癒し方





「金蝉、待ってよーっ」






呼び声に、脚を止めて振り返る。

少し遠のいたところから、駆け寄ってくる、見慣れた幼子。
金蝉は立ち止まって、悟空が近寄るのを待つ。



「金蝉早いんだもん。どんどん離れちゃうんだもん」
「お前が遅いだけだろ」
「遅くないもん!」



悟空が金蝉の前で立ち止まると、今度は悟空のほうが前に立つ。
置いて行かれた仕返し、とばかりに。



「置いてっちゃうよー!」



無邪気な悟空に、金蝉は頭を掻いた。

さっきまで拗ねていたくせに。
もう笑っている、自分の養い子に何処か呆れてしまう。


放っておくとどんどん先に言ってしまう子供。
金蝉は仕方ないと言った風で、歩き出した。







下界から連れてこられた、異端の妖。
けれどそれすら忘れさせる無邪気さと、純粋さ。


観世音菩薩に押し付けられた時は、冗談じゃないと言ったが───今は、そうでもない。







前を走る悟空がつんのめった。
目ざとく見つけた金蝉が、すぐさま駆け寄って長い髪を引っつかんだ。



「バカか、気をつけろ!」
「う…うん……ありがと」



中途半端な体勢で支えられる悟空。
しかも、長い大地色の髪を引っ張られて。




「……金蝉、痛い」
「あ?」
「だから! 髪引っ張ってるの!」




半ば怒鳴られるように言われて、金蝉はようやく手を離す。

悟空は少し涙目で、後頭部の辺りを擦っていた。
痛かった、と漏らして。
批難の瞳を向ける金色に、金蝉はしれっとした表情で告げる。



「お前だって俺の髪を引っ張っただろうが」



出逢った時の事である。
金蝉を見た悟空が、彼の髪を引っ張り、あまつさえ引き抜いた。

それはまだ記憶に新しい。


それでも悟空は批難の色を隠さない。



「こけるの支えるんなら、髪引っ張らなくてもいいじゃん」
「ああ……」



確かに腕を引くなりすれば良かっただろう。
しかし。



「一番掴み安かったんだ」



きっぱりと告げる金蝉に、悟空がぷぅと剥れた。



「掴み安くても、痛かったの!」
「ああもう、うるせぇ…判ったからピーピー喚くな」



悟空の隣を通り過ぎ、金蝉は歩き出す。



幼子は置いていかれたくないとばかりに、小走りで金蝉について来た。
悟空がすぐ後ろをついて行く。
その歩調が早くなっているのは、金蝉と歩幅の差があるからだ。


……少し、速度を落とす。





「……?」





悟空が少し不思議そうに金蝉を見上げた。
自然と悟空の歩調は、いつもと同じペースになる。

自分も大概甘い、と思った。



「……何処まで行くつもりなんだ?」



ふと、今日は悟空に引っ張り出されたのを思い出した。
悟空は満面の笑みを向ける。




「行ってからのお楽しみ♪」




悟空はそう言って、金蝉の隣を歩く。
嬉しそうなのは、遊べるからなのか。

それとも久しぶりに、金蝉と一緒に歩いているからなのか。


とにかく、悟空は金蝉が知っている限りでは、いつもより嬉しそうだった。

























どれだけ歩いたのかは判らない。
けれど、自分達の住む館とは随分離れた。

傍らの子供はいつもこんな所まで遊びにいっていたのか。



「こっちこっち!」



突然悟空が手を引く。
金蝉もそれを払うような真似はせず、黙って引かれるままにしていた。
少し前の自分なら、考えられなかった事だ。

茂みを掻き分けて、足場の悪い場所を、悟空は平気で進んでいった。



(動物が野生に帰ったみてぇだな)



そんな事を口に出したら、悟空は拗ねるだろうか。



「もーちょっとだからね」
「……ああ」



金蝉は短く返事をする。
がさがさと茂みを掻き分けて、目的の場所が近いのか、悟空の顔は嬉々として明るくなる。
最初に執務室から引っ張り出されて、どれくらい歩いたのか。

悟空に振り回されるようになってから、以前より体力はついた。
だから、余り疲れは感じなかった。






「ここ!」






悟空が言った先には、一面の花畑。
見渡してみるが、そこには誰もいない。



「どーしても見せたかったの。キレイだから」



そう言いながら悟空は、金蝉の手を引く。

花畑の真ん中辺りの場所で、悟空は座る。
金蝉も同じように腰を下ろした。




「金蝉、最近ずっとシゴトばっかだったから」




たまには息抜きにと。




「メーワクかなって思ったけど……」
「…………」
「メーワクならごめんね。でも、オレ、なんかして上げたかったんだもん」




悟空がそっと見上げてくる

手伝いも出来ないし、何か喜ばせるものはないかと。
不器用だから、何かしたって失敗して、迷惑をかけるだけで。



「……めー…わく……?」



おそるおそる聞いてくる。

金蝉の手が、悟空の頭の上に上がって──怒られるんじゃないかと、悟空が緊張する。
しかし悟空の身体の何処にも、痛みは無い。






「バカ猿……」






大きな手が、悟空の頭を撫でる。
悟空がきょとんとして顔を上げた。



「迷惑じゃねえ……が、俺は少し疲れた」



言って金蝉は、悟空を抱き寄せる。

突然抱き締められて、彼らしからぬ行動に、子供は目を丸くさせた。
慣れた、けれど大好きな温もりが、ここにある。




「俺は寝る。お前も付き合え」




悟空を抱き締めたまま、花畑に寝転がった。
悟空はまだ呆けていたが、一度強く抱き締めると、嬉しそうに擦り寄ってきた。



「寝るの? 服、汚れるよ?」
「構わん。俺が寝ろっつってんだから、寝てろ」



悟空の頭を右手で押えて、離すまいとするように。
押さえつけられて痛いのか、少しだけ子供が身をよじった。



「髪、持ってもいい?」
「……引っ張るなよ」
「うん」



悟空が右手を伸ばし、金蝉の長い金糸に触れる。

蹲った悟空から、くすくすと笑いが漏れる。
金蝉はしばらく放っておいたが、いつまで経ってもそれは止まない。





「…何がおかしい?」
「だって……」





悟空は浮かぶ笑いを堪えながら、金蝉を見た。





「こんななるなんて思わなかった」





もとは、ただ金蝉の疲労を癒してあげたいというだけ。
それだけだったのに、こんな風に一緒にいられるなんて。

思わなかったから。



「……嫌か?」
「んーん。嬉しい」



素直に答える子供。
一層強く抱き寄せれば、嬉しそうに擦り寄って。




「いつまで寝てていいの?」




子供の問い掛けに、金蝉は迷う様子も無くて。




「俺がお前を起すまで…ずっと寝てろ」




てっきり、遊びたい、と反論の声があるかと思ったが、それはなく。
ぎゅっと強く抱き付いて、嬉しそうで。






「じゃぁ、今日はずっと一緒?」






悟空の問いに───金蝉は答えない。
変わりに、強く強く、抱き締めた。



腕の中の存在が───愛しいから……。










たまには仕事なんてさぼっても、いいかも知れない。
















この子供と一緒なら。














FIN.




後書き