝によく似ているでしょう?」
「ん?んー……そう、かなぁ……?」
「こうして木々に擬態して、天敵をやり過ごしたり、食べ物が通りがかるのを待っているんです」
「……ぎたいって何?」
「えーと……隠れん坊してると思って下さい。見付からないようにしてるんですよ」



難しい説明は丸ごと捨てて、判り易く教える天蓬に、ふぅん、と悟空は呟いて、手に持った虫────ナナフシを見る。




「隠れん坊がとても上手い虫なんですよ。悟空、よく見付けられましたね」
「オレ、すごい?」
「はい」




凄いですよ、と頭を撫でる天蓬に、悟空がて照れ臭そうに頬をかいて笑う。

その拍子に注意が緩んでしまったのだろう、悟空の指の隙間からするりとナナフシが抜け出す。
地面に落ちていそいそと逃げ出したナナフシを、悟空が慌てて追い駆けようとするが、




「待てって────わ!飛んだ!!」




伸びる手から逃れようと、ナナフシは必死のジャンプで距離を取る。
一瞬怯んだ悟空だったが、彼もカエルのように飛び跳ねながらナナフシを追い駆ける。

しかし、ナナフシは茂みの中に逃げ込んでしまい、悟空は茂みに頭から突っ込んで、ごろごろと転がって行った。
起き上がって辺りを見回してナナフシ捜索を続けるが、数分粘って、悟空は溜息を吐く。


とぼとぼと戻って来た悟空に、天蓬は漏れそうになる笑みを堪える。




「見失っちゃいました?」
「うん……」




膨れ面で頷く子供の頭を、天蓬はくしゃくしゃと撫でて宥めてやる。


無邪気な子供は、きっとあの面白い形をした昆虫を、保護者に見せようと思っているのだろう。
けれども、あの気難しい潔癖症の男が、子供のそんな無邪気さについて行けるとは思えない。
相手が捲簾であれば一緒に盛り上がれるだろうが、金蝉にそれを期待するのは無理が過ぎる。
確実に雷が落ちるであろう事を思うと、ナナフシが逃げ延びたのは幸いと言える。

しかし、悟空の方は、保護者への土産を失ってしまった事が心底残念なようで、しょんぼりと金色に寂しさを映している。
天蓬はそんな悟空に、膝を折って目線を合わせ、




「面白いものを見せて貰ったお礼に、僕からも悟空に見せたいものがあるんですが、良いですか?」
「おもしろいもの…?」
「ええ。此処から館まで戻る途中にあるので、遅くなって金蝉に怒られる事もありませんし。そろそろ熟れて食べ頃でしょうから、金蝉へのお土産にも丁度良いと思いますよ」




“熟れて食べ頃”─────つまり食べ物。
その言葉を聞いた、悟空の目がきらきらと輝いた。




「見る!見たい!天ちゃん、早く早く!」




犬の尻尾でもあれば、千切れんばかりに振られているであろう悟空のはしゃぎ振りに、天蓬はクスクスと笑う。

案内するのは天蓬の方であるのに、待ちきれないのだろう、悟空は天蓬の手を引いて歩き出す。
コンパスの違いを活かして、天蓬が先導する形にすると、悟空はうきうきとした足取りでそれを追う。




いつもは保護者とばかり繋がれている、小さな手。
今日だけは自分が一人占め出来るのだと思うと、天蓬は、自分が世界で一番の幸せ者になれたような気がした。






うちのチビ悟空は皆に愛されてます。
でも悟空は、基本的に金蝉一番で、天ちゃん・ケン兄・那托が同列2位。あくまで順序をつけたらの場合ですが。

チビ空で"手を繋ぐ"と聞くと、幻想魔伝でチビが金蝉の手を引いてたシーンが浮かぶんですが、今回は天ちゃんで。