君が笑う



(………何がしたいんだ)



布団の上で、猫のように丸くなっている子供を見て、金蝉は眉根を寄せる。
丸くなった子供は、金蝉が何度呼んでも、まともに反応しようとしない。


金蝉はなんとなく、子供の背中が「拗ねてます」と無言の主張をしているような気がした。
其処まで感じ取れるのは良いのだろうが、生憎、金蝉は其処から先の事が判らない。
お世辞にも自分が他人の機微に敏い訳ではないと自覚している金蝉は、個々から先、どうすれば良いのかが全く判らなかった。

基本的に悟空は、自分の思った事や言いたい事は、我慢せずに口にする。
我慢していたり、自分の気持ちに当て嵌まる言葉が見付からずに沈黙している事はあるが、今回のこれは、明らかにそう言ったものとは違うだろう。
こうして何も言わず、けれども明らかに何某かの意図を持って、保護者にプレッシャーを放つと言う事は、今までなかった。


部屋の時計は、短針が頂点から少しずれた位置を指していた。
館の外は暗く、夜桜がひらひらと舞い踊っている。

金蝉は、つい先程、予定を少し押して仕事を終え、寝室に戻って来た所だった。
ようやく仕事を終えて、さっさと寝床について休んでしまおうと思っていたら、この事態。
無言の背中を蹴り落して、スペースを確保するのは難しい事ではないが、後で絶対にあれこれと文句をつけられるのは目に見えている。
子供の甲高い声で騒がれる程、耳に障る事はないので、金蝉は実力行使と言う手段を封印せざるを得なかった。

しかし、このままではいつまで経っても眠れない。



「……おい、悟空」



呼びつけてやると、ころん、と子供は寝返りを打った。
しかし転がった方向は、金蝉とは逆側で、已然として悟空は保護者に対して背中を向けている。

金蝉は一つ溜息を吐いて、何がしたいんだ、ともう一度胸中で呟き、ベッドの縁に腰を下ろす。
そのまま倒れ込んでしまいたいのに、子供がいる所為で出来ない。


どうすればこの子供が退くのか、そもそも何を考えているのか。
考える金蝉の背中で、もう一度子供が寝返りを打つ気配があった。
どん、と背中に塊がぶつかって来たのを感じて、金蝉は肩越しに背後を見遣る。

悟空は半身を俯せにした格好で、斜めに傾いた背中を金蝉の腰に押し当てていた。



「……悟空」
「…………」



名を呼ぶと、やはり返事はなかったが、小さな手が動いて、金蝉の服の端を握った。
ぎゅう、と小さいのに強い力で握り締めるそれを見て、──────ああ、と金蝉は思い出す。

そう言えば、今日は昼頃から構ってやると言う約束をしていたのだった。
しかし書類不備があったとかで、結局日中に時間を開けてやる事が出来ず、約束もお流れにしてしまった。
昼を過ぎた頃、保護者の帰宅を待ち切れなかった子供が一度執務室に来たのだが、その時は正に書類の整理で騒がしくなっていた所で、金蝉は子供の来訪に気付いてやる事すら出来なかった。
保護者の慌ただしさを見た悟空は、何も言わずに寝室に戻り、金蝉が約束通りに仕事を終わらせて戻って来るのを待っていたのだが、それも徒労になってしまい、約束を破られた事と、楽しみが叶えられなかったショックで、拗ねてしまった……と言った所だろうか。


金蝉は、三日前の子供とのやり取りを思い出した。
「このまま順調に行けば三日後には一段落がつく」と言った金蝉に、悟空はとても嬉しそうに笑った。
特別、何処かに行こうと言う話があった訳ではないけれど、ただそれだけで、悟空は幸せそうにしていたのだ。

楽しみにしていた約束を反故にされても、金蝉の事情を思えば、仕方のない事であると、悟空は判っている。
自分の欲求に真っ直ぐである筈なのに、保護者の迷惑になるのは嫌だからと、よっぽどの事でなければ────若しくは取るに足らないような些細な事でなければ────文句を言おうとしない。



(ガキの癖に)



子供なのだから、遠慮などしなければ良いのに。
いつものように、「金蝉のウソツキ」「遊んでくれるって言ったのに」と喚けば良いものを。
そうすれば、煩いと叱って、もう一度約束してやる事だって出来るのに。

……そう思ってから、そんな遣り取りを既に何度も繰り返して、反故にしてを繰り返しているのだと、金蝉は気付いた。


守れるかどうかも判らない約束をして、期待させて、裏切って。
無邪気な子供に寂しい想いをさせているのは、他ならぬ自分なのだ。



(それなのに、お前は、此処から出て行こうとはしないんだな)



もっと構ってくれる人はいるだろうに。
もっと優しくしてくれる人もいるだろうに。

服の端を握り締める小さな手は、金蝉が何度期待を裏切っても、悲しませても、また伸びて来る。


金蝉は、腕を伸ばして、突っ伏した大地色の髪をくしゃりを撫でた。
ぴく、と小さな体が震えて、そろそろと首が動き、金色の瞳が保護者を見上げる。
じぃ、と見詰める瞳は、雄弁に子供の心を映すのに、其処にはもう拗ねた色はなく、縋るように期待する色もなく。

くしゃくしゃと頭を撫で続けていると、ふにゃり、と大福のように丸い頬が綻んだ。
それを見下ろしながら、金蝉は呟く。



「………明日」
「…あした?」
「……振替休日だ」



休日と区切られるような日なんて、元より、あってないようなものだ。
それでも明日は仕事はしないと、金蝉は決めた。

たまには子供の相手をしてやらないと、旧知の男や、悪ふざけの過ぎる男に、また文句を言われてしまう。
そんな声は無視する事も出来るのだが、聞かない振りをしていると、彼らはある事ない事を子供に吹き込み始める。
正直、金蝉にとって厄介なのは、子供よりも彼らの方だ。
適当に(それに気付くとまた文句を言われる)合わせれば一先ず満足する子供と違い、彼らの相手は非常に面倒なのである。


だから。
だから別に、



「えへへ」




撫でる手を握った子供の、嬉しそうに笑う顔が見たいとか、そういう事はないのだと、金蝉は誰に対してでもなく言い訳した。






拗ねた顔より、やっぱり笑った顔がいい。