昼下がり 別になんでもない日々 ただ幸せを 感じていた。 真白な画用紙の上を、色彩が滑っていく。 まだ十歳ほどの子供は塗られていく色を見て、満足げな笑顔を浮かべる。 「やっぱり、きいろかな」 床に散らばった真新しいクレヨン。 真新しいはずなのに、黄色のクレヨンだけは消費が激しかった。 「でーきた!」 子供は嬉しそうに、画用紙を掲げた。 真白なはずの画用紙に描かれている、絵。 十歳の絵というより、園児の絵に近かった。 「みせてこよっ」 部屋の扉を開け放ったままで、子供は廊下をバタバタと走って行く。 手に持った画用紙には、大好きなあの太陽。 一角のドアを開けて、子供はすぐそこにいる保護者を見つけた。 「さんぞーっ!!」 元気よく呼ぶ。 けれど返答は無く、いつものように肩を揺らす事も無い。 そんな保護者──三蔵の行動に、子供はギクリとした。 『執務中は静かにしろ』 思わず出てしまった大声に、子供は口を塞ぐ。 しかし、時既に遅し。 ああ、絶対怒られるや、と子供は溜息を覚えていた。 せっかく絵を見せようと持ってきたのに、これでは見せ様が無い。 「……うるさかった? …ごめんね」 ドアの前から動かないままで告げて、子供は静かにドアを閉める。 三蔵は返事もしなければ、反応もしなかった。 子供はよほど怒らせたのか、不安になる。 そっと歩み寄って、三蔵の顔を除き見た。 (……うそぉ……) そこにあったのは、珍しく居眠りをしている三蔵。 仕事中に彼が寝るなど、珍しいといったらない。 法衣の裾をくいくいと引っ張ってみるが、静かな寝息を立てるだけだった。 (つかれてるのかな? そういえば、とおでから、かえったばっかだったっけ) 二週間近く出かけていたことを思い出し、子供はじっと三蔵を見た。 (………きれー…) 太陽の光に輝く金糸に、悟空は素直な感想を持つ。 それから、自分の持っている画用紙の絵を見た。 お世辞にも上手いとは言えない絵。 けれど、一生懸命書いた絵。 きっと見せたって、素っ気無い反応しか返ってこない。 それでもいい。 とにかく、見せたかっただけだ。 『だいすき さんぞ』と大きく書かれた文字。 早く見せたい。 (おきないかな…) そんなことを思いながら、子供は三蔵を覗き込んでいた。 日差しがきつい。 窓向こうにある太陽は、いつもより強く大地を照らす。 大好きな、自分に光を与えてくれた、この金色も。 金糸に触れた。 (すきだな、きんいろ) そんなことを思いながら、くい、と軽く金糸を引っ張った 子供は三蔵の膝の上に上って、体重を預けた。 日差しはきついけれど、この太陽の輝きはいつだって優しい。 金糸に絡めていた指を離して、執務机に画用紙を置く。 そのままゆっくり瞳を閉じて── 「さんぞーおきるまで、オレもねてるね」 小さく笑って。 子供はゆっくりと、寝息を立て始めた。 ───みてみて! 『…なんだ、サル』 ───サルじゃない! 『それで?』 ───あのね、……かいたの! 『……見せてみろ』 ───はいっ 『…ヘタクソ』 ───ひどーいっ 『…まぁ、前よりはしっかりなってんじゃねぇか』 ───…えへへ…… 『だがな、書き終わったらちゃんと片付けろ』 ───はーい 『……いい子だ』 ───へへ、おれいいこ? 『ほら、片付けろ』 ───かたづけたら、もっといいこ? 『…そうだな』 ───かたづけるっ 『ああ』 ───おれ、いいこだもんね! 不意に目を開けると、途端に感じた重み。 視線を少しだけ落としたそこにあったのは、 自分の膝の上で眠る子供。 「……」 三蔵は溜息をついた。 その頬を軽く叩くと、子供は目を擦りながら金色を覗かせた。 「あ…おはよぉ」 ぽけっとした表情で告げる子供に、三蔵はまた溜息。 「降りろ」 「や〜だぁ」 低く告げられた言葉は、邪気のない笑顔に消された。 べったりと引っ付かれ、引き剥がす事も出来ない。 何故かこの子供にだけは、甘い。 「そーだ、さんぞ、みてみて」 くいくいと髪を引っ張られ、三蔵は仕方なく視線を子供の指差すほうに向けた。 何故こいつは、いつも自分の髪を引っ張るんだ、と思いながら。 指差される向こうにあったのは、何やら色のついた画用紙。 そこに描かれているものがなんなのかは、すぐ判った。 「へへ、じょーず?」 そんなことを聞いてくる子供に、三蔵は答えない。 画用紙を手にとって、三蔵はそれを眺めた。 お世辞にも上手い、とは言えない、幼児の絵。 けれど膝上の子供は、嬉しそうで。 「……ヘタクソ」 そんな言葉をかけると、子供は不満げに頬を膨らませる。 「ひどーいっ」 「……まぁ、前よりはマシなんじゃねぇか」 そう言って大地色の髪を撫でる。 「えへへ……」 それだけで子供は満足そうに笑い、三蔵にまた強く抱きついた。 「それよりお前、書き終わって片付けたか?」 三蔵の言葉に、子供は、あ、と思わず漏らしてしまう。 三蔵は盛大に溜息をついた。 子供は何処か縮こまり、膝上から三蔵を見上げている。 「出したものは片付けろと言っただろう」 「ごめんなさい…」 しょんぼりとするのは、三蔵が怒っていると思っているからだろう。 別に怒ってなどいなかった。 「ほら、片付けに行くぞ」 子供を膝上から降ろして、三蔵は執務室から出て行く。 その後ろを子供がちょこちょことついて来た。 歩く度に揺れる大地色の長い髪が、動物の尻尾を思わせる。 親についていく仔犬のようだった。 不意に後ろから、子供が小さな手で三蔵の法衣の裾を引っ張った。 少し面倒そうに視線をそちらに向ける。 「ね、ね、さんぞ」 どこか嬉しそうな表情をしているようにも見えるのは、気のせいか。 「おれ、いいこ?」 意味を成さなかった台詞。 「何がだ」 「だから、おれ、いいこ?」 期待するような瞳は、いい子だと言って欲しいと、はっきり判る。 そして、さっき見ていた画用紙を、持ったままだったのに気付く。 ぽんっと頭を撫ぜた。 「いい子だ」 甘い顔をしてはいけないと思っている。 けれど。 「かたづけたら、もっといいこ?」 「…そうだな」 そう言うと、子供はぴょんと跳ねる。 「かたづけるねっ」 嬉しそうな子供の頭を撫でて、自室へと歩いていく。 「おれ、いいこだもんね。かたづけるね」 「ああ」 小さな子供は満面の笑顔で、三蔵に何度も言う。 「おれ、いいこだもんね!」 もう一度、頭を撫でた。 邪気も何もしらない子供は、嬉しそうにずっと笑っている。 手に持ったままの絵。 『だいすき』とミミズがのたくったような文字。 十歳より、ずっと幼いこの子供。 数ヶ月前に寺院に連れ帰ったこの子供は、いつだって本当の笑顔。 声が聞こえたことを───後悔してはいない。 それが、誰かの意図した巡り合せであったとしても。 FIN. 後書き |