一本木の上で





一緒に走って

一緒に転んで


バカみたいに笑って









知らない間に抱いた感情

名を付けるには、もう少しだけ早いと思う


















見上げた先の木漏れ日が眩しい。

けれどそれよりも、自分より少し上を行く、子供の瞳が。
差し込む陽光よりも、眩しいと思った。


「……ケン兄ちゃん?」


視線を感じたのだろうか。
悟空が幹にしがみ付いて、こちらを見下ろした。


「なんでもねえよ」
「そうなの?」


きょとんとした顔で見下ろして来る。
微笑んでやると、少し間を置いて。
無邪気な笑みが、返される。

倦簾は幹の凹凸に足を引っ掛け。
自分の体重を支えられる程度の太さの枝を掴み。


「ほら、先行くぜ」


身長にもの言わせ、悟空を追い越した。









軍の収集もなく、倦簾は暇を持て余し。
人気のない館をブラブラとしていた。


天蓬の所にでも行こうか。
どうせまた、片付けを手伝わされるだろう。

無断で下界に下りようかとも考えた。
#しかし、バレた後が面倒臭い。


今は、下界は秋だったか。
天界にない、その季節。
あらゆるものが変化を遂げる時季。

いつかあの子供を連れて行こうか。
もともと下界にいたから、見慣れているかも知れないけれど。
他にも、色々なものがあるから。


……そこまで一気に考えて、立ち止まった。

気付けば子供のことを考えている。
そんな自分に、少し笑った。


館の庭で、一人でいる悟空を見つけた。

何をしているのか、池をじっと覗き込んで。
倦簾は離れた場所から、それを見ていた。

やがて蛙を見つけたのだと。
何かを追い駆けている仕草で察する事が出来た。


『あっ、待て、待てってば』


子供の高い声は、よく通っていた。
距離を置いている倦簾にまではっきりと聞こえる。

蛙一匹捕まえて、どうする気なのか。
すぐに思い浮かんだ金糸に、倦簾は笑った。
多分、彼に見せるつもりだろう。

見せて即座に殴られる光景が脳裏に過ぎった。


『待てったら。待ってってば』


逃げ回る蛙を、悟空は追い駆けていた。


そんな悟空に声をかけようと思った直後。
大きな水音と、水柱が立った。

まさか……と思えば、そのまさか。
蛙を追い駆けるのに夢中になったからだろう。
悟空は池の中へと落ちていた。


池岸まで近寄ると、悟空は水面から顔を出して。


『ケン兄ちゃん!』


自分の状況も忘れて。
悟空は無邪気に、倦簾を呼んだ。

池の中から、小さな身体を救い上げた。
両手足の枷は、確かに重かったけれど。
そんな事は、その時は気にせずにいた。


『な、ケン兄ちゃん、ヒマ?』


爛々と金瞳を輝かせて、そう言った。
何が言いたいかは、聞かなくても判る事。










遊んで、と。

目は口ほどにものを言う。
それが悟空なら、尚更だ。


倦簾は悟空を連れて、少し遠出した。
館の傍では、遊べる場所が限られる。
周囲からの厭味な視線があるから。

多少の事で凹むほど、悟空は弱くない。
けれど、まだまだ幼い子供なのだ。
耳に入ってしまった言葉に、不安を見せる時もある。


だから、そんなものから遠い所へ。



あまり人の寄り付かない、森へと入った。

木登りしたい、と悟空が言った。
競争するかと聞くと、大きく頷いて。


聳え立つ、大きな一本木に二人で手を添えた。



最初は倦簾の方が上を上っていたが。
次第に悟空が、倦簾に抜いて。

身長差でそれを抜かすが。
また悟空が、するりと上へと上ってしまった。
やっぱり猿だ、と倦簾は少し笑う。


「猿じゃないよ!」


急にそんな言葉が降ってきて。
見上げた先に、拗ねたような面持ち。

どうやら、口に出して言っていたらしい。


「冗談、冗談」
「むー………猿じゃないかんね」
「判ってるって、小猿ちゃん」
「猿じゃないー!」


否定する為にムキになって。
悟空は右手を幹から離し、拳を握る。

その間に、倦簾はまた悟空を追い越した。


木の天辺まで来て、眺めてみると。
広がる風景は、なかなかのものだった。

遠くまで森が続いていて。
ある線をひいて、途切れている。
その向こうには、神の集う虚無の城があり。
さらに向こうには、青空が広がっていた。


「……ケン兄ちゃん」
「ん? おう、遅かったな」


幹にしがみついたまま、悟空が名を呼び。
倦簾は、そんな悟空の両脇に手を入れ。
少しの反動をつけ、引き上げた。

悟空は枷も合わせて100キロ以上ある。
それでもほんの一瞬なら、倦簾は持ち上げられた。


「へへ、すっげー眺め」
「だろ」


悟空を抱えたまま、倦簾は枝に座った。


悟空は倦簾の腕の中に収まり。
倦簾は幹に背を預けていた。

抱き締めてやると、悟空は思いの外大人しい。
普段は、じっとしていられない程騒がしいけど。
抱き締められた時だけは。


「木登り、ケン兄ちゃんの勝ちだな」
「うん? んー……そうだな」


不意の悟空の言葉に答えて。
またやろうな、と頭を撫でた。

程なく、いつもの笑みが返って来る。


「ねえ、天ちゃんも此処来たことある?」
「いいや。俺しか知らない場所」
「違うよ、オレとケン兄ちゃんしか知らない場所でしょ」
「そっかそっか。そーだな」


訂正を求める悟空に、倦簾は笑った。


「オレたちの秘密の場所だよ」


そう言った悟空は、楽しそうで。
誰かと秘密を共用するのが嬉しいのだろう。

幼い子供の感情の起伏に、倦簾は頷いた。
果たして悟空に、どれだけ秘密が守れるのか。
バカ正直だと知っているだけに、そんな事も考えていると。


「ホントに、オレたちだけの秘密だからね」


まるで倦簾の方がバラしそうだと。
詰め寄って念を押す姿が、愛しく思えて。

近い距離にあった唇に、口付けた。


(………やっちまった)


突然の呼吸の妨げに、悟空は驚いていて。
引き離そうとする小さな身体を、強く抱き締めた。

悟空の頭を固定して、角度を変えて。
時折、濡れた音が聞こえてきた。
息苦しさから、悟空の顔に朱が走る。


「ケン……兄…?」
「……参ったなー、マジで…」


悟空の息切れの声を聞きながら。
倦簾は誰にも言うでもなく呟いた。

こんな子供に、夢中になるなんて。
自分だけのものにしたいと思うほど。
そんな事、思うなんて考えもしなかったのに。


「やっぱお前はすげぇな」
「……?」
「色んな意味でさ」


何のことだと見上げる金瞳。

金錮に口付け、答えらしい答えは出さなかった。
まだ悟空には、意味が判らない気がしたから。


それでも、答えを促してくるから。


「こんないい男、他にいねーぜ」


耳元で囁いてやると。
きょとん、とした顔で見返された。

見上げてくる金瞳が、何よりも愛しくて。
腕の中の温もりが、何よりも暖かくて。
身体は小さいのに、倦簾の心を大きく占めて。


「んにゃっ」


首元に顔を埋め、弱く吸うと。
うっすらと赤い華がそこに咲いた。

保護者に見付かったら大目玉だ。
金糸の青年を思い出し、倦簾は喉で笑う。


「ケン兄ちゃん? 何してんの?」
「ちょっとな…」


笑いを噛み殺しながら、倦簾は悟空を見下ろした。


もう一度、細い首へと唇を落とす。

それが、鎖骨に少し、舌が触れると。
ぴく、と悟空の身体が震えて。
くすぐったいのか、クスクスと笑い出す。


「ムードねぇなぁ」
「なにが?」
「いーや、なんでもねぇ」


まぁいいか、と。
悟空らしいと思いながら。

倦簾はもう一つ、赤い華を咲かせた。


風が吹くと、悟空の長い髪が揺れた。

木の天辺だから、尚吹き曝しになり。
悟空が寒い、と呟きながら倦簾に擦り寄った。


「………ま、いいか」


先刻までの空気は皆無。
それでも、倦簾は小さく微笑んだ。

倦簾は一度背筋を伸ばした。
それから、また幹にその背を預ける。
悟空を腕の中に抱いたまま。

……その、数秒後。
ミシ、と嫌な軋む音が二人の耳に届いた。


「………ケン兄ちゃん、今の……」
「……やべぇかな」


降りた方がいい、と。
冷静に考え、倦簾は幹に右手をついた。

そのまま立ち上がろうとして、枝が揺れ。
先刻の軋む音が、よりはっきりと聞こえた。
無理に動こうとしたら、確実に…


「ケン兄ちゃん、早く降りようよ」
「あ、バカ、動くなっ」


促す為に、倦簾の服を悟空が掴み。
枝の上にたって、歩を進めた瞬間。


足元が、なくなった。


やっぱり、と倦簾は思って。
同じように中空に浮いた悟空の腕を引っ張り。
落下する中、小さな身体を抱き締める。


「ケンにーちゃ……」


上ずった声が耳に届いて。
背中に鈍痛を受け、一瞬呼吸が出来なくなった。

それでも、腕の中を見下ろすと。
心配そうに見上げてくる金瞳があって。
目立った傷がない事に安堵していた。


「大丈夫か? 悟空」
「…ケン…にーちゃ……」
「怪我してねえな? 痛いトコないか?」


繰り返して問うと、こくこくと頷いて。


「……ケン兄ちゃん…」


見上げる金瞳に、涙が混じる。

そんなに自分は柔ではないのだが。
悟空は心配でならないようだ。


「なんともねぇよ」


悟空の頭を撫でながら、言った。
それでも悟空は、不安そうにして。

「ごめん、ごめんな」
「おいおい、お前が謝る事ねーだろ」
「だって…だって…」


自分の所為で倦簾が、と。
言外に、涙が伝えていた。

自分の所為で落ちたのに、痛い思いをしたのは倦簾だけで。
酷く不公平のように思えると。

別に、倦簾が庇いたくて庇っただけで。
それは、そうしたいと思った倦簾自身の為だ。
悟空が責任を感じるのは、予想も出来ることだったが…


「お前が怪我したら、煩い奴がいるんだよ」


安心させるように笑ってから。
それでも、悟空の涙目は戻らないままで。

あやすように、口付ける。

解放すると、悟空はきょとんと見上げてきて。
泣き顔もいつの間にか引っ込んで。


「……ケン兄ちゃん…?」


名を呼んだ悟空に金錮にキスを落とす。
もう一度なんともないから、と言うと。


「……痛くない?」
「ヘーキ」


短い返事に、悟空はようやく安堵したらしく。
笑って、倦簾に勢いよく抱き付いた。

ふわふわとした大地色の髪が、倦簾の頬をくすぐる。


小さな身体は、枷さえなければ軽いもので。
膝の上に乗せて、倦簾はもう一度抱き締めた。

一本木の幹に、倦簾は背を預けた。
悟空はその倦簾に、身体を預ける。


「ケン兄ちゃん、あったかいね」
「お前もの方があったけえよ」


ガキ体温だから、と。
揶揄いを交えて言うと、悟空は頬を膨らませた。

そんな悟空の頭をくしゃくしゃと荒っぽく撫ぜた。







日が暮れるまでには帰らないと、と思いながら。

倦簾は、腕の中の子供を離せずにいた。



















気付けば膨らんでいた感情を

キミに伝えるには、まだ早い


だから俺が、その気持ちに名前を付けるのもまだ早い








だけどいつか伝えるから

その時初めて、この感情に名をつけるから








キミに伝えたい言葉と共に










FIN.




後書き