満たされぬ月



眠れない、そんな夜。
酷い不安にかられて、悟空は布団に蹲った。


体が震えるのは、何故だろうか。






怖い。

…何が?



判らない。






いや、きっと全て判っている。
けれど判りたくないと、拒否しているの迄も判る。

だってこの想いを認めてしまったら、ずっと傍にいた太陽を、裏切ることになる。



呼吸が出来なくなっているのが、判った。
「彼」の事を考える時いつも、喉の奥が熱くなって呼吸が出来なくなる。
窒息する──そう、何度考えたろう。




それを数え切れぬほど、考えている自分にも腹が立っていた。









もう、来ないで。

俺の前に。



──死んじゃうよ。









死ぬ事が怖いなんて、思うことはない。
三蔵を残して死にたいなんて思わないけれど、「死」というものに怖れを感じる事は、少ない。
零にも等しかった。


だってそんなことを考えていたら、こんな世界を生きていけない。






でも、それは。

誤魔化しているだけ?


脅える自分を、見せたくないから。






こんなオレ、オレじゃない!






ぎゅっと布団のシーツを強く握った。










「──それが、お前だ」










突然聴こえた声に、悟空は身を堅くした。
そっと顔を上げると、ベッドに寝転んだ自分に覆い被さる男の姿。




「────焔っ…!」




反射的に拳を出した。
けれどそれは、呆気なく受け止められる。



「元気だな」
「うるさいっ!」



受け止められた手とは逆手で、殴りかかる。

けれどそれも、なんなく受け止められて、腕を掴まれる。
力なんて入っていないのに、振り払うことが出来ない。




「やはり正直すぎるな」




悟空に圧し掛かったまま、焔は平然と告げた。
掴まれる腕は痛くなんてない筈なのに、ズキズキと疼く。



「怪我はもういいのか?」
「自分でやっといてっ」



先日大敗を切ったのを思い出し、悟空は激昂した。



今度逢ったら、ぶっとばす!
そう言った。

なのに、身体は言うことを聞いてくれない。





「まだ痛みは残っているようだな…」





頬の湿布と、腕のガーゼに包帯。
まるで自分の痛みのように、焔は表情を歪めた。
なんで、そんな顔をするのか、悟空には判らなかった。
敵なのに、何故こんなにも近くに居るのに、一緒にいたいとさえ思うのか。



「離せよ!」
「暴れないほうがいい」
「うるさい! 離せ!!」



心の中にある想いが浮かび上がってきて、悟空は躍起になって暴れ出した。
視界が滲む。







「悟空」







呼ばれて、悟空はビクリと震えた。
それを見て、焔はゆっくりと、掴んでいた腕を離す。



「怖がらせたなら……すまなかった」



抱き締められて──何も言えなくなった。









なんでこんなに、優しくするの?



ついこの間、あれだけ傷付けられた相手。
なのに憎しみなんてものは、湧いて来ない。


求めてさえいる。






「俺が、怖いか?」






告げられて、悟空はキッと視線を鋭くした。



「怖いもんなんか、ねぇよ!」
「今、震えたろう?」
「うるさい! お前にゃ関係ないだろ?!」



動かない身体を動かして、悟空は焔の腕から抜け出した。
その身体が震えている事に、自分は気付いていない。



「関係あるさ」



焔はまた、腕を伸ばしてきた。



「俺たちは、同じだ」
「何がだよ!」
「全て、さ。大事な人間を失った事も、また失う事を怖れている事も、全て」
「違う!」



腕をバシッと払って、悟空は焔を睨む。





「俺は、お前とは違う! 同じなんかじゃ、ない!」










同じ、存在。

異端であり、孤独であり、そして温もりを求める。








けれど違うんだと、悟空は何度も叫んだ。
どんなに同じでも、違うんだと。

焔はそんな悟空に近付いて、その頬に手を触れた。



「やだ……───」



その拒否の言葉は、誰に向けられたモノなのかは判らない。
自分自身に向けているのか、焔なのか。

身体は、震えていて。






もう、イヤ。

なんでこんなに、怖いのか判らない。







「悟空……」



その唇に、キスを落とした。
深く貪るようなキスに悟空は身体の力が抜けるのを感じていた。



「ん…ふ、ぅ……」



力の抜けた身体を、焔が抱き締めた。

突き放したい。
だけど、このままでいたいとも思っていて。
その想いに気付いているのだろうか。







「俺と、来い」








何度となく告げられた、その言葉。
流されそうになって、悟空は首を横に振る。




「一緒になんか、ならない」




精一杯の答。

本当は多分──行きたいと思っている。
こんな死にそうな想いを抱えるくらいなら、楽になりたいと思ってる。



────でも。







「そいつから離れろ」







───ホラ。


あの声が好き。




金色の太陽の傍にいたいと思ってる。
どんなに誰かに焦がれても、あのヒトの傍にいたい。



「…金蝉か……いつもいいタイミングで現れるんだな」
「うるせぇ。いいからそいつを離せ」



効かないと判っていながら、三蔵は焔に銃口を向けた
そこに苛立ちがあるのが判る。

泣きたいくらい、嬉しかった。





声、届いた?





焔を目の前にして、唯一出来た、抵抗。

三蔵をずっと呼んでいた。
自由にならない身体の中で足掻いた、心。





「さんぞぉ……」
「…ったく、こんな夜中にでけぇ声出してんじゃねぇよ」






安眠妨害だ、と言う三蔵の表情は、少しも怒ってなどいない。

不意に悟空を抱き締める力がなくなって、背を押された。
よろけてから、三蔵に支えられる。




「今は、返そう」




三蔵と悟空を見て、焔は告げた。



「次は貰う」
「ふざけんな」



鋭く睨む。

普通の人間だったら、死んでいるかもしれない視線。
焔の視線はずっと、悟空に向けられている。
それを感じるのが怖くて、悟空は三蔵にしがみついていた。








「─────いつだってお前は……そいつを選ぶんだな」








耳に届いた焔の声は、哀しくて。





「金蝉……三蔵、俺はお前が羨ましい」




三蔵にしがみつく小さな身体を見ている。
優しい、哀しい眼差しで。







「500年……お前には判らないだろう…その時間を俺は、悟空を想う事で生きてきた」







窓辺から覗く月光に照らされる。









「だが悟空は500年の間……お前だけを待ち続けた。俺は、悟空だけを待っていたのに」


叶わない、か。









そう呟くのが聴こえ、悟空が耳を塞いだ。
───これ以上は聞きたくない。




「お前より先に俺が逢っていれば───変わっていたかもな……」
「誰にもやらねぇよ」




きっぱりと返された答えに、焔は苦笑した。
傍らの悟空を、引き寄せて。




「今は無理か…まぁ、精々大事にすることだな。いつ誰が奪うか判らんぞ………」




宣戦布告、とでも言うのだろうか。
これ以上は朝になるな、と漏らし、焔は二人に背を向けた。

しかし。





「────焔……」





耳に聞き届いた愛しい声に、焔は動きを止めた。









「……ごめん…ね…」









選んでやれなくて。
500年の事は、憶えていないけど。






「───構わんさ」






何処かで諦めてもいるのかも知れない。
落胆は、なかった。




「だが忘れるな……お前を永遠に抱き締めていられる者は、今や俺だけだ………」




悟浄も八戒も、きっと悟空より先に逝く。
人間として転生した、金蝉───三蔵も。





「また一人になるのが嫌なら……来い…」





500年前のあの日を、繰り返したくないと言うのなら。
また孤独の中で、震えたくないと言うのならば───











「…………来い」










まだ、無理。

けれど望む事をやめる事は、ない。
この程度でやめるというのなら、500年も想い続けてなどいない。







「やらねぇよ」







三蔵の言葉。
焔は薄く笑って、その場から消えた。



今夜は嫌に月が綺麗だ。
欠けることなく、その光は大地に降り注ぐ。


けれど焔の心は満たされないままで。










────きっと。











ずっと満たされない。
















あの子供が、傍で笑わない限り────
















FIN.




後書き